ノオト
                折おりの記



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七年忌
 三月に入り何十年ぶりに抗生剤を服用、胸苦しさは肺炎のためだったので、びっくり。 薬は医者が変わったその夜から良く効き、症状が治まるのがはっきり感じられた。 この数年病気と無縁だったとはいえ、年齢も意識してゆこう。晩年のはなを想い出すと、身体の保温力だって低下するのです。 東京都ではバス都内ほぼ無料、で乗っけてくれるというトシになったのです。


 たった七年で、この希有の悲劇がヒトの記憶から遠ざかるのは耐えがたい。汚された自分のふるさとを,いちどは想像して考えて欲しいです。 利用されるだけの動物は、人間の未来の姿でもあります。
 備忘録の以下は、辛ければ視ないでください、この世は皆が不安、勇気がある人ばかりではないですから。

★ 許されざる”いのち”のものがたり

★ ナオト一人っきり Alone in Fukushima
 
       2018 3.12(月)







成城ホールのボニーと童謡
 今年は「赤い鳥」の童謡百年記念の年とのこと。 世田谷区の成城ホールでのボニージャックス60周年コンサート、“昭和の歌暦”は満員御礼、仲間も多く参加し楽しく過ごしました、綺麗な生花も一輪ずついただきました。。 相変わらずの軽妙・珍妙なバリトンとトップテナーのやり取りも楽しみながら、唱歌と童謡の違いと歴史を教えて貰った日でした。

 「唱歌」 は文部省(国家)が元気活発さを推奨し文語体で形整えられ、教科書に載り歌われたもの。 
 「童謡」 はこれに反旗し、白秋、雨情などの詩人たちにより様々な情感を口語体で造り自由に歌われたもの。 でも今は、これらは一緒にされて「童謡・唱歌」と言われている。

 同世代の童謡歌手の活躍した昭和30年代、綺麗な歌詞とメロデイで育った私たちですが、もっと上の世代といっしょに、第二部では童謡を歌いました。 子供のころの懐かしい歌を憚らずに歌いあうのも、ちいさな幸せです。


  
 うれしいひなまつり
 
     サトウ・ハチロー詞 河村光陽曲

 あかりをつけましょぼんぼりに
 お花をあげましょ 桃の花
 五人囃子の笛太鼓
 今日は楽しいひなまつり

 金の屏風にうつる日を
 かすかに揺らす春の風
 少し白酒召されたか
 赤いお顔の右大臣

 着物を着替えて帯び締めて
 今日は私も晴れ姿
 春の弥生のこの良き日
 なにより嬉しいひなまつり

      
  2.22(木)





オリムピック
 四年に一度のこの大会
に,青春を賭けて戦う若者たちを,涙を見ていると,嫌いだから見ないなどとは言えない、ひねくれもの様はいけない。 自分のため誰かのため、涙を流すことがなくなったらいけないね。

 フィギュアスケートは美しいかたちといっしょにその音楽にも感動です。 誇らしいユズ・ショウマ組の『陰陽師』、『トウーランドット』、そしてスペインのハビエル選手の『ラマンチャの男』の「見果てぬ夢」はいいです。ドン・キホーテの騎士道にアスリートたちの姿が重なります。初めて見た帝劇のミュージカル、22歳の時叔母に貰ったチケットだったのですが、映画でのピーター・オトゥールの叙情的な歌声が耳に残っていますが保護されていて音は取れず。 演劇も音楽も氷の舞もみんな素敵だー。 

  The Impossible Dream-from Man of La Mancha

To dream the impossibe dream, To fight the unbeatable foe,
To bear with unbearable sorrow, To run where the brave dare not go,
To right the unrightable wrong, To be better far than you are,
To try when your arms are too weary, To reach the unreachable star!
This is my quest to follow that star!
No matter how hopeless no matter how far
To be willing to give, when there’s no more to give
To be willing to die so that honor and justice may live

And I know. If I’ll only be true to this glorious quest
That my heart will lie peaceful and calm
when I’m laid to my rest
And the world will be better for this
That one man scorned and covered with scars
Still strove with his last ounce of courage
To reach the unreachable stars!

(意訳)
成し得ぬ夢を夢見、服せぬ敵と戦い、
耐え難き悲しみに耐え、勇者が行き難きところへ走る
正し難き誤りを正し、今の君よりもより良くあらんとし、
君の腕が疲れ増すも挑み、届かぬ星に届かんとする!
これがあの星に従い私が追い求めること!
たとえどれほど望み無く遠かろうとも
与え続けよう、もはや与えるもの無きときも
死さえ厭わぬ、誉れと正義が生きるなら

私は知っている。私がこの栄えある挑みに誠であらんとするならば
我が安息に横たわるとき、心は安らけく穏やかなることを
そしてこの世がより良くあらんとなるはこれがため
彼の蔑まれ傷に覆われたひとりの男は
なおも最後の勇気の力を振り絞り挑むのだ
届かぬ星に届かんと!
   2.19(月)





美貌の人びと
 ノオトにもならない、近年見なくなってしまったもの、...[五輪、大相撲、紅白歌合戦]。 
 何にでも好奇心在るはずが以上は特に、心が沸かず、ラジオ・TVのオリジナル番組を侵食されるのが困る、時代劇チャンネルと日本映画チャンネルはあるけれど。  日本映画では昨日、夏目雅子・渡瀬恒彦主演の「時代屋の女房」を見ました。 ふたりとももうこの世にいないけれど、映像は何時までも美しい若い姿なのが胸に迫り心痛ませる。  ここの濁声の愛猫アブサンは、トラ猫でなくヒマラヤン系の老猫のようですが作者の村松友視さんは、アブサンの後に猫を飼っていないという。

 それにしても、夏目雅子さんのこの気品、美しさー。私としては日本映画史上最高の美貌の女優、と思っている。 享年27,せめてあと10年、人々を楽しませて欲しかったが技芸の神様は彼女に、心失うほどの嫉妬をしたのでしょう。    2.13(火)  





庭の生き物
 ほぼ日課になっている午前の見回り、きょうは仔ネコ三匹と母猫発見、あの雪の中を生き抜き四人で日光浴、くつろいでなめ合っていた。 決まった通路からは探そうとしないと見えない斜めの、庭木と笹のこんもりの藪の蔭、よかったね。
 (この庭は年間パスポートを買えば自由に入れるのですが(65歳以上280円)、向島百花園のような自然の花園もなく、チョキチョキ手入れし過ぎる。 ヤマユリや赤松の木は好きですが)
 昨日は外側から茶猫と挨拶、優しい声でにゃにゃ~、と言うと、気持ち目を細め見つめてくる。黒猫兄弟も丸クッションのようになり半見えしていた。
 屋根のある場所も農家の納屋のような藁束はないが、母猫は雪から子供を護っていた。 厳しい冬越えに、紬を解き綿入れちゃんこに造り替えてくれた母を思い出します。
 イエ猫は賢く、人間の思う以上に野性的で強い。
 庭の向かいの集合住宅の階段裏に、猫のご飯場がそっと出来ていました、が、あのかわいそうな狸はー。  2.12(月)





野生の生
 昨日から庭の格子に数カ所、猫のえさやりを止めるよう札がかかっていた。 この二十年近くで初めてのこと。 ここは広さの割に猫は少なく、糞の匂いもない、 えさやりに、後ろで、”待ってるね~”と声かけされ、この猫たちの存在にやすらぐ人も多いと感じてきた。 でも、近隣住民は猫嫌いもいると思え、庭への苦情もあったのかと感じた。
 見回ると、ふかふかの落ち葉のベッドが冬のさなか一面片付けられ、猫や狸の眠る場所がなくなっている。 僅かに残る隅の笹の藪に、茶色猫が一匹、隠れるように寝ていたが親子猫も兄弟猫も姿がない。
 大切な歴史ある庭の美観を護るため、と書いてあるが、ローマのコロッセオもアテネの植物園も、猫が沢山住んでいて今も変わらないように思う。誰も猫たちを嫌と感じていないように見えた。 コロッセオの薄暗い場所の、猫スプレーの匂いは少し気にはなったがー。

 野生動物は人間の街で、どう折り合いを付け生きるか、特に捨て猫の野生化した姿は、一生苦しめさせらる辛いもの、課題です。人間にしても誰しも、幸せに一生を過ごすのは厳しくなりつつある。 2.8(木)





たぬき
 雪の多い寒い冬、傍の庭に一匹の狸がいて、何故か下半身の毛がほとんど抜け落ちていた。まさかと思ってよく見ると、猫たちのご飯どき、うしろでそっと餌の番を待っている感じだった。 又庭の誰も行かない奥のほうで、独りでガサガサ何かを探ったりする姿も見た。
 この庭で狸を見たのは初めて、寒空のその哀しい姿に胸が痛んだ。  
 人間は恵まれない自分に腹を立て自暴自棄になったり、殺傷事故を起こしたりする事もある。 でも野生の彼らは、羽布団にくるまる飼い猫たちと自分を較べ悲しむこともなく、自分に出来ることを一生懸命やり、黙々と生きやがて消えて行く。
 明日はせめてミルクを温め見にいってみよう、このところの寒さでは辛い筈、どうしたろうか気になっていた。 2.5(月)。





北斎とジャポニズム展
 前売りを買っておいたのに最終日になってしまった。 入場制限するほどの人気の展覧会、北斎は一番好きな尊敬する画家です。 
 西洋を驚愕させ影響を与えた繊細で大胆な構図、人が見落とす植物動物を、これほど多くスケッチし残した北斎画狂人とは。。 私たちの画は、ただの落書きにもならない、この人はきっとUFOで異星からきたに違いないと本気で思いました。。
 しかし皿やガラス器ほか、北斎に学んでものした西洋人の作品はみな豪華で綺麗でした。ただし模写は、日本の美大の優秀な人はもっと上手く描ける気がした、つまりかなり不器用でヘタ。 まあたしかに鯉の顔やひれは生き生き描くは難しい、北斎の画は圧倒的な画力です。
 竹橋の「熊谷守一展」にも回るつもりが疲労困憊、中庭に面した「すいれん」でお水2杯をかぷかぷ馬飲みー、苺のショートケーキと紅茶で充填し空と樹を眺め...。品性を取り繕いやっと帰宅。 
 国立西洋美術館は有名建築家コルビジェの作品で、建物が世界遺産になりました。 田舎者の私は国立博物館のひろびろおおらかな建物が好きで昔から、美術館の凝りすぎたような造りに狭さ、を感じてきたー。。 久々訪れて改めて、ここは足腰が弱くなると辛いかな、と思いました。  1.29(日)
 




「アイワ」復活
 オーディオのAIWAはデジタル化の波に遅れ、ソニーに吸収されまもなく名前も無くなってしまった。 それが完全復活し、ラジオ・TV製品を再度造るという。 
 今小さいアイワのラジカセ(2007年 ソニー製品)を就寝前の耳元ラジオにしているそうあの、深夜便を聴いたりするために。 綺麗で丈夫でも、カセット部はもう壊れてしまった。。 
 邦楽の稽古にはCDよりカセットテープが便利で必須、繰返す酷使にすぐ擦り切れるので、ダビングの出来るダブルラジカセも必要ですが探すのが一苦労。 十和田オーデイオという、工場をあまり持たないソニーの製品を一手に引き受けていたという頼もしい会社が、アイワの名で製品を造るというのが素晴らしい、こんご青森全体も元気になると良いですね。ダブルラジカセが出来るかどうかは、不明ですがー。   1.28(日)





三千年ぶりの噴火
 ン十億年の歴史の中、地球の3千年はきっとこのあいだのこと。
 火山の噴火は恐ろしいがありふれた自然といえる。。 草津白根の下に浅間山、それから南下して八ヶ岳、富士山、甲府盆地もついこの間まで湖でした。 さらに南下して伊豆半島、伊豆七島に鳥島、小笠原等の島々。
人の生まれる前に出来た島々や大陸を、何か安全な大地と思うのは錯覚かも知れない。
 地図を見ていたら、八ヶ岳は黒三角の死火山と教えられたのに今は、赤三角の活火山になっていた。 子供の頃の知識はフェイクになっていく。
 富士火山帯(糸魚川静岡講造線)に大変化が起きたら一大事、私のルーツは崩壊,家も墓も土地も消えてしまいます。 富士も八ッも、ずっと眠り続けてくださいお願いします。 と言っても、もともとどこかから流れてきて、陽当たりが良いし水が湧くし木の実があるし、ということで住み着いただけですが。 1.24(水) 






伊勢、熱田、豊川稲荷へ
 先週は友達に誘われ2泊のバスの旅、新東名高速を走る走る、平日なので渋滞もなく。 新東名はまっすぐで、道路が良く揺れがないのが特徴です。泊まりは名古屋の市内にある、「三蔵温泉」でした。

 伊勢神宮は久し振り、でも、名古屋の熱田神宮のほうが心に残る。 どこか人間的で、こころの小道という高原の林ふうの道、その谷間に楊貴妃と関連する目に効くという暖かい湧き水の清水社、千年の古木や石の橋ほか見所の多い古い神宮なのでした。 豊川稲荷は曹洞宗の寺に、複雑に稲荷がまつられた地元の大切な社らしい。霊狐塚は全国からの千体の狐様で壮観です、地元の女性たちとおしゃべりしました。
 初日「なばなの里」の素敵なイルミネーションを鑑賞、雨の中がまた幻想的です。。 三重県のこの施設は山梨の富士急ハイランドよりなお楽しそうです。 花の市では、驚く広さのなかでお花が売られていた。あれもこれも欲しくなりましたが旅先なので、オリエンタルリリーの球根2個で諦めました。
 これだけの距離なのに関東より暖かい、と日本の広さを確認、旅はいつもちいさな発見です。       1.16(火)




広辞苑改訂第7版
 10年ぶりという改訂版は高価、それでも愛用者は多そう。 去年廃棄したのはたぶん第3版、赤坂の会社を辞める時、思いもかけず集まった沢山のカンパの一部で、ソニーの時計付きFMラジオといっしょに戴いたもの、あれから何十年...。何でも持ちが良い、明治生まれたちに育てられた、ああモッタイナイの世代。
 出版社は辞書類が沢山あったが、自前の広辞苑が出来嬉しかった。 生意気盛りの若い私にいつも、暖かい人たちでしたー。 
 今も中古の広辞苑はamazonなどで数百円ほどで売られ、文字や語数も関係なくそれなり需要があるようです。
 電子辞書・ネットなど便利になっても、紙をなぞるほうが私には覚えやすい。 
 高価なりに新語も沢山増え字も本体も大きくなっていて場所を取り、重いー、思案ちゅう。
      1.13(土) 
 



初詣
 毎年行く古い神社に詣でました。 朝早めはあまり混まずに済ました。 
“祓いたまえ 清めたまえ 神ながら護りたまい さきわい給え” 
三度お唱えするのですが初詣では、後ろに人が待っているから心の中で一度のお唱えを。 数年前に富士山五合目の神社で友達と唱和して以来、心が落ち着くようで実行しています。

 正月料理は謂れがあれど、ほかほかの食べ物が欲しくなるころ。
 伊勢丹のレストラン街の豆乳ソフト坦坦麺は、松の実も入って濃厚、こくがありなんともいえない味! 付いていた温泉卵と小ライスも、みんな平らげてしまいカロリー過多に。 うまかっちゃん復刻版も、インスタントなのにいけてました。 秋の市の踊りの会で、若柳華龍さんに戴いたのでした。 踊り上手で情熱的な目は、九州の女と思われます。しかし冬のとんこつ麺は、おいしいんですね。  1.5(金)






謹賀新年

 みなさま平成30年は佳い元旦でしたか、風もなく穏やかな年明けの関東でした。
 
 TVはさいきん懐かしい歌の番組が多く嬉しいです。 大好きなペギー葉山さんが去年お隠れになったものの、今年も一生懸命おなかに力を入れ歌ってゆきたいと思います。
 
 京舞の先代井上八千代さんは、“舞はとにかくおいどさん、おなかどす”、といわれたのですが、舞も歌唱もおなか、太極拳で言う「丹田」です。 歌舞伎の見栄もおなかのちから、腰を入れ肚を決めて、今年も明るい言葉を使いましょう。
 平成30年1月1日(月)




