江戸と上方
 「
上野不忍華舞台」は、上野観光連盟主催で今年9回目とのこと。 水上音楽堂はリニューアルして雨漏りも無くなった新装、自然木の長椅子は座っても暖かさがキープできる、でも冬だけは半戸外なので寒そうです。
 土曜日にここでトリを務める愛之助のノーメイクの素踊り、「助六」がありました。 追っかけ五枚銀杏の五つ紋付の着物に、薄利休鼠色の袴の正装、あの紫鉢巻ではありません。 台東区からの出演依頼では、江戸の人気者「助六」になるのでしょうがどことなく、豪壮な助六も、憂い顔の上方風でした。 京都の南座の千穐楽を終えて駆け付け、この後また名古屋にとんぼ返り―、働き過ぎです心配になります。

 秋めいたこの日、私たちも葛飾のお祭りに舞で五人参加。 師匠先生の舞をはらはら出番待ちの舞台の袖から鑑賞、上方歌「文月」は、驚くほど優美でした。 

 同じ年かっこう、袴姿、男性二人を比較してしまうと、今日は師匠の上方舞のほうにより心を打たれました。 賑々しい江戸と静かな上方、舞踊の違いは好みの差ですが。

 でもいつもながら遠いお席の人にやさしい愛之助、最後の手ぬぐい投げでは、時間をかけて手ぬぐいを礫に固め、遠くに遠くに投げていましたが、私はやはり、もらえませんでした。

 耳に残るは鼓の音三味の音、東京芸大邦楽出身の女性ばかりの合奏あり、京劇あり、淡路島の高校生の人形浄瑠璃あり、浅草芸者さん勢ぞろいでのかっぽれなど、アナウンサーの司会も楽しく3時間が過ぎ、終了は九時過ぎに。 満員鈴なりの会場で愛ちゃん後援会からの切符は有難くも、いいお席のほうでした。

 しかしこの日一番に感じたのは女子高生の義太夫語りの落ち着きと通る声のよさ、人形の操りもプロフェッショナル。 兵庫県立高校郷土部は、海外にまで何度も人形浄瑠璃で遠征しているそうです!
 日本中の伝統芸能が、消えないで若い人に浸透してほしいものです。   9.28(日)



彼岸のころ
 久々帰郷して兄弟で墓参りしているところに、姉が姪と子供たちを連れてやって来た。 石塔の前で神妙に手を合わせ、会ったこともない先祖さまにお参りする姿がとても可愛い。長男5年生は長身の親を追い越す成長ぶり―。 足も26.5サイズでもう大人なみ!  前に会ったときは小さな甘えっ子だったのに、春の木のように一年に何センチも伸びる成長期真っ只中です。
 最近の子は、たいがいが平和で可愛い王子様の顔だちだ。 私たち子供のころは、まだお菓子も少ない三丁目の夕日時代、素朴で野性的な風貌していた。 もりもりたべ4人で家の中で黄色い声で遊び騒ぐいとこ同士、世代交代の活気にご先祖さまもきっとお喜びです。

 別れる時、みんなときゅっと握手をしたら、軟らかい手が暖かい。 お兄ちゃんの手はまだ薄いけどすごく大きい。ちびちゃんの手は花びらみたい。 にこにこ純情な今が、一番に子供らしいころ。 
 しかしあの子たちには、ばあちゃんの妹の私はやはり、ばあちゃん? 姉とは7歳違い…。  9.25(木)



今日は
 
午前から玄関枠の小工事があった。 思い切って網戸も張り替えた、はなちゃんの爪痕が残った網戸。 以前はミーシャが網戸昇りをしてボロにしたので張り替えたのだった。 電話帳で探した店は、十年以上も前に二枚で一万円だったが、町内の太極拳仲間のインテリア店で、一枚3,700円でした。 お店の担当の青年は、「わ、可愛い猫ですねえ〜うちも前二匹もいたんですよ…」。  うちに出入りする人はどうも猫好きが多いのですね。
 客好きなはなは私キレイでしょ、というように、しなしな部屋を歩き回り始めた、さっきまで座布団に伸びていたのに、まあ褒めると、即頭に乗るネコ族。   9.19(金)



 
等々力渓谷から玉川
 
昨日は曇り日、友だちと行きたかった場所にウォーキング計画を実行した。
 東急大井町線等々力駅から数分で、みどり濃い渓谷の森に入る。階段を降りていくと、川から水蒸気が上がって涼気漂う静かな場所があった。なるほどこれは区内の別天地です。 訪れずに詰まらなそう、などという人がいるのは惜しい。 国分寺涯線のつながりの湧水が、轟くようにあふれていた昔はともかく、湧水はほんと、いのちを洗う感じです。
 大きなペットボトルを並べ、水を汲んでいるおじさんがいて、みんなも柄杓で水を飲んでいる。一口のんでみたけど、たくさん飲むなら沸かしたほうがいいような。 何しろそばを環状線が走っている市街地です。

 多摩川まで歩くことにして河川敷き沿いにてくてく。 ジョギングの人や内緒でドッグランなどさせる人たち。草ぼうぼう、ねこじゃらしの土の道を歩くと、子供のころに戻ってしまいます。 先日は大水だったらしく高い木の中腹に枯れた木や草がひつ掛かかっている。水量はすごかったらしい。 ここにもいる青いテントの住人たちは、猫を飼ったり玉ねぎを蓄えたり、それなりに生きている。でも川に流され救出された人もニュースに見たことがある。 物騒な住み家ではありまする。

 この後デパートで二千円ランチ。私の記憶では幾十年に一度の記録的に酷い食事でした、まいりました。赤坂溜池虎ノ門辺りではこういうのは…(なかったかな)。  にこたま(二子玉川)をこれで、嫌いにはなりませんが。

 一万歩を軽く超えたあと、単身で京橋の知人の個展へまわる。 能面ふうレリーフのある立体があり、さっきのにこたまの能面展の話などで弾みました。久々あうときは互いの変貌が気になるが、40代の彼はスリムで変わらず若い、安心したけど、私は? 

 ウォーキングはいっとき疲れても、土の上は軟らかくすぐに回復できる。 家での口直しの秋刀魚がいと美味でした。 9.16(月)
 

 
魅せる海老蔵
 
新橋演舞場と歌舞伎座は、初秋の歌舞伎で競っていて、〈義賢最期〉を見たいと演舞場へ。 
 「源平布引滝」は、木曽義仲の父義賢の、壮絶な最期と、平家の時代に源氏の再興を願う人間の親子の愛、主従の絆の、三場の義太夫狂言。 二本目の「枕獅子」の時蔵さんらの舞踊があるのをを忘れて見ないでそのままふらふら帰宅。 こんなのは初めて、帰ってからあっー。 海老蔵の花道での、馬上の睨みに圧倒され、いやもう満足満足?

 平氏の追及にもはや最期と悟った義賢は、源氏再興の笹竜胆の白旗を、百姓の娘こまんに託すが、平氏の船上で白旗を持つ腕を切り落とされる。
斬り落としたのは昔源氏に仕えた実盛の、平家に渡すよりは海中に投じようの思惑だった。
 ここから現実離れした入り組んだ物語が展開していくが、少しも飽きることなき面白さの連続。 二役を演じきる若成田 市川海老蔵の、圧倒的な存在感に終始した舞台なのでした。 華、匂うが如き、の美しい形に、歌舞伎の所作は舞踊から来ているのが判る、秀逸!

 前場の見せ場、義賢が三枚の戸板に乗り立ち上がり、持ち手が手を放し一気に落ちる戸板崩し、階段を頭から落下する最後のシーンは、愛之助の解説でおなじみの、見るほうも息をのむ迫真の名場面。 歌舞伎役者が筋肉質なのは、身を守るためにも当然ですね。
 さてこの白旗を持った手を、忠義の百姓の養父が海から拾い上げ持ち帰る。 村人の運んできたこまんの亡きがらに、みなは子供会いたさに呼び寄せられたと泣くのですが、子役が長せりふに耐え、見えを切り、立派な演技。 さとし教える海老様が、ほかほか父性を感じさせるのも見どころ。 独身31歳の海老様は外に中学生くらいの愛娘がいるという。密かにやさしい親でもあるかと感じました。

 白旗をつかんだまま親のもとに流れ着いた手を憐み、丁重に葬ることになる。 その塚にちなみ、こまんの愛児に手塚太郎光盛の名が授けられる。 彼こそが義仲の腹心として名をはせた、のちのいざ鎌倉の源氏の勇士、なのでした。

 祖母の生家は旧家とかいわれた手塚家、その名には少々のいわれがあるとは聞いていた。 親も教えなかったいわれを、歌舞伎を見ながら知るとはありがたや。 

 久々に楽しんで、見損ないもあった新秋九月大歌舞伎 昼の部。   9.11(木)


 
ピカチュウ焼き
 
朝食にはホットケーキを食べたりします。どうしても朝は、小麦粉のほうが胃にいいようで。  それで朝牛乳で溶いて焼き上げたら、べたりとして膨らまない、おかしいな。 今年の夏の暑さで、粉もおかしくなったのかしらん。 でもよく見ると、小麦粉の瓶のほうの粉だった。 似たような容器に入れておくものではないわー。
 丸い焼き器ではピカチュウの顔が浮きあがあって焼ける。 子供でなくても、可愛いピカチュウは好きなんだし。
 そのメリケン粉で焼いたピカチュウの今日の〈お焼き〉、不機嫌な時のはなこにそっくり、こわ〜。 帝国ホテルのでなくていいから、生協の徳用のでいいから、粉はちゃんとそろえておこう。
  
 今朝は秋風に快晴、なんでもはかどりそうないい日和。  9.9(火)


