九月が終わります。

 冷夏とはいえ暑かった夏の名残りの九月が終わる。
 
 なんといっても今年の秋は今年だけの秋、楽しむのがいちばんです。
  


  2009  9.30(水)



地卵
 
実りの秋の農協さんは賑やかです。 駅近くの店は野菜のほかに、ブルーベリーソース、くりの実も卵も鉢植えの花も出そろいました。 開店前から人が並ぶ、早い者勝ちの品ばかり。
 ここでよく買うのは谷中生姜です、きれいなピンクと生姜色の根と元気な葉っぱは惚れ惚れの秀作、しかも安い!
 
 地卵を買うと、ときどきお菓子類の容れものなんかに入れてある。 入れるだけ入れて二百円?  八個入りの容器らしいが、隙間があったからもう一つ、という感じ。 黄身も濃くて新鮮な手ごたえでお買い得。
 新米で卵かけごはん、そしてアミの佃煮、...これがおいしい。 父の好きな高原ダリアの花も、たくさんあったのでお供花に求めました。

        

    9.28(月)



あきまつり
 
お祭りの舞台が終わった。 課題曲はおなじみ『京の四季』。私としては『ひなぶり』で花魁になりたかったのですが、大衆的な場所柄、地唄より上方歌に決められました。 
 
 この曖昧な季節は衣装が悩み。 着物は6月と9月が単衣、たった二カ月のため絹織物のひとえも必要というのは実に贅沢な慣習です、本人の体質で今は何を着てもいいと思うのに。 着物がマイナーになってしまうのは、むべなるかな。

 ここずっと涼しくて袷と決めていたが、夏に戻ったので急きょこれしかない! と伊勢丹リサイクルのやわらかものひとえに新しいアイボリーホワイトの博多献上。 
 袷の織物・小紋の普段着ばかりでまだ手持ちが少ない。 染めの単衣は薄くて動くに着心地がいいし、見てきれいなのだ。 扇と帯締めを水色に、色だけはなんとかなった。
 
        
     
  
    古い手縫いのひとえ               京扇堂の九寸扇

 
同級生が下町っ子の友人と見に来てくれたが、先駆けに舞った紋付・袴の先生の『老松』に大感動。 鶴が舞い降りたかのような格調ある美、柔らかい手、崩れない腰、と、無料で見るには有難たすぎ、残像が残りすぎてその後の弟子たちは総て霞んで気の毒に見えたほど、というのである。

 下町育ちの人は総じて三味や踊り好き、目が肥えていて批評もしっかり、そして終了後は先生を携帯に撮り本人に見せたり、ファミリアなのである。

 袖方から拝見して、地区センターのホールでなくこれはもしや能楽堂の国宝級の舞ではないか、と今年も私たちは驚愕。 先生は、凄い...ひそかに、お家元以上の実力といわれる方なのだが。。歌舞伎も、舞も、血筋優先の世界です―。 
 
しかし親友に姿はともかく、男っぽい舞だった、と評され悲しや悔しや、〈はんなり〉が身についてはいないらしいアルプスのハイジ―。 
 気がつかなかったことばかりで、これからの目標は心を入れ替え高くします、友だちはありがたい。   9.27(日)





風立ちぬ

 

 九月の半ばには風も変わり、外に萩・ススキが揺れて涼しくて気持ちいい朝が来る、夏の厳しさを耐えたご褒美のように。

 展覧会の搬出の日、知り合って間もないちぎり絵作家のさゆきさんが、世田谷時代の話で弾んだためか、美味しいてんぷらをたくさんくれた。 新宿西口のアルバイト先の蕎麦屋さんで、てんぷらを揚げているそうだ。 食べ過ぎてかなんだか少し太った気もするから、数日は低カロリー食にしよう、と言いながら脂の乗った大きなサンマを昨夜はぱくぱく。。  祭りのための稽古で、初めて指摘される個所がまだあって少し焦る、[同じところを一万回]―、がふと頭をかすめる...、難しいものなのだ伝統芸能って本当に。  かなりのエネルギー消耗をしたのでした。

 新宿まで前のようにはいかなくなったが、買い物に疲れるとお茶で足りず、箱ずし に行くのが決まりなのだ。 箱ずしは、二十代のころからずっと変わらない、変貌する西口で貴重な長生きのお店。 行くとたっぷりのお茶が出て、「屋形」いっちょういただくのだ。 屋形船ふうにお皿に乗った押しずしはエコノミー且つ、シャリがほの温かくおいしい。アラ汁をつけるとなおオイシイ。 今の季節は秋刀魚押し寿司もある頃。 売り専門の店だが内部に謙虚に、テーブル席が6〜8人分あるのである。 
 でもこれからは、麺類なんかもいいかもね。 9.20(日)




フランスも暑かった。


 
      
フランスねこ           ニホン猫 

 今夏はフランスはなんとまあ、38℃が続いたそうです。 38は大変な数字です。 真昼は通りは歩く人の姿が消え、日が暮れてからやっと一息ついたとのこと。  緯度の高い欧州は涼しい夏、との印象も変わります。 

 しかしこの知人からの暑中見舞い、金魚鉢入り猫様は迫力ある、私を思いだし買い求めたそうです...が、ちょっとこわい。
 異国暮らしが長くなると、だんだん日本を恋しくなるそうです。 帰国した折は舞の初歩を教えてほしいという猫仲間に、日本的な葉書を送りました。   9.18(金)





五耀会東京公演

 本来は習い事でない、舞台芸術としての日本の伝統芸の舞踊を広めよう、との第二回公演。 舞踊は女性のものと思われているが、家元は男性が多い舞踊の世界。 歌舞伎役者とそん色ない美しい女形、せりふ語りの入った舞踊を楽しんだ。 流派を超えて40代の働き盛り5人が旗揚げした頼もしい舞台でした。
 国立劇場大劇場はほぼ満員、玄関埋める着物姿の美しさ、猫柄の帯に猫着物まで―。 舞踊家筋の華やかな社交場と化していた。
 
 今は着物はひとえの季節。 見ているだけで秋を感じて楽しいこと限りない。 私たちは修業の身、スカートにパンプスでちとさびしい。 でも、話が込んで帰宅は11:30過ぎは頑張りすぎだが、コーヒー一杯で話が終らないのでしかたない。

1.の地唄 葵の上(上方舞山村流 山村 若)では、儚げに愁いを帯びた表情で、源氏の君の正室、葵上への悲しい性である嫉妬に苦しむ六条御息所を舞う若宗匠。 蜀台に几帳のあしらいもシンプルで美しかったし、欲目でなく息をのむ美しい雅びの舞姿は圧巻、この日は家元の実力を再確認した。 花柳基さんの武家らしいきびきびした踊りも眼に残り忘れられない。 着流しの着物に袴の衣装も端正・清潔、日本の抑えた中間色って、本当に美しいものです。 消えかける畳と着物のよさにいつか、多くの人が目覚めてほしいものです。     9.15(火)
  

 