歳末
 ここずっと、木枯らしの季節なのに穏やかな日々です。 
 
「今日という日は

亡くなった者たちが生きたかった明日です。

かけがえのないあの子達の

今日をあなたは生きています。

かけがえのないあのこ達の

明日もあなたは生きるのです。」
 

 なんとなく日を生きているけれど、無くなったいくつもの命を引き継ぎ、また元気に生きていこう、と思える言葉です。 まだ若い女性が単身、引退した競走馬,あーちゃんを引取り厩務員さんと甲斐甲斐しいしく世話をしていましたが、馬の幸せと健康のためふるさと北海道の牧場に戻してすぐ、天馬になってしまった愛馬アサノ・アローン 麻乃号(笠松競馬場)...。  動物への深い愛の想いのブログに見つけたフレーズです。
 
 動物はいきなり、世を去ります。でも何時も想い出して忘れずに、その命を繋ぐ、というのは尊く胸がつまります。
 
 今年も皆いろいろあれ、それぞれに、一年を過ごしてこれてよかったですね。。生きていくことはやはり、お釈迦様の言うとおり,辛くも甘美、ですね。 
12.22(金)




KITTEビルの白いモミの木

 

 クリスマスは商戦といっしょ、何処も熱心です。東京駅前の KITTEは、一階吹き抜け広場が降る雪もきらきら揺れ、白一色でファンタスティック。 
 
 希望のペンは一年待ちで、日本橋の三越なら在庫している、と言われ行くと長い間にモデルチェンジしてペン先は14金で堅い書き味。人差し指に盛り上がった金属輪が変に当たる。 同じ金額の18金の別の万年筆のほうは滑らかでするする書け、指にやさしい、満足。。
 当日は住ま居の管理会社が「日本橋亭」を借り切り、抽選で招待してくれた日。 お茶とお菓子も戴き大いに笑いました。笑うことは血圧・寿命・性格に大きな影響があることが医学的に証明されている、と、真打ちは力説、介護で疲れた友人が、喜んでくれて良かったです。

 日本橋の橋の麒麟のモニュメントは、よく見ると繊細で美しく、江戸以来の歴史を語っている。 頭上の無粋な高速道路がなくなる事に決まり、本当に良かったです。
 12.13(水)
 





「つるつる温泉」ちょこっと蕎麦膳
 歩く仲間の忘年会に秋川の温泉に行きましたが、ほんとにお湯に入るとつるつるになります。
 成分はわからないけれど、ローションなしでも皮膚がかさつかないのでした。 青梅線武蔵五日市駅からは鮎を食べる「瀬音の湯」、行ったことのない「数馬の湯」もありますが、こちらはバスで20分の、よりこじんまりしたホカホカ温まる湯でした。 バスで行ける温泉、鉱泉の多いところです。
 名物は蒟蒻と柚、刺身や田楽がおいしかった。馬刺しもあったけれど、ナマは遠慮しました、あの綺麗な馬体を食らうのは、抵抗ありました。。   ナマはお魚に限りまする。
 当日は風の無い快晴、残りの紅葉と青い空を楽しみました、もうすぐ道も凍ります。    12.9(土)
 




新宿にて
 今日の「ともしび」はお席がなく、入れない気の毒な人も居ました。
 ボニーの曲目は
1森の水車 2北上夜曲 3夢淡き東京 4花(みんなで) 5ローレライ 6神田川 7青葉城恋歌 8故郷の廃家 
 お茶タイムの後は歌う時間 1かあさんの歌 2スキーの歌 3スキー 4月の沙漠 5冬景色 6冬の夜 7もずが枯れ木で 8山男の歌 9雪山賛歌 11雪の降る町を。アンコールの「雪の音」は、初めて聴く叙情豊かな曲でした。 フルコーラスで体力ぎりぎり、歌う人は長生き、と励まされながら。
 一昨日天草から戻ったばかりのボニーは、いつもスケジュールは満杯、驚異のスタミナです。。今日は宮本隆治アナらが見えて26日のBS11の、“あのスターにも一度会いたい”の、ダーク、デューク、ボニーの特集の一部を撮ったりアンケートなどありました。
 
 万年筆が2本とも壊れ、何十年ぶりの買い換え、全く長い間よく働いてくれました。。27歳~35歳のころ買ったプラチナ18、でした。。
 握りやすく軽い羊皮巻は、マイナーな万年筆なので伊勢丹本店でも取り寄せ、今度はキャメル色ですがセルロイドの赤も欲しくなりそう。 オカネ大丈夫かな。   12.5(火)





ウマジョ
 競馬する女性を馬女というのですって。。東京競馬場5階には馬女コーナーがあります。 ソフトドリンクはただ、スイーツは有料、薔薇の花飾りとピンクの壁などで囲まれ、おっさんはいられません。 
 ジャパンカップの前日、狭き門の初心者競馬教室(三千円)に参加、朝10時から12レース終了後、バックヤード見学し5時までみっちりで日が暮れまっ暗、しかし楽しかった。。
 ブジビュースタンド7階からは、広い馬場一望し、中央高速も見える眺望。 モニターでパドックの馬の調子を見て、レースにも参加しながら競馬を歴史から教えて貰いました。
 以前地方競馬の大井競馬場の、トゥインクルレースにバス旅行で行ったけれど、馬券の買い方など忘れていた。 
 ハンサムな馬たちと、顔だちも可愛い藤田菜々子騎手を応援しよう!男性騎手の中ただ一人、鞭当て走る姿のには感動しました。
 coupleに子連れ、単身、老夫婦、ここは郊外の大アミューズメントスポット、有料シートを買うと、ゆったり過ごせる御殿です。ろうごの楽しみ増えました。
 12.1(金)
 





母上の哀しい猫
 秩父で端唄を教えている知人の母上は、群馬で90歳まで独りで暮らし、今年施設に入ったと言う。 飼い猫を連れて行けず家に残されたので、近くのお嫁さんがえさやりに行っていたが、猫を抱くことも、撫でることもなく、置き去りのままの猫が息絶えるに余り時間がかからなかったという。
 聴けば、老いた母上にだけ慣れて人が行くと、高いところに昇ったまま飲まず食わずでいる猫だったらしい。
 誰にもなつく猫がいれば、ヒトを怖がり心開かぬ猫もいる。 不条理は何処にもあり、哀しみに襲われることが多い。
 亡くなった猫は、どう弔ってもらえたか、せめて庭に埋められ、花など供えてもらえたろうか。 人の良いドライな性格の知人、猫は白いオッドアイらしいが、猫の最期と猫と別れて暮らす母上のその後を、聞くことは出来なかった。
 子や孫が居ても、状況によって飼い猫は、愛情を持って引き取られるのでもないのは哀しい..。
  11.24(金)





荒川の猫
 稽古の帰り、たまたま電車が混み立って外を見てると、荒川の河川敷の草むらにおうちがある。 上野公園はもう青テントで棲む人が消えたけれど、この辺りはまだ自由人が暮らしている。 テントでなく木の家、屋根付き、囲いもあり番屋などの風情。 鉢植えも見え、屋根の上で白黒猫が電車を見ていた。 堂々とした姿は、自分の家だと主張している。人間はきっと配下、いそいそとヒトのより猫のご飯を先に用意しているに違いない、などと眺めて楽しんだ。
 しかし川面に近いこの場所では、大水になったら流れると思う、流れたらまた建て直すことだろう廃材を利用して。  秋の水辺の景色はそれにしても良い、川原が草で覆われた江戸川や荒川は、都心では贅沢な自然がいっぱいだ。
 ねこちゃん、狩りをして走り回り、幸せに暮らしてね。    11.20(月)




定期健康診断
 昨日、一年に一度の健診の結果を聴きにいきました。 去年は行かなくて二年ぶりでちょっと心配、でも血圧と悪玉コレステロールが相変わらずぎりぎりながら、薬は要らないというのでほっとしました。 トンカツ天ぷら類をセーブしようー、でも、これからは納会や宴会が多い...。。
 ともかく普通に健康、は毎朝の大盛りキャベツのおかげもありそう。 キャベツと紫キャベツ、柿か林檎をいっしょにスライス、黒酢とアマにニオイルをかけて塩少々、これに白ごまをがりがり擂りふりかけるのが香ばしく美味しい、胡麻すり器・スライサーのおかげです。手ではとてもまかなえないことです。

 東山道武蔵路の遺構に近い クリニックは、へき地医療をしていた先生たちが、朝8時から22時まで診てくれるので、夜も患者さんが多く忙しそうでした。   11.18(土) 






晩秋に入る
 そばの庭園は猫が棲んでいます。 長い子は五年以上いた、毎年顔が違うのはさすらい猫も来て、増減を繰り返すから。。
 以前ははなのご飯を分け運んだりミルクを持って行ったりしたが、申し訳なくも時々のこと。今も同じ高齢の女性が続けている。 この数年はその通りも通らなかった。
 落ち葉の森、人の来ないロープの外は安全と、追いかけっこ木登りしている。飲食店の方らしくご飯は生魚中心でたっぷり、栄養はかなり良く、目薬までも貰っていた。
 いま半年くらいのクロネコ兄弟が2匹いる、声をかけるとじっと目を合わせるが決して近づかず、すぐ逃げる、わたしをオニババとおもうてか(涙)。 ご飯をやると虎兄弟に即横取りされてしまう。
 庭の事務所は、猫はいつもいます、自由に持って行ってください、というけれど捕獲はしない

 庭の中から外から眺める仔猫五匹と大人猫。 竹林の陽だまりでうとうと眠り、落ち葉を掻いて用足しする姿はかわいい。 柵の中では野犬も来ない、人もいじめない、ただ暑くて寒い。 それでも野猫は、せいぜい長くて4~5年のいのちー。
 性格が色色でも、冬と夏の厳しさを思うとかわいそうでたまらない。 
 食べない鳴かないのうちのはな、まだ一緒ですが。  11.14(火)




藤原義江
 我らのテナーと呼ばれたオペラ男性歌手です。 彩の国さいたま芸術劇場の、ボニージャックスコンサートに行きました。 一部は「藤原義江を歌う」、鹿島さんが詳しく藤原義江を教えてくださいました。まったく幾つになっても初めて知ることが多いー。
 下関の芸者を母に、英国の貿易会社オーナーを父に誕生、藤原は母の姓ではない。 当時の日本で、好奇をそそる白人風の青い目で、理由は不明に父と別れて暮らした。 放浪の末藤原家の養子になったというが、チーターではあるまいに母任せ、金があるのに父は何で養わないのかまるでマダムバタフライ、それ以上に悲劇である。 
 しかし天は彼を見放さず、寺の僧侶見習いなど経て世界に名を馳せるオペラ歌手となった。 人も振り返る男前、絶妙な歌唱、その存在は日本の音楽界を世界に通じる発展をもたらしたという。

 途中、義江の歌う『荒城の月』を聴きました。 これまでの常識を覆す歌唱法に、世間は驚き感嘆したという。

 1 藤原義江
 2 藤山一郎
 3 志摩大喜

 
三つの歌唱を較べると、藤原の歌の特徴がわかります、心を揺さぶる 乱調、というようなものを感じる。正しい歌い方が重んじられた没個性時代のあだ花、寵児ですね。 大好きな歌手、イヨマンテの夜を歌った伊藤久男版も、どこか似ています。
 私は聴いていて涙が流れて困りました、鹿島さんも、“聴かせるなあ”と独り言しました。
 では面白くない方の歌い方で、と自嘲しながらボニーも『荒城の月』を歌ってくれました、正調、こちらもとても素晴らしく感動でした。
 シュヴァイツアーの言うように、音楽と猫は、生きる上の宝で癒やしです。    11.6(月) 



霜月です
 
今年もあと2ヶ月、平成29年はとくに早く過ぎた気がします。
 
 ネコ友さんたちのHPを見ていると、個人のページでのその内容の充実さに改めて驚きます。 楽しい時代がありました、ねこちゃんたちは替わってもこれからも継続お願いします。  私の猫は、思案中です。 

 地面が変わりアクセスカウンタが消えました。 訪問数がほぼ定まったようで、もう要らなくなり終了です。 今日は誰か来てくれたのかなと、想像する楽しみもあります。 ビルダーが動く限りは更新します、備忘録ですが。    11月3日(金)




催し物

 秋は魅惑的な催しが多いです。
 上野の芸大美術館の【素心 伝心】は、「クローン文化財 失われた刻の再生」というシルクロード特別企画展。 中国のキジル石窟、敦煌莫高窟、アフガニスタンのバーミヤン磨崖仏、法隆寺など失われた壁画などをそのまま再現してあり、臨場感いっぱいのバーミヤンの大仏の目線で見る高山や村村の大きな動画にも心奪われました。膨大で緻密な模写は、描写力の国立東京芸大のたまもの。
 鋳物の町富山の高岡は、職人さんが薬師三尊を再現し、消失した法隆寺金堂壁画も在りし日のままに再現されて静かに流れるお経、立ちこめる快適な香に癒やされました。
 費やされた熱意と技術とお金も大きそう、でも戦闘機より、心の糧には使って欲しい税金です。 いまだ戦争になやむアフガンは、日本への賛辞と感謝をしているそうです。 シルクロードは、20代で初めて旅した異国でした。
  10.23(月)



11月からの新しいURL
 
KDDIの 推奨の場所 http://catmisha.starfree.jp/ に、HPを移転します。 
 ネコのホームページはひとまず継続。 まだよくわからず不安もあり、やることはありそうでも、ぼちぼちと。  
 親切な遠隔サポートなしでは、今は解らぬことばかりです。長く更新しなくなっても多くは移転しているそうです。
 
 快晴から長雨になり、秋の天気も変わりやすいですね。     10.17(火) 




季節巡る
 昼は半袖、夜はウール、秋深まってきました。
 去年、ホームページビルダーが変わったことで、一年後
に気づいたもの、なぜかそっくり消えていた部分を修復。 しかし今月で、プロバイダーのHPのサービスが終わります、時代はHPではないらしい。
 この秋で「森と草原からのともだち」は14年、老眼も進み?ソフトも使い難くなり、変換ほかに時間がかかり大変ですが、どこかに引越しはするつもりです、HP仲間が居るとがんばれますね。 
 
 昨今夜の月が綺麗です。空気も澄んで空が青く見え、都心のタワーまでもよく見えます。   10.8(日)





浅草
 日本舞踊協会東京支部 城東ブロック舞踊会に。 城東は、台東、墨田、江戸川、葛飾、江東のエリア。 山村も賑やかな江戸の踊りに昨年から混じり、今年は宗家も上京、後見他でサポートが頂けたのです。 
 浅草公会堂は大入り満員、自由席なので時間前に長く並ぶ有様、素人同然の私たちは、本業の方たちの美しい着物にも見とれました。  
 先生の番付は長唄『浦島』、銀色の二枚扇が宙を飛んだり、重なったり、、江戸の踊りにはない形に拍手が起きていました。 城東ブロックはまさにお江戸、笑いを誘う企画作品の『城東そぞろ歩き』は、三部に分かれてそれぞれ一年の風物が細やかに、台詞入りユーモラスに踊られ楽しみました。 はまってしまったか若い絵仲間は、月謝の安い稽古場を探したい、と言い出しました。

 いつも歩かない奥の通りを探検、そぞろあるきして、あの洋食の「ヨシカミ」を発見、昭和30年代の木造の店構えでも、シチュウもステーキもウン千円、む、む。
 美味しいラーメンとシウマイでおなかを一杯に、さらに、穴場のような静かなサテンで珈琲でおしゃべり。
 タイか香港みたいな裏通りや、芸人さんの街を見て好奇心を満たし、力尽き帰りました、9月30日は良い日でした。
 10.2(月)


 




秋日和
 誕生会を5か月遅れでしましたー。
 東京駅南口のKITTEビルの5階の根室の回転寿司屋は一日中、人が並んで50分はいつもとのこと。
 静かに話せる「くし路」で昼のお魚御膳、蒸し物揚げ物焼き物刺身と、女性にはこれで十分の美味しいご飯、その後徒歩で有楽町へ。
 KITTEタワービルは最新の建物で、屋上庭園は東京駅を見下ろし、しばふ青々と、通路はウッドが脚に優しく快適でした。 涼しく綺麗な空気と青空、都心でもこんなさわやかな日があるのが秋、なのですね。
 交通会館の県名産のショップは活気がある、秋田八郎潟の蜆の佃煮と海老揚げ、九州水俣の国産紅茶など色色軽めを買って、屋上展望レストランでケーキセットのお茶をしました。
 
 
 交通会館の回転するレストランは、80分で一回転、でももう回転が滑らかでなく又は当時の技術でか、 人力の芝居小屋の回り舞台みたい、ゴツンゴツン揺れて酔いそうでした。 が、びみょうな年齢を祝う?同級生、日が傾くまで話し込み楽しい時間でした。。一緒に暮らしたペットの話が多くメルアドは、のん太、ミーシャなど彼らの名です。
 サテライトのあった西銀座デパートで、木綿のミニのワンピースをいっしょに探し、日生劇場の越路吹雪を聴きに行った日から、...え~っ、半世紀近くも!

