の歌    
    

              1 母さんのうた     

                     
                        
 母 日 和
                                      
                                    
 阿久 悠   

       
むかし… 母は…
   遠い故郷の 話をしてた
   この胸に しまっておいた宝物だと
   あんたもさあ そういう景色
   抱いて抱いて 生きなさい
   いいひとに いいひとに なれるから


        
若い… 母は…
   どこを旅して いたのでしょうか
   いっぱいの きれいなものを話し上手に
   あんたもさあ こどものうちに
   花に風に ふれなさい
   そんなこと そんなこと いっていた

     そんな… 母を…
   なぜか近頃 よく夢にみる
   貧しくも 豊な顔で生きていたなと
   わたしももう あの母の年齢
   鳥に 鳥に なりたいわ
   いい景色 いい景色 見えるよう


  
   
   東京だよおっかさん



  久しぶりに手を引いて
  母子で歩ける嬉しさに
  小さい頃が浮んできますよ
  おっかさん
  ここが ここが二重橋
  記念の写真を撮りましょうね

  優しかった兄さんが
  田舎の話を聞きたいと
  桜の下でさぞかし待つだろ
  おっかさん
  あれが あれが九段坂
  あったら泣くでしょ 兄さんも

  さあさ着いた着きました
  達者で長生きするように
  お参りしましょね
  観音様ですおっかさん
  ここが ここが浅草よ
  お祭りみたいに賑やかね


       母さんの歌      

    
母さんはよなべをして
    手袋編んてくれた
    木枯らし吹いちゃ 冷たかろうと         
    せっせと編んだだよ
    ふるさとの便りは届く
    囲炉裏のにおいがした 
                    
    母さんは 麻糸つむぐ
    一日つむぐ
    おとうは土間で 藁打ち仕事
    お前もがんばれよ
    ふるさとの冬は淋しい
    せめてラジオ聴かせたい
 
    母さんのあかぎれ痛い
    生味噌をすりこむ
    根雪もとけりゃ もうすぐ春だで
    畠が待ってるよ
    小川のせせらぎが聞こえる
    懐かしさがしみとおる
             

        (窪田 聡 昭和36年)   

     
             賛美歌 510番 
           

 
 まぼろしの影を追いて
   うき世にさまよい
   うつろう花にさそわれゆく           
   汝が身のはかなさ
      (繰り返し) 
   春は軒の雨 秋は庭の露
   母は涙 乾くまなく
   祈ると知らずや

      おさなくて罪を知らず
      むねに枕して
      むずかりては手に揺られし
      むかし 忘れしか
 
      汝が母のたのむ神の
      みもとにはこずや
      小鳥の巣に帰るごとく
      心安らかに

      汝がために祈る母の
      何時まで世にあらん
      とわに悔ゆる日のこぬまに
      とく神にかえれ

        
        
 乳母車           
   
 
    
母よ―
    淡く悲しきものの降るなり
    紫陽花色のものの降るなり
    はてしなき並木のかげを
    そうそうと 風の吹くなり
                     
    時はたそがれ
    母よ 私の乳母車を押せ
    なき濡れる夕陽に向かって
    りんりんと私の乳母車を押せ
   
    赤い聡あるビロードの帽子を
    冷たき額にかむらせよ
    旅急ぐ鳥の列にも
    季節は空を渡るなり

    淡く悲しきものの降る
    紫陽花色のものの降る道
    母よ わたしは知っている
    この道は遠く遠くはてしない道
        
                (三好達治)      

      古き雛人形を飾りて


  
古き雛人形を飾りて
  母を想う 母を想う
  青白く
  うすよごれし官女の顔
  母に似ていとさみし
  
  右近のたちばな
  左近のさくら
  母に教わりし言葉を
  くちづさめば 尚 さみし
 
  菱もちよ
  せめて母の手の如く
  そりかえることなかれ
 


         (サトウ・ハチロー)
   