金曜の夜
 
花キンとか言われた楽しくミステリアスな夜は、電車の事故も多い。 先週金曜も人身事故があり、電車が止まってしまった。 以前兄がくれたミニラジオがとても便利で、遠出の時は持ち歩いて交通情報を聞くのだが、金曜の移動は地下鉄が多くあまり役に立たない、グヤジ〜!
 乗り換え駅のテロップで知ったその時点で、頭は最速で代わりの移動手段を考える。  どれかの私鉄に乗り換え帰宅すると、バスにも乗れば時間かかりおカネもかかる。 
 人に言えぬ事情で世をはかなむ時は、ほぼ何も考えないそうだがなるべく、電車はやめてほしい。 
 不名誉にも先進国では自殺者の多発の肩こりの国の我が国。  自殺者数第一位は山梨県なのでギョッとしたが、これは、富士山の樹海に原因があるそうでした。
 
 ところで私鉄は事故も少なく車内放送もきめ細かく、振替で乗るたび転居したくなるくらい。 初めて女性専用車に乗ると、夜更けでも皆くつろいでいるように見えた。 疲れていても好奇心いっぱい、面白くて女装の異物はいないか見まわしたら、背の高い痩せたまぶかな帽子の人ひとり。 足元を見ると靴は女性、性別不明のときは履いている靴ではっきりする。
 『私鉄沿線』とかいう歌があったが国鉄沿線、なんて歌にもドラマにもならないのは理由があるのかも? 
 古い体質が残る巨人JRは、自民党、JAL、官僚そしてかつてのソ連と同じ。 危機感がなく横柄で工夫がないので時によろける。 で、頭ポカリ、をしたくなる。 そのうちまた、時代とともに変遷していくものと思うのですが。  9.14(月)



美味スペイン風オムレツ
 
土曜夜、若いイラストレーターさんたちとのお食事会にゆく。 この週は稽古の続いた日で、疲れていたが顔合わせも大切。 
 4〜16日までイラストレーターさんがオーナーの三鷹の小さな画廊(ギャラリ―犀)で、「小さな額絵の大展覧会」を開催中。 手のひらにすっぽり位の小さな額絵が中心の40人余りの作品展で、今年初めて参加した。 イキイキときれいなアラフォー中心?いえ、二十代もその他も? そして男性は、わ・ず・か。 女性はどこでも元気です。
 若い話題に耳傾け、食べておしゃべり、名刺交換をして楽しい宴会だった。 デザインの人たちはこんな時代でも、そこそこ企業からの仕事があるようでいいことだ。 パソコンの時代、絵の具を扱う画材店も激減して、身の回りには多いが実用的でない油絵作家は少数派です。

 ビストロでいただいたお料理、クスクス添え柔らかビーフステーキ、そしてオムレツが特に美味だった。 卵焼きなのにマカロニグラタンみたいで、海老がコロコロとおいしくて、チーズと生クリームがなじんでいて、再現したくなるおいしいお皿でした。  9.8(火)
 
 

女優の最期
 この夏の出来事に大原麗子の昇天、最後は孤独で夜中でも電話を掛けまくり、とうとう友人も遠ざかったという。 
 同世代で気になっていたわがまま女優は、お手伝いさんもいない独り暮らし。 長く難病だったらしいが、数年前、テレビで夜の街を遊んでいた姿が観た最後だった。 しゃぶしゃぶ屋さんで一口食べて、もういらない、という。 翌朝は、ほっぺをへこませチューブのゼリーを吸い、これがいつもの朝ごはん、という。 何といういい加減な食生活なのかと密かに失望したのだった。
 週三度気の合うお手伝いさんに買い物を頼めば、フレッシュトマトとチーズオムレツとコーヒー、はちみつトーストを作るのは難しくはない。 食に対する情熱を失うと、内臓が弱り気力も失せる。 友達だったら助けにいったのに。
  
 ビビアン・リーも、晩年精神を病むようになり、ローレンス・オリビエとも離婚、ロンドンのアパートで孤独死した。 『風と共に去りぬ』、『哀愁』、などでの人形のように華奢で忘れ得ぬ美貌の女優だったが、その最期に衝撃をうけた。
 
 小悪魔的な女優麗子さんは、もう、この世から消え灰になってしまった。 それなりに輝き、幸せな日々もあったと想い、ここで完結したのなら憐れんだり哀しがったら失礼になる気がします。。。9.6(日)





スローはのろま?
 
昨日であらましのことが終わった。 年々期限があるものが重荷になってくるのは困りもの、よりスロ―人間になりつつある。 でも今は、即席ものが主流で、道草なしに疲れてしまう人、心を病む人が出てくるのです。 早いこと、新しいことだけが重んじられる辛い世です。

 燭台の明かりの中で舞った昔ながらの地唄舞は、超スローの世界です。 眠くなる、とせっかちの人には表現されたりする。 体力は要りますがこの超スロー世界に、時に身を浸す快感、貧しくも、ありがたや〜。 でも、早い調子の明るい長唄もいい...、つまり初めてのものを覚えようとの頭と体のフル活動が健康的。音の楽しさ、おんがく、鼓の音なども心には癒しです。

  
夏は蛍(地唄)

夏はほたるの ともし灯に

 みじかき夜半を くよくよと

 泣き明かしたる ほととぎす

 仰げば顔に はらはらと

 あれ むらさめが 袖うち振りて

  よいよい よいよい よいや〜さ


9.3(木)





夏の嵐
 台風もくるというので、むかごを採りむかごご飯を作る。 ことしは葉が少ないぶん、ころころ良く付いている。 むかごごはんはほくほくおいしいというが、何かもの足りない、これは珍味だというが、おいしいものなの?
 で、残っていた蟹缶とお酒を混ぜ炊いてみると、美味しいカニむかごご飯となりました。 谷中生姜の甘酢漬けをみじんにして、ちいさな秋の始まりー。

 
選挙が終わり静けさが訪れて秋が見えた。   ふと、美濃部都政の〔福祉時代]を思い出した。 豊かでも貧しくも老人には無料のパス、大盤振る舞いで喜ばせ、財政は破たんして行き詰った。 
 誰でも、それに相応する代金は感謝料として半分なりでも払うものではないか(ト、オモイマス)。 無料・支給に甘え、働かなくなりアル中患者続出の海外の例もある。 タダほど愚かなものはない、施される身を恥としない人間が増えるだけ、雇用対策こそ先決。 

 でも、「変化・交代」はひとまず歓迎、錆びない、淀まない、奢らないための発展を、頼みます。   9.1(火)




隣のビルのおとめちゃん
 
隣のビルの住人のネコを探すビラが住まいの掲示板にあった。 今度の管理人さんは、かなり優しい人です。
 写真は可愛い美猫、穏やかな性格らしい。
 近くの猫のたまり場と、猫のエサやりおばさんSさんのことをお知らせしたら、もう知っていて写真も渡したのだという。 他人事でなく、電話したのだった。 はなこは脱走して廊下を走り回り、私は裸足で追いかけ尻もちついて捕まえたこと、二回。まったく人に見せれない姿。
 猫は、心臓に良くない、昨日はベランダで足長蜂に飛びかかり、刺されそうになり必死に抱いて逃げたし、追いかけてジャンプして落ちたらおしまい―うう。今朝は蝉が来たので大騒ぎ。
 