 ピカピカの周囲のビルの中、古さ際立つ交通会館は、1963年の建造物、頑張ってますね、いっしょに越えた青春時代の同窓会、のようでした。  9.26(火)





秋海棠
 古株の秋海棠が、今年は増えてピンクに咲いた。  9.11はミーシャの命日、あれから二十年、秋海棠が揺れて、身も心も肌寒さが沁みた実家の九月の庭を想い出す...。 
 それから何人何匹も姿消し、生きるのは初めは出会いの季節後半は、別れの季節となるのですね当たり前ですね。

 九月はいつも駆け足で去って行く。 行事が多く、上下する天候にもおろおろ、まあだだよあと半月。 でも、この多忙も有り難く思え、こういうものらが健康と気力を養っている、しぶとくへらへらと。 植木 等たちが見直されて。

 今日は観音さまの日でした。  長い読経が終わると本堂のまんなかでひっくり返っていた猫の「しま」、さっさと去ったので皆で笑いました。オス猫、はなの三倍も太い脚大きな頭でした。 行く道道、熟し柿の匂いー、わ、九月の半ばにこの赤い柿のたわわな木、地面には熟した実が落ちて匂うのです「早生」があるのかー?他の木はみな青柿でした。 環境変化で動・植物も、密かに混乱しているような暑い日でした。
 9.18(月)  




ポテトサラダ
 シャガイモ
 にんじん
 キュウリ
 赤玉葱
 カレー粉・胡椒少々
 オリーブオイル少々
 塩少々
 マヨネーズ

 これだけでかなり簡単にできあがるのに、お店で買うのは忙しいから?
 今は総菜がとても便利だけれど、家は田舎だったせいもあり、時代もあり、手製がほとんど。 母親たちは365日大奮闘していたのでした。 でも、そのおかげでアトピーも不調も何もないのだと思う。
 92歳のお料理の先生が、テレ朝「徹子の部屋」に出ていた。 白髪も豊か、良くしゃべり現役で働く、性格明るいおしゃれな女性は憧れです、まさに“ 食は医“ですね。 
 
 展覧会の小品が、ちいともはかどらない、イモサラダ作っている場合ではないのダー。 9.6(水)






湧水
 朝昼夜と冷房機のお世話になっています。 標準温度・微風で継続(古いのはミーシャ、新しいのがはなこ、2匹で12時間ごと交互稼働)すると、カロリーもエコノミーです。 夜中は高めに設定します。  まだ8月ですから炎暑もやむなしですねー。

 農協の朝の出店で茗荷と畑シメジを買い、お庭にさんぽへ。 今年は和傘を貸し出していますが、木陰が多いので蚊よけの団扇のほうを借りました。 
 午前は人もまばら、花はオミナエシと桔梗が少しと背の高いススキの群れ、そして秋と夏のはざま、レンゲショウマが咲いていました、控えめにうつむくちいさな花ですー。
 松の木の下に茸が密かに群生。 老松たちに長雨です、そうですきっと松茸ダ。
 
 水量がいつもより多い湧水は良い水音です、両手で首や腕を冷やすととても冷たい、山の水ように飲めないのが惜しいです。   8.26(土)





すでに晩夏
 お盆が過ぎ、窓の外をトンボが群れて飛んでいました。 胴が金色だから、おぼんとんぼ、と呼んでいたあれでしょうか。
 今年は春に鉢の整理してから忙しく、夏の花が紅白の日日草と松葉ボタンだけ。 青色系の桔梗や朝顔がないので淋しいかんじ。 でも、バジルと青紫蘇はたっぷり繁り、朝のサラダに毎日です。
 
 東池袋のあうるすぽっとホールで18日「みんなの日本舞踊」、19日は府中の森劇場ふるさとホールで、「ボニージャックスとべービー・ブー」のジョイントコンサートに行きました。 いっしょに行った友人それぞれが、心に沁みてよかった、又観たい、聴きたい、と言って感動したようで、すっかり嬉しくなりました。  
 人生は短いけれどまだこれからですー、未知の世界を、どんどん開拓して楽しみを尋ねてゆきましょう。
8.21(月)

 
 




残暑お見舞い申します。
 
    
幼ななじみの百日草

  
        清水 みどり


  乾いた地面がちりちり焼けて
  キアゲハがひらり 
  百日草の庭にやってくる
  入道雲が湧く山の稜線は
  雲の群れに身をゆだね
  何処からともなく一斉に
  アブラゼミ啼く夏休み

  絵日記を描くとクレパスが
  指の間で油くさく匂った昼下り
  花瓶に生けた花たちが
  眠そうに揺らいでいた昼下り

  旧盆の飾りの大きな花瓶に
  グラジオラスとダリアと百合
  そして鮮やかな色とりどりの百日草が
  菓子箱の上で笑うのだった
  
  菓子箱の中身はセロファンにくるまれた
  都会の珍しいお菓子たちなのだった
  父さんの許しがあるまで
  食べれない先祖様のお菓子なのだった

  菓子箱たちをじっと眺め
  縁側にゆくと
  アスターにホウセンカに松葉ボタン
  竹垣で支えた花の群れ群れに丈高く
  赤に黄色、白く色鮮やかに
  夏のいつもの友だち 百日草が
  黙ってじっと見下ろしているのだった


     
 8.9(水)

 



涼しい日が
 せめて3日に1日、こんな涼しい日があればどれだけ都市の夏が過ごしやすいことか。

 今週は新宿東口にある「シアターモリエール」と、渋谷「伝承ホール」の劇場に行きました。 前者青春を懐かしむちとうるさい声のオトナの芝居、後者児童の創作の合唱でした。 きれいな子供たちの歌声が天使のように響き、少女時代はいいものだなあと振り返り、懐かしさに浸りました。 世の少年少女たちが、ゲームやスマホでなく、歌に興味を持って、音楽の楽しさに気づいてくれたらなあ、と。。   ボニーは80歳過ぎてなお活発、西脇先生のオープニングの独唱は、『あなたの笑顔』でした。

 初めての伝承ホールは舞台も床・壁の一部も昔風板壁のイメージ、木製がここちよく、大きさも快適。  でも何年ぶりの渋谷は街がかなり変わり、人も坂も多く道がくねって迷います。 新宿の喧噪のほうがまだいいかな、新宿育ち? ...おらほうの道甲州街道、もあるし(Sさんにまたゴチに、高島屋のほうの つな八でした)。    8.4(金)  
 
 






長唄『松の緑』

今年より 千たび迎ふる春ごとに 
なおも深めに 松の緑か禿(かむろ)の名ある 二葉の色に
大夫の風の吹き通ふ 
松の位の外八文字 
派手を見せたる蹴出し褄 
よう似た松の根上がりも 
一つ囲ひの籬(まがき)に漏るる 
廓(さと)は根引きの別世界 
世々の誠と裏表 
比べごしなる筒井筒 
振分け髪もいつしかに 
老いとなるまで末広を 
開き初めたる 名こそ祝せめ 


“今この時から幾たびも春を迎え、春を迎えるごとに色を深める、松の緑の美しさよ。
末の栄えを約束された禿のことを、「松の緑」とはよく言ったものだ。”

 お祝いの席や神社の奉納の舞として、正装で舞われる事の多い男振りのご祝儀曲。 
 それにしては詞が、廓の少女である禿や花魁の世界を引き合いに、青田刈り、ロリコン、を連想するつぼみ好きな日本特有の世界のよう。  ですが音は、おおらかで美しい格調を感じます。 舞踊は、詞より曲ですね。 
     7.28(金)
  






猛暑にも負けず
 去年より厳しい暑さ、でも、アツイ、と言葉に出して言わなくなったのは、トシとって鈍感化したためそれとも、我慢強くなったせい?
 想い出すと涙こぼれ身をもがれるような、はなことの哀しい別れにも、厳しく耐えて鬱にも成らなかった私、でした...。 風呂場には猫の飲み水を置く習慣がまだ残っています。 夕暮れにはながお水~、と戻ってくるので。
 
 土曜、尼寺での盆供養、お寺は冷房なしで長い読経のあと、お茶とスイカ、お菓子の土産をすこし。
 日曜はお稽古、あまりの暑さに着物は辞めて、白しじらの浴衣に博多の半幅帯を矢の字に結んで行きました。 帯締めをして足袋をはくと、花火大会でなくなります。 今の曲は長唄のめでたい男舞なので、脚を割る振りが多い、、艶物(女の情念などの物語)より活発な動きです。 寒稽古、というけれど、炎暑には何稽古というのでしょうか(ほんとは、うう、疲れてまんねんー)。    7.17(月)





のらの五郎丸
 逢ったことのないブログの友達Aさん、白血病キャリアの雄猫を保護して一年半、大きく堂々とした八割れ猫でしたがいきなり急変、愛に溢れた看護と見送りは見事でした。
 府中の慈恵院は、はなこの深大寺霊園のそばです、おともだちになってくれますように。

【診察台の上で後ろ脚を突っ張らせ、
激しく痙攣したときの姿が
今でも頭から消えません。
助けてやれなかった無力感と、
やっと楽になれたね、という
安堵の気持ちがないまぜになって、
無意識に身体を撫でていました。

猫が1匹いなくなっただけで、
部屋がガラ~~ンとしています。
何かしてないと気が変になりそう。
掃除機をかけても毛が吸い込まれない・・・。
それすら寂しいです。

11日の朝8:00に五郎丸は荼毘に付されます。
もしお時間がありましたら、
東京の府中の上空辺りを仰いで
見送ってやってくださいませ。
・・・ありがとうございました。】
(あんずさんブログより)
 

 人には言えない深い別れの悲しみも、猫たちに選ばれ逢えてこその心の宝。 短くても長くても一緒に過ごした猫たちは、種が違い市民権がなくても、人の子以上の何かをもたらしてくれた。  7.11(火)




七夕
 今年の七夕様は晴れ、夜空に語りかけるような顔の可愛いお月様で、見とれました。。 満月は、いつも猫といっしょに観たものでした。  天の川は、遠い山に行かねばもう見れません。
 教育TVで板東巳之助の 『流星』をやっていました。牽牛織女の物語とは関係ない雷一家のお話で、七月には馴染みの曲です。 数年前おなじ番組で、愛之助さんバージョンも見ましたが、亀の甲より年の功、若い巳之助さんにはまだない洒脱というか、義務や勉強でなく好きで踊っていると思わせる素晴らしいもので、幸いビデオに残せました。。
 先秋の京阪の舞の会では、楳本流家元として、初めて出演、獅子の毛ぶりを踊って見せた愛之助さん、とても多忙になりましたが舞踊も楽しみです。    7.7(土)   



 


人の名前
 大学で教えている知人が、人の名前は視覚的に響き的にわかりやすいほうが良い,と言っていた。
 名簿から、何か気にかけやすいのが簡単な名前の学生になってしまうという。 統計はないが素直な名前は、伸びもいい傾向があるとも。  個人的好みだけでなく、難解な名前は当然覚えにくい。 私たちの時代は、平和や幸福を願った単純な名が多かった。 たくさん生まれいちいち考えるのが大変、ということもあったろう。 個人の名前は短い人生のただの符号にすぎないが、その人にぴったりと感じる事も多い。 アトピーもいじめもない時代、一番困る引きこもりが無かった。 名前負けする様な、立派な名まえは少なかった。
 私はこず枝さんに決まりそうだったが母が難色し、今の名になった。 が、特に運も性格も、いまいちー。でも、単純な名まえに縁があったも運命、よかったと思う。

 同世代の故団十郎さんは夏雄さん、夫人は希実子さんだ。 風景の見えるきれいな名前です。 でも、海老蔵さんの子供たちの名はなかなか覚えれなかった。
 この、幼くして母を亡くした姉弟、ブログは、読むと涙こぼれる父のことばたちが続いています、喪失の悲しみは他人事ではありません。 強運にめぐまれた良い人生を、伎芸天さま、神々さま、お頼み申します。。
  6.29(木)




古代ハスを見に
 千葉公園の大賀ハスはいま盛り、天平の乙女のような清らかな花は気品がありました。  花は写真とちがい、立体と風に揺れる風情はいのちそのもの、思わず、はな~!と呼んで薄紅のハスのうてなを手に抱き、ほほずりしてしまいました。 細かく通路があって花に触れられます、ピンクのつぼみがまるで可愛いねこのよう、真ん中にほのかな香りがした。
 
 3月には水を干し、よい根を選び植え替えるのだそうで、この立派なハスの花園は、関係者の人の努力のたまものです。  
 2000年前丸木舟に乗り人々は、蓮の実を食べ根をかじり、花を楽しんだのかしら、麻を着ていたのかな、冬は寒かったかなー。 戦争の時代の燃料不足の泥炭採りのおかげで、古代蓮の種が見つかったのでしたね。   6.22(木)





高層ビルの火災
 1974年制作の映画『タワーリング インフェルノ』を思い起こすロンドンの、タワーマンション火災の燃える映像ー、映画と同年の建築です。
 43年前、この映画を高層ビルの建築への警告のように感じたものです。 当時は超高層は霞が関ビルと、浜松町の貿易センタービルだけの時代でした。 
 我先にと、屋上からへリで逃げる順番を争う醜い政治家や金持ちの姿とくらべ、ヒーローのような消防士スティーブ・マックイーンとポール・ニューマンの建築家、みんな若くてかっこよく、まだ世の中に希望一杯の20代の私でした。
 あああれから、なんとまあ世は替わったことだろう。 大型店舗・大型住居に、小さな便利な世界が根こそぎ駆逐された。 磁場を離れすぎた高層階に住むことには、特に子供の情緒不安定は心配されていた筈が、生活のための高層ビル群は倍増している、しかもどんどん高層化している。
 この映画は、パニック映画に分類されるそうだが、人間は、過去から学ばなくなりただ前に進むだけ、頭のどこかが既に壊れているのかもしれない。 未来をどう守ろうとするか、考えると不安なことばかり。    6.16(金)

  
 


大英自然史博物館展メモ
 上野の国立科学博物館で平日もかなりゆっくり鑑賞した。 有名絵画展の騒然と違い、こんな自然のお宝の展示が画よりも好きになった。
 いまも「大英」、というごとく、かつて七つの海を駆け巡り好きなだけ略奪した結果も、系統的に人類と地球の生き物らの歴史的価値を評価、保存してくれたことはイギリスの正の遺産です。 

 全体は富と力で様々なコレクションをした英国人の功績をたたえていたが、その中に、南極のスコット、当時の船の見取り図や日誌もあるこの冒険のコーナーは素敵でした。
 1910年代、ノルウェイのアムンゼンと英国のスコットの極地争いは子供のころ興奮しました。
 アムンゼンは北極をめざすと見せて、いきなり、南極行きを表明、焦りと不快を感じた4歳上の英海軍大佐スコットは、帰途の遭難で全員が死亡。 その時の最後の日誌です。

 
“もし我々が生きられたならば、私は仲間の不屈の精神、忍耐力、そして勇気について語り、全英国人の心を興奮させたことだろう。これらの手記と私たちの遺骸が、全てを語ってくれるに違いない。”

 Had we lived, I should have had a tale to tel of the hardifood, endurance, and courage of every companions which would have stirred the heart of every Englishmen.
 Those rough notes and our dead bodies must tel the tale.
  1912.3.29
 ロバート・ファルコン・スコット

 なんとしても生きて本国に帰りたかったろうに、押さえた表現が、海軍大佐/冒険家の無念と誇りを感じさせる。 展示のスコットの採集した植物の化石が、当時知られていなかった、大陸移動説を決定づけたのでした。 
 両極を踏破した北欧のアムンゼンは、毛皮を使った防寒服、犬ぞりで探検に臨んだが、スコット隊は南極で馬そりを使ったのが成否の分かれ目となった、と子供の頃読んだ。
 