四季の歌

   
 春の


     きみ住みし母屋も土蔵もこはされて
     其の跡に麦が青く育てり
        
        湯の宿に寝転びながら眺めおり
        炭焼く煙山吹の花

            ギヤマンの瓶に梅酒を注ぎいれて
            今日の集ひにひそませていく
                
               爪先に力を入れて雨の降る
               坂道行けばユッカ咲きおり     

                   
         屈まりて葱苗植えてゆく畑に
      梅の香りを運び来る風
       
          花びらをここだに散らして春嵐
          わが梅畑に唸りたており   
              
             藁くずをくはへて飛び行く鳥があり
             屋根の中処に巣のあるらしく
   
                  梨の花散らして何か探しおり
                  枝から枝へ二羽の小鳥が

        
      夏来れば花を咲かせむ吾が庭に
      おもへば楽し如露に撒く水

          はかどらぬ幼き歩み励まして
          上りし道に鶯啼けり

             蕗の葉をまるめ湧水飲ませたる
             吾子はも今は子の親にして
               
                 子を背負い連れて歩みし故郷の
                 瀬音なつかし深沢の道
 





 
     水玉の光る稲田に陽は落ちて
     草籠重く野を帰り来る

        南瓜棚より高く干しものはためきて 
        長き梅雨期のようやく明けぬ

           食欲の弱き時にと指先を
           黒く染めつつ紫蘇の葉を摘む

               咲きいでしダリアの花を浮き出して
               今宵我が家の庭に照る月

                  来年はもう蒔けないと末の子の
                  蒔きしサルビア咲き始めたり


     寡婦となりし友のみ歌にうたれつつ
     繰りかへし読むおなじところを

        湧く清水掬ひし場所も其のままに
        残れるところ友と登れり

          木漏れ日の中に咲きたる竜胆が
          目に付きたれば足を止めたり

             熊笹の茂れる小径行き行けば
             列車の汽笛ひときわ高し

                和田峠の下り坂より見渡せば
                はるかに光る諏訪のみずうみ


      弟の勤める出原分校に
      今日はキャンプと子は勇み行く
             
         子供らが足手まといにならざれば
         吾が髪いたく白くなりたり

            身を削り子等に尽くさむ楽しみが
            ありて明日の朝が来るべし
    
              盂蘭盆に帰りし子等の戻りゆき
              人なき部屋に白百合匂う

                 夏休みに子が学びたる二高寮
                 眺めつつ行く小荒間の里 


          
               
                

 の母
     
  

  
  知らぬ間に吾を驚かす物言ひし
    過ぎし月日の有難きかな

        ウインドウに並ぶ人形の服見つつ
        娘に似合うものに近づく

            青春の血潮湧かせし若き日の
            吾の齢になりたる娘

               スカートの裾翻す風のあり
               秋立つ朝の高原の駅
  
                   見事なる稲は高穂にそろいたり
                   ことなく過ぎよ二百十日も     
                                                                

           
 顔中を蜘蛛の巣だらけにさせ乍ら
            昼餉の卓に猫の寄り来る
   
        この庭に波浮の港を踊りたる
        三十余年のむかしをおもふ

            三橋美智也の古城の歌が気に入りて
            夕餉の支度なしつつも唄ふ

                夢にさめ暫く床に座りおり
                父の面影ありありとして

                    女には学問いらぬと争そひし
                    その父もなく我も老いたり



     煙管(キセル)にて叩きし跡の残りゐる
     囲炉裏あるなりふるさとの家

        とりどりの菊咲きたれば吾が胸に
        甦り来る父母の逝きし日

            吾が歩み遅れがちにて霧こむる
            美し森の坂登りゆく

                 乗り遅れて人なき茅野の駅の隅に
                 天ぷらそばを食べているなり 
 
                    歌会果てさざめき合ひて歩みゆく
                    ネオン明るき長坂の町


                  


  の母
            

          
                
撮影 長谷川ひろみ氏 2006 Jan.


      
娘の活けし緑色よき寒椿
      ときおり猫が水飲みに来る
      
         甲斐駒の嶺に初雪きらめきて
         漬菜美味しい季節となりぬ

            幼子の瞳の如く澄む空に
            庭師の鋏鳴るを聴きおり
 
               魚焼く煙が林を縫ひてゆく
               焚き火囲みて昼餉するとき
  
                   束ねたる木の葉を山と積み上げて
                   今年も終わりの行事を済ます

 
       食卓を囲みて雑煮の箸取れば
       ラジオは山の遭難伝ふ
 
          若人を雪の底ひに埋めつつ
          夕日痛まし今日の富士山
                   
             打破したき古きしきたり其のままに
             新たなる年また重ねゆく 
           
                高山に雪白々とあり乍ら
                里の昼陽はうらうらぬくし
              
                   妥協せぬ心ひそかに持ち乍ら
                   熱き豆腐の汁すすりおり
               
      
       縞なして青む冬田の麦のうへ
       木枯らし強く吹きすぎてゆく


           亡き父を偲ぶよすがもなくなりて
           囲炉裏は大き炬燵となれり

              からからと笑ひし声ののこりゐる
              君の墓辺に何時の日行かむ

                 あくせくと今日も一日終れりと
                 夜更けの炬燵に日記つけおり
 
                     長坂の駅より見ゆるふるさとの
                     楢の林の未だ芽吹かず

          
         
    

   
   
                                   清水はめ歌集『瀬音』山梨日日新聞印刷社 
            


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