ざんしょ、、残暑
 ねちりと熱い九月、立秋から一カ月たっているはずですが。 でもうちのベランダのすすきにも穂が出てきました。
 70歳から絵を始めた丸木スマさんを、日曜美術館で放映していた。 連れ合いを亡くして生きる希望をなくす、というのはよく聞かれることだけれど、老いて失望していた彼女を生まれ変わらせたのは、絵を描くことだった。
 人の多くは、芸術や絵などをバカにしたりもする。 でも絵の力、何かを創造することは、失望を希望に換えるほど大きいようです。 美術学校に行かなかった人の絵ほど、アカデミーの臭みがなく、純粋で美しい感じです。

        
      
  夏肥り      9.7(日)


手紙
 
毎日スパムメールのお掃除に明け暮れて、すこし頭にきた。アタマに来る というのは、そもそもやくざさんの言葉で、堅気には向かないのだそうですが暑さもぶり返しほんとにもう…。  

 便利ではあっても電子メールに嫌気がさし、夏のあいさつをはがきで出した。 きれいな夏の切手を貼りポストにぽすと。 古い仲間懐かしい人たちに青インクで数日かけた、お返事来るかな?。 そのうち、返事が来たのは8割、綺麗な絵手紙も来ました〜! でもこのご時世、字を書くのはもう勘弁、の人もいるらしい。
 筆まめな先輩・友人・知人からは近況報告、肉筆に顔が浮かんでくる。嬉しいお手紙を―、と言われると旧交また深まるというもの、手紙は文化の一つです。 人間は思いのほか早く老いると最近実感するから、思ったことは即行おうと思います。

 今後も手紙をもっと書こう、頭が退化しないよう、児童生徒(学生も)らのコピペの危険はいま、深刻な問題です。他人の書いたものをそのまま使わず、苦しんで自分の文書を構築してゆくことで、脳は活性化し進歩すると、「プロフェッショナル」でない番組で、茂木さんも力説していました。  9.3(水)
        
           

とんぼ
 
トンボが目の前で数匹、飛び交う日があった。 ここは地面よりかなり高く、山芋のむかごは採れる状態でも不自然なところ。 でも辺りには湧水や池などがあるから、ヤゴはいるのかもしれない。
 小さな蝶は、驚異的長い飛行をするけれど、トンボはどうなのだろう。 ともあれあの姿は〈お盆トンボ〉、盆が過ぎる頃群れて空を飛ぶ、地味な色の中型のトンボでした。 
 今年は入道雲の三本立てがもくもく上がる夏の空、雨と稲妻は盛大過ぎるサービスだった。 でも朝は、秋のすじ雲が見えはじめています。 

      
          
山村流 九寸

 要を締めて修理して、まだ使う扇。     9.1(月)                         
  



西方浄土
 
シルクロードに熱中していた頃、人々が夢に描く西方浄土は、アフガンのバーミヤンあたりだろうという説があった。
 美しい大きな金色に光る大仏の見守るバーミヤン。オアシスに恵まれたかの地は日本から見るとはるか西方、この世の苦しみからのがれてそこに、何時かはたどり着きたいと願ったのだ。

 しかし実際はやせた土地の広がる厳しい場所で、肥えた緑の島と比べようもない。 大陸内部全般が、はげ山、ここでどうして作物を作れるか不安になる風景が広がっている。 
 農業の好きな青年は、政変で貧しい国の子供たちが飢えないように、作物を増産したい夢を持ったがその国の人間に夢をたち切られた。 こんなとき、神も仏もない、とだれも思う。 が、何か使命を持って生きた人の死には、深い意味があるかもしれないとも考える。

 〈言葉の魔力〉、というのがある。言ったとおり導くものがいるという、これは、古くからの呪術や魔界の霊力に通じるらしくひそかに存在するらしい。 前向きの言葉を使うことが推奨される言葉の世界で、「ここで土になる」の気概はあってもそれは口にしてはいけない。 仕事をし終えたら、家族のもとに帰る!と言って欲しい、母親の気持ちを考え生きることにも執着してほしかった。 
 現在のアフガニスタン東部は危険地帯で、一般人は進入禁止だという。 畑を作るに夢中でそんな助言は耳にいれなかったのか、組織に情報収集の力はなかったのか、若者の明るい笑顔が悲しい―。 8.29(金)




オリンピックは
 
無時終了。 宴のあとの熱気をさまそうとする涼しい雨が連続三日。 
 水泳の北島選手を、「アジアの誇り」と称賛してくれたいつもは辛口の中国は、アヘン戦争以来の艱難辛苦を乗り越えたい、と燃えたといいます。 国際化が少しでも進む機会になったらいいことですね。 赤と白の日の丸が上がる、オリンピックはやはり、楽しかった。 

 野球で金メダルを獲った韓国の選手は、選手村の相部屋住まい、大惨敗した日本の野球選手は高級ホテルの個室だったと知りました。それでも監督は選手をかばっていたこれが、日本の現実? 不安がよぎる。 
  
      
 お湯のような水の中を泳ぎ回った、元気ですばしこいうちのきんぎょ。   8.26(火)



やっと涼風
    
           

 
夏日が途絶えたのは、53日ぶりだそうですね。 
 暑すぎて何をするのも辛く、ひとに送るメーるも、読み返すと何か変でした、すみません。 何とか人間らしい、こんないい気温が続いてほしいなあ…と、かんがえていますが無理でしょうね―まだ8月です。 
 いやいやシャンプーして、濡れ鼠を乾かし、また眠るはなちゃんです。   8.23(土) 



演劇フォーラム
 
友だちR子さんが切符を用意してくださり、三越劇場での演劇フォーラムに行きました。 国立劇場のこの催しは定期に行われていて、今回は新派120年記念で水谷八重子・片岡愛之助がゲスト。 司会は著書『上方歌舞伎』でその造詣の深さに感嘆した水落 潔氏、何という素晴らしい取り合わせでしょう。
 新派というと歌舞伎の弟妹、水谷八重子や花柳章太郎ですがこれまではあまり身近でなかった。 若い時芝居は文学座、劇団四季などの洋もの公演中心でした。 今も若者は世襲の世界を嫌い、下克上の可能な演劇集団に行ってしまうのですが簡単に挫折、遊び感覚者も多そう。 伝統芸能は、命をかけて継続、全うするところが世襲ながら好きです。

 日本の女優の始祖は出雲の阿国、近代の演劇は明治の川上音二郎とマダム貞奴から始まったそうです。 女性の地位の低さは今より過酷、音二郎亡きあと、欧米で絶賛された貞奴も芸の道を断たれることになる。今なら日本脱出、外国で活躍することができるのですがね。
 それに、「滝の白糸」「高野聖」ほか沢山の物語を描いた泉鏡花をもっと知りたくなりました。 今新派を率いるのは二代目八重子、NHKのあの、ワ〜オの「若い季節」を思い浮かべる良重さん、やたら明るいキャラで古風なヒロインには…うう。 健康的大柄で年齢よりはるかに若く元気一杯、隣の愛之助はスーツを着てかしこまり、あの優等生的回答、これまたかわいい〜。 三越劇場の新派公演「紙屋治兵衛」千穐楽が楽しみです。 
 ラブちゃんを拝顔して、涼もうという人で埋まっていたのでした―、18日。   8.20(水) 


展望室

 都庁の展望台は二つ、45階にある南館の窓が、おおきく広いそうです。 
 夏としては眺望の善い天気の日に、真ん中のラウンジでのんびり涼み、いつか冬も夜景も来てみたくなりました。 詳しい解説をしてくれる人が現れ大助かり、近所の常連さん?よく知っていました。 これだけの設備の展望台で、無料なのは都庁だけです。 立ち並ぶ高層ビルの足もとにちょこんと、国会議事堂も確認、四方をぐるりと丹沢から千葉のコンビナートまで確認でき、あの東京タワーがビルに埋もれています。
 皇居、新宿御苑、神宮の森と、見下ろして緑の杜みっつ。  一際異様なかたちが六本木ヒルズ、フジテレビの球体が光り、海まで見え、数分毎羽田に降りてくる航空機―。 指呼の間、と言うけれど、関東平野も一望、霞が関ビルよりかなり高いのがわかります。

 かつて京王プラザHのほかは何もなく、夕日が落ちるのがみえた薄そよぐ原っぱはいまは土はない、観光地の都庁舎と高層ビル群。 
 終戦の日、日本人と異国人と、ほぼ半分づつで東京都を展望する、異国のような副都心でした。8.16(土)




夏の夜の時代劇
 
友達にいただいた録画ビデオがやめられず、夜更かし 暑さに対抗するには、好きなものに熱中するのみです。 
 「夜桜お染」(2003年)は、江戸の火事で親をなくし、芝居小屋の主に育てられ、今は踊りの師匠と公儀の隠密として親の仇を探す、お染さんの活躍のお話のシリーズ。 若村麻由美は着物姿がとても魅力的、どきりとするほど綺麗で啖呵が決まっていてもう気分爽快です。
 凄味もある、「紅之介参る」、初代「女ねづみ小僧」の小川眞由美は一番好きだけれど、いまや世代交代。 小川さんは文学座、若村さんは無名塾の出身です。 いずれがあやめかきつばたって、双方踊りの腕前も個性の強さもただ事でなく、銀幕のスターとは、努力と、天性の美のたまものですね。。

 お染さんを何かと助ける公儀の密偵に愛之助が活躍、でも...怪しの役なのに、いつもにっこりの若殿顔が笑えます。 しかし鬘が全くよく似合い、30年代の東映時代劇スター再来、錦ちゃんも千代さまも凌ぐ感じです(らぶちゃんの連続バックテン、すごい、オリンピック選手並みだ!)。