 邁集品は多岐、エジプトのネコのミイラ、始祖鳥や恐竜の化石、偽物騒動のピルトダウン人の頭蓋骨、また日本産の水晶他の鉱物、絶滅した動物等の再現そして、去りがたく感じた虎の剥製などなど、CGも駆使し映像でも楽しめるあまりにも魅惑的過ぎる展覧会でした。        6.8 (木)






PCのメールソフト
 たくさんあったメールソフトは減少し、ウイン10に強制的?に入っているofficeのoutlookは業務仕様で画面が複雑です。
 ネスケ系で単純なthunderbirdに換える(ダウンロード後にauにナビゲートして開いて貰いました)と、半年で不調になった。 こういうフリーソフトは不安定なので、諦めて外す前に、また遠隔サポートで見て貰うと、アドオンがオフになったからだけのことだった。 マシンは見えないところで知らぬ間、勝手に動く。。 意思表示するねこのほうがいい。
 auのサポートは広く、PCメーカーでは高価な請求のリモートサポートを、安価で何度でもOK、フリーソフトさえ対象内です。
 個人顧客は減ったPCー、低迷するパソコンですが、画面の大きさがなによりです。。。  6.4(日)  





浦安のメモ
 うらやす、浦安は、3村が明治に合併した町で、初代村長が名付け親とか。 初めて知ったのは、日本の国を、日本書紀の中で浦安国、と称していること。  
 浦とは、こころ、心安らかな美しい国、と言うのだそうです。 良い名前ですがこれまでは、地盤緩い液状化する地、などの印象でした。 子供のころ見た典雅な“浦安の舞”は、昭和に入って皇紀2600年の記念に、国が推奨した奉納の舞で歴史は新しい。

 温暖な海辺に早くから人が住み、魚介類で暮らしていて、老舗の焼きハマグリ屋が複数あり、香につられて店前は人の群れ、1串ほおばりました。
 浦安市郷土博物館で、山本周五郎の『青べか物語』の青べか舟を見ました。 主に、魚介を取る一人船、薄い板がベこべこなのでべか舟。 きっすい線の下の腐食防止の塗料らしい青色があり、昭和27年当時という住まいや商店が復元されていた。 海を知らない私は、こんな場所に来るとわくわく。 貝を堀り捕る道具の大きさにたまげました、鍬や鋤どころではない厳しさです。 商店のたばこは、きざみの「桔梗」「光」「朝日」など展示あり、知らない人や友人と「新生」はひらがなだった、とか父親らのキセルなどの話が弾みました。
 
 住吉駅から浦安駅まで、途中電車も乗りながらなんと、2万歩超え! 病み上がりには、頑張りすぎや-。。 【東京メトロ 東京まち散歩】でした。
    5.29(月)  





仔猫その後
 Fさん家に暮らして、もう9ヶ月に成る三毛猫すずり。 なぜか、先輩猫たちから酷く嫌われ、仔猫ではめづらしい、と聴き、胸痛む。
 猫も人も、性格は生まれ持ってのものがあり、私も自分が違う性格だったら、と悲しむ事がある。
 広い家で多頭だったら、一緒に居たかもと思うすずり。 最近、亡くなった猫たちを想い出すことが多い。 清里の旅館から、リュックで父が運んできた灰色猫の二匹は、チコの後の仔猫だった。 私は折に帰って、美ー太郎、美の助、と呼んだが父は、ペル、シャム、と呼んでいた。 近所では、Sさんのアメリカ猫、と呼んだ。 灰色ねこを見る機会のない時代なのだった。 想うに、シャルトリュー系だった。

 一人は県道で車にひかれ、もう一人は、溺愛した祖父が亡くなると、家から消えるようにいなくなった、消息は不明だった。  それは数年の短い間のことだったが、猫と祖父のいない家の、初めて知る言いようのない寂しさを今も覚えているのです。

 納屋の屋根で日光浴していた兄弟、水仙の花と戯れていた可愛い姿。 両腕で抱えた時の、ふたりのからだの柔らかさいとしさ...。 家に居た可愛い猫たちを思うと、過ぎた日を様々に想いだす。  チコとはなは、奇跡的に長く生きてくれた猫なのでした。     5.24(水)





メダカ
 水草を別の容器に入れておくと子メダカが生まれてた、初めは目だけ、でも今は魚の形をしてツンツン泳いでいる。 命の誕生は何か嬉しい、花が咲くのと同じ。
 親と一緒にすると、我が子を餌にしてしまうメダカ。 自然の小川では、他の魚の餌になり、残ったものが生きてゆくらしい。そのためか産む卵の多さ。 増えすぎも困るので、自然の摂理はなるほど...、です。
 メダカの世話が、今度のぎっくりの原因です。 前はヒバの大鉢の移動、その前は、2時間遅れ座りっぱなしの新幹線の中、初体験は父の入院の付き添いの、徹夜の不自然な仮眠。 初めての時は何が起こったか驚き、MRIまで撮りましたが、治りは早かった。
 年齢にかかわらず起こる魔のぎっくり、今後はベランダの作業、生き物の世話はほどほどに。。ロボコップ歩きは色気も何もなく、悲しいよ~。
 
 いつの間にか梅雨のような五月、アイリスも終わってアマリリスのつぼみ。        5.20(土)
  




新緑
 通りを歩くと栗の花粉の匂いがする。 栗ではないかもしれないが、いろいろな植物たちの活発な生殖の匂いですね。
 
 ぎっくり腰併発で、日干しになりそうだった連休。連休はいまでも、五月のパリなど想い出し、可憐なすずらんの花も想い出す。 勤労者には待っていたまさに、黄金の休暇も、今は林檎ジュースでやっと生き延びるとほほの生活。 青春はもう帰らない、とほほのほ。
 今回は痛みが長く残り老朽化を実感、「気弱化」を友人に指摘されました。 当分気力も低迷も、HPの先輩である知人の忘れない言葉、「HPというのはたとえ一行でも、更新はしたほうがいい」、...そうたとえ一人の訪問がなくても、折に想い出します。
  
 昨日久し振りの同級生の訪問、鰹とアジのお刺身、冷酒、おばはん流の大笑い(品良く)、元気になりました。
 キャベツ・タケノコ・ホタルイカの合わせ煮を食して貰いました。
5.14(日)








葉桜
 
体力が低下してしまい、今月はお稽古はみんな欠席、身体(マッスル)の回復が先です。 
 
でも身体は疲れても食が減らず、どんぶりメシ続きで少し肥えた様子。
 
 今農協の出店には山のような掘りたてタケノコ、安くて美味しい今の季節の味です。 ああこのままみんな買い取り、冷凍保存は出来ないものでしょうかー、キノコ、タケノコはイノシシ年のせいか、年中の常食の食品なのです。。

 ゆっくり桜も見ないうちにもう、葉桜にー。 そして葉桜の時』(ボニー ジャックス)は、とても美しい歌です。 来月第一火曜は「ともしび」に行く予定、友達が予約してくれました。   4.29(土)

 




終了リニューアル
 
佳境どころでない内装・交換工事には疲れ果てました。 が、日進月歩で何かに付使い勝手がよくなりひと安心。 クロスも新しくなり清々しい気持ち、その間に、はなこの命日も自分のバースディも過ぎていました。 いつも忙しい春なのです。
 職人さんは主任が28歳、世の中はこういう若者の仕事で成り立っている...、ロートルになった我ら世代の今の居場所を再認識しました。 テキパキと動き、良く気遣い、して欲しいことは何か考えて行動するのには感動しました。 

 箱入りのハードカバーの全集ほか厚い本ほぼ処分すると書棚が軽く、若がえった?感じ。 微熱が出るほど身体を酷使するのも明るい未来(つまりろうご)のため、お相撲さんやアスリートをまねた手首のテーピングが効きました。
 数十年来の趣味や旅の本や思い出あれこれはつましい人間の小さな歴史、でも、ここに来てほぼすべて頭にインプットされ必要も無くなったのです。
 年齢と共に興味の対象も遷り、本も溜まり続けます。
 
 古い白い柱を磨こうとして、はなさんの顎すりすりの痕跡2カ所も発見。  「此処はあたしの家テリトリーよ」、と今も主張しているようで床から35センチに残る脂の跡は、そのままにしておきました。
       4.24(月)  






年賀状など
 
家の片付けで古い賀状が山のよう、どの年から捨てよう迷います。迷っていると時間が経つ、でも、もう亡くなった人も数名居て、当分は取っておきたくなります。 母からの手紙類はなつかしい青インクの筆跡に時間の経過を忘れ、いまも家に居るような気もちになります。リフォームは引越しと同じです。
 
 それにしても、本は材木でその重さにひっくり返りそう。 でも、未練は禁物どんどん捨てようン十年前の石膏デッサンの教科書まで取ってあったので大変です。   溜まったCDは古いクラッシック、シャンソン中心をエントランスの外側に篭に入れ、「よろしければどうぞ」と置いておくと、夕方残ったのはピアノ曲一枚だけ、ここは人通りが多くそのほとんどは学生たちです。。
 住みながらのリフォーム、第一弾、キャンプ生活のような食生活もして入った新しいシステムキッチン、嬉しくなりますが、これからが佳境、疲れを感じる暇なしです。   4.11(火)  








家の部分リフォーム
 
キッチン、トイレに洗面台など水回りとクロス替えですが、家具移動など頼みは体力です。 筋力・体力を維持したいものです。  四月は誕生月、二十日には大台入りで、今年に入って同級生は皆こきこき、と大騒ぎ。
 私たち団塊という世代はいつまでも若いつもりで気分
は40代、でも鏡を正視しないで、姿見中心になったようでー。 
 
 住居もはや28年め、はなたちと暮らした18年余り、猫との生活の証が、これからリフォームなどで消えてゆくのは淋しいー。 

 やはり猫は家に居て欲しい相棒です。 ドラマの『相棒』では、カイト君が素直な我が子のように感じられ好きでした、甲斐刑事、成宮寛貴、芸能界に戻ってね。 
 〈 ○○○~、Come Back! 〉
が、日常茶飯になってゆくのは長生きの宿命です。     4.1(土) 





春の嵐
 春のふるさとはいつも季節風と呼ぶ強い風が吹き、山は荒れる。 この季節はきっと海も荒れ、人の世も別れ出会いがなぜか多いのです。

 
 栃木は関東とはいえ東北の言葉も混じり、住んだ人は冬の気温も相当低いといいます。 春山とは言え日本の山岳は全体が、里と全く違い冬のまま。 
 山を少しでも知れば表層雪崩が最も多いこの季節に、まだ身体もできあがらぬ少年等を勾配の強い雪山に入れた高校の関係者。 絶対安全だとして実行した、と今日初めて口を開き言いました。。 
 何が起こるか神さえも迷うような大自然に向かって、【絶対安全】と言い切る不遜な人間は、教師失格、です。 少子化の時代、山を好きだった一人息子を失った父親の気持ちを想いやらずの自己弁護は醜すぎる。       3.29(水) 







桃の花
 
住まいの小さな庭に使うところに、数年前に植えかえた桃の木に赤いつぼみ。 「そろそろ咲きますね~」、と嬉しそうな管理人さん。 働き者で優しい管理人さんはお掃除が熱心でどこもピカピカ、有料定期清掃の回数を減らしたほどです。
 鉢植えは大きな鉢でも根が回ると限界があり、土は小さな土地もありがたいものです商業地区ではなおさらに。 近年は小さな桃が数個つきます、“桃栗三年柿八年”。

      


 
また古い写真が来ました、携帯に長く忘れられていたそうですが、初めて見る写真はまた新鮮、かわいいなあ、はなちゃん。。チュッ。  3.22(水)






原子力発電所と牛
 
飽きやすく忘れっぽい人間でも、当事者は一生かけて悔恨を心に抱く。

 
東京電力福島第1原発から20キロ以内にある福島県南相馬市の牛舎には、原発事故後の空腹をしのぐため乳牛が柱をかじったはみ跡が残されている。

同市小高区の半杭(はんぐい)一成さん(67)は酪農家で乳牛約40頭を飼育していた。
2011年3月の原発事故で家畜の移動が制限され、半杭さんは牛が周辺の田畑を荒らさないよう牛舎につないだまま家を離れた。牛たちの行く末は覚悟していたという。

 その年の夏、死んだ牛たちを葬るため動かした際にはみ跡を見つけた。えさが尽きても、何とか生き延びようとしたのだろう。地面から約60センチの高さまで、柱を歯で削ったような跡がはっきりと残っていた。

 震災から6年がすぎた。半杭さんは、牛を見殺しにした責め苦から酪農を離れたが、「牛たちを忘れないという思いで牛舎を残している」と話す。

 県立博物館は、原発事故を後世に伝えるため柱の型を取り、保存する方針だという。
 (毎日新聞)







    十月の牛


      清水 みどり


薄暮色に溶ける
原の片隅で草食む牛

十月末の大気はひんやり
空の色は乳色に茜

ひとりぽっちの牛はしずかに
暮れる原で立ったまま草を味わう

暮れゆく空には黄金の一条
その下にゆったりのいのち
優しい目をした牛

牛よ 牛よ 大きな体で
大地を踏みしめゆうゆう歩く牛よ

長いまつげをそらし澄んだ目で
私をじっと見ていたあの日の
おまえのにおいのする秋が来た

繁二郎の愛した牛
光太郎の愛した牛

広い原をおおらかに歩き
どこまでいったのか 私の牛よ
心の中に永遠の自然を植えて消えていった
広い空のような牛よ(2016.10.30)
      3.14(火)
   





言葉、心
 3.11が巡ってきて、またあの日の映像が流れた。 大川小学校の悲劇はそのうち胸の痛む大きな悲劇の一つです。
 6年生だった鈴木真衣さんは、巨大津波が学校を襲った2日後の2011年3月13日に見つかりました。 が、父親の手元に形見の1通の手紙が残っていた。
 題名は「20歳の真衣へ」。 震災2日前の、3月9日に記していたものです。

 <大川小はどうなってますか? これからも体に気をつけて、早死(に)すんなよ。
クラスの人の人生はどうなっているかねぇ。これからも過去を大事にしてね。12歳の真衣より>


 
 次女を亡くした父親は、残った二人の娘を、真衣さんの分も長く生きて欲しいと願いながら、何かを悟っていたのか、真衣を抱きしめてやりたい、と語ったそうです(河北新報)。 
 子供の文章として意味の不明な箇所もあれど、人の言葉や心に見え隠れる図り知れぬもの、科学で解決できぬ見えない世界は“不可解" だけではすまないものののように感じます。。    3.12(日)
  






 
地方の大学教授の遺族の寄贈した大量の書籍が、開封されないまま十年も図書館で放置され、又遺族に返却されたニュース。 悲しいが何でも寄贈が喜ばれた時代は終わったようだ。
 遺族としては、世のために使って欲しいと、捨てれない愛着でしたことも、かえって手がかかり、迷惑になるのです。 
 世の中には大変な数の本が溢れている。誰もが相当数の蔵書を持つと思う。 裸眼で読めた小さな活字の本などもう読まないものや、希少価値ありそうなものをAmazonに出品すると画集に限らずそれなりに買い手がつく。10年近く続くとほぼ整理がついたけれど、終活ではないのでまだ手放せない本がたくさんある。 
 
 遺贈とか寄贈はもう終わり、人生一代限りと考え未練をなくすが一番。 若者は今本を読まない、詩集などはもっと読まない。紙の触覚の楽しみを、知らないで青春を過ごす若者たちはいま幸せなのでしょうかー。 
 
 戦前の石川啄木の『一握の砂』は、亡き叔父の遺品。 少女のころにお蔵の隅から引っ張り出し、傷み古ぼけても今なお我が愛蔵書です。 旧仮名づかいで藁半紙状の粗末な紙の不思議な味が、愛しい。 好きな歌に赤○印をした叔父の青春が見える。
 復員後早世した若い将校、叔父の記憶は無い。それでも話に聞くいつもの馬上で微笑して、眺めてくれている気がします。   3.7(火)


 



圏央道、けんおうどう。
 
首都圏中央連絡自動車道、というのだそうです、初めて茅ヶ崎から高尾間をバスで動きました。  道に疎い私は、県の何かの道かと思ってましたがこれは大きな規模の連絡道、海から山に便利で速かった。