 電話の向こう猫のような優しい声の女性が、うちのマンション裏で最近見かけ、餌だけ置いてきているのですとのこと。 つまり、逃げ回って掴まらないのだそうな。
 13歳のメスのおとめちゃんは、昨年来たばかりで、子供の時代を過ごしていない家から脱走した。 昔氷に閉ざされたため昭和基地に置き去りされたリキたちのように、育った場所を求め、開いていたドアから抜け出し、近所を彷徨っている。 でも葛飾の寅さんのように、遠方に放浪しない女の子でよかった―。 
 自由生活三週目になり、そろそろ優しい飼い主のもとに戻れるといいです、可愛いおとめちゃん。    8.28(金)




『秋の色種(あきのいろくさ)』(長唄部分)

 
うつしごころに 花の春

  
月の秋風 ほととぎす

  雪に消えせぬ 楽しみは 尽きせじ 尽きぬ
 
  千代 八千代

  常盤 堅盤(ときは かきは)の 松の色

  いく十返りの 花に 詠わん―。


 港区麻布あたりは、江戸時代は広い草の原だったといい、そのあたりの秋の風情を歌った長唄『秋の色種』。 秋はそのころもっと早くやってきて、月も大きかったろうと思う。    8.25(火)




朝の窓
 
線路の向こう、十階くらいの住宅で、ベランダいっぱい大量のグリーンの有る家がある。 ベランダには通常水道栓はないからあの家も、朝夕の水やりは大変だろうね。 犬猫もあんな感じの家には居そう。 
 いま二日水遣りが切れると植物は枯れる。 増えてしまったグリーンにまた、知人が自宅の庭から実のついた木をいきなり運んできた、こんなに重いのをー。 何の実か聴かにゃ。  
             

 しかし夕ベ虫の鳴き声、ススキも穂が出て、秋の気配は僅かに感じる。  8.21(金)
 
 

浴衣と手ぬぐい
 
            
              
ネットで探した稽古用手ぬぐい

 切らないままでいたら髪が伸びた。 纏めて結わえると鉢巻をしたような気分になるものだ。
 気がかりなものが一つ仕上がり、久々美容院でヘアパックをしてもらったら、毛先は来週一センチ切りましょうといわれた。
 首頚椎の7か8番が、徐々に詰まってきて異常をきたすというが、首を傾斜しパソコンワークばかりしていて頚椎ヘルニア一歩前になったことがある。  指のシビレに苦しみ、前に職場に手術までした人がいた。
 姿勢が正しいと筋肉に負担がないので、肩首もこらず異常ないというが、がデスクワーク者は、正しい姿勢は保ち難いものだ。
 和服を着ると背中が引っ張られて頸筋もまっすぐになる。 陥没しかけた首も少しは伸びてきたような「気」もする。 なにがしかの緊張は、必要です。 
 
 冷房や熱気から体を守り、脇からは風をくれる浴衣は、風土に合った快適な衣服である。 染がきれいな手ぬぐいはハンカチより高価なものもあるが、汗の吸収がよく薄く、持ち運びによい。 そして古くなれば尚、使いやすさが増すべんりもの。 やっとこんなことに遅ればせに気付いてくる。 夏の涼しげな衣服は自分のためであり、また周りの他人のためでもある。 8.16(日)



近況報告
 最近は地震の揺れと暑さで、目覚めがかなり速まった。 知人に近況くらいは、といわれていて、ウェブに書き込むというのは、習慣づけないといやになり難しいと感じた。

 8月10日の「施餓鬼会」とは、子孫尽き、供養されることなくさまよう魂を祖霊とともに慰める法事である。
 以前美術学校の彫刻の棟で、線香たての穴のある墓石が、素材として山積みされていたのを見た。 供養する人が絶えた家は、無機質に消えていく。 この行事は、さまよう数え切れない霊を鎮め、馳走を供え祈り、速成仏するよう促すのである。 
 
 八月はとみに嫌いになった。 御巣鷹山も、広島・長崎も終戦も、恐ろしい「ホタルの墓」も、みなこの月。 悲惨な戦争の思い出を語る老人たちの話を聞くと、最近はただ悲しくこの人たちがいいなくなったとき、日本人は無宗教化し祈りを忘れ消滅する気がする。


 早朝のFM放送でヘンデルのメサイアを流していた。 こんな季節に、歓喜のアーメンコーラスを聴くのは楽しかった。
 8・14(金)




夏休み

 
今月いっぱいノートは夏休みの予定です。 まとまったこと?をするためパソコンをすこし離れます。 きれいな写真があったらメモしたいですが。
 これから暑い日続き、みなさまご自愛ください。 8.1(土)





七月歌舞伎座昼の部

 さよなら と銘打つと、人は集まるのか最近は、切符はウェブでも一分一秒で奪い合いのようです、もちろん、高い桟敷席などはかなり遅くまで残るのですが。 
 夏は短めに昼の部も構成されたか、いつもより短めバージョンで御休み時間が45分も。 早起きして作ったたまごサンドが美味しかった。 サンドにミルクコーヒーは幕の内よりいけます。
 観たかった「夏祭浪花鑑」夜の部は、とっくに完売でした。
 
 1「五重塔」(幸田露伴 作)は、主人公のっそり十兵衛に中村勘太郎、大工の親方源太に中村獅童、住職に片岡市蔵。 谷中の感応寺五重塔の建築に命をかけ合った大工と家族の物語。
 五重塔の釘を使わない建築様式は、地震・暴風・建物の重力によく耐えるよう出来ているといわれ、日本の宮大工の技術はたいしたものです。
 この物語は中学生のころ読み、ほぼ忘れていた。 なんでものろくのっそりした、しかし、腕は超一流の大工が、嵐の夜、落成を控えた塔を見守り、暴風雨の後しっかり立っているのを見て棟梁を譲ってくれた親方と抱き合う、という最後は覚えていた。 
 若い爽やかカンタが、腰曲げてガニ股の初老の職人を演じますが、これ、父の勘三郎のほうが適役? 小汚い泥臭い役のうまいオヤジどのと比べるとカンタはすらりと綺麗な踊り上手、老け役もうまい彼でも夏は、若々しい姿を見たかったのであります。  職人たちにも侮られ、ぼこぼこにやられる、何ともおいたわしいことでした〜。
 獅童さんの大きな身振り、親方らしい剛気の雰囲気と大声が、平らかで緩みそうな舞台でのちょっとした香気、救いのスパイスみたいでした。 

 
2 「海神別荘」は泉 鏡花作。  妖しの世界が得意らしい鏡花ものはほとんど読んでいないのですが、設定は海の底の国籍不明の帝国。人間の娘を娶ることになった公子のセリフ劇で、長〜い台詞を聞きとるのは大変です。 この暑い時に、このセリフを覚える役者さんはエライ。 公子に市川海老蔵、人間界の美女に坂東玉三郎。 言ってみれば荒唐無稽な、ほとんどは二人の会話で進むのでした、がほとんど忘れてしまう内容。 
 このお芝居では、異国的な装置と衣装の楽しさと珍しさ。 そしてえもいわれぬ麗しい、二人のお姿に酔いました。
 頭が小さくて長身の海老様は、バレエ「白鳥の湖」の、ロットバルト(黒鳥の悪魔)のような、つまりバレエダンサーのようで、なにか喜々として見えました。 腰元達とステップして踊ったり―、ここは歌舞伎座? 日生劇場に来ちゃったのかな、と、おかしな気分にもなり。 
 三階正面、お値段(4,200円)以上に娯楽納涼歌舞伎を味わい、メルサの上でピザマルゲリータ一個を食べて数寄屋橋でショッピング、ついでにジャンボ宝くじ三枚買って帰宅。 宝くじ売り場は一番窓口はいつも長蛇の列です、で、ひっそりの7番窓口で購入(欲はないから、だから、2億円当たれ〜??)。    7.26(日)