 今年のオリンピックはどうも力が入らず、でも柔道の一本勝ち、小さな日本人が大きな異国の選手を倒すのを見ると喝采昨夜のTVは大好きな荒川静香さん、古賀稔彦さんがキャスター席にいて、すっかり見とれました。 小柄で頑健、いかにも精神力の強そうな風貌の古賀選手は、チベット仏教の僧侶に似ていて、何か考えさせられる。  8.13(水)

 


都心のオアシス
 
三井記念美術館の「NIPPONの夏」(前期)で、夏の楽しさを感じる江戸期の北斎、歌麿、応挙らの絵、着物や日用品その他を鑑賞してきました。 平成17年に改築完成の三井本館は涼しくて快適で、その前に行った上野の「対決 巨匠たちの日本美術」より印象が強い。
 博物館はレクリエーションの場でもあるから人が多く集まります。自分もその一人ですが、誘導・整理なしでは一つところで動かない人がいると流れもなくなり、観るには大変苦労です。 児童生徒無料はいいとして、国の機関としては一般の入場料が高過ぎの感もありです。

 美術館の展示品は、ゆっくりすきなだけ見たいもの。 夏は催しも多く、さまざまなものが見れる。 でも数か所も回ると疲労困憊、お腹もすくのですが、三井の夏は心地よい部屋に美しい貴重品がが揃い、静かに鑑賞する人ばかりでゆったり見れたわけです。 さいごに紅茶専門店(フォートナム & メイソン) でケーキセット注文。 めったに食べない(泣)ケーキも小さくていと上品、ポットの紅茶はたっぷりで満足しました。  8.10(日) 
 



明日のことは
 
誰にもわからない。 同い年の知人の夫は電車の中で倒れて、以来一年以上意識が回復しないと知りました。 いつもペアで旅行し、毎年定期的に人間ドックにゆく仲良し夫婦が災難に見舞われ、生活は大きく変わった。 何の兆候もなく丈夫だったという夫が、一言も口をきかずに眠る悲しさは計り知れない。 ドラマの中だけと思っていたことが、自分に起るとは、と、しっかり者の彼女は声は元気ながら電話機の向こうに悲しい顔がうかびます。
 たまたま乗り合わせた救急病院のお医者様に助けられて、命だけは取り留め、まだしも幸運だったという。 納得のいかない別れだろうと、水に流された水道工事の人たちの家族を気遣う優しさです。 

 子供たちは独立し一緒にいる愛犬が、これほど癒しになるとは思わなかった、と、一度出会ったはなちゃんも思い出してくれて犬猫は、ペットではない、と話し合いました。 病院は、40、50代の同病の人が多いという。 豊かな(だった)国の多病を思い知ります。  8.8(金)



たべもの考
 
常備のバター、チーズがなくなり買いに行くと、マーガリンしかないし、チーズも値段が高い。 うわさ通りの値上げに絶句。
 マーガリンのトランス脂肪酸が、いかに毒かは、あの国の肥満ぶりを見ても、その頭の構造を見ても納得、嫌悪します。 あきらめて別の日別の店に行くと、ありました、どこから出たか20個ほどの北海道バター、でも一人一個限定です。 昔のオイルショックの悪夢が再来、かんたんに日用品がなくなる世の中です。 今までの贅沢に終止符が打たれたと感じました。 食いすぎの結果の「ダイエット」…、アフリカの痩せこけた子供を思うと、ただ食べなければいい、と思ってはいたのです。
 青梅の地卵は黄身がオレンジ色で卵かけご飯にもぴったり、ちょっと高めで5個220円が、250円になりました。 高いといっても、ケーキ一個の値段を考えると、安い! 今まで農家の苦労に比べ、あらゆる国産の食品が安すぎたのだと思いました。 卵もバターもこれからは、大切に大切に食べます。

 今日は広島の『原爆の日』。 夏は、野坂昭如「ホタルの墓」を思い出します。 親を失った兄いもうとが親族にも捨てられ、餓えて土まで食べた時代があった。本当にこのドラマは切なすぎる、それで途中からいつももう見れなくなるのです。  8.6(水)


夏と秋
 
住まいは夏を旨とすべしと言われた古代日本で、詩歌は雪景色から萌える緑にホトトギスの鳴く初夏に行き、夏はとたんに少なくなるようです。それが秋となると古今数えきれず、日本人はもみじに月や秋草、虫の音と、秋の風情をこよなく愛してきた民族らしい(ぷりぷりサンマも食していたかしらん?)。 
 
 夏はむかし、今よりはるかに過ごし難かったろうと想像します。 肌を覆う衣裳の貴族たちは、年中香を焚くを好んだのもうなずける。それとも見えないところではバカ殿みたいに、結構好き勝手な格好などしてたり? ふふ。 
 
 香りのいいシャンプーや石鹸のない夏など、今は考えられませんね。 そういえば愛ちゃんは、趣味が香を焚くことだそうで、やはり畿内のやんごとなき血筋かもとか考えて、貧しく涼を取る私なのでした…、秋はまだか〜。 
       
       「歌舞伎美人」より      8.4(月)



地震と農地

 宮城県に実家のある知人と、国立のレストランで食事。 土砂に流されつぶれた温泉旅館は、彼女の幼馴じみの家という。 山の家と里の家があって、何とか非難所でなく残ったほうの持ち家に住めるのはありがたいけれど、イチゴ畑はなくなったそうで、今後の見通しもないらしい。 戦後入植し開拓した栗駒の農地の被害は大きい。 天変地異は実に無情なものです。

 「農家の台所」というお店は、モロッコ風野菜料理。 ガラスの器に詰めるだけ詰めるサラダバーでは、色彩はいけばな感覚、トウモロコシも採り立ては生でも甘い。 何種の野菜があったか覚えきれません。
 おいしいスペインオムレツと、赤米とコーンのごはんに漬物、味噌汁。メインは野菜10種位とチキンとポークの蒸し煮。 産地と作家の名前を添えてくれますが、安全な国産の食べ物は、日本の農漁民のおかげ、感謝です。 7.31(木)
  
 
線香花火・てぼたん
 日本産の線香花火は、とうに途絶えていたらしい。 安い大陸ものに敗退した
日本の職人技。それを惜しみ、蔵前の花火屋さんが高価になってもと復活させたという『大江戸牡丹』が報じられていた。 しかしどこでも、大江戸という名が大流行ですね。
 
線香花火のことを子供の頃「てぼたん」と呼んでいた。 これまで身近には、その名をいちども聞けなかったから線香花火、「大江戸“ぼたん”」の名は嬉しい〜。

 はじめは 牡丹、次は 松葉、そして 柳、最後がちり菊と輝いて光ってポトっと球が落ち、手牡丹が終わる。 縁側でみんなで熱中した夏の夜の花火。 いろんな難しい花火は少し怖くてできなくて、この「てぼたん」は一番人気、大好きでした。
 花火に安倍川もち、スイカにサイダーー、縁側のある夏はそのむかし、本当に楽しくていいものでした。  7.27(日)


パンを焼く
 
パン焼きをしてみることに。 朝はご飯に切り替えれないのです。 
 イースト菌が発酵するのに、今の気温はちょうどよく、寒い時はこの温度の保持に湯煎など必要です。 子供の頃春の温室の中の27℃を、むわっと暑いくらいに感じたもので都会の夏はひどい環境に住んでいるもの、頭も回らないわけです。  

 バターロールを作ると、とてもバターと砂糖の量が多い。こんなに?とレシピを読み返してしまいました。 焼きあがって食すと、おお、おいしい嬉しいな! 市販のものは、粉が少なく膨らみが多いと感じます。 
 すでに美味しく味つけし上げたロールパンは、食パン並にジャムやバターは要らない。 一緒に飲む紅茶やコーヒーも、シュガーレスが健康的。 何気なしに摂ってしまう甘味料、肥満の原因は気付かない所に潜んでいるものです、気をつけよう。 7.25(金)
 


気温と脳の関係

 ニュースによると或る機関が、電話交換手らの仕事の能率と温度の関係を測ってみたという。
 室内温度は28℃にの勧めがあるが、いつもの設定温度よりも温度をあげて行き、28℃に至ると仕事の効率がみるみる下がってしまったそうだ。
 人の体は外気と深くかかわるもので、電話交換という一見単純な作業でも集中力を欠き、仕事の量が変化してしまうわけ。 
 インドなど熱帯では、真昼は外を人は出歩かない。木陰で人目をかまわず寝転んで太陽の通りすぎるのをゆっくり待つ。何をやっても能率が上がらず体を壊しかねないのを知っている。 僅かの富裕層は別問題ですが。
 「頑張り」と「暇でない状態」を有難がる日本は、忙しそうなのは何か立派な生活者に見えるのでしょう。 大和魂!とか、一億ナントかという、軍隊式の亡霊がまだ支配しているみたいです。 
 今や亜熱帯となっても、昼寝もせずネクタイをつけ働き、炎天下で試合や応援を続けたりと、「熱中症」患者はますます増えそう。 甲子園の高校野球も、いずれは屋根付きのドーム型にしないと大変です。
 「熱中」とは、我を忘れて何かに熱くなることですね。 こんな暑い時は、二ヶ月間だらりだらだら、頑張らずのんびり遊んで過ごそう。  移動の辛い夏の旅もめんどうになって、動・植物のエサ係り。  7.22(火)
 