 歩く仲間とバス旅行で三浦海岸の河津桜を見に行き、桜は終わっていたけれど、湘南の長い海岸沿いでたっぷり海を見れました。  前日の嵐の余波で荒ぶる白い波の中、トドの群れみたいなサーファーたち、大きな赤い陽が調度海に落ち、圏央道からの富士はおおきくシルエット。   当日は風がない暖かな日で横浜・鎌倉から回りました。
  大根畑がひろがる三浦半島の町で春キャベツ百円、二月も終わりもう春です。          2. 26(日)





平和なめだか

 陽の光が明るくなり、メダカの群れは室内で元気に泳いでいます。   この子らはたぶん血族・兄弟で、大勢でも争いがなく平和です。 南大沢に住む養子めだかたちも、大きなスポイトで底の糞を取ってもらうという気配りの環境に、元気に暮らしているようです。
 去年の花屋さんからの三色メダカは、止まぬ争いで崩壊、魚の世界の目に余るいじめに驚いたのでした。 
 人も、民族が違うと争いが起こる、異なるものに厳しい人間はまさに動物そのものです。
 
 古代日本の山陰に栄えた王国で、女子ども含む住民全員と思われる残虐な殺戮の痕跡が見つかり、識者はかなり遠くから富を奪いにきた蛮(異)族の襲撃だろう、といいます。 

 21世紀の終わる頃は、せめて同民族での憎しみ妬みは終わっていて欲しいものです。    2. 21(火)





音楽の世界
 京王線沿いにある仙川フイックスホールで、若い人の室内楽を聴きました。 洒落たドームのような小ホール、久しぶりの洋楽は、オーボエ、クラリネット、バイオリン、チェロにピアノの美しい旋律で身と心が大喜び。 邦楽もバレエ音楽も好きだけれど、モーツアルトは猫のしっぽで頬撫でられる懐かしい心地、夢見心地になり眠ってしまったのですー。

       


 
他人の携帯に忘られていた写真が来ました、7年ぐらい前の母子猫。  カメラにそろそろ興味が戻るといいですが。。。   2.13(月)






銭湯
 秋に閉鎖予定だった銭湯が、熱心な署名活動もあり、店主は地域に必要なのだと感銘、とうとう継続が決まったそうです。 良いお話ですが八王子市内で銭湯が今三軒だけというのも時の流れ。   
 初めて銭湯に行ったとき、恥ずかしくて学寮のお風呂恋しさに涙ぐんだのものでした。 が今になると銭湯が恋しい、裸で知らない皆が揃って身体を洗う、出たらフルーツ牛乳を一本、子供が駆け回り遊ぶ、ヒトのにおいのするのどかな日、懐かしい。
 思えば銭湯には何十年も行っていない、老夫婦が時間短縮して頑張る銭湯に行ってみたくなります広い湯船につかって、足バタバタを又したい笑われても平気です。  2.9(木)
 





...
 リモートサポートでもお手上げだったワードの不具合、翌翌日に元通りに戻っていて呆気にとられました。
 人の造るモノに完全はない、でも修正版が来たわけでもなしでしたー。 私の噴火の火の粉が、海を越え届いたのかしらん、東洋の小魔女の怒りに震え慌てたのかもしれません。
 エクセルとワードは、なくては困るものでほっとしました。 でも進化烈しく、単純な私にはあれこれが使い難くなり、書き難くなった気がします。
 
 今日はかすみ草忌、母の命日なので、干し椎茸や卵焼きなどで太巻き寿司を造ります。 すし酢は高知の馬路村《 じんこうげんしょう こうれいか 県道とちゅうでゆき止まり それでもどっこいうまじ村 ー頂いたカレンダーの表紙より 》から取り寄せた柚商品のなかのひと品、柑橘系はみんな美味です~、ミロくんのおかげで知ったのです。  
1.31(火)





メダカ
 
初秋に友人宅から里子に来た糸のような子メダカ50匹ほどが肥えて大きくなり、養子に出ました。
 犬猫を飼わない家では、どうも15匹全滅、野生の生き物なのであまり手をかけず、餌と水替えを少なめにといったのですがー。
 もう一人は犬を飼い、夫は趣味に忙しく魚には興味が無い様子。 メダカが集団(15匹)で、オレンジ色にスイッスイッと水草の中を泳ぎ、視ていて元気が出ます、と知らせて来ました(趣味を持つリタイア夫は自立して気が大きく、goodです)。

 しかし、200匹はいた本家では急に十数匹になってしまったという。 ご主人の遺児のメダカを大切に育てていたのに、屋外で寒さに負けたのでしょうか。 

 数匹は減ってもわが家の子は皆元気、「にゃにゃ~ん」、とはなちゃんのまねで2鳴きすると、一斉に水面に上がってきて餌をねだります。
 表の庭の湧き水の辺の水苔を、少し頂いたのが市販の水草より青くて丈夫です。
 1.27(金)
 
 




紅白の梅の花
 幾分日が長くなっても、雪が今年多い。寒い冬は害虫が絶え歓迎ですが、雪の害は怖いものです。  
 農協の出店が週二回あり紅白の梅枝を買いました。 
 部屋が温いと、さっそく開いて匂います。毎年同じように冬の日が春の兆しになるのです。

 長年officeのワードで文書を縦書き変換を簡単にしてきた。 それが 2016版にしてのこの年開けから、変換しても、保存できなくなっている。 遠隔お助けを頼んでみてもらうと、秋ごろからこの問題が起こっていて、全てのマシンでの事象でもないらしい上に、再インストールなど試しても解決しないという。 製造側の手にある互換性の問題は、誰にもわからない。
 最近はバージョンがどんどん変わり複雑化、普通のユーザーに難解なことを要求する。 そして起きている不具合はほったらかしている。
 〈PCなんか、もうな~んもかも、やになっただァ~〉、
 といっても、ないと困る時代の大勢のヒトの首根っこを押さえているМS。 縦書き文化は西夏文字も漢字もアジアのもの、まさか、あの札の、トランプの? 
 政治も企業も、独裁は弊害ばかりで競う二者がいないのは不幸なことです。 1.25(水)  







自己けんお
 
一緒に越年した仔猫のミヨはきのう、保護猫のFさん家に戻っていきました。 私の無力、心の狭さと思いやりのなさのためです。
 野に生まれ、逃げ回り、生きるに必死、持った性格もあわせ人の世になれ難い仔猫、時に甘えた目をした愛くるしい顔の猫も、狭い場所で一対一で向き合うには無理すぎるー。 触れず異常に鋭い爪が切れないのが、一番の難所でした。
 
 天袋まで駆け上がる元気猫ミヨ、壁をがりがり食い破る強いミヨ、一生懸命食べる仔猫ミー。 猫の鳴き声に必死に画面に吸い付いていた、仲間猫が恋しいのね。 でも久々の我が家でまた、躊躇していたという、仔猫には申し訳ない事をしました。
 
 猫への自負が、3週間で崩れ去った。 抱かれ好き、おとなしい猫ばかりではないと思い知る、当分は猫を考えないでいよう猫と涙は対のもの落ち込んで身心が不安定になっています。。   1.9(月)
 




賀 春

 
“ 謹賀新年 今年古希 それがどうした ホーホケキョ ”
 以上は同級生からの年賀状、じめっとしない明るい未来の姿ー。 
 酉年の元旦は、気持ちの良い快晴で始まりました。 
   

 本年も平凡にたのしく、宜しくお願いいたします。   
 
平成二十九年一月一日
 
 





歳末なのに
 
淡々と、なんとなく過ぎる日々。  長く生きると世慣れして、節目や感動というモノが少しずつ失われていく。 好奇心だけは衰えませんが。
 深大寺ではなに逢い、友人と年越し蕎麦を食べ、あとは押しせまっての合唱団の例会・忘年会が残るのみです。  
 
 昨日は市の健康診断、マンモグラフを撮りに行きました。 二年前は予約でも待つこと2時間近く。 それで今度は年末の日を選ぶと20分待ちで終了、みんなと同じでないほうが効率が良い。
 二年に一度のこの予約は大変混んでいます、機器が数少なく、大きな医療機関でしか受けれないせいですきっと。
 日本人のマンモグラフィの検診はわずか2%、米国の70%(東京都がん検診センター)と、大差がありすぎる。 乳がん罹患率は日本の増加に反し、米国では減少しているとのこと。 日本女性の食生活とイージー思考には、不安ありですー。
 
 海老蔵夫人麻央さんはは乳がんで闘病中、誰もが喝采した幸せが反転して思わぬ事態になり、気の毒、を通り越しています。  健康は、幸せなときから気をつけなくてはいけないのですね。 
 12.27(火)
 
 




オーソレミヨ
 
近郊で保護されたノラの五兄弟、里子に引き取られ最後に残った雌猫を、トライアルという形で預かりました。 仔猫ミヨは酷いびびり猫で逃げ回り、ちいとも触れません。 しかも初めの2夜はおもちゃで遊ばないと朝まで激しく鳴き続ける、ほとんどオオカミの遠吠えです。 まだこねこ、一緒にいた仲間猫の温もりが恋しいのでしょう。 乳母日傘のミーシャやはなと違い、苦労多くてか人を怖れ信用しないー。
 
 コウレイシャには刺激が多過ぎ、...不眠で疲労困憊ギブアップ、返却になりました。
 が、無心に眠る姿に、もう少し一緒にいてみる気になりました。 暇さえあればガツガツ食べ、う○こもすごい、暖簾もカーテンも駆け上る野の育ち、家の中ばらんばらんだ!  
 
 5ヶ月の三毛猫ミヨさんは、硯の海にどぶっと顔突っ込んだみたい鼻の辺り墨染めの田吾作(たごさく)、別名 すずりちゃん。
 少し慣れ近所迷惑の夜泣きが減った。 スキンシップなしの猫(悲)と、年内は一緒にいることになりそうです。
 仔猫は19年ぶりですはなちゃん、見てますか?   12.21(水) 




シニアグラス
 
ろうがん鏡です。 テレビ・観劇・パソコン・旅行と酷使した遠近のツルが、いきなりプチと折れました。 ワシンでは修理は可能ですとのこと。 3年前のメガネでもフレームは古いのでもう潮時です。 
 
 良い眼鏡になると高価で、フレームもチタン、純チタン、又その上がある。 フレームなしのお仕事用、羽のように軽い中近は、レンズを作り替えること数回、なのに、本体が良質だったのか壊れたことはない。 
 最高のは丈夫で一生モノです、と言われ、遠近もフレームを造り替えてもらうことにしました。 もう90まで長生きしなくては、メガネのためにもー。。
        12.15(木)





初舞台
 
結成してから一年半、初めての花みづきの混声合唱『秋の白樺林』の発表が無事終了。 エカテリーナさんのコンサート Colour of Love  の中で一曲だけながら、場所が〈銀座ヤマハホール〉というのでみな緊張、お客様に満足いただけるよう頑張りました。   先生から、...○印! みんなで心から安堵。 「白樺ー」は一月からずっとメインに練習してきた曲でした。 夜の公演(有料)なので、周りの人に声がけしなかったけれど若い画仲間は聴きに来て出待ちもー、好意的感想くださって有りがとう、Rちゃん。
 楽屋の大部屋で白黒の衣装に着替え、食事、緊張しながらも楽しんだ初舞台。 ヤマハビルは見た目より大きくて、迷い子になりそうでした。

 ランチは高カロリー、舞台リハーサルのあと5時にサンドイッチとジュースが支給され、打ち上げは「銀座ライオン」でまた肉料理ー。
 滅多にない夜の活動で胃がびっくり、翌朝はリンゴと生ミント茶蜂蜜入りだけにしました。 
    12.10 (土)  
 





イチョウ・カモ
 
市の健診で、朝食抜きで行くと、その必要のない日でした。 たったそれだけでなんだかふらふら、おなかがすく冬。 昭和20年ころの人々は、いつも飢えて栄養失調で、辛かったろうなあとしみじみ。
 持って行ったフルーツ味のカロリーメイトと缶コーヒーで持ち直し、バスに乗らず家まで歩くと、普段通り過ぎるだけの公園がイチョウも桜も落葉し何とも美しい。 入口の巨きな蒸気機関車のわっか、車輪のモニュメントが、元国鉄の技術学校跡地と知らせている。
 
 歩くと初めて見るものに逢う、中はとても広く芝に人が寝ていたり球技をしていたり、滝を見れるベンチで憩っていたり。 初夏には必ず来たいと思わせる藤棚も立派でした。 
 
 まさに時は晩秋、陽も穏やか青空が木々に映える。
 池のカモたちにカロリーメイトを分けてやると、水の上を舞い滑りながら食べに来ました。 冬越えは野鳥には厳しい、せめてリスのようにどこかに蓄えればねー。  12.4(日)
 





フォークル、きたやまおさむ
 
BS朝日『熱中時代』で2時間、60~70年代の青春の歌とトークを聴きました、他に加藤登紀子と南こうせつ。 音楽の話は超楽しかったし、終了時のメッセージが皆よかったー、「年輪」が見えました。
 
精神科医の北山修の初めて知る強い個性、恐るべき?愉快な饒舌、関西的な明るすぎる雰囲気。しかし「この世の中はため息の多い,そう楽しい物ではない、それを補えるのは(肉声、肉筆、肉体)というものだけだ」とのこと。 また、最後には潔くでなく、食らいついてしぶとく生き切るがいい、というのもいい。 自死した仲間、加藤和彦への無念も頭にあるのかもしれない。 心を病む人を相手にする職業柄も、思うところが多いのでしょうか。
 書き尽くせない名言は、生きるための糧に覚えておくに値する、きれいな白髪のこの人は、ひとつ年上だけ。。。  
 フォーク・クルセダーズはたまたま作ったあの〈酔っ払い〉がヒット、楽しく造って歌ってまもなく解散してしまった。 が、不思議なセンス、洗練、を感じていた。
 
 メカと虚像、液晶に電子手紙、いまは暖かく肉薄しない物ばかりですね。
 文章も文字も嫌わず、書いてみれば楽しくなるもの。 今問題の40代に入った引きこもりは、ちょうど、手書きの文化・手作りの教育・柔らか木の感触などが、廃れ始めた頃の子供の姿かもしれない。。。。  11.28(月)





地唄『菅丞相・梅ヶ枝さん』 

 ♪菅丞相は 筑紫の配所に流されて
  牛に引かれて 安楽寺
  牛に引かれて 安楽寺
  お供申すは 白太夫

  兵馬が首は飛び梅の
  怒りの顔色 あるわいやい!