夏景色
  
 
  南天の花は白く、実は赤い。 
  梅雨時からの花が一巡、ナデシコもインパチェンスもひと休み、夏襲来の一週間は展覧会、新曲稽古、久野先生の個展・講演と目いっぱい、でも植物も猫も人も、じっと暑さに耐えました。。
 
 ゴッホの絵に衝撃をうけ画家を志した、若い日からの映画のような半生、唯一の応援者であった母上96歳のデスマスクのデッサンにはたいそう感動しました。 あの状態でも冷静に、今失われる優しい母を描きとめる―、私は、写真を撮るが精いっぱいでした。
   
  ところで、ゴッホか―やはり。  アカデミー派の代表格セザンヌを、〔これは気違いの絵だ]、と言わしめ、なるほど視ていると狂いそうな気分になる厚塗りの色彩画。 
  棟方志功も、〔わだば、ゴッホになる]、と呻いて青森から上京、無心の絵で世界を圧倒したその根源の、牧師で親日家のゴッホ..。         7.21(火)



東京の盂蘭盆会
 
15日は尼寺の盂蘭盆会に。 年に一度しかないお盆の行事は参加することにしています。  家々の先祖の名前と戒名を、読み上げて供養をしてくださるのです。 そしてみなで長い盆のお経を唱える、後半は声がかすれて休みながら。 有難くお聞きするのでなく、参加して唱和するのは実家の寺と違う。 
 とても暑い日、吉祥寺からからバスで行く道筋は、井の頭公園の緑の続く通り。 ここは森が深く、湧水もあり森林浴の気持ちで行き来するのです。
 
 今年の盂蘭盆会の参加人数はいつもより少ない。 年々の高齢化が見えるようです、暑さと平日のためでもあるのしょうが。 この仏事の慣習もたち消えそうに、祖先への感謝・ご加護も必要なく人心はどこに安らぎを求めるか、という時代のさなかを生きているようで。
 ちなみに、盂蘭盆会はサンスクリット語のウランバーナの由来、〈逆さづりからの救い〉 であり、仏陀の弟子が餓鬼道に落ちていた亡き母を救おうとして行を行ったことから来ているようです。 
 これに関連するか8月10日は、施餓鬼会 せがきえ、の行事があります。  今の日本は食に困らない幸せな時代でも、幼いあにいもうとが、土まで食べて餓えて死んでいったあの、野坂昭如「蛍の墓」は、そう昔のことでないと夏になると思いだします。
 
   
 
法要のあとはスイカとトウモロコシと麦茶を頂き、観音堂をお参りします。 地下水を利用した省エネの御堂は涼しい、でもこの暑い梅雨明けの日でも、本堂は風が通り抜け冷房なしでも十分です。
 土の上近く木の家に住み、自然風で十分涼をとれるつつましい暮らしを思い出させる、お寺。   座禅仲間のYさんとは、ここでは若者なので庫裏と本堂を行き来して、お手伝いさせていただきました。 
 ・・・法要中、百合の花から落ちてきて私に向かって真っすぐに来たカマキリの子供が気になり、こ、こないでっ!はらはら。  やはり、クモとありんことカマキリは、苦手です。  7.17(金)


スイカ
 今年もやってきた炎暑の日、はなちゃんが板の間で行き倒れになる夏、いっしょに冷たい床にホホをつけ、行き倒れ仲間になるのです。。 このところの暑さには、スイカがしみじみと美味しい、オイシイ。  
 ねこも夏になると乾いたカリを嫌い、朝は猫缶でないと食べません。 猫の汗線はないらしく「体臭」がない、臭うのは発情期のオスのスプレーだけです。 で、はなは天日干しの麦藁のような、懐かしいいい香りがします。                    
 摂った水分はほぼ、おしっこになる模様、これは時間がたつとトイレでアルコール臭となります(砂かけしない12年!)。 でも猫砂は脱臭剤も入っていて、固まりをまめに除けばニオイが広がることはありません。
                

 歯医者さん通いしてほどなく、歯ぐきは締まって元どおり、歯磨き出血がぴたりと止まりました、驚く変化です。
 胃にはピロリ菌、歯には歯周病菌が増えてゆく、後者はしっかりの滅菌で根絶可能、だから、まめに歯医者にゆくべきでした。   あとは指し歯の裏側、欠けた部分の穴を埋めるだけで済みそうです、心配したほどではなかったのでひと安心。  
 でもこれからは、硬いものはなるべく避け食べないようにと忠告された、歯と骨は加齢で弱まるのです。。 
 親や叔父の食事は晩年、どれも時間をかけて柔らかく煮込んでやり、何でも小さくカットして出すととても喜ばれた。 今度は自分たちの番になった、ということです・・・(感涙)。 
   7.14(火)
 


たなばたの夜
 今年の七夕の夜は月が秋の名月のように見事でも、天の川は見れない。 見上げる天空あたりに薄いミルクを流したような、われらの銀河の悠々の姿があるはず。 でも目を凝らしてもぼんやり明るい夜のそらに、大きな星と丸い月が見えるだけ。。    
  
 そうだ愛之助の踊りでも、と、ビデオで≪芸能花舞台≫の清元の『流星』を観る。  
 ご注進〜! とやって来る流星のおかげで彦星織り姫のデートが、さんざんになるという雷一家の夫婦喧嘩のコミカルな踊りだ。  
 教育テレビのこの番組は、 最近司会が中川緑アナウンサーでなくなってしまった。 ショートヘアに気取らない着物姿、姿勢の美しいのが目立ちました。 歌舞伎役者さんや邦楽関係者との素直で的を射た会話術を、毎回楽しみにしていました。  現在のアナは、どうも笑顔が不自然?に多すぎる。 黒子はもっとクールでいいのですが、まあ、一生懸命なのでしょうごめんなさいね。

 中川アナ 「愛之助さん、踊りはお好きですか?」、 すかさずにこりと愛之助さん、「はい、とても好きですねえ」、 と関西なまりのお返事を。 
 二人並ぶととてもいいかんじ、中川アナは独身でしょか、私がラブちゃんの母なら彼女の両親に、きっと会いたくなる、「お嬢さんをいただきたいのですが」、な〜んてね。

 二年前のものですが 面をつけ替え四人を踊りわけ大熱演の愛之助さん、解説の水落潔氏は、上方歌舞伎復興の役者として流れ星でなく星、スターになってほしい、と応援しています。   ゴロ助おやじと女房と、婆と子どもの、面の踊りは大変楽しい踊りです。   7.9(木)