野茂英雄引退
 
「引退するとき誰も悔いはない、というが、自分は引退に悔いは残る」と、素直に心を表わし、野球生活を終えた野茂投手。
 13年前の感動と熱狂がつい昨日のよう、スポーツ選手の活躍する時間の、短さ を感じる。 4月に戦力外を言われてから日本でまた復帰かと期待されたが、これだけの選手も、引き受ける球団がなく、しかし本人はもっとできると確信していたが「周りの人びとのためも考えた」という、ファンにも悔いの残る言葉を残した。
 日本人選手を大リーグに、これまで導き盛り上げたのは損得を考えぬ、野茂のパイオニア精神のおかげ。華やかに短命に終わった選手たちの中で彼の存在は重厚で、無口、侍的で好感です。
     
 昨日の夕刊に、日本人は饒舌になりすぎた、という記事があった。今は誰もがネット上でもどこでも多くしゃべり過ぎるというもので、発信されるものの中に無駄な言葉も多すぎるという、反省するところ―。 
 男は黙って、とかつてのミフネの何かのコマーシャルではないが、「寡黙の美学」は消えかかっている。 
テレビのおバカなバラエテイ番組なども、これからも人間の頭の構造を変えてしまうのかもしれない。
 ジャン・ギャバン、笠 智衆が懐かしいという筆者は、おいくつだろうか。 私には、眠 狂四郎と高倉 健、そして野茂英雄なのですが。  7.18(金)


盆供養

 午前尼寺での盆供養に参加した。 開け放った本堂に風がわたり、暑さがそれほど辛くない。 湿った土の上を渡る風は涼しい。木の柱たちは懐かしい気がする。 みな我が家の庭自慢、扇風機だけで済むと、庭木立ちのありがたさを語っていました。 此のあたりに早くに住みついた人は、庭も木立ちもある家に住めてうらやましい。 コンクリートの家は、照りつけられこもった熱気で暑いのです。
 お盆のお経は長くて難解でも、この世の修行だからと一生懸命読み上げて声が枯れしてしまい、麦茶と冷菓子が沁み渡りました。
 今年から我が家の卒塔婆もご近所の古くの檀家さんと同じに並べてくださり、読み上げもしていただけた。  いろいろな出会いに恵まれ、人並みに仏事をこなせるのは、先祖さまの導きです。 7.15(火)



28℃の室内で書いたメモ
 
東京富士美術館「大三国志展」で買った別冊宝島の『三国志 散り様列伝』に、三国志の英傑たちの生涯が詳しい。 卑弥呼が遣いをしたころの古代中国は、武人たちの甲冑姿が特色あり、何千年も異民族と交戦続きの厳しい大陸の異国を実感する。 史実に基づいたらしいイラストも面構えが人となりを語りナマナマしくて、彼らの多くは若くして戦死、暗殺、病死している。 曹操66、劉備の63の享年は、かなりの高齢になる。 また、諸葛亮の五丈原戦場での54歳での死をはじめ病名は不記、日本と異なり病因にこだわっていない。 貧しく想像すれば、多くは胃腸系の病気だろうかと思う。
 孔明の食事の量はとくに常に気にされ、探りを入れられた記録がある。 敵の間者を欺くための、二重底の陶器の飯椀が展示されていました。 食は細り焦りに身を苛んだ晩年の諸葛孔明は、群雄割拠時代の「壮大な歴史ロマン」どころではない、悔やみきれない戦場での道半ばの落命だったのです。
 油脂系の肉食と酒、一生戦場暮らしのような精神的安泰がない状態で、長命なわけがない。 とくに義を重んじた武人紳士のナンバーワン、今も神として慕われる関羽雲長の裏切りによる非業の死は、この世には、神も仏もないのか〜!と、21世紀人の私も叫びたい気持ちにさせられます。

 あらゆる英雄の死は物語のように壮絶で、後世に長く語られるべき迫力と哀感があるものです。天上には、人の命を司るストーリーテラーでもいるのでしょうか。

 1982〜84年放映の、NHK人形劇「三国志」での川本喜八郎作の人形が四体展示され、熱中した当時を思い起こさせます。顔も衣装も、しみじみ美しい人形です。NHKのDVDはかなり高価でも、人形劇の全巻揃えてゆっくり観たいものです。

 今も昔も同じ人の一生は短い。 劉備・関羽・張飛3人が集い、兄弟の契りを結び、大きく発展、戦い、やがて時代の波に一人づつ死を迎えていく。 24年前の長い人形劇「三国志」からは実に多くのことを感じ取ったもので、森本レオの声の諸葛孔明が、不思議に静かに、説得力に溢れていたのを思い出す。

 展覧会では「赤壁の戦い」の戦場跡出土の、武器、矢じり、剣ほか往時の遺品中心に国宝級のものが見られました。 また、最近日本で創られた等身大の諸葛孔明像が素晴らしかった。 撮影は当然禁止で著作権はいつも大きな壁です。
 リアルに聡明な面差しの孔明像は、涼しくなびくベージュと白と黒のころも、黒い帽子、白い羽毛の扇、緑色の沓、と色彩と共に当分忘れられません。
 7.13(日)


母と娘

 鮒のように大きくなった金魚が二匹相次いで亡くなり、水槽が淋しくなった。 原因は夏にありがちな食べすぎの消化不良らしい。 いけないと思いながら、水面を口でバシャバシャ叩くとついつい…。
 父が亡くなった年からなのでかれこれ5年めだったキン太とキン子。 綺麗だったよ、と褒めながら花の咲く土に埋めました。 
 久しぶりに友人に会いがてら、南大沢のペットショップへ行きコメットらを購入。 水草も魚も以前より目立っての値上がりです。  
 猫と違い金魚は初めて出会ってもすぐに、仲良く泳ぎまわり楽しそう。 新しい仲間を警戒し、シャリまくる単独行動の猫族は、食べ残しを隠す習慣(だれも盗らないのに)もある。 うちのこはいつも、残りを埋めるつもりで木の床やあたりの家具を、カリカリ掻き、尾っぽを持ち上げ安心して去っていきます、あほ?

 さきごろ母上を亡くしたTさんは、勤めながら公の世話も受け夫婦で介護を続けて来た。 だからやるだけのことをし終えた表情は暗くない、会うたびほっとさせられるやさしい人で、仕事場での信望も厚い。  これからは沢山の善いことが待っているだろうと思います。

 最期を嫁いだ娘の家で暮らし、少女のようになって静かに旅立ったという、幸せな、お母さん…。 可哀相な私の母を思うと、泣きたくなります。 
 7.10(木)
 
 
  

大型化
 
超大型飛行機の購入を検討しているとかです。 一度に800人も運ぶなると、乗降だけでも大変な時間、イライラしそう。
 
燃費と人件費節約に人間も荷物化、量産される機内食や水の管理は安全なのか、一度にこれだけの人が空で食中毒したら受け入れはどうなる?と、乗りもしない飛行機に不安が募る。
 初めて乗った飛行機は新潟発ハバロフスク行き♪花のジェット機セヴン ツウ セヴンと、吉永小百合の歌ったあれだった。 驚いたのは機内食の充実ぶり、日本製のおいしい肉料理は良質レストラン以上に愛情がこもっているかんじ、にこやかに乗務員が、お食事の味は如何ですか?と聞いて回っていた。
 人間的きめ細かいサーヴィスを受けれたのは、時代もあるが百数十人乗り小型機であればこそ。 でもまああの航路は、ほぼ観光客向けで考えてみるとVIP待遇? 500人乗りジャンボになると、これ、餌?というようなものが多かったし、乗務員も疲れて見えた。

 自治体でも建物でもショッピングセンターでも、何でも大きければよいという今は、味気ない、楽しくない。 会話のできる小さな個人商店やこ洒落れたレストラン・喫茶店の皆無だったかつての社会主義の国の町とそっくり。 猥雑化と巨大化も、特に若い人の心を荒らしている原因と思うけれど…。 7.8(火)


映画「ミリキタ二の猫」
 
誘われて観た映画がよかった。 昨年夏評判だった日系人画家のドキュメンタリーで、路上で暮らし絵を描いて売っていた80歳の放浪画家を、若い米人女性は気になり家に引き取り、ホームに住めるよう奔走、この映画を2001年から数年かけ、作成した。
 ここで監督のリンダ・ハッテンドーフ氏に会わなかったら彼らの存在も埋もれ、ツールレイク強制収容所のことは私としても良くは知らずに過ぎたと思うから、映画はなるべく見ようと思った。
 
ツトム・ジミー・ミリキタ二(三力谷)は米国サクラメント生まれ。3歳から18歳まで郷里広島で学びまた海を渡る。

 彼25歳の時の真珠湾攻撃以来、数十万の日系人は市民権を剥奪され砂漠の収容所に送られ全財産を没収された。 砂漠で命を落とした人も多く、ミリキタ二の家族はバラバラになる。
 広島の炎と一緒に、当時のニューヨーク9.11のあの旅客機で襲撃された高層ビルの崩れる姿が映し出され、苦難のイラク人がかつての日本人にかぶさっている。
 彼はかたくなに、戦争を憎み市民を収容所送りした合衆国の社会保障を拒み、取り得ないかもしれぬ日本国旅券を夢見る。 お世話になりながらも侍ムービーを見、猫と遊び、絵を描き続けるが公の施しを受けたくない、と誇り高い。
 彼の描くのは、広島の惨劇、猫と花と収容所の生活。形と色に、自由なやさしい性格が見える。
 
 やがてツールレイクへの巡礼の旅を終え、60年前ここで死んだ少女らに語りかけ、心もほぐされ、帰るバスの中で静かにつぶやく「もう恨みはない、思い出は過ぎていくだけだ」。
 老人ホームの絵画教室の先生に請われることにもなり、姉の生存も知り、ホームで好きな猫の絵を描く日々となり87歳の今も元気らしい。

