小さき命に捧ぐ             


     
  黒  猫

              ミーシャ

私のかわいいひとり息子は
とんがり耳の黒い猫
わずか一年で成人し
もうおもちゃにも見向かない
日がな一日ガラス窓越し
道行く人を眺めている
寒い二月の夜というに
あおーっと鳴いて外出し
おしりをかまれて朝帰りをするから

猫の社会もまたご安泰ではない
おっとりと
育てすぎたかと反省した
 (むすこよ シャバはきびしいのだよ)
 (ヨメ取りもまたかくの如し)

私の可愛いひとり息子は
一年たってもしゃべらない
成人しても稼がない
顔を見上げて何やら
にゃぐにゃぐ はぐはぐいうのだけれど
さっぱり意味はわからない
心かよえど言葉のちがう
不思議なめぐり逢いの母子ながら
暖めあうそのぬくもりで
今日も一日過ぎたみたい

 


     




     
黒 猫 温 泉

                ミーシャ

いつかきっときみを
温泉に連れて行こうまだ若い
君は溌剌として疲れも知らず
温泉の有難さも判るまいから
ここ暫くは陽のあたる
風通しのいいテラスの窓辺で気持ちよく
万歳スタイルで眠るがいいさ

きっと君を
連れていくよ 温泉へ
ぎりぎり老いた父母の
晩年を支えてくれたのは
子でもなく孫でもなく
庭に咲く季節の草花と
黒猫きみなのだった と
みんなが気づく日は来るから

そしてそのうちきみのあのフットワーク
敏速でほれぼれとした
足腰だって弱まって
高い机に乗ることもままならず
静かに老いを迎える日も来るだろうから
その時はやっと同輩になって
見晴らしのいい屋上の
露天風呂を借り切って
富士山を眺めていっぱいやるのも悪くない
またたび酒は台所の
シンクの下にタップリともう造ってあるし
そしてたぶん
そのときには亡くなっているだろう
じじ ばばの
思い出話をはなそうね
岩魚の塩焼きをしゃぶりながら

黒猫きみを連れていくよいつかきっと
私たちの温泉へ
車に乗せて
フードもトイレも一緒にね






       
猫 哀 憐

               ミーシャ

花咲く春はうららかなのに
まちに猫たちは受難の季節
おにゃあ おにゃあ と
堅いダンボールや紙袋に入れられて
母の温もり ミルクの味も
このうつくしい通りの若葉の色も
たのしむことなくいらなくなった
物品のように集められて
何故すでに生きることを止めねば
ならないのでしょう猫として
生まれてきたのはこの子たちに
なぜ生きる幸いでなくて
不幸でなければいけないのでしょう

きっと猫の母たちだって
ヒトの母となんら変わらぬ心をもって
ひっそり涙もこぼしながら
たったひとりで母となったのだ
何の祝福もなしに
お祝いの尾頭付一匹いただけずに
運命に逆うことなくこねこたちを産んだ
生きものの熱い血をたぎらせて
天を仰いでいのちを産んだ
わが家の血筋のためなどの
エゴイズムとは何らかかわりもなく
生きものの自然としてのいのちを産んだ
春草の匂いをかすかに嗅ぎながら
一言の励ましねぎらいがなくても
きらきら輝くやさしい目をして
ライオンのように
なわばりを守るたくましい夫もなしに
それも花冷えのひどい暗い堅い寝床で

神々の心と離れていま
宝石のように高価で不自然な交配の
人形のような猫たちはもてはやされて
不平等はいつも多勢
星の数ほどの個性を
美しい肢体に包みながら
買い取られ愛されるもの
捨て去られ憎まれるもの
人の世の不平等の
合わせ鏡のように
人間のいるところに
いみじくも消えることなく続くものは―

ねこたち
ねこたち
柔らかな毛に被われしなやかに
天使のように地上に舞い降りた
澄んだ瞳の心和む生命
鋭い爪と強い牙を持ち素直に愛されながらも
他人の侵入は凛として拒む強い意志の
小さなデビル
いつの間にか
森林の暗い闇から抜け出て
ヒトの世界に紛れ住んでしまった
人間にどこか似ている生きものは
戸惑いながらも疑いのない心のまま
またしのび足でやってくるのだ
どんな天敵よりも危険な友人
人間の住む世界の中に
あきらめきれね
いのちの息吹になお
心ある人々を
求めながら

                       清水みどり詩集『黒猫』1997 東京文芸館より

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