  此処から眺めしゃましても
  みやこの方へは 届きゃせぬ ♪♪



  梅ヶ枝さんはすとんと炬燵に腰をかけ
  煙比べむ浅間山 煙比べむ浅間山
  そしらぬ顔して吹く キセル
  
  今宵のうちに三百両
  
  できるかな?
  できまする。

  どうでも鎧を請け戻し
  おまえの出世を 待つわいな ♪

 

 やっと上がりかけた曲、前半は剣を抜き首を落とす男ぶり、後半はけなげな花魁の女ぶりの舞。  全体は三拍子、ヤットントン、で明るく調子いい、道真さんの牛車の移動は悲しげに。。   旧い上方の唄の、諸処のなぞなぞ意味不明も、地唄の面白さです。    11.20(日) 






超満月
 
大きく膨らんだ月は雲に隠れて見えない。 スーパームーン、というとなんだか大型店舗のセールのよう、〈超満月〉のほうが立派なお月様を連想します。
 日曜にゲートブリッジを往復し、夢の島にある「第五福竜丸」を友人と見にゆきました。 夕暮れ、東から丸い大きな月が昇りかけていました。。
 
 福の竜の船、マグロ延縄船は完全木造最後の船、ビキニ環礁で死の灰をかぶった悲劇の船。 エンジンだけ執ってゴミとして廃棄されているを、朝日新聞の「声」に投稿された記事から、守る会が出来て今日に至ったと初めて知りました。

 第五福竜丸の無線長久保山愛吉の名前と、海に廃棄される大きなマグロたち、小学校のニュース映画で見た衝撃の日から60年。
 病院から二人の娘に、“お母さんの言うことをよく聞きつくってもらったものは何でも食べなさい、一生懸命勉強しなさい”と手紙を綴り、まもなく天に召されていった愛吉さんー。 いきなり優しい父をなくした少女はどれほど悲しかったことか、私と同世代の二人の姉妹はいまどこにいるのでしょう。
 このような犠牲は、私たちを最後にしてくださいと訴えた船員たちはもういない。 このとき全国に沸き起った原水爆実験反対核廃絶の願いむなしく、なお世界は放射能汚染の不安の中にいる。 能力と資力があったら、この船の悲劇を映画にしたい。 南極越冬隊も黒部ダムも青函トンネルも有名俳優による映画になり、ヒットした。 でもこのビキニ環礁の事件はなぜか作られていない。

 夢の島は交通の便が悪く遠い。 見るほどに大きく立派な手作りの木の船は、下から見上げると何か圧倒するものがある。 この船を、沢山の人に見て欲しい、この事件を風化させないよう賑やかな都庁の辺りに置いて欲しい、と思ったのでした。   11.15(月)
 






山の焚き火
 
冷房はつい最近まで、そして今日はストーブです。 この季節の焚き火のにおいに想い出される木の葉掻き。 
 山の下刈り整理と一年分の燃料を作るのが、木枯らしと雪の降る前の、一族のみんなの行事でした。。 
 まだ小学校に上がる前、牛の荷車に乗り十日間ほど山仕事に連れて行かれた。
 お昼のご飯には鉄鍋に、大根と烏賊の煮もの、秋刀魚を人数分、おひつのご飯に大根の葉と生姜の漬物、鉄瓶の水は沢の湧き水で。 幼くても、食べ物のメニューをしっかり覚えている「食い意地」。
 昼食までと帰るまでの数時間、たき火の辺りで母の姿も追わず一人遊びに熱中しました。まだ字も読めなかった記憶。  山は広く、大人の姿は何処にもないが母に聞くと、時々様子見にきてはいたらしい。 木の葉のふわふわの、地面のにおい、南大沢のキャンパスの林に同じ匂いを嗅ぎ取りました。。
 何でも焼けば良いのかとミカンを焼いたり松笠の実を探し食べたり、ウサギの糞を拾い集めたり、藪に用足しにいったり。  焚き火の場所は平地で、北風は頭の上を通り木々の囲みで風が吹かない場所でした。 得意の一人遊びはこの頃からです。
 
 ☆ 魚焼く煙が林を縫ひてゆく
        焚き火囲みて昼餉するとき
 

 これはその情景を歌った母の歌、秋刀魚のしっぽを目玉に差し込み、ドーナツみたいにして豪快に焼き上げるのです、ああ、秋刀魚食いたい!
 あれから数十年、幼い日は今も鮮やかに甦ってきます。   11.10(木)





黒猫ミーシャと灰猫ミロちゃん
 雲一つない快晴の文化の日です。 
 23年前のこの文化の日から、猫との暮らしが始まりました。 キンコーン、とチャイムが鳴り予告なしにいきなりやってきたまんまる目の小さな黒猫! 生後2月、丸い黒い毛の物体が遠慮なく家の中部屋の隅々を探検、わたぼこりまで掻き出し走り回った可愛いミーシャの登場の日でした。 生きていたら、23才、立派な青年いえ、百才過ぎた堂々の猫のおじいさん。 素足で動く私の指に掻きついてきて、キャアキャア大騒ぎし逃げ回ったものでした。  ...皆に愛された短い、4年間でした。
 
 お友達猫サイト、中田さんの「猫と暮らす快適板ハウス」 の灰色猫のミロちゃんが、天寿を全うされたと知りました。 シャルトリュー系の美しい毛並み、ふっくらハンサムなミロ君は、ホームページ立ち上げ以来の大切なお友達、おっとりした性格のねこさんでした、享年21才3月...立派な長寿猫さん、でした。 
 親友のように交流した長い年月です、ミロちゃん有り難う、安らかにお眠りくださいね、これからもみんなを見守っていてください。
 菊かおる文化の日は私の、猫の記念日です。     11.3(木)

 







 東北の巨大津波で70人もの児童が犠牲になった宮城県の小学校は、空からの写真を見ると北上川に近く、その外を太平洋、海が4キロ先に迫る。 海で暮らす人たちはこの場所で百年単位で、平和に暮らしを立てていたのだろう。
 でもそこは何万年の単位で観ると幾たびもの津波で、平らにされている平地と感じる。千年に一度の災害はいくつもあったのだろう。
 小山、海、崖などのそばは身を守っるには都合の良い住み処で集落も出来たとおもう。 が、海抜のない平地では、高台に公共の建物を作るべき、と誰もがやっと知ったなら、ずいぶんと甘い油断だらけの中で生きている私たち日本人。 
 当地に行くと、あまりにも美しい海・山の自然に驚く。 ここでのどかにくらしていると、海の怖さを忘れ、まさかの逃げ場も作らず日々が過ぎるのかもしれない。
 それにしても、生き延びれた筈の悲劇の子供たちは、必ず又生まれてきて、それぞれの長い人生を楽しんでくれますように。 しぬることも一つの発展、というならきっと、再度の生があるのです。    10.27(木)  





奥多摩湖
 小河内ダムを奥多摩湖という。 入り組んだ地形に長いうねうねの湖、首都の水をまかなうところに行きました。 昔一度行った記憶があるけれど、ここのダムに沈んだ村々から八ヶ岳南麓に入植した人等も多くいると最近知った。 
 観光地化した清里近隣は、昭和20~30年代は米も作れぬ不毛の荒れ地、赤貧は洗うごときと当地の分校の教師だった叔父の話を想い出します、従兄弟等の古着や靴など子供たちに回していた。 静岡や千葉は温暖なのに、寒冷の山地になぜ?  高度成長期以降土地は牧草地からレストランや別荘地になり、里の人より豊かに暮らしていてよかったです。

 すべてがこの村のものか不明ながら、「奥多摩水と緑のふれあい館」の庭に、道祖神、庚申塚、馬頭観音、二十三夜塔、日食供養塔、などなど沢山の古い石碑がある。 科学不在の時代は畏れは、様々に陰暦に沿ってくらした姿が忍ばれる。 馬頭観音とともに、宝牛への感謝の供養もほほえましくー。
 水源となる深い緑の森林は、都の管理のたまもの、警視庁と読めるボートは夜間の監視用でしょうか。。 
 水とみどりのダムは観ているだけで爽快でも、雪が降れば生活の不便さはここも東京か、ということになりそう。 山と森に囲まれた青梅線『楽し秋日和』の一日でした。  10.21(金) 
 





白髪の小泉元首相

 誰も、立体で見られるといろいろあれ今は懐かしい元首相。  小泉家を支えていたというお姉様の葬儀の記事を読みました。 久しぶりに見た純一郎首相は息子たちとともに、深い悲しみに耐えていました。 大切な命との別れはみな、人生最大の悲しみです。
 息子の不祥事には口をつぐみ、いつまでも老害をまき散らし、公私をわきまえない他の元首相と比べ、引き際の見事さー。  
 
 人間的欲望に縁を持たない正直な謙虚なリーダーを、もう一度、与えて欲しいものです。   
 政治の世界のリーダーは子供の頃は、みな巨きな人に見えたものです。 けれど某国の「劣化」を見る討論など見ると、にんげんの限界、というものを感じてしまいます。           10.14(金)








 
何年ぶりに先週会った礼子さんは、十年前一緒に山村舞の稽古を始めたけれど、家事と両親の介護で忙しくなり4年で辞めてしまった。 けれど年賀状、eメールをつないできた同世代仲間でした。

 10年は短いようで長い、稽古の後必ず駅でお茶をして、歌舞伎の話などに熱中した二人は今は、歌舞伎はほぼ観なくなってしまった。  舞踊と比べえんえん5時間の歌舞伎、役者も変わり、建て替えて何かゴージャスに遠く?なった歌舞伎座。  明治座の、猿之助さんの粋な舞踊劇や宙乗りならいいかな、なんて。
 とにかく人をリアルに描く歌舞伎は、暗いあらすじが多い。 いまは、明るい後味のいいものなどが好きです。。。

 元気で近況など話しあい楽しい1日でした。
 帝国ホテル系列でも、taxなしでケーキセットや美味しい食事が出来るカジュアルレストランの「パテイオ」、Hグランドアーク半蔵門はお濠に面し、国立劇場そばの静かな場所です。 メトロの便もいいしで、また逢おうねといい合いましたが、手作りの梅干しほかいろいろいただき恐縮でした。   10.4(火) 





残暑のなごりか
 夏が戻ったように暑い九月の末です。
 この夏はテレビとパソコンが急に不調になり、買い物・設定とたいへんでした。 が、暑い季節は家でゆっくり選べるネットは有り難いです。  念願の無線ランにしてケーブル要らずとなり、プリントも手軽になりました。   
 TVとPCどちらも10年近く、PCは当時としてはコアデュオとCPUを高くし、故障もなく、よく持ちました15年間でパソコン2台。 いま3台め、何年後か次回はばらばらに購入したいものです、予算が大変です~。

 ことし住居の階の非常階段にスズメバチが巣を作り出し、エレベータまで侵入、ベランダも廊下も蜂が飛び、高層の住人は暑さ怖さで青ざめました。
 巣が見つかり撤去後も、戻り蜂といって、数週間、飛び回るのです。 初めてのことで業者に頼んだのですが、市役所が危険物として処理してくれたらしい、自治体により補助も異なるようですが。。     9.27(水)





やっと涼風
 涼しさは体の薬、長雨でも有り難いものです。
 もういいかなぁ、と思ったりしましたが「ねこのサイト」をやっと復旧しました。 遠隔操作(キャンペーンの季節?)など助けも借りて、13年前を色々思い起こしました。
 来年秋にはプロバイダーもホームページのサービスが終了する、そのときにまた何か考えることにしました。
 auのサポート担当の若者らは、自分も少し作業に勘違いしたり恐縮しながら、両親・犬猫の話にもおよび、さいごにはこちらの健康をしっかり気遣ってくれました。 会社の方針もあってか団塊世代にみんな優しいかんじですー。
 しかし、困ったのはビルダーが会社が変わって画面も少し変化、書き難くなったこと。 身売りしても、まだソフトが存在しているだけましなのですが。
 折々の記として、たまに書き入れることにして、のんびり長続きを目指します。

 夏の疲れが出る頃、、今年は暑いうえに災害が続き大変でした、それぞれお大事に、楽しい秋を迎えましょう。     9.24(土) 







VAIOと明日でおわかれ
 まる9年経ったバイオから違うメーカーに替える事になりました。  デスクトップのクリスタルの角で、はながあごをスリスリして、顎の脂がまだ残る愛用のパソコン、長かった、おつかれさま。 もう何もかもが古くなり、こまったちゃんになりましたがソニーの音質はみな優れていた、とやっと気がついたところです。
 
 探して新しく届いたノート型パーソナルコンピュータは、パワーアップはしても蓋を上げるのがめんどうでいやになりそうで、あまり長くない気がする。  ちょいちょい乗り換えしないと、いろいろな手順が判らなくなり、これからますます難儀ですからね。  可愛い小さなデスクトップ型が、ソニーあたりからまた出来上がるのを期待しています、高齢婦人用PC、需要大ですー。
 使い慣れた周辺機器やビルダーも変わり、HPもそのままいけるかと多少の不安ありですがまあぼちぼちと...。    8.18(木)

 






送り火
 
父の弟の家を継いだ分家として今年も旧盆の行事を終えた。 盂蘭盆会は尼寺で、暑い7月15日に終えています、尼さまも老いてもう、十年前から家までは来られません。 

 今朝送り火を小さく焚き、ベランダの土に白檀の線香を10本、西の方、西方浄土を拝みまた来年、父さん母さん、爺に叔父さんたち、そして猫たち。。

 去る者移りゆく物への未練を捨てる、という事を仏法では戒めにしているが、掟破り常習、〈あまり遠くに行かないでね、一緒にいてね〉といつも皆にお願いして送ります。  はなの水を飲む音がしゃらしゃら聞こえた夜、びっくり、あちこちの蛇口を見回っても緩んだ水はありませんでした、本当のことなのです。

 毎朝欠かさず(たまに、忘れますが)火と水と香で、美輪明宏さんに習い先祖供養をしていると、修行していなくも、恐れ多くも在家の尼僧の気分にもなります。 楽しみが歌舞音曲辺りではちとなまぐさいけれど、ご勘弁ください釈迦如来様、本能的欲望は《喰う・眠る》だけ、美しいものへの渇望は止められませんが、はい...。          8.16(火)





秋来るかと
 秋立つときくと、少し安心な立秋、この暑さの中を土曜の稽古にゆきました。 混紡、たぶん絹麻の着物は浴衣より薄く涼しく、酷暑の日専用、リサイクルでみっけました。 夏ものは麻や芭蕉布が涼しく上物といわれるが汗たらたらの稽古着には向かない、もったいない、高価すぎ買う力もなし。 お出かけ用でない稽古着は、世間の着道楽とは違う実用品、消耗品になります。着る身にはヒトが思うような熱さを感じません、脇からはいる風がとても涼しいのです。 
 年々暑さをやり過ごす着かたは出来るようになっても、日傘がないと酷暑の日歩けたものではありません。  頑張った日はすこし、自分をほめたくなります(む、ようやった!)。
 この夏は追いかけるようにやることが色々あり、頭の整理をゆっくりしなくては大変たいへん。   8.7(日) 




タブー
 
枯れた花終わったからだ、見せてはいけないものと言われいる。 私にはタブーが守れない。
 歌舞伎役者、愛之助さんの夫人はあまり美しいためか、謙虚さをすこし失くしていて大衆・世間は厳しい。  愛犬の遺体をブログに載せたと、また叩かれていた。  有名人は有名税を払うは仕方ない、でも、何をやっても言ってもマイナスに観られているようで可哀想に思う。 以前より規則正しくなったと夫が感謝する、食生活・健康改善の陰の功労者なのに。

 このノオトはいつのまにか、ほぼ自分のための記録になっている。 忘れられないはなこのさいごの写真を載せたままです。 が、気分を悪くさせ申し訳なくおもいます。 8.4(水) 




歌うたソング
 初めてのディナ―ショウ、ゆるりの食事の後、2時間、ボニ―・ジャックスのお話と歌の時間、代官山で楽しみました。
 8人テーブルで、未知の方たちと仲良く懇親、ジャーナリズム、政治家の素顔、ひそかな裏の社会、滅多にない沢山の話を聴き心も満タン。 遠くに林前大臣の品の好いすがたも。
「みんなうるっ、と胸にしみるー、母に聴かせたい」と、友人。 同級でも長女ならまだ母がいる、私の母はもういないけれど、母への娘の思いは同じ。ご飯を造りながらも歌う母でした...。 
 
 「鶴」はロシアの歌、無くなった兵士は白い鶴になり、故郷を目指すという伝え。 『氷雪の門』などで、ロシア兵の恐ろしさを聴いてきたが、戦争が人間を狂わすのであり、みんな召集され仕方なく、生きるため闘わされている家族を思うにんげんなのだと思わせられる。

 「百万本の薔薇」には直訳と、意訳のちがいを知りましたことばよりその心です。 松山善三氏の意訳の味わいを教えてくれたボニ―さん。 博識、美しい抒情と力ある声量で楽しませ、人柄を知るほどに歌を聴くほどに尊敬の念生まれます。。。

 夏旅もせずのつましい母に、はなちゃんが届けてくれた素敵な夜。 美味しかった、楽しかったよ、はな~。  7.23(土)






暑中見舞いと夏休み。

 世のなかは相変わらず慌ただしいことばかり。 することはあっても、最近のこの気温では7,8月はお休みして、頑張らずのんびりゆっくりしましょう。。 今朝初めて、体調の不良を少し感じました無理は禁物、暑さは体に堪えます。。 

 切ったはずの南天がまた伸びて茂り、草ものはともかく桑の木、ヒバの木、梅と松などの樹木を思い切ってことしはかなり処分したい。 水不足も気になります。 

 来週はボニ―さんのデイナーショウ、プチ贅沢、たのしみですー。 7.14(木) 
 





TVの映像ニュースって?
 最近頻発する猟奇的ニュースなど、映像もこまかに何度も流し過ぎ。 知らなくてもいい事、余計な情報が多すぎです。 好奇心をそそりたい報道の姿勢が下品なのです。。 
 ニュースはラジオで充分なので、テレビは時代劇チャンネル専門、先日の目玉は勧善徴悪の東映時代劇全盛期の『ふたり若獅子』、東 千代之介様主演、もう一人のヒーローは、伏見扇太郎でした。 