 事実はいつでも小説以上のドラマだという。 また救世主は来るべき人には来るのだなあと、心温まった映画でした。  7.3(木)


アムール山猫
 
井の頭自然公園の動物園・彫刻園に行きました。 駅数分で広い緑の森、ジブリの館(予約制)もある、怖いほどに深い森を歩いて歩いておつかれさま。 北村西望の平和祈念の像ほか、迫力の塑像にも初めて御面会、仕事休んで付き合ってくれたSさん、ありがとう。 
 
         
       

 
アムール山猫たちは狭い獣舎を走り回り静止しないので撮影不能(それでうちの野生猫も一枚)。
 戦後タイから来た同年のゾウの花子は、歯がなくて流動食だそうな。 たくさん生きていろいろあれば、ゾウもヒトも、体に傷みが出てきます。

    
  
 梅雨が終わると、外出もままならぬ熱い辛い夏がきますね。  7.2(火)


梅雨に咲く花
     

庭よりず〜っと日照が薄い梅雨時のベランダで、けなげに咲く地味な花たち。 それを最近どこからかなめくじが来て、夜の間にツユ草をなめて食べてしまう、困った。 先日2匹退治したのに、どこかで繁殖しているらしい。 なんでも子育ての季節です。
 実家の梅の木に毎年ヨシキリが巣をかけて、きちきち鳴いていたのも六月。 ヒナの頭の羽毛がぽやぽや見えててかわいいから、覗きに行くと両親が、右に左に必死に飛び回り、けん制してきたのでした。 見るだけよ、と言っても聞く耳はなかったです、親はありがたいありがたい。
  
     
                  
6.28(土)


愛之助さまノオト
 
きのうは、一日愛之助さまデイでした。
 お昼、R子さんと三越本店一階中央ホールでの浴衣発表会での『片岡愛之助トークショー』に参加。 素顔にまみえれる、またとない貴重すぎる機会です!
 天女さまの像を見上げたり、浴衣を眺めたりしながら立って待つこと45分、やっと係が椅子を並べはじめました。シャイでのろまな私たちは、早めの到着でも押しやられ三列目、でもほぼ中央の椅子に座ることができました。 ぐるりと後ろには沢山の立ち見の方々。 

 開始5分ほど前に、高い中央階段の左上から、白い浴衣姿の愛之助、観客をチラと眺めおろし出現、大きな天女の像の後ろに隠れました。ワッとどよめきが―。
 恭しい司会者のあいさつの後、時間どおりらぶりんがにこやかに登場です。八重山上布みたいな薄象牙色の浴衣、伸び始めた頭髪(こないだまで、映画〈私は貝になりたい〉の坊主頭でした)、体の底からほほ笑むような笑顔、この人は、怒ることもあるのかしら。
 写真撮影は禁止なので、目瞬きも惜しみ愛之助さまを見つめる私たち。 本人が着席するなり、「や、近いですね〜」というほどの距離、ほぼ3メートルの至近で拝顔、あ、ありがたや、手合わせちゃいそう伎芸天さま〜、仏さま〜。
 人気歌舞伎俳優のお話は、若くてもかなり形を作るものですが、われらの愛之助は全く自然体。 よどみなく楽しげ、能弁闊達、ホットでフリースタイルなのが人を惹きつけます。

 8月の三越劇場新派公演「紙屋治兵衛」の大きなポスターを見ながら、物語の解説も入りました。近松の、上方のいつものダメな男のお話。 破滅的なのに人間的で、憎めず気になり、人の業の掘り下げに関心持たされる、という身振りも入る楽しい解説。 新派のけいこ場はジャージの人がいるのに驚いたとか、歌舞伎や舞踊は稽古は浴衣ですからね。
 きれいですね―、と言われると、「ハイ、白塗り取るとこんなんですが」と、すかさず美声でお答えが来ます。 しかもこの間、微笑しながら客席にはくまなく目をやり、いちいち顔を確かめようとする気配ばり、ぼーっと見ている私も、一瞬目が合ったようです感激っ。「わたしたち口開けていたかも―」と、R子さんとうなづきあいました(恥)。

       
  
 舞台上で秀逸の美を発する役者愛之助さまは、素顔はめちゃ気のいい笑顔の絶えない体育会系、軟ではない筋肉質の役者さんでした。が、そこはかとなく漂う気品を、何と表現したらいいのでしょうね…。

 短い時間にお話したっぷり、あっという間に30分が過ぎ、退場です。 階段を上がり、左手に見えなくなるまで、両手を振って挨拶を繰り返す少年みたいな愛之助。 白塗りより好感、健康的に日焼けし切れ長な目が実にチャーミングでした。  
 

 遅めのランチ、愛之助さまの笑顔とお声の余韻に浸っているうち時が過ぎ、新橋演舞場の『鹿鳴館』の観劇のお時間に。 夕食などを少し買い求め劇場へ到着。この新派120年記念『鹿鳴館』は、夜の部の最後に役者のご挨拶があり、今日のゲストは林 与一と片岡愛之助です。 團十郎さんと八重子さんの、長いお芝居が終わるとご挨拶となる。三島由紀夫特有の、長詩であるかのような麗句のセリフに少し疲れました。 こういうと何ですが他の芝居を見ると、歌舞伎の持つ、言い難い特徴を再認識します。 でも、なんでもねっとりこなす團十郎さんは素敵でした。
 〈愛之助君の言葉が短かったから〉、と重鎮の林 与一の長いお祝いの言葉も刺激的で楽かった。 愛之助は居並ぶ御大らの前で、ゲストながらかしこまり、スーツの足は内股気味でした、これまた可愛いいっ。 
 思い出になる素敵な愛之助デイ。 R子さんらぶちゃん三越さん、ありがとうございました。 6.26(木)


葛飾の花と人
 土曜日R子さんとお稽古あとに、「堀切菖蒲園」に行きました。小雨模様の天気に紫陽花と菖蒲の色が冴えます。 葛飾は喫茶店があまりないのは、気軽に家にお茶に呼ぶ習慣でもあるんでしょうか。 
 菖蒲まつりの期間の土日は、町のおばさん達が麦茶と熱いお茶を道路でサービスしてくれて、煮立て冷やした麦茶は香りよくおいしかった。 また来年来て、会いましょうね、とおばさんたちは優しい。 物価も安いし、暮らしやすそうな葛飾
 

 
 


 青紫系の色は涼しい、気持ちを落ち着かせてくれるようです。 もしもイライラした時は、青色の花や空や海を見よう。 恐ろしいことをする人は、機械や金属ばかりに気をとられず、自然や花も好きになれば、孤独・荒ぶる心もきっと鎮まる気がするのですが。  6.22(日)




横須賀の自由猫
 何年ぶりかの友人にあいに行った。古い友達に会うのはわくわくする。 長く逢わないでいても、気遣いなく毎日会っていたようにほっとする、仲間とは有り難く不思議なもの。  
 渋谷からは東横線、横浜から京浜急行に乗り換えるともう海が近い。三崎口行は「屏風浦」なんて駅を通過して、何か遠足気分! スイカのおかげで切符も買わずにす〜いすい。 便利になったものです、それに私鉄は事故が少なめ、たくさん乗ってもお得。

 婦人服専門店のマダムのNちゃんは同い年、むかしアルバイトで来てくれていたのんびりお嬢だったけど、いまはお店に介護にと、実に働き者だ。 暇な時が来たら母親の着物を着たいという、そうです着物は体に良いしきれいだ、気持ちもいい、一つづつ、身の丈に合わせ揃えていく楽しみがある。 いつかは一緒に芝居にゆく約束をしたのでした。 以前母上のといっしょに、日生劇場の「越路吹雪ロングリサイタル」の切符を用意してあげたのを、会うたび思いだし感謝してくれる律儀な友です。
 お店の飾りにと持っていった招き猫を、自称バーコード髪の優しい猫好きご主人が、とても喜んでくれました、む…どうも二つめが欲しいような。 無くなった地域猫のトンちゃんの写真を預かり、石猫で描くことにしました。 たくさん香典や花束が届き、立派な葬式をしたそうです、幸せな自由猫だったのですね。    6.19(木)  


新じゃがのサラダとらっきょう
 最近のジャガイモのおいしさ、ポテトサラダの日々が続きます。 忙しいころはお肉屋さんの出来合いを食べていたけれど、たまねぎ抜きで緑色のきゅうりも量が足りない、というわけで自作。 新じゃがはすぐに柔らかくなり、ホクホクいい香りです。 レーズンやクルミもいれて、オリジナルを。 ラッキョウもそろそる食べれますが、お店のような鼈甲色になるまで、半年以上はかかりそうです。 

      

 今日は国立劇場の歌舞伎見に。 前半の歌舞伎教室はとても面白く爆笑でしたが、歌舞伎『神霊矢口の渡し』のほうではなぜか珍しくも睡魔に襲われてしまいました。 いつもより短時間、孝太郎さんの大熱演は前評判どおり、よかったのでしたが。
 私は単純で水戸黄門や寄席などのほうが向いているのか、笑いのないシリアスだけのものは、バイキングと同じに好きでないのです。 6.13(金)



労働
 労働は、そこに行って働いて帰ればいいというものでなく、仕事場にある種のくつろぎや、仲間意識連帯がないと息が詰まり頭がおかしくなります。  
 人材会社マンパワーから人が来ていた時、あれは1970年ごろ、彼女はいつも孤独で不安そうな顔をしていた。 好きで派遣されているのではないというのが、若い私にさえわかった。
 江戸時代、口入屋という人がいた。 人を集めて日雇い仕事をあっせんし、その労働の代金の一部を取る商売、いわゆるピンはね屋。 時代劇では人相悪くあこぎに設定されるヤツ。