夏の花

 茨城の家に夫の定年と共に転居した同級生、地野菜を送ってくれました。 都会育ちだけれど草取りなどがんばってます。  うちにお嫁に来てほしかったな。
 泥つき野菜は市のJAでも売っている。 根ものは泥つきだと日持ちがよく、香りがある。  農家の花は200円で百日草に矢車草にと混ぜさし、きれいだがいまは水を毎日変えてもへたり気味です、やはり夏の切り花は百合と菊がいちばん。  暑かろうと寒かろうと平気、しかも匂いも姿もきれいな花は立派です。  
  そろそろ白いカサブランカ、お盆の法要も近いから尼寺に予約を。 

               

        茄子食べて                       江戸紫咲いて

7.6(月)




半夏生
 
夏至から11日目からの数日を、半夏生 はんげしょうというのですね。 薬草の半化粧(夏生)が咲き、稲のぐんぐん伸びる季節、根を張れ根を張れたこ足のように、とタコを食べる習慣があると知ったのは最近です。  

 たこは里芋と煮ると芋がやわらかく、赤くなり味が染み美味しいし、わかめときゅうりとの酢の物もいいかんじ。 沢山含まれるタウリンは目にいいとのこと、猫のカリカリにはこれが必ず入っている。 
 はなちゃんは夜用の大きい瞳をしていても、ちかごろ昼も夜も眠ってばかり。 でも食べっぷりはとてもいい。「くうねるあそぶ」 が商売で。
  明石の蛸は柔らかくていい匂いがする。 時折生協で扱う時は、高くても注文します、店頭では、モーリタニアから来たたこさんが多いので(今日のは外国産...)。 

 

    小雨に煙る。                     アジサイは皆きれいな名前がある。


 先週は金剛寺高幡不動尊の紫陽花まつりへ。 花はもう終盤でしたが、今年も護摩供養をしてもらいました、また暑い夏を乗り切らなくてはなりません―。 
 
不動明王の前で高く燃え上がる赤い炎を仰ぎ、木の燃える匂いを嗅ぐと、太古に還り命をゴシゴシ洗う如き気分になります。 
 密教のご本尊は大日如来様。 不動明王様の姿で、あの世でなく、この世でのご利益と、生きることを楽しめるようにと民を守っておられます。  宝物殿(300円)で若い僧侶が、平安からの歴史も一緒に長いこと説明してくれました。   7.2(木)
 


名優 片岡仁左衛門

  新小岩にある江戸川総合文化センターで、お相撲の地方巡業とおんなじ歌舞伎の地方公共劇場のための公演「義経千本桜」 を観劇。 ことし東コースが松島屋さん一門、評判のあたり役、すし屋のいがみの権太を演じる仁左衛門さまに魅せられてしまった。 孝夫時代とボデイラインもあごのラインも変わらない。 活きのいいこと美しいこと、そして気品漂うことこの上なし―、たかが河原乞食と侮ることなかれ。 役者貴族のようなお方ですが、コミカルなのもうまい、年齢は本当なのだろうかと考えてしまう。
 歌舞伎役者を嫌い、という人の言い分には、何さまだ、といいたいような偉そうなところ(見えるだけですが)がいやだとのこと。 確かにそうみえそうな人は多い、女遊びがあっぱれの人もいる。  御曹司らは子供のころからとても大切にされてきていて、世間知らずでダニのようなのも張り付きやすそうだ。 でもこの人ひとりで、何人もの人間、役者や関係者が生活できる仕組みの歌舞伎界。  知る限り、松嶋屋片岡一門はみな明るく、腰が低い、威張ってみえない。 先代の三男の15世 「仁左衛門旦那さん」、は一門に尊敬されている大切な方だという。

  愛之助さんも奮闘、出番は多かったけれど、一緒に舞台に上がると父と子ほどに演技の差は歴然。 まだ無理もありませぬが三十年後、60代になったラブちゃんが、立派に後を引き継いでくれますよう(ふたりは面影が酷似しているので、一時隠し子説などありまして)。   でもそのころ、わたくしたち世代はよぼよぼ、生きているかも不明だけれど、頑張ってみますわ… 歌舞伎座も建て直してエレベータ & エスカレータも付けてくれるそうですし。。

 6.30を皮切りに、一か月都内・全国を回ります、歌舞伎役者さんハードなお仕事、本当にありがとうごくろうさまです。

 6月30日は夏越しの大祓い、近くの香取神社で茅輪をくぐってお清めをしました。 Sさんに連れていってもらった前の香取神社と違うみたい、「香取神社」とはなんなのだろう、幾つあるのだろう。
  近くにおお、木々のうっそうと〈こまつ菜屋敷〉もあったりして、お江戸下町は人間臭いまちだ。 緑の武蔵野とは、空気の匂いも街並みも何か違うんだけど。     7.1(水)



シネマ歌舞伎『牡丹亭』
 
築地東劇の玉三郎さんの映画。
 一部のドキュメンタリー風はとても楽しめた。 素顔での稽古とリハーサル風景、蘇州語発音の練習、当地での交流など、生き生きとしていて益々、玉さまを好きになる。
 二部は本番の舞台なのだが、この、異国の連続する高音程の音楽舞踊劇は、昆劇の特徴ながらテレビなら消音して視るところ。  振りだけで充分でした、低音は心落ち着けれるが、高音の連続は私には緊張を強い過ぎ疲れる。
 でも昔のピンポン外交とおなじ、演劇が、冷たい関係を和らげれることもある。  日本の歌舞伎と諸々の伝統文化に誇りを感じる。

 帰りに友人と宮川のうな重食べながら歯医者のお話。 やはり何度も悪質歯医者に苦しみ、インターネットで評判を聞いたところを尋ねてみると大当たり! よかったよかった。
 説明多く欲がなく、理念を持って治療する歯科医は自分で努力して探すものなのですね、どこかに必ず居る、のですから。     6.27(土)




歯医者さんその2

 二年ぶり、新しい歯医者さん通いが始まった。
 予約時間に行っても40分の待ち、でも、家庭画報やアサヒカメラ、クロワッサンなど沢山読みでのある雑誌があって熱中していました―。
 〈大学病院連携医院〉のほかに、〈K警察署指定医院〉の看板もあるここは、刑事事件に歯型の照合など、ケイサツへの協力も? また治療中市の歯科衛生担当者から電話が入るなど、なにか忙しそうです。
 大先生は70歳近い白髪紳士、患者さんとの相談、優しげな語りが安心させられます。 口をあけてお任せする患者は、不安なものですから。

 X線撮影後、状態の説明に。 自分のガイコツっぽい写真は怖いものですわなあでも、写真を視ながらの説明など、いままであったろうか。  
 かみ合わせをカチカチ調べ、まず歯石取りとお掃除。 ゴミが挟まりやすくなるのは、若くない人の歯の特徴らしい、哀しいわ―。   はぐきが痩せてきているところ、フクロとかスポットとか、ここの穴埋めが今後必要らしい。 あぁ切ないわ―。 
 歯石とりの後を丁寧に二回消毒され、ではまた来週。  口内の傷に対し季節柄、抗生剤を三日分と胃薬が出ました。 血圧や鼻の病気、薬アレルギーはないか健康状態を聞かれましたが、血圧は平常、先週の市の検診でも130−80。  野菜とおさかな、赤ぶどう酒とチーズのつましい食事のたまもの? 