 むかしむかし、われら三姉妹は、長姉が中村錦之助、次姉は伏見扇太郎、末の私は東 千代之介と大川橋蔵のファンでした。 映画が唯一の娯楽だった時代東映時代劇で育ちました。  
 最も貴公子的風貌で、芸能界に居ながらも清潔、浮名も流さず東映がやくざ路線に変化した時、千代さまはサッサと退社し、本来の舞踊の世界に戻ったのでした。 時代劇映画が衰退しても坂東伊三郎として、踊りの世界で輝いていたのです。  
 夫人を失くし長い単身のあと、踊りの孫弟子さんと再婚、わが子がわずか9歳の時惜しくも74歳で世を去りました。 
 時代劇の中ではどのヒーローも若いままに陽気で、永遠の姿で楽しませてくれる。

 さだまさしが時代劇大好きなのは、≪現実逃避≫、といいましたがその通り、今はない美しいもの、優しく細やかな日本がちりばめられていて、幸せ気分になれます。  扇太郎もまた美形で将来を期待されながら健康を害し、最後は哀しい結末のようでしたー。 里見浩太郎と北大路欣也が、現存する東映時代劇スターになりました。 

 もう一人大好きなのは上方の苦労人 藤田まこと、歌も上手なコメディアン、シリアスなもの人情ものオールマティの最高の芸人です。 あの、てなもんや三度笠のお調子者兄さんが、『剣客商売』の重厚な老剣士まで来るとはー。 亡くなった時私は、長かったシリ―ズ「必殺」など思い涙しました“さようなら、楽しかったよ まこちゃん”。

 言っちゃあいけない、でも、言いたい。 “むかしは、ヨカッタ!!”  7.5(火)
 
  



メダカ、その後

 三匹のメダカは雌が一匹、イジメに逢っていた小さいのはオス、腹鰭の大きいのがオスたちでした。 オス同士は雌の奪い合いか、大きいほうが攻撃的でイジワル。 でも、オカマではなかったので安心。 黒コショウの粉みたいな稚魚が、卵の着いたと思う水草を入れた容器に発見。 何でも命の誕生は楽しい。 でも育児する父魚もいるのに、メダカは自分の子孫を食べてしまう馬鹿さ加減―、いやこれは、増え過ぎへの自然の制御の力なのでしょう大きなおなかの雌が、ほぼ一日おきにぶくぶく産卵、食欲大です。

 小さな硝子器に緑の水草と、光るメダカたちが涼しい景色になってきた。 ベランダの稚魚はまだ増えそうです。   6.25(土)





岐阜のメモ
 
雨季の舞の会、岐阜は昔は繊維産業で栄えた城下町という。 会場の緞帳には、岐阜既製服産業組合、と織り込まれていた。 長良川に向かう金華橋通りにある柳ヶ瀬、『柳ヶ瀬ブルースはとても栄えた頃の繁華街の歌になるのね。  

 今はどこも地方都市は元気がない、お座敷のある街もほぼ消えてしまった。 でも、織田殿の尾張は大阪とともに舞踊の文化が残り、流儀の舞の会が続いている、これは見なくてはいけませぬ。
 『八島』『助六』などは、女性の男踊りの小気味のよさが美しかったよかった。 先生母子の『喜撰』は、見ながらくすくす笑いー、おなごにうつつをぬかす坊さんと茶屋娘の面白い駆け引き...、そうです、楽しさこそが芸能、ヒーローや悲劇ものだけでは舞踊の面白さが伝わらないのです。
 早朝出て夜帰宅、日帰りは疲れても舞台を見るのはそれなり楽しい。 この日は単独行動で、びゅんびゅん動き回りました。 駅弁だけで食を済ませても観れた駿河富士は、傾いだ不思議な形ながら、雄大さに見惚れました。貧しいとしよりのためのジパング倶楽部は、のぞみに乗れなくも便利。   6.16(木)





ともしび
 新宿の歌声喫茶「ともしび」で初体験。 月1回、ボニ―・ジャックスと歌う火曜日があるのです。 
 クラシックや讃美歌ばかり、ビートルズメロディを除いてほぼ宗教音楽漬けだった青春時代、フォークソングや歌声喫茶とは無縁だった。 でもみんなで懐かしい曲が歌えて楽しいと、年取って暇になってから知りました。 ボニ―さんのハーモニーの美しさ!永遠の青年はじいさんを全く意識していないところが感動、ステキです。

☆ 一部 ボニ―の歌
1.出船の港 2.蒲田行進曲 3.アラビアの歌 4.アイルランドの娘 5.モンパパ 6.山寺の和尚さん 7.人生の並木道 8.青い背広で

★ 二部 リクエストをみんなで
1.あざみの歌 2.一杯の珈琲から 3.学生時代 4.桜貝の歌 5.白いブランコ 6.小さい秋見つけた 7.花の街 8.波浮の港 9.琵琶湖周航の歌 10.山小舎のともし灯 そして、、11.幸せなら手を叩こう 、これはこの日に収録に来た、BS1の依頼の曲でしたが、7月31日に放映だそうです(う、映ってませんように―)。   6.10(金) 






ホームページ
 
りらの庭で、早世したミーシャと遊んだ日を記録したい、と造って十数年。  ほぼ忘却の彼方、セピア色になっても、検索して尋ねてくれる人もいて嬉しいことです。 熱っぽいお便りに、人の縁をまた感じました。
 多くのダンサーを育てた堀内完先生も、老衰というには惜しい85歳での逝去。 それを機に、「ミーシャの風と雲」に辿りついてくれたのです。
 クラシックバレエは、草刈民代さんも周りの反対を押し切り、41歳で引退し、プロなら肉体とのせめぎ合いに苦しむ芸術です。 でも太極拳も日舞も趣味のバレエもみんな、健康には最適な楽しい美しいエクササイズなのです。 美智子先生の教室は、年齢を超え、今も端正におこなわれているようで懐かしいです。 
 継続は力とか、何か無我になり熱中できるものに逢えるのは幸せ。 何歳になっても、「向上心」も養えそうです。 
 HPは、パソコンの買い替え迫り大変化も予想され心配です、でもなんとか続けていきたいものですノオトも細々でも繋いでいます(おバカを書かないの!と、はなこに諌められますが)。  6.3(金)
 
 




メダカ
 
2か月前花屋さんで買ってきた子メダカ3匹、モリモリ食べ成長促進、大きくなりもう卵を産んだりしている。 2匹は大きく、一匹は小さい。大きい二人が小さい子を追いかけ、チビは必死で逃げ回る図を発見。
 金魚ではなかったイジメが、メダカにあるなんて―。 ゆっくり餌を摂れないせいか、チビが口の周りに卵を加えて草に隠れ食べていたから、この恨みでもあるのかー。 みんな雌なら孵化しない、でもイジメは見ていて楽しくない、餌はたっぷり食べ足りているはず、餌の奪い合いではなさそう。 
 もしめだかの気分?などでいじめられてはチビちゃんが可哀想、折を見て容器を分けるしかない。
 生き物は何でも忙しい、黙ってる植物とは違うなぁ。 もう、仔猫は無理だろうなぁ。     5.30(月)






動物の昇天

 井の頭動物園の象のはな子がなくなった。 戸惑う動物園側と、コンクリートに我慢ならぬ世界保護団体の、木を使った象舎の改良などでなんとか合意されたニュースがあったあと、69歳で天に召された。 前をバスで何度か通ったけれど、ことしは逢わないままになった。

 友人の愛犬もこの連休、19歳の天寿を全う、19年は赤ちゃんから大学生、とても長い。 小型犬三匹の最期の一匹だったので、泣きすぎて喉がおかしいの、と訴えた広子さん。 “人間だけでこれからやっていけるのか不安”と、長生きしての老衰でも、諦められない気持ち、悲しさ淋しさは誰も同じに胸痛む。 
 秋は点滴装置を持ち車での遠出の旅行などして、長く愛され尽くした犬でした。
 ぼろぼろでまだ人に逢う気になれないという。 とにかく養生、気を持ち直して、時間がかかるでしょうが。。 

 やっと冬をもち堪えた老いた生命に、春は厳しい。 めばえの季節、命は何処かで幾つも生まれ続け再生、静かに変わっていく。

 昔耳にした “時の過ぎゆくままこの身を任せ~”この歌から、ン十年?夢のような時の流れでもまた、身を任すのですね。 もう、矢でも鉄砲でも来~い、なんちゃって...。

  (ひとは、初々しさ全部を失ったら御仕舞い、嫌われる、本当にそう思います)
    5.27(金)




同窓会メモ
 この処続く懐かしい出会い。 先週は、ビートルズ日本公演にいった話などで盛り上がったカレッジの仲間の上京。 今度は郷里の高等女学校・高校の同窓会東京支部総会。  

 セーラー服で別れて以来の再会だったけれど帰路、徒歩圏の文枝さん宅に招かれお茶、高輪のタワーマンションの見学?ができました。 海とお台場、レインボーブリッジなど見える来客用ラウンジ、富士の見える住まい、ふんだんの大理石で吹き抜け状のエントランスはコンシェルジュもいて、ホテルと同じ!  彼女は甲府の宝石商のむすめで、あと一年現役とのこと。 写真では俳優以上にダンディな夫に、二年前先立たれていた...。 2年ではまだ別れの悲しみの中でしょう―、奢りのない優しい性格のままです。。。

 総会はホテルの中広間で、来賓も加え百数十人、赤いぶどうジュースでまず乾杯、90歳の大先輩の大きな声の祝辞と豊かな地毛は驚きでした。 美味しいワインと女性に優しいフレンチをゆっくり頂きながら、50年の経過を忘れおしゃべりに熱中。  東京五輪に授業を逃げて東京にいった勇者たちの停学寸前の話や、芥川賞をとうとう取れず?に逝った先生のこと、先生たちの口調をまねたりで血気盛んな少女に戻りました。。

 同窓会に出てくる人は健康で、食べ物に好き嫌いしない共通点がある。  好奇心いっぱい、百歳まで生きてみた~いと意欲的だ、みんなでまた逢って太らないように食べましょうね。


 ≪校 歌≫(尾崎 喜八 作詞)

 ♪立ち並ぶ 四方の山々
  めぐり出(づ)る 豊(ゆた)の流れに
  うるわしや 甲斐の国中(くになか)
  歴史古る 大き都よ
  ここにして 母校の甍(いらか)
  玉の窓 空に映えたり

 三番まで覚えていて腹筋で歌えました。

 5.23(月)


 



千代田の城メモ
 地元の城、千代田城は青葉に埋もれていました。 パレス、というのはどこの国に旅しても旅情を掻き立てられる、インドの赤砂岩城、アグラ城、アンバー城、唐の交河故城ほか、旅人としては必ず行きたい所。 まして今なおエンペラーの居む城となれば、ここも外からの人々でいっぱいでした。

 東京は仕事の町でお濠も皇居も新鮮に観る余裕なく、忙しくてそれどこじゃない、というより、建物がないし何もないしで見どころはないと思いこんだのでした。

 東京駅から和田倉噴水公園を通り二重橋、小学校の旅行以来という所をじっくり眺める。 手前に皇居正門、一般に年賀などに国民の通る門。 ぐるっと右に回り大手門。 橋を渡り狙い撃ちの桝形から鉄張りの巨大な扉を誇る大手門をくぐる。 過ぎて三の丸尚蔵館では舞楽の人形他美しい展示物あり。 
 同心番所、百人番所は建物が残り、そのまま中の門跡へ。 ここからは御三家さえ、馬を降り恭しく徒歩で登城したそうです。 城は広くて坂が多く脚が頼り。 はやばやと殿が隠居したのは、老いると脚に自信なくしてからだったのかも。
 大番所を過ぎ、中雀門跡へ。この門は、大きな石垣が焼け焦げて無残、いずれ剝れるかー。明暦?の大火で城が焼失した証です。
 ここから森がひろがり、左手奥に【富士見櫓】総白漆喰の大壁・長押型を二条に塗りだし、石垣と濠に面した外壁の中央に洋洋な形式の「張出」をつけ、「石落とし」を兼ねた三重櫓は、どこから見ても同じに見えることから「八方正面の櫓」と呼ばれる立派なものです。

 果樹古品種、茶畑、バラ園、竹林、桜の島ほか、あれこれあるが建物がない広い広場は本丸大芝生で行政の場と本丸御殿、大奥のあったところ。
 左手を廊下が取り巻き、松の大廊下、お鈴の廊下と続く。 使用不明の石室、武器弾薬入れの富士見多門など木立の中に残るが、右手白鳥壕を見下ろす高台が展望台。ここからは富士の山ほか、迫る江戸湾と品川の海など見えたらしい。 
 最後【天守台】 江戸城本丸の一番北側に位置しています。江戸城の天守は、慶長11年(1606年)の家康、元和8年(1622年)の秀忠、寛永15年(1638年)の家光と将軍の代替わりごとに築き直され、将軍の権力の象徴であったともいえます。 江戸城の天守閣は、江戸初期の50年間だけ存在した。

 天守閣を造ろうという運動もあるようですが、広い千代田の城は、全国から集めた石だけで充分です。 東京の城はシンプルに、想像力を持って眺めるのがいいと思いました。 
 かなり早めに歩くガイドさんと、二時間弱で北詰橋門を渡り濠の外へ。 北の丸公園で昼食を。
 秋の景色も見たくなりました、どこもお城は広々とのどかで、いい処ですね~。    5.15(日)

 






国連の友と日本歌手協会主催
 緊急合同開催の、熊本地震支援チャリテイコンサートに行きました。 ペギー葉山さんの「ドレミの歌」を、みんなで歌いました。 ペギーさんは80代に入っても華やかに若く、『サウンド・オヴ・ミュージック』のマリア先生のように聴衆をリードしました、パワフルで素敵な人でした。。
 コンサートは三部制、無料ですが支援金を募ってチャリテイバザーもあり、古賀政男記念館のけやきホール、200席は満席。 他に畠山みどり、リンダ、ロス・プリモスに田辺靖男夫妻ほか、懐かしい歌と踊りばかり、最後にボニ―・ジャックスの「荒城の月」と、熊本出身、八代亜紀の「舟歌」で閉めました。  次の回の倍賞千恵子の歌も聴きたかったのですが満席。   過剰な舞台装置はなく、とてもシンプルな小ホールで必死に歌う歌手さんたちに喝采! 素敵なチャリテイ音楽会でした。

 代々木上原の古賀政男博物館は、三階に当時の書斎・和室など残されていて古賀メロディも聴ける。 子どものころ聞いていた大人の歌の多くが、この方の作曲だった、とよく判りました。  このときは視聴室に三橋美智也の「新撰組の歌」など流れていました。     5.7(土)




めざせアスリート
 喉を鍛えるつもりで始めた合唱、先生は、声を出す人はアスリートに同じ、筋肉がないと声は出ない、腹筋運動日に百回、ひゃっかい! 十回が十回で百回です、と言い渡すようになった。 先日のボニ―さんの歌う会での姿勢の好いド迫力にたまげました。 80歳とは思えない若さです。  歌うのはノドでなく、腹筋と胸筋、体力なのだそうです。
 体内筋の地唄舞に加えまた、家稽古が増えましたっ。 太極拳24式も忘れないように朝は行うようにしている、13分通して行うと体が覚めて朝から気分がいい。
 しかし、ひゃっかいの腹筋運動、えらいことになった...。
 青い葉っぱに囲まれ、身も心もほっそりしてたあの青春に戻れるかしら? ...戻ろうー。     5.1(日)





花をみて
 
町田牡丹園へ。 開園後一週間余、まだ十代後半ほどの初々しさ、牡丹は見頃が難しいけれど、数、色、時期、なかなかです。  これから牡丹はあちこちで開く、でもこの規模と色数はみごとですね。
 パソコンカメラメカに興味が失くなっても、ゆっくり花をみつめているとまた、立ち直れそうな気も。 五分咲の藤棚の下の、明太子のおにぎりと筍が美味。 きれいな薬師池公園も廻り、庭と若緑と水を楽しみました。  いいところで皆で満足でした。 