 宇宙にまで旅するというこの時代に、江戸時代そのままの労働形態があってしかも、大手の会社で二重派遣もしていた。 
 社会の乱れの第一は、人を奴隷のように、部品のように扱うときからはじまって悲惨な出来事を招くのではないだろうか。 何の保証もなく働かせ、歳とったり擦り切れたりしたら取り換えることを公然と許すのなら、公務員も全員派遣にしたらどうしょうか。 
 こんな時代は永くは続いてたまりません。  6.11(水)



あさね
 きょうは起きると時計が9時に近く、ボー然。 目覚ましもどうも止めたようす。
 思い当たる眠る前の読書、藤原新也氏の『黄泉の犬』。 ちょっと読むつもりがやめられなくて、とくに、上野の美大に入り徐々に失望、動物園の猿人ブルブルと出会い感動、退学するにいたるくだり(ある日ネクタイを付けた教師に、こういうところはネクタイを外してきてください、と、意見したそうだ)と、当時インドで多く見られたという、妄想と錯乱に陥った日本人若者との係わり(ウルトラマンじゃあねえんだ、あほ、と覚醒させる)の箇所。 
 インド・チベットを放浪していた藤原20代の若き日の想い出の部分は、読み止めれなかった。 ここには内容がカルトの分析や関係者とのインタビューにかわかる部分も多く、何故か販売低調だったらしいが、私には興味深く読めたのです。
 
 仕方なく家で独りおさらいして、きまり悪くても師匠にメールで平謝り。 師弟関係は同姓だとなれ合いになりがちでややこしいそうだが先生は、なるほど余計なひと言なしでさっぱりと、「はいでは次回お待ちします」と短いお返事ほっとします。 幸運にもこれまで電車事故で一度欠席しただけ。  

 眠る前は重い本は読まず、目を閉じ口角を少し上げ、お花畑など綺麗なものをイメージして眠るのがいいのだそうです。 わかっていても…。  6.7(土) 
 


アサリ
 浦安の向こうのまりやさんの家に招かれて、薔薇の咲く庭と猫に会い楽しい一時を過ごしました。 海に近く、川と海の交わるあたりは、私には珍しい光景とても刺激的。 街の景色も東京と房総の交差点のような。  どこもかしこも花いっぱいのゆったり敷地、大型マンションの庭も通りの花も、みな育てたものだったとはすごいですね。 ご近所さんも花好き、彼女に挨拶をしていきます。 

 なんでも市場みたいなお店の店先で、バケツに入った大きなアサリ発見、う、うまそ。 酒蒸し、ボンゴレ、お味噌汁。 茶碗蒸し付き焼き肉ランチ食べたばかりなのに妄想がもう起こり、あっこれ下さい! 大きな自家製玉ねぎも花の苗も、重くたってなんのその。 夕飯のとりあえずの酒蒸しアサリは、甘くてふっくら―むむ、至福。
 

      
ゆきちゃん        江戸川        あさり  
      

 さて夜更け、塩水につけておいたアサリはぶつぶつしゅしゅっ、と皆でおしゃべりを続け静かな夜なか、食べられる運命を知ったらしく塩水を吹き上げ床を濡らして大騒ぎ。 
 アサリさん、どうかあきらめて、不本意でしょうが私の体の一部になってくださいね、なむ〜。 6月3日(火)
 


東をどり
 を観に行きました。 歴史のあるこの会を見るは初めて、京都の「都おどり」の関東版らしい。 フィナーレの黒紋付での勢ぞろいは、新橋芸者さん年に一度の大発表会の心意気を感じます。
 上方舞と異なる東京の花柳流中心、華やかな踊りも振りには同じところもあり、興味深く鑑賞しました。 
 新橋演舞場会場ロビーは和装女性たちがいっぱい、色とりどりアヤメ柄やの帯や着物、結いあげた髪も粋、幕ま、オンザロックなどいただきながらいい気持で楽しめる景色でありました。 知名人らも目の保養に来ていました。  
 芝居より時間も短く観覧料は低め設定、早めに予約すると二階袖の一列め(二千円)が取れ、ここで十分みられます。 R子さんと、また来年も来ましょうねと話し合いました。

 さてそのあとは東劇の、シネマ歌舞伎『ふるあめりかに袖は濡らさじ』、最終回にゆく。 これは昨年暮れの歌舞伎座での公演を映画にしたもの。 豪華メンバー勢ぞろい、悲劇のような喜劇のような舞台で、アップで見る玉三郎の表情の豊かさにたまげてしまった。 踊り以上に魅力的な彼(彼女)を、また好きになりました。 あっと驚くドスの利いた声、いつものユーモラスなセリフ廻し、美しい立ち姿、それに可憐な七之助、唐人口の遊女の福助さんの存在感や、通詞役獅堂さんの思いがけない雰囲気も印象的。
 遠くからはオペラグラスでも曖昧な、着付け衣装や小道具までリアル、大きな画面の映像でみる歌舞伎はたのしい。 雨の中、幸せ気分の土曜日でした〜。  6.1(日)


きもの考
 上野の展覧会で一人だけ、芭蕉布のような白い着物の方がいた。 南方の絣のようなツバメもようの織、小さくつぶした帯結びが涼しげで、こちらも観て楽しめました。 ご年配がカンカンと照る戸外で、観覧に45分並んでいたのかと感嘆です。 こういう方はきっと、着ることが自然な今ではまれなかたです。

 観劇にはどんな着物を着て行くべきか、と一般に悩むところですが、お見合いや総理大臣御用係でなければ、自分が好きなものを自由に着ていくのがいいと思いました。 現に、とらわれない個性的な着物の人が多くてびっくりします。 芝居小屋では近所の買い物の途中や山帰りのような服装の人もいて、着るものは様々、かなり自由勝手。 
 「格」だ「恥」だときもの世界には抜き差しならぬ慣習が根強く残り、着ることを庶民から遠ざけている。 普段着に帯を締めなくなってから、腰痛持ちが増えたのではないかとさえ思えます。

 格式ある着物で特別の日に、ぞろぞろ仲間内で着歩くとなぜか威圧的に感じる着物。 でも芝居小屋や展覧会場で、独りで自然なかんじに着こなす人を見ると、刺激されます。     5.29(木) 

 

 
薬師寺展
 陰陽思想の流れをひくという二人の菩薩様。
 写真でみるのと大きく違い、何でも実物は何かの力を潜ませているようです。 会場の設定で上部から観、下から見上げ、大きな存在感に圧倒されました。 

 光背を持つと正面から見て遠い存在になり、レリーフ状にも見えるのに、ここではぐるりと回ってお体を立体的にじっくり拝見できた。  前評判どおりの美しい背中のライン、普段は見れない角度から、有り難く拝顔しました。 堂々厚みのあるやわらかな肉と健康な皮膚を感じるお体、ころもと装飾は安定してバランスがいい。 表情は、見る者の心を鎮めてくれるように穏やかでした。
 威厳と優美の日光・月光の菩薩様立像は、千年以上前の美意識の高さ、完成度を知らせる代表的塑像かもしれない。 完成したとき仏師らは、ヤッタゼ、イエーィ、とか雄叫びを思わずあげて...、などと不遜にも想像してしまった。 
 上野の森は緑が濃くなり、もう夏の気配。。 すっかり疲れて遅めの昼食とお茶で話しは延々長くなる。でも〈しゃべり〉は肺を強くするというから、まあいいことにします、金曜日。 5.24(土)


らっきょう漬け
 今年は好物のラッキョウを漬けてみることにしました。 デパ地下などで見るらっきょう漬けは飴色に光って美味。 でもすぐに食べきってしまうのは残念です。
 一時間かけて綺麗に薄皮を取り除き、根を深くなく浅くなく切り揃え、洗って塩にまぶし…。 とても手数と時間がかかったけれど、『相棒』の再放送を見ながらで飽きずに済みました。 和製シャーロック・ホームズの『相棒』は今、劇場版が大ヒット中、そろそろ行かなくては―。

 今日入荷の鹿児島産の大粒らっきょう、一袋498円は大安売り。 ネットのレシピ参考に、これから二週間塩漬けして発酵を待ち、塩出しを丁寧にしてから鷹の爪と氷砂糖と酢で本漬けする―。 漬物はいろいろあるけれど、これは兎に角手のかかるほうで、買えば高価なのは当然です。 商品としては見た目も考え、細心の注意を払い、あの鼈甲色のが作られる。む。
  5.22(木)



桃の実とミント
         

 しだれ梅は花はたくさんなのに実は一度もつかない。 けれど、桃には力がある。 桃太郎は鬼を退治したものね、ふむ、なるほど―。 
 今年はミントも元気がよく、はちみつと一緒のミントティが多い。 アラブの水分補給には、砂漠で甘いミントティがたっぷり飲まれるのだとか。
 ミントは簡単に冬越え、暑さ寒さに強い植物、見た目もグリーンがさわやかで、大好きなハーブ。  5.20(火)



美しき五月
 と称えられても五月は、五月病とかうつ病などの発症に重なる月。 新しく始めたものへの希望が、現実と向き合い失望に変わりだすころ。 人が飽きやすく、ひ弱なロマンチの証拠。 現実に、人との関係も日々変化していきます。

 加齢による体力の変化、戸惑いもひそかなうつ状態に移行するのだそうな(面相筆が辛くなっきたのに全く驚いている)。
 なんだかよくわからないものの、うつ、の気分ってこうなのかしらん、と思い当たるときがある。やたら眠くて面倒で、のろのろと行動する。 ぼ〜っとしていると猫もじっと顔を見て嘲笑う。あっ、また寝床を堂々占領ちっとも動かない、で動かそうとすると親に手をあげて怒るのです。 給餌係じゃないゾ、動物園の掃除係じゃないゾかわいい顔した小悪魔めっ。