 初診日は検査も多いため高額な治療費だったので、お薬代にX線検査で二千円台は予想外。 余ったおカネで欲しかった小玉スイカを買えました。
 歯科の診療できちんとレシートをいただけたのは初めてです、ずっ〜とドンブリ勘定に慣れ切っていたー。 
 
 医師の免許なしに何十年も、歯科医をしていた人が検挙されることもままあった。  名前も出身大学も知らされずに、歯医者を信頼しているだけの患者は弱者そのもの。 その歯科医師の中に不動産業者並みの営業があるとしたら、放置しておいていいのだろうか...。  
 6.23(火)



梅雨どき
 いま日本は水蒸気の島、湿気に煙っている島。  雨の日の室内は湿度50パーセント超えです。
 でもこの季節のおかげで、日本は米作りをし、食料に恵まれ生かされてきたのだ。  大陸の荒れた地の姿を見てくると、何処もここも緑に潤う日本列島のありがたさ、梅雨のめぐみを知らされる。

 菖蒲に杜若も紫陽花も、水があってこその美しい花、おかげでヒトも肌が滑らかなのだそうで。 韓国女性もいってみるときれいな肌の人が多い、それは薬膳料理も関係している気がしている。 朝鮮はナッツ類をよく食べるし、にんにくになつめにとうがらし、これらが日常的な食べ物でびっくり、健康な感じです。 でも犬の牧場があると聞き、やはり異国なんだなあ―。 近い半島も大陸の一部、日本みたいにやわではない。 強いものにも屈しない、その精神力がちがう。  

 うちの人口庭で、なんとべに萩が咲きだし、今朝はアサガオが開花し、秋と夏が一緒にやってきた。 ススキの葉が茂り、頭が混乱しそうな風情です。 
 朝顔はことしから、ヘブンリーブルーなど西洋のはやめ、日本の伝統の「江戸紫」、海苔のつくだ煮と同じ名前だ。  日本人の私は、これからの人生見れなかった日本をみんなまとめてしっかり味わいたいと思う。  ちょっとおカネもかかりそうだけど、う、なんとか、なる、でしょ。。。。   6.22(月)



歯医者さん
  
 6月は市の歯科検診がある。 この町に来て以来、気の合う歯医者に会えず、ずっと苦労してきた。 長い付き合いだった医院では、ほぼ挨拶に答えがない、説明をまったくしない、すぐにX線を取る。 エックス線は、しょっちゅう浴びたくはない。
 歯でも、病む弱い身に医者の沈黙は、患者を不安にさせるだけ。

 はじめ、保険医の看板を出しながらいつの間にか保険治療せずく、法外な治療費を請求した別の歯科医がいた。 ひと月三千円を超える医療費は、勤務先の健康保険組合が返金した時なのだが診療形跡なし、還付金はない、だからすぐ不正?は判った。 兎に角治療費が多すぎた。
 こんな場合は歯科医師会か、近所の保健所に報告するものなのだ。
 当時はおカネはあっても余った時間がなく、関わりたくないと泣き寝入りしてしまった。 不正は見逃さぬ主義の私でさえその時泣き寝入りしたのだから、患者をバカにしたこんなモラルの低い医者に遭遇する人は多いと思われる。
 

 今後付き合う歯医者さんは、きっと一生もの、やがて入れ歯までお世話になるだろう、と慎重になる。 医院の紹介は健康課は住所により近所の歯科医を紹介するだけで、評判や内容までは分っていないという。 もし何かあったら市に教えて欲しい、と相談を受ける始末。 掛かり付け歯医者推奨係の人も、医者個々について多少の不安感を持っている感じがした。

 東京医科歯科大学のあるお茶の水までは通うには遠い。 住まい近くにあれば、大学のOBの歯科を紹介してもらいたいと思った(以前筋しゅを切った某私大は辛い場所だったが、MRIを撮ったここの病院はドライで好きなのだ)。  紹介は大学でなく歯科同窓会の担当で、応対はとても丁寧で安心した。 がOB医院はやはり、少なめだ。
 完璧ではないだろうが国立は、おカネで入学した不安になるような人間(医師)はいないだろうと思ったわけ。

 市内は歩けば棒でなく歯科に当たるという、堂々の歯医者乱立状態。  その中でOBの三医院の紹介があったが、家に一番近いK医院に決め、夕方の予約時間に行く。 順番待ちの人もいて親子先生が、二人の助手と治療中だった。 清潔そうな広い待合室、これまでの医院とかなり雰囲気が違うなあ。  どうしてここを素通りしたのかしら。 

 受付でアンケートに記入し、大分待たされてから若先生の検診とお話し。  福福したにこやかな先生が、こんにちは〜、・・・アツいい人みたい。
 人間の第一印象は当たるときと当たらない時と、はっきり分かれる。 だが、いい先生だと信じて以後の治療をお願いすることにしよう。 都心のむかしの、腕のいい女歯医者さんなど思いだし。 

 「歯にはコンプレックスだらけです、口開くのも辛いのです」、と(涙ながらに)告白した。
 ハニーバンダムみたいに揃った歯の兄姉と違い、末っ子の私はずっと味噌っ歯、顎が小さくて歯が重なり、恋もできない悪い歯並びなの。  母はいつも、「この子だけは戦後生まれで、飴が出回ったもので〜」、などと弁明していました(あまり年取ってから産まないでね)。

 先生は、「そう酷い状況ではないですよ、なるべくある歯に頑張って働いてもらいましょう」、という。 この一言、好感が持てる。 ホントにいい人かも(腕もいいといいな)! 

 昔の藪医者は、すぐ抜歯するのが常套だったものだ。 今後の治療方針を一通り説明され、私から以後の治療をお頼みして肩の荷をちょっとおろす。 

 ああ気は若くても、視聴覚関係部品は正直、戸籍年齢どおり、古くなったなあ―。   
  6.19(金)


てふてふ
            

          

 てふてふが一匹 韃靼(だったん)海峡を渡って行った
                       
 安西冬衛
「春」 という題の詩の一節です。

 雨宿りにうちのベランダに来たチョウは、蛇の目がある地味な蝶。 裏庭や樹の下あたりでひらひら舞っていたので、ひかげ蝶、と呼んでいた記憶。 アゲハ、黄アゲハに黒アゲハまでここに夏はやってきたりする。 でもあの子らは忙しく動き回るので、カメラを向けるまでに行かない。 この子は明るくないし派手さがないが、懐かしい。
 薄い羽、小さな体の蝶は、ひそかに強い生命力を持っている。

 韃靼海峡を渡る蝶を思い、詠った詩人も素敵だ、この詩のこの部分は、多くの人に愛され膾炙されているようです。 
 人間は野生の生命力をかなり失って生きている。 加保護は生き物を弱くする。 人工な都市を作り、蓄えをする人間の生き方もまた自然の一部、先のことはよくわからない。 

 この蝶は雨がやんでも、半日以上もここで羽を休めていました。    6.14(日)



感染症
 新型インフル騒動も少しは治まったようす、でも、感染した人がいじめの標的になっているところがあると聞いて驚いた。 わが身を守りたいがため、戦後、結核患者とその家族を白眼視、むら八分状態にした時代と変わらない、にんげんとは、恐ろしい。