 ベランダはいまルッコラ、ふわふわレタス、スープセロリに三つ葉ほか数種の朝食用野菜が盛り。 お花は松虫草、あざみにカワラナデシコなど、日立中央研究所の開放日に求めた地味で可愛い子たちです。     4.22(金)





平和な日常は

 〈今日も一日過ぎたね~〉、とこの数年、夕暮れの景色を猫と一緒に見て過ぎた一日の、なんとありがたい平和な事だったでしょう。

 ≪地球≫、という感情の激しいおおやさんに、無賃で住まわせていただいているとしみじみ思う天変地異。 堅牢と思えた熊本の城も硝子の城の様、人の造って来たものの儚なさをTVの映像は感じさせる。   4.17(日)





一年忌
 
賑やかで明るいはなこさんが居なくなり、家がシーンとなってから一年経ちました。 長寿だったはなと約束した、滝の涙を流さない、じめっとしない、を守り抜いたあっというまの365日です、最期を思うと胸迫り、涙も仕方ありませんが...。  
 遠くに行かないでこの辺でうろうろしていてね、と言い続けて今もはぁちゃんは、透明猫になり家に住み続けていると思っています。 成仏? しなくていいのよ猫という愛獣なんだから貴女は。
  鮭と秋刀魚はともかく、欲しくなくなっていたチーズとヨーグルトも、今後は健康のため食べるつもりです。 
 体重が3キロ減少したままで久久会う人には、小顔になった!と驚かれます。 膨らみ気味の胃が小さくなるのは歓迎です(浅香光代より大江美智子のほうがいいな)。
 今年も外は、木々の若葉が緑に揺れる一番きれいな爽やかな季節。 

        

                
                                                       
           
4.15(金)






日曜日
 
は万葉花まつり、友人を誘って花の市へ。 今年も大道芸人や少林寺拳法などにぎやか、年々人が増え寺の草はらも人で埋まっている。 目当ての木(マルべりー)がなかったので、何時も花を買う農家の庭先で採りたての蕗と筍を購入、85歳の女主人が、お茶しようよ、と誘ってくれたので山梨生まれの二人はご相伴になりよもやま話を。
 裏の竹林に住むらしいタヌキが夜な夜な、鶏小屋の鶏と池の鯉を食べるのだとか、猿が鶏の卵を片手で持って逃げ去ったとか、平成のおとぎ話を聴きながら美味しい日本茶を味わいました。 誰にでも懐こい日本の農家。  少女時代は通りがかりの人を父が気分で呼び込むので、お茶とお菓子をお盆に載せ運ばされたものです。 それが当たり前のことだったのが今は懐かしい。 ここでおばさんにまた来てね、と言われると、当分は蕗と筍を食べ続けそうです。。

 「ふくろう茶房」で海老ドリアのランチ。 思いのほか美味しくて甘いマンゴージュースに生クリーム乗り珈琲ゼリー付き、満足~。 
 置物の様なふくろうが、飾り窓のほか店内あちらこちらに居る。ほとんど動かず、眼に力がある。  グレーの子は特にはなに似た眼でじっと見つめてくる。 撮りに来たカメラマンが、む、猫に似てる...、と言ったそうです同感。 
 福を呼ぶ鳥ふくろう、ミミズクの店は、駅から10分の住宅街にある、来客はこの日多めに見えました。 農家の花も野菜も、出すほどに完売、いまは花の春です。  4.10(日)





さくらの季節
 
土曜日、浅草公会堂の「島津亜矢コンサート」へ。 空席なしの盛況でしたが、前半のドレスは昔のひばりの「真っ赤な太陽」みたいでびっくり、でも黒地系和服になってほっと安心。 明るい性格で体力も女ざかり、亜矢姫後援会もしっかりあるようです。 この唄声は故藤山一郎に、日本演歌界の宝、と言わしめたとか。  ボニ―・ジャックスは藤山一郎先生の愛弟子、真っ直ぐな発声は演歌と異なるけれど歌手として、正統派も唸る亜矢さんの実力です。  台詞入り「藤十郎の恋―お梶」、が聴きたかったけれどまあ、しっかり楽しみました。   この、お梶を苦しめるとうさま、お役者藤十郎、まったく自己中の身勝手なヤツで、往復ビンタして蹴り入れたいような男。 でもこういうダメ男と憐れな女のよせばいいのに、の物語が好まれる傾向なのです芝居の世界では。。作者もこういう駄目人間なのかも。 

 墨田公園は水辺のさくら八分咲、浴衣を着た沢山の異国人が写真を撮って楽しんでいた。  水上バスに乗る人の行列、フル活動の人力車、みやこは花の春ですが、福島の桜は―。    4.4(月)





イカ墨のスパゲッティ
 
買ったまま忘れていたソースで、烏賊墨スパを食したところ、美味しくてたまらん、それでまた長期保存用に買いだめました。

         

 
 生イカをニンニクと玉葱のミジン切りと一緒にオイルで炒め、この黒い缶のソースと白ワインでゆるく煮込み、絡めてお皿に載せたスパに緑のミントを載せたら専門店の味の烏賊墨スパが出来上がり。

 お歯黒の様な自分の口にたじたじびっくりしても、家では白い一丁らも着ていないから安心。 予後はお通じが滑らかになるようですが、トイレの黒餡も三日は続きます。。これは腸内の大掃除かもです。
 黒豆、黒ゴマ、昆布、黒砂糖など黒い食物は体にいい食品群とか、1缶で2~3人分です簡単なのでおススメ。    3.22(火)





春の日のメモ
 寒い日が過ぎると暖かい。 はなのいない春、はなの咲くいつもの春、散歩に出た。 歩いて10分強のところに動物病院があり、自然に足が向かっていた。

 それぞれに意匠を凝らしたおしゃれな家が並ぶ街が崖線の下にある。 クリスマスローズやの花の鉢植えに囲まれた動物病院は、先代からの古い建物らしい。 患者もいない静かな待合室、去年を思い出すと一年の経過が信じ難いー。  長髪のアラフォー世代の獣医師は、からから明るく、自然体の開放的過ぎる場所に流すクラッシックが不思議な感じだった。 
 点滴して帰る頃空が急に曇り、傘を貸してもらった。 通りで車を探すも難しく、ショルダーで食欲旺盛だった5キロの雌猫を担いだ。  途中まで行くと土砂降りになり、バケツを返す如きの雨が、瀕死の猫と若くない親を容赦なく襲ってきた。 しぶきを上げて降る雨に歩くこともできず、農家なら軒下もあるが住宅街に雨宿りの場所もない。 野川の枝川のほとりで、可哀想なねこの母娘は立ったまま猫を濡れぬよう前に抱え堪えるが、二人はかなりに濡れてしまった。 悲しい風景だった。 思わず、私たち何か悪いことしたの?神も仏も薄情だ!! と心で叫んでいた。 猫は、もう一言も鳴く力はなかった、ずっしりと重く肩が壊れそうだった。 
 この予想しなかった状態にだんだん怒る力さえ失くし、しぶきの中でボー然としていた。

 とにかく帰って休ませなくてはと、家への坂道を必死に運び上げた夜、はなは静かに天に召されていった。 
 何をすると言って、ただ曹洞宗の経「観世音菩薩普門品」と「大悲心陀羅尼」を読み上げる。 20分ほどの必死の読経と一日の疲労で倒れそうだったが、その後いきなりはなのおう吐が始まった。
 弱った体に人の大声が障ったのか、み仏の慈悲で即、天に召されたか、私の心は傷んだ。 三日胃に入れたままで機能が停止した体は、ヨーグルトと水を沢山吐き、小さい痙攣を二回し、医者知らずだったはなの心臓は停止した。 抱き上げても、素早い反応で腕にしがみつかず、強い力で持ち上がる首は立ち上がらず、私のねこの生命が潰えたを知ったのだったー。
 (知人の22歳の猫は、一週間以上飲まず食わずになっても息は残り、骨皮に痩せてから黒っぽい塊を2.3個吐いて絶命したと聞いた) 

 忘れられない誰にも言えなかった最期の日のことを、先月尼さまとゆっくり会った時淡々と述べると、〈それは、本当に、二人が雨の中で一体化した瞬間です〉と言われた。

 生命体はいずれ老いて、機能が終われば土に戻りまた再生に向かう。 生きて楽しんだ今生こそ天からの恵み、与えられた甘美な日日です。 18年一緒に過ごした猫はなこの生老病死が、恩ある両親のそれ以上に丁寧に、身を挺して「いのち」を教えてくれました。 

 毎年やってくる春、沈丁花の匂いが漂っています。
 3.18(木) 







3.11 記憶は失せず
<世界全体が幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない> ー宮澤 賢治ー

 徐々に変化してゆく海辺の町、高台移転、防潮堤、復興住宅、少しずつ良くなる地域はともかく、福島は、状態はまったく深刻です。 住民の入れない街並み、野の獣に占拠された田畑・家、汚された牧場。 これらを今日、メディアは取り上げていないように感じた。 5年経っても何年たっても何も変わらない街を思うと、遠くにいて言い難い無力感に襲われます。  せめて、安全が保障され出回っている福島の農魚酪農産物なのだから、選んで福島産を食べようと思っています。  3.11(金)
 




春愁と人は言ふが
 
3月なのに暖かい日もあります。 しかし夕暮れるとまた冷えるのが早春、昔から春は愁いの季節とかいわれる、四方にはびこる若い生命力に押され、年取るにつれそくそくとむなしさが身に感じられるのです―人生は短いのです。

 でもこの世には楽しきものもあちこちにいっぱいある、フランキ―レインの『ローハイド』を三回聞き、映画『猫侍』を見ているうち、なにか元気が出てきます。  ...おーし、やるゾっ(なにを?)。   3.8(火)




象のはなこ
 
1947年生、おないどしの象のはなこ、井の頭動物園のコンクリートの家に60年以上住むはなこは、戦争で餓死した上野動物園の「はなこ」の名を貰いタイ国から戦後やって来た。始めは上野にいて、移動動物園で全国を訪問したりしたそうだ。 
 でも武蔵野に来てからの住処があまりにも劣悪過ぎる、と海外で署名運動まで起こっている。
 タイではそれでも、日本は餌もよく皆が良くみてくれている、そのままにして、という意見もありまた、超高齢のはなこを自然に返すと生きては行けない、という意見も多いらしい。
 都市の獣類はみんな、人間の都合で移動され観られるため生きていて、野生の命には環境はどこでも劣悪といえる。  それでも、命が永らえて人を癒してくれている彼らの天命は、かけがえのないものだとも思える。
 何年も前多摩動物園でマレーグマが、狭い場所で同じところを右左往復を繰り返すだけの異様な状態を見て涙が出た。。シマウマは、快走するゆえに尻と脚が張っていて美しいが、動物園ではこのプリプリ筋肉が全くないに驚き、何か悲しかった。 また、夜でもないのに狼の遠吠えがいつまでも聞こえ、胸ふさぐ思いがした...。 この不自然な場所でこの子らは一生を終えるとおもうと切なくて切なくて、もうこういう所は行かないでいよう、といいながら、旭山動物園には行きたいと願う矛盾―。 

 猫のはなこは日本に曾祖父たちが連れて来られて以来、不自然な場所で長く人を癒し慰める宿命?だった。 象のはな子も野性を諦め、人に沿い、わざわざ会いに来る様々な淋しいニンゲンを、癒し続けてくれている。 彼女は独りだが、会いに来る人の顔を覚えている。 でも象舎に板壁を付けたり木陰になる木々や土を、やはり欲しい、と私も思う。   2.29(月) 





閉防
 へぼ、と読む。 花火などで蜂を眠らせ、巣の入り口を閉じて獲ることからいうこの、クロスズメバチを信州ではスガレ、山梨、岐阜でヘボと呼ぶと初めてTVで知りました。 巣は木の根などの土中にあるので地バチ、とも。 しかしなぜ険しいアルプスを越えた岐阜と山梨で、同じ呼称なのでしょう、直線距離ではそう遠くないとはいえ。
 兄たちが夏蛙の肉に真綿をつけて庭の棒に挿しておくと、匂いでヘボが来て巣に運ぶ。白い綿を目印に、飛ぶヘボを追いかけるのが大人子供いっしょの男たちの遊びだった。
 採ったヘボを岐阜では炊き込みご飯にしていたが、家では炒って甘辛く煮て卵とじで食した。 
 東京で「うの花」というおからは、山梨では「きらず」。 きらず とは、豆腐を切らず食すという京の公家言葉という。 油で野菜や蒟蒻と炒めた「きらず」は祖父の好物だった。   中央高地に上方の言葉の名残があるは面白い、駅から出るバスに「御所経由蔦木行」、などというのあったが、「御所・ごしょ」などは何処にもない。 でも中世には、源氏が治めた米と馬の産地の荘園で昔は「巨摩郡安都那の荘」といい朝鮮ふう。  お湯をオブ、捨てるをホカス、とも言い関西的。 
 江戸が中心になる前の日本は、長く文化も言葉も上方が中心だったとわかります。 歴史をひも解くと興味津々、たのしい。  2.20(土) 





御徒町あたり
 
五耀会のいざないは予約制。 年改まり初めての会は黒紋付き袴でめでたい『蓬莱』、『廓八景』、『老松』ほかでした。
 代々舞踊を生業にする家に生まれた男性たちの踊りは、子女の習い事になっていても真剣で、伝統を守る硬派で厳しいものです。 行儀よく美しい日舞を特に男性が、興味を持って観てほしいものです。
 30歳下の画仲間Rちゃんとの事前の夕食は、B級グルメが御徒町で探した南インドカレー。 南インドは北インドのナンの替わりに薄いチャパテイ、細いコメ添え。 ターバンのおじさん、米とカレーをしっかりかきまぜるよう指導してくれた、でも掬って別に食すほうがわたしは好きかな。 料理はスパイスが効きチャイも生姜味で香り本格的、美味しかったです。

 上野松坂屋はファミリアで、昔のデパートの名残りある貴重な店です。
 山の様にある靴売り場で見付けた暖かブーツ、衣料品は下町のほうが楽しい買い物ができそう、探し廻って近所に欲しい靴がなかったのです。     2.11(木) 






山村舞』
 
 ♪ 
ひと差し舞わう 山村の
   差す手ゆかしき 地唄舞
   くのいの腰は 大事なかなめ
   
   捌く扇の教えごと
   
   向かいの衆(し)に 示す振り
   左手振りの難しく
   ようとそむけてうら桜
   花の数々 花うまる
   水の流れを末永く いそしみ舞ひて
   
   ようよう見 伝えん
   


 師範試験の課題曲のひとつ、誰にも必須の短い難曲を、だんだんに覚えて体と頭を錆びさせないようフル回転ー。
               2.4(木)
          



声帯・体力
 今年は喉も鍛えようとある合唱団入りしました。未だ発足半年で初めての新年会がありました。 ゲストの来日21年、弾き語り、ロシアの歌姫エカテリーナさんの歌は大地の響きの様にドラマチック、島津亜矢ちゃんみたいで「モスコ―の夜は更けて」は日本の「ふるさと」とアレンジされ故郷を思う哀愁がありました。
 西新橋にある《アルテリーべ》はオ―ナ―が声楽家とか、夜は4回ステージがあり、懐かしい映画音楽(サウンド オブ ミュージックなど)やオペラの歌曲を沢山聴けました。 が、日本とロシアは近いこともあってか、響きが似ている、ロシア民謡に人気があるのも判ります。 「黒い瞳」等はとくにいい好きです。

 教えてくれるのはボニ―・ジャックスのトップテナーさん、年齢よりずっと若い体型と雰囲気、合気道の達人で、発声は健康に良いという持論です。 丁寧な発声練習といきなりの混声で疲労困憊、学生時代に戻ったかのようでしたが周りに平日の午後、ワカモノはおりません。  1.28(木)
 



冬の陽

 三月半ばころまでは猫たちの好きな冬の陽が差し込んでくる。  ストーブを離れなくなった晩年のはなさん、表情におきゃんで活動的だったころと違う、穏やかさ優しさ「達観」さえ感じられるー。 
 
  疾走するに最適な足と体を持ちながら狭い建物内で過ごしました、不憫ではありますが。 今はネコ母のベルベルちゃんや兄弟と一緒に、空を駆け回っているでしょう。 
 


         
             (2015.1.21 撮影)
                           2016.1.20(水)

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2014. 4~2015.12