 また音信途絶えた同年者から、退官挨拶が来るのは定年退職は大きな事象で、古い知り合いも懐かしく思い出すということらしい。環境に対応するのは年齢にかかわらず、だれも大変です。



 季節的に海外旅行もさかんで、大きな荷物を持った人々で土曜の日暮里駅は賑わっていました。 動物と暮らすからでなく、きな臭くなった処に海を渡ってまで出かける気もなくなって、これもウツ? ― 好奇心がなくなるのはいけない、気をつけよう。5.18(日)




異変
 はや台風が来、遠くで大規模地震のおこる寒い五月。
 うちは梅雨時までストーブがスタンバイしている。 実家は老人の家だったし、高原の寒冷気候は身にしみている。 寒いときは直暖め、暑いときはためらわずに冷やす、とわがままになり、もうよそ様の家には泊れません。 暖房は早くに止める家が多いようです。
 でも寒いほうが、夏の酷暑に比べて工夫で何とでもなる。 ストーブ嫌いの北国猫も珍しくそばに来て、赤い色を見てじっと物思い。 
 
 先日は札幌まで30℃になったのに、今度は寒くて街は厚いコートの人がゆく。 この寒暖の差はやはり、地球の大異変の前兆? 突然滅びた文明も、歴史上実際におおいらしい。 見てはいないけれど大西洋に沈んだ謎のアトランティス大陸、南の海の海底遺跡、いきなり消えた帝国と、永遠なものは何もありません。  与えられた時代の中で、平凡に過ごしてふっと消えていくのが、一番いいのかもしれないですが…煩悩が。 5.14(水)




ヘッドライト テールライト』 ←重いので再起動の後でないとフリーズするようです。
 中島みゆきの歌、なじみの歌だったけれど先週、カラオケで戸惑いました。 ♪風の中のスバル― の、『地上の星』はあまりにも身近なのに、プロジェクトXのエンディングの歌は、染み入る内容とともに流れて消えるためか記憶に薄かったのです。 今日は、その番組のうち、『南極越冬隊11人の男たち』をビデオで見て曲の確認。 
 何度見ても、若き日の犬そり隊員北村泰一さんらやカラフト犬たち、第一次隊の南極での雄姿は胸にせまります。 「宗谷」より何倍も大きな観測船「しらせ」が、すでに老朽化して引退、でも引き取り手がないそうです…。

 昨夏、新しい観測船の名前に「しょうわ」とはがきに書き応募して、落選しました。  5.11(日)



舞踊『藤娘』ほか
 このところ気温が上がり、室内で26℃に届きそう、おそろしやの「夏」が近づきました。 どこも緑色が深まり、こんもりとむせるような木立。 この季節は以前はうきうきしたのですが、枯れてきてしまったらしくまた、故郷が遠くなったためか何やら青臭く息苦しく感じてきます。  

 新橋演舞場の五月は、中村福助の舞踊『藤娘』、が圧巻でした。
 咲きこぼれる藤の房を背に、次次に衣装を替えて踊る姿が美しい、しなやかな指先が春を謳歌しています。  40代半ばを過ぎて、役者の脂の乗り切るころ、女形では玉様は別格として、私の一番好きな福助の舞い踊りに、大満足しました。 
 福助の持つ、ちょっとの毒気、中性的あやしの雰囲気にいつも不思議な世界に誘われる、目もいい、ゾクゾク…。 
 染五郎・亀次郎コンビの舞踊『三社祭り』も、若さはじけるきびきびした力が乗り移りそう。 木の床を踏む音がバシバシと場内に響き渡り、踊りの楽しさ満喫です。 

 かえりしな、岩手銀河プラザでモチ饅頭とももハム購入。 『一本刀土俵入り』で、駒形茂兵衛の吉右衛門さんが、姐さんにもらった路銀でお腹を肥やす。  歌舞伎の舞台は、本物のサツマ芋とモチ饅頭を美味しそうにひっぱり伸ばし食べますので、つい食べたくなりました。 ちなみに今日は三階左袖のお席、2,520円とお得でお昼は、木挽町「辨松」の懐石弁当をいただけましたっ。
             

 長い間、どうして日本的なものに目が届かなかったのか、浮遊回転のスピードで、若い体にのみ頼る洋舞に行っていたのか悔やまれます。 ま、年齢のせいでしょうがこれからは命掛けて?国産品をすべて愛用したいと思いました。 5.9(金)


  



早寝早起き
 友達とカラオケにいった。 休日割増しでもお昼はおやすい料金でした。  しかし同世代でも、みな若い歌を知っているのですねえ…、私は、『芸者ワルツ』とか『すみだ川』とか、古くてゆっくり目が多い、 『ルイジアナ ママ』 などは歌いなれていて、“フロム ニューオリンズ” も噛まずには歌えましたが。 が、いったい何曲歌ったのか、忘れてしまいました。 次回は夜霧の第二国道、雪の渡り鳥、フランク永井や三波春夫なども歌いたい、高音低音どちらもオーケー。

 今の機械は歌い終わると、何カロリー消費したかの数値が出るのはすばらしい! それに、以前は懐メロなどはお店によってなかったりしたのに、ひばりの古い映画主題歌もしっかりありました、ばんざ〜い。 それで、『大江戸千両囃子』の舞い千両も歌えました〜。

     
舞千両ばやし


    花が蝶々に 蝶々が花に
    逢うて嬉しい 春姿
    ほんに浮かれる 千両囃子
    月も冴えます 舞扇

       風が柳に 柳が風に
       すねて甘える 夢模様
       弾む鼓に あの振袖の
       紅が散ります 舞扇

         月が小春に 小春が月に
         ゆれる朧や 春化粧
         花の姿の 三段返し
         胸が燃えます 舞扇


  
 10時半には就寝、朝は5時過ぎに起床の健康的な友達に触発され、今朝は自然に5時に起きてしまった。 朝日のさすのを見るとエネルギーが増え、 一日が長くなり得な感じ、朝稽古もしっかり。  これが、ずっと続けばいいのですが。    5.7(水)





大鹿歌舞伎
 長野県の伊那谷の大鹿村は、南アルプスのふもとの小さな村。 ここでは古くからの村歌舞伎が途絶えず継承されている。 私の子供のころ、村祭りに青年団の芝居などあって、鬘をつけたお兄さんらの素人芝居を見た記憶がある。 娯楽の少ないころ、地方でも芝居や歌は大衆の求める手っ取り早い娯楽だったのだろうと思う。

 この(農)村歌舞伎は以前、NHKなどでも紹介されて、とても興味深く観ました。 映画と歌舞伎の俳優と、沢山の村人らとエキストラによる真冬のロケなどもあり、やっと映画『Beauty』ができあがり、今月長野で先行上映されます。 

                    

 歌舞伎は都の人の娯楽と思われがち、でも人は誰も何処にいても人間らしく、美しいものを求めて生きてきた、その歴史の証しが地方歌舞伎のようです。 歌舞伎は、つくづく大衆のもの、きれいで楽しい総合娯楽なのです。 
 時間をかけ、想いをこめ創られた日本的な映画の封切りを待っているところですが音楽も、映像も、切なくはっとするように新鮮なかんじ。 孝太郎さんの老け役は楽しみですが、愛之助の悲劇的な役は悲しい〜、観たら、きっとぽろぽろ泣きそうです、うう。 5.2(金)





たけのこ!
 外で食べたおいしいものは、忘れないうちに再現することしばしば。 お花見に新橋で食べた焼きたけのこがホクホクおいしかった。 
 農協の朝採りたけのこの小ぶりなの(300〜400円)を、皮付きのまま縦に割る、切込みをいれお酒をぱぱっと振り、グリルで数回裏返し両面焼き。 弱火で10分ほどすると焦げ目が付いて焼き上がり、とても簡単。 皮が旨みを保つのでしょか、まあなんともいい香り。 山椒の若芽をマヨネーズに練りこみ、ポン酢しょうゆも混ぜて載せます。 

 山椒の木は院生の、りょうじ & さとし組が一昨年、お別れプレゼントしてくれたのがすくすく伸びました。 彼らもすくすく伸び、博課最上級生になっています。 

 たけのこは、採ったばかりのでないとえぐいので、そういうのは茹でて、たけのこご飯や蕗などとの炊き合わせとかですね。 農協さんには感謝。 ここで切花と鉢植えも購入します。 なんでも値上がりのご時世に、野菜・花が新鮮で安いのは幸運というものです。 4.30
(火)


バイオリズム
 星の動きで人間の生命の勢いが変化するらしく、同じ年にいろいろ重なることがある。 それに年齢も節目を持っていて、その波のような変化が心身に影響するそうです。
 同世代の友人たちもいろいろあって、生身の人間はいつも困難と向き合いながら生きるのだと痛感します。 
 うつを病む人も身近には複数いてもちろん、私もいつも健常ともいえない。 ふさいだ時は何か新しいことを始めたり、パンを焼いたり肉じゃがをことこと作り、ゆっくり噛んで食べ元気を取り戻すのです…。 この、美味しく食べたい気持ちこそが生きる根性の源、出来合いの惣菜よりずっと元気になれそうです。

 低調な波に一番の話し相手だった母を失い、それはそれは話にならないほどの穴が開きました。 あれ以来私も、軽いうつ状態にも思えます。 妬みや競争心に怯えないですむ、無二の安らぎ、ことばやさしい母に替わる人は、いません。
 生老病死、絶えずやってくる身近な、大切ないのちとの別れは悲しみの極みです。 時の経過も、すべてを流し去ってはくれません。 
  4.28(月)
 