 感染症のひとつに  ビブリオ バル二フィカス いう聞き慣れない病気があります。 以前寄生虫症と(法定)感染症の患者の症例報告が病院・地方保健所から届く仕事場で、それらを毎週整理し、上げる手伝いもしていた。  世の中では、三面記事にもならない様々な病が発生していて、新聞社でもすべてをカバーはできない。 
 その数々の症例報告で、忘れられないほど恐ろしいと思った感染症が、ビブリオの一種、バル二フィカス菌。 

 感染すると激しい痛みが体に走り、瞬く間に両足両手が紫にはれ上がり、広がって腐る。 肝機能への対処のほか、患部については切断しか治療法がなく、死亡率はとても高いようだ。  SF小説並みの驚くべきこの病気はこれまで、あまり知られていなかったらしい。  二十年近く前、その症例については学会報告されたが、医療関係者の多くには知らされることも少なく、原因も治療法も判らなかった、今はどうなったかはあまり承知していないがネットで、かなり知ることができるようです。

 先日TV番組「アンビリーバボー」 で紹介されていたがこの感染症は、暖かい海に棲む細菌による免疫機能障害らしく、特に暑い季節の海辺での傷、生魚を食した時などに人体に侵入する細菌の仕業。 海水の温暖化で、日本に忍び寄る病原菌、寄生動物は、マラリア蚊だけでなく増えつつある。
 このビブリオ菌は、腸炎を起こすものよりはるかに繁殖が速く、肝臓疾患のある人、アルコール摂取の酷く多い人に発症していて、女性には少ない。 健常体であれば発熱・吐き気などだけでおさまるが、刺身の摂取の多い、肝臓障害者の多い日本では、この病気に罹る率が大きいと思われるのに、一般にはあまり知らされず、警告はされていないのは気になります。

 夏に向け、グルメな愛飲家はお疲れ時の生の魚にはくれぐれもご用心ください。  人は兎に角自分が大切、見えないものには酷く恐怖すると知り、考えさせられること多々ありです―。    6.5(金)



健康と情操のために?
 バレエ、ヨーガ、太極拳、そして地唄舞。 動くのが楽しいから続けたのは健康的で、いくつになっても何かしら、向上してどんどん変化していたいから。  それに年取るほど弛むだけ、何かを磨こうとしないで衣装やグルメにのみ熱中するヒトになりたくないから(辛口)。 どれも一生懸命でそこそこいったのでしたが、地唄舞は気の長い稽古ごと、師匠がずっと必要のようです。 

 今年の新橋の東をどりは、去年ほどは心動かされなかった。 踊りと舞に、大きな差があるわけではないけれど、何か単調。  燭台を挟み魂を舞う武原はんの姿がちらちら浮かんでしまうと、見せるという雰囲気、華やかさがあまりにも、異なるものに見えてしまい―。 

 わたしは根っからの野の育ち、はやり野に置け蓮華草―。  でもしかし、いまからでも立ち居振る舞いくらいは磨きあげにゃあ、と思っていますがお稽古場が遠すぎるー。  あの混んだ電車で元気に毎日、都心まで仕事に通っていたのでした。   でも疲れ果てたゆうベ、通過駅の多い通勤快速内で嘔吐する情けない姿の輩がいて、みな逃げ出す場所もなし、駅はまだか〜。  車内でおかしくなるほど飲んで楽しいのですかっ、こらあっ!  夜の電車は「気」も悪いのです。    5.30(土)



ばらの日
 
先週嵐の翌日、友だちの家の薔薇を見に行きました。少し遠いけれど車に乗せられ京成バラ園にもゆきました。 平日も人はたくさん、バラの花は人気がありますね。  ダイアナ プリンセス オヴ ウェールズ、プリンセス愛子、マサコ、などの種類もありました。 高貴な花なのです。
 
 
    自然で素敵、まりやさんちの薔薇たち、猫たちはあちこち外出中です。    


 京成バラ園にいくとすっかり夏日。 薔薇のソフトクリームが冷たくて美味しかった日です。 花を見ているとどんな時でも幸せな気持ちになります。 香りは早朝がいちばんいいようですね。
        

 

5.25(月)


豚インフル
 専門家は弱毒性といっても、マスクが売り切れているそうです。 こんな時は粘膜を守るのに、ゴーグル、サングラスは要りませんか?ネットではゴーグルが売られていました。 髪への付着も多いから、帰宅後は目洗い、髪拭きも必要では? エタノールをひと瓶揃えるつもりです。

 昨日沿線にも罹患者が出ました。 20日の歌舞伎座では、マスクの観客は少なく東京はまだのんびり。 でも新幹線などの乗り物を止めなければいずれこちらも、と思ってはいた。 
 関東の罹患者は、高校生の体験渡米、大阪にお笑いを見に、という理由の移動らしく、人により深刻感に差が大きくある。 
 感染研のウイルス部のOBは、先日、弱毒性から変化することもあり危険、とも発言していた。 もし次回、危険度の大きいウイルスの場合どう対処したらいい、どんなパニックになるかと心配です。 成田の発熱者だけに焦点をあてた水際作戦の失敗、担当大臣の緊張したお顔、ネコの目方針...、人不足もあるだろうが、なんだか国はあてにならない。 自分の身は自分で守れればいいことなのですが、人口密集地に生きているのですからねー。  

 しかしこの新型はどうも、若者ばかり狙いうち、高齢者にお目こぼししているのかも。

 自分のための口直し、関西のファン仲間の5月21日のショット(期間限定掲載)、京都南座の愛之助さん。この姿で白いポルシェを運転して去ったそうです。 切符があったら京都に行く、としよりは大丈夫。 それより若い垂れ目の愛ちゃんが病気になりませんように!
           
 5.23 (土)  
 





草刈民代
の引退
 
44歳になってなお美しい民代さんが先月をもって舞台を去り、現役を引退した。 世界のダンサーが競演を熱望したという日本の宝、その最後の舞台は観かった惜しかったー。
 
ジキルとハイドのようなおじさまの目をもハート印にした美貌のバレリーナは、映画「Shall We Dance?」で社交ダンズとバレエをすっかりマイナーにした。 数年前怪我をしてから、ダンサーとしての自分の終わりを見極めたそうで、今後は舞台・映画などで清楚なお姿を見せてくれることになる。 私と同世代の森下洋子さんはまだ現役続行中で、これまた素晴らしい。 

 見る限りでは学者と舞踊家には独身が多い傾向にある、特に女性は。 でもこの二人の並はずれたスターバレリーナは既婚、しかし後継者を産まなかった。 伝説の舞踊家たち(フォンテーン、プリセツカヤ、パブロワ、ヌレエフ、ジョルジュ・ドン etc)は、ほとんど次代へ続く子をなしていない。 親を超えるのは何でも難しい、この人らは、一代限りの輝き を与えられたアーテイストなのだと思う。

 
夫の周防正行監督とは兄弟みたいに似ている爽やかな草食系夫婦。 十数年前から、肉食をやめている事は知られていた。瞬発力でない粘りのしなやかさに、動物たんぱくは要らないのですね。 この活動休憩中、ちょい暇な夫は、厳しいバレエの脚のポジションを、しっかり決めれていて驚いてしまった。 彼は毎日バーにつかまり、妻に稽古をつけてもらったとしか思えない、見ればなるほど、女面のほうですし。
 