4月歌舞伎座
 
世の中は騒然と、ニュースはもう見たくない、聴きたくないものばかり。そんなときでも歌舞伎座では、しばし、あれこれ忘れることができる(気がします)。 
 錦之助に七之助、仁左衛門に玉三郎での、『熊野』は、桜満開の春の舞台、なんとまあ景色のいい、四人さま打ち揃っての舞でした。 そんな時、ふと、ああ、この人たちもいつかは老いて、舞台に立てなくなる日も来るんだなあ、と、バカなことを考えてしまい自己嫌悪に陥る、そしてまたまた花形の、花の季節に埋没するのでした…。
 
 歌舞伎が永らえてきたのは、男子の職業として確立したからではないかしら、恋愛・結婚・出産などで住む場所も何もかも、変化しがちな女子でなかったから?  時に何十キロもの重い衣装と鬘で、一ヶ月の長丁場を耐えるには体力が要るし、芝居小屋の隅々まで届く声は、男性のほうがはるかに適している。 などと考えました。 彼らの垣間見える、筋肉もりもりの体は、肉体労働者の証です。
 玉三郎さんは今日が58年目の誕生日とか。 同じ世紀に生まれて楽しめて、とても幸せ。 高貴な姫君だけでなく、うらぶれた酌婦なども、ユーモラスに、また儚げに演ずる彼(彼女)は、何度見ても珠玉です。 4.25(金)
 


17歳
 
リンクの猫ともだちクラビーアさんの、〈折々の記〉がずっと遅れていましたが最長老猫若くんが、昨秋なくなっていました。 17歳半、老衰での大往生とのことですが姿が消えてから、天国に行く挨拶があったそうです。
 思えばうちの初代黒猫のチコも、17歳半で天寿を全うしました。 私が4歳から21歳になるまで共にいてくれた猫です。  この子等は人間なら百歳前後という高齢です、みなよくがんばりました。 
 17歳のころ、私はまだ親の庇護の元、子供時代のさなか。 さくらの花に似た、猫や犬の短い人生を、しみじみいとしく思うこのごろです。

 ○○年前の今日、私は生まれましたが春祭りの夜で、お産婆さんも浮かれて皆と別室で飲食中、母は一人で苦しんでいたそうです、かわいそうにね...。 
4.20(日)
 
       
 
空はひろびろと

 
お兄ちゃんたちはみんな、空に昇って星になったとお母さんが言う。  
 兄ちゃんたちには会えなかったけど、いつかみんなで集合したら一緒にあそんでくださいね、はなこ
おしゃべりで、少しうるさいけどー。
 
  
ジャングル大帝のお兄ちゃんといっしょ。                                帰ってきて―。

 April 5th はおじいちゃんも御発ち日、五年前、春の花が揃って送ってくれました。 そのおじいちゃんの古い腕時計は、普段暗い洗面所でずっと時を刻んでる、不思議でしょ?  4.17(木) 
  


        


猫のひょうたろう
ちゃんは青い星に。
 私の大切な猫ともだちで、ホームページ立ち上げのきっかけを作ってくれた猫のひょうたろうさんの愛猫、ひょうたろうちゃんが去る5日、桜の花に包まれて天国に召されました、享年17歳でした―。 こんな早い別れを思ってはいなかったのです...。 
             
  ありがとう
(猫のひょうたろうさんアルバムより)

 昭和記念公園のコスモスの園では、リュックを背負ったその姿がNHKのカメラマンの目に留まり、ニュースでも放映された賢い、ハンサムな猫でした。 人を魅了する灰色猫のサイトは、全国にファンがいました。 うかつにもパソコンが自分本位になっていて、今日、その悲しい事実を知り、涙をこらえきれません。 これまでどれだけお世話になったことでしょう。 ご一家の、哀しみ寂しさはいかばかりかと、胸は苦しくなります。

 〈猫のひょうたろうさん〉の『ひょうたろう物語』には強く影響を受け、私も楽しいホームページを作ってみたい、と思わせられたものですが、その差は歴然、遥か後方をついていくだけでした。
 「ねこ展」の展覧会にはご夫妻で訪れてくださり、プロ並の腕で記録写真を撮って頂いたのはもう5年前のことです。 その後とうとうひょうたろうちゃんには会えずにいたことは、なんとも心残りでたまりません。 
 私の知る限りこれほどに穏やかにかしこく、沢山の人間を慰め楽しませてくれ、また愛され、語り継がれるだろう猫はいない。 これからもどうか、美しい楽しい写真集のページを見せ続けていただきたい、と心から願います。 そのことを、天国から見下ろして、ひょうちゃんもきっと喜んでくれると思います。 

 生者必滅、 願わくば花の下にて春死なむ…、 死もまた発展のひとつなり、などが頭のなかを過ぎります。 しかし、別れはいつもあまりに哀しい。 春はやはり、言い得ぬ憂いを知る季節、そして生きることを振り返りまた、一歩づつ、歩を進めてゆかねばならない季節なのしょうか。 
 
 哀悼、感謝、永遠、...猫のひょうたろうちゃん。 長い間本当にほんとうにありがとう、これからもいつもみんなと一緒にいてください。   4.13(日)



不穏な春
 先日東芝府中の実験タワーの事故で、6機以上の大型ヘリが長いこと飛び回り、真ん中にちっとも動かない一機がいた。 未確認の飛行物体または、北から東芝の頭脳を盗みに来たのか、と驚いていました。

 さて今朝は停電、近くで煙と焦げた酷い匂い、すわ、テロリズム?と驚きました(電気がこないと、便座が氷のようです〜)。

 携帯ラジオをもらさず聴いても、NHKは何も報じない、雨で桜が散るなどと、男女のアナが面白可笑しく長いこと話し合うだけでした(怒)。  親族によるとTBSが交通情報で流している、やっと駅の変電所の火災による停電と知りました。  表通りは赤や白の車が大集結、駅に向かい歩く傘の人の数は溢れて続き、ただ事ではありません。 

 電車は一向に動かず、私も昼からの予定が狂いました。 停電は復旧しても、ネットとテレビがつながるのは3時過ぎ。  大動脈中央線の運行の復旧に7時間では、JRは汚点を残したというものです。 

 私鉄ではこんなに事故は続きません。 「公」的な者のたるみ怠けは、いずれ日本を滅ぼすかもしれない!  焼けたケーブルの火元の場所は、薄汚れた小さな建物で、現役の重要なものが収まっているようには見えなかった。 きっと、長いことメンテもせず、埃だらけ状態にほっておかれたのではないでしょうか。 
 
 住居のそばに、2万2千ボルトの変電所があると初めて知りました。 永く住みたいとは、思えない場所です。 4.10 No.2


父札所めぐり
 先週はスケッチ一泊研修会に参加、天気がよく木の花満開の美しい静かな里でした。 白梅、紅梅、姫もくれん、さくらに椿に水仙それから...と、秩父は花が一度に咲く春です。

 
 
 武甲山はいい山です、荒武者のように迫るが写真ではその威容は現せない。―なるのだろうか、絵には。
 同行の山本明比古先生はチベット・インドがモチーフ。 武甲はチベットの五体投地のカイラーサ山に似ていて、特に好きな山なのだとのこと。 山はアジアでは信仰の対象、チベットではいま苦難と混乱のさなか、こんなのどかな旅をしているのが申し訳ない気持ちになる。


 
 埼玉は世界的な化石の宝庫です。海底だったころの地層から現れた海山の生き物たち、町営の化石の博物館が大量の化石を見せてくれた。さきたまはまた、太古を感じる国でした。

 
 鉱泉のお宿の夕食は「牡丹鍋」と「鯉の洗い」他の野趣あるご馳走が…、猪ちゃんのお肉は柔らかく美味でした。
 マイクロバスも使い寄り道しながら、34のうちの11の札所を二日で。すべての札所めぐりだけなら四日とのこと。 途中ヘルメット被っての垂直移動の鍾乳洞めぐりなど、歩きも含む運動量は十分で疲れが快適でした。 4.10(木)


花祭り
 お釈迦様の生まれた日を、思い出す人は少ない。 クリスマスのあの喧騒とくらぶべくもありません。 
 子供のころ丸山観音というのがあって、山の中のお堂に老人が集まり花祭りを祝うので、祖父に会いに行きそこであま酒をいただいた。 木の芽が芽吹き、山吹が咲きはじめていた小高いあのお堂は、いまはどうしているのでしょう。
 旧くからの行事、何かへの感謝や畏敬の心がきえ、日本は異国になりつつある。
 尼寺の花祭りには出かけるようにしていますが、今日の嵐のような天候につい、出足鈍りました。 尼様、じいじ、ごめんなさいね。 今日は写経をします。  4.8(火)
 

江戸の川
 晴れた日古い仲間4人が久々出会い、隅田川沿いの花観に。
 ゆっくり見たのは川と船と浜離宮、ビールと焼きたけのこで小宴会をした。



   
 ここでは「すみだ川」とか「大川流し」とかの昔風情の歌などおもいだします。カラオケにいくと歌う、ひばり・千代子の歌、なるほど、大きな川です。 

 ♪ひとつ花びら ひとつ花びらふたつ紅
  春の大川の。。。

 白いカモメも飛んでピンクとブルー、菜の花の黄色と春らんまん。 浅草のビックリの人並みに負けず切符買いに走り、水上の景色をそれなりに楽しめました。 春憂の春も、わるいことばかりでないですね。 

 
               2008.4.5(土)