寡作の周防監督に是非、「武原はん、魂の舞」を映画化してほしくなりました。 これから何日かかけて心をこめて、メールを書いて送ると思う。 ダメもとでも、民代さん主演(数年で内股になれる)、共演はある上方歌舞伎役者(ふふ…)で、世界もあっと驚くような美しい、日本の舞の世界を見せてほしいのです。 どんなことでも夢みるのは勝手、自由、それはまあなんと楽しい(*^_^*)。
 外もの「フラガール」「Shall We Dance?」は大ヒット、ハワイアンも洋舞も女性たちには大人気、メジャーの稽古事になった。 それなのに、日本の民族舞踊の映画がないのは返す返す残念、納得できないことです。 芝居の小屋は多くても2,000ほどの座席、でも映画館は全国にある。 地方都市でも大都市でも遠い国でも何万の人が、一緒に観れる映画はやはり一番。 全国区にならないとどんな素敵なものも埋もれたまま、知ってもらえない。 嗤われても嗤われても前進したドン・キホーテさま、尊敬します。。    5.16(土)






花のさかり
 
いい天気に恵まれると、花が咲きそろいます。 先日いただいた禅寺のあやめは、翌日花ひらき、翌日は終わりになった。 琳派の絵のような濃紫のあやめが固まって咲くと、それはもう風に揺れる絵。
 
 
 
        去年市川から来たインク花
                                  
                                       
                おととし八ヶ岳から来た杜若

    

 去年葉だけだった実家の杜若は白いほうのだった。 30〜40センチほどの鉢で十数個も咲く大輪豪華さにびっくり! 肥料もたいしてやっていないのに、根っこの太さにまたびっくり。 ここが気に入ったらしい。 でも花たちはみな、咲いては散り咲いては散り、大忙し。 そんなに急いで咲かなくてもいいのに―。
 そうです花の命は、少女時代とおんなじだ、あっという間に終わってしまいます。 ゆえに愛しい、この世に長居は無用、というかのようです。   5.12(火)




旬の山菜・カラオケ
 
昨日なかまうちの打ち上げでビアホールにいった。 季節のものがおいしい今。 山菜7種の天ぷら、うるい、行者にんにくのお浸し、たけのこ薄切りにこごみと海老のオイル炒めなど。 でも、私の定番川海老のから揚げ、まぐろの中落ちが―お店に品薄らしいあまりにも上品に少量。 これは、家でゆっくり再現しよう。
 
 
そのあとは久々歌ひろば(カラオケ)にゆき、ひばりちゃんを歌った、「お夏清十郎」「千両舞姿」「江戸の闇太郎」&、「武田節」ほか。 同世代たちは、このようなひばりのマイナーな歌は初めて聞いたとあきれていた。 小学生のころ聞いた歌をしつこく覚えている私の脳細胞。 
 ひばりを子守歌に育ったわたくし、じいちゃん子のわたくし、知っていすぎる日本の旧い歌。  メジャーな「武田節」は歌いたい人が現れた、二番以降は譲りました。
 歌は体にいい、おなかの脂肪が燃えたようでなんだかすっきりしたかも。

    
お夏清十郎

  花の絵日傘 くるりと廻し
  歌を歌えば散る桜
  幼馴染の清十郎さまに
  寄せた情けが エエ 恋となる

   
   

       5.9(土)





薫風
 寒い暑いといいながら、麗しい五月となりました。 新緑に埋もれる家並みに、あっ、鯉幟りと吹き流しが...。 男の子が生まれて祝っている、幸せな家があのあたりに有って、タケノコを煮たり、お寿司を巻いたり、柏餅を食べたりしているだろうなあ。 
 でも男の子が生まれても、純粋培養しすぎるといつか マスオさん状態 にされてしまう、頑張れ負けるな、おじいちゃんおばあちゃん。 

 四国のねこ友さんから頂いた和三盆のみやびなお菓子は上品な甘さ、生産量の少ない貴重品です。 鯉のぼりも金太郎もいて、食べるのが惜しい、披露したいこの可愛さ。 
 歴史の国四国には、いろいろおいしいものが密かにたくさんある。 日本のお菓子は、干菓子も生菓子も色彩も姿も良く、ほとんど芸術品です。  

    
       
金毘羅様の国から            ベランダで越冬

 五月の連休を「ゴールデンウイーク」、と命名したのは、どうやら映画関係の人らしいと知りました。
 土曜もしっかり働いたこんな時、海外旅行など夢の夢、手軽な娯楽の映画を見て過ごす人の多かった日本映画全盛の昭和三十年代? 給与生活者もだれも、豪華三本立ての映画を楽しんだ。 でも、三本も見たら、どっと疲れそうですが―。
 大入り満員の連休の映画館、映画会社には、まさに黄金の週間。 当時の俳優はというと美男美女が総出演、クラッシックで楽しいストーリーでしたよね、適度にバイオレンスと情けが絡んで。 何度も見たくなる優れもの映画が、洋・邦に限らず本当に多かった。  

 映画館や講堂で、フィナーレの音楽に『終』の大きな字が出てフェイド・アウト、ここで一斉に拍手ぱちぱち―。
 これは、昔の村芝居や旅の役者へのお礼の気持ちの名残り? ほかの町や村ではどうだった? 映像に向かって拍手など、今は誰もしない、芝居小屋だけのことになりました。     5.1(金)




スマップ

 「いい人」を見て、一番いいなあと思ったつよぽんが、容疑者と呼ばれた。 なぜか家宅捜索までされた。 誰かに何かを集中してやったのでないのに、あれが犯罪なのだそうだ。  ドラマのように謝罪する悲しそうな風情に、ファンも女性たちもきっと心痛めたと思う、わたしも。(綺麗なおとこは嫉妬の対象になるのかも、特にブ男の権力者なんかにはね)
 専門家はこの状態を、ブラックアウトだ、と言い切りました。 アルコール摂取が多すぎると、脳の海馬に異変がおこるという、つまり一瞬記憶をなくすのですって。 
 飲み過ぎはいけません。でも草なぎさんは、仲間内でも秘密が多い人らしいと知って驚いた。 芸能人って、やはりちょっとこわい。 
 
 
    

 使い勝手が良くて三十年以上使い続けるカップ、 器を壊すことがあまりないので、食器がたまる―。 ブランドでもないただスーパーで購入したもの。 でも今度こそ、処分? 硬くて丈夫でひびもないけど。   4.25(土)





お濠のあたり
 
久しぶりに洋もの芝居、「赤い城 黒い砂―二人の貴公子」(日生劇場)を観劇。  ここは昔は馴染みの劇場、懐かしいところ。 でも最近の好みの傾向もあってすっかり足遠のいていた。  

 シェイクスピアの(マイナー?)芝居を、片岡愛之助と中村獅童の人気歌舞伎役者が競演。
 西洋式殺陣も激しい異国的色彩のものがたり。  獅童さんはどこか、往年の錦之助を思わせて〈オイラが主役〉的オーラを発散、舞台では引き立ちます。 彼は映画やこんな舞台のほうが向くような感じ、本人は歌舞伎が主、と言っていますが。 

 愛之助さんはなんと、国も友だちをも裏切るワル、怪しい目を光らせ、紙屋治兵衛とは正反対、すごい変貌だ。 策謀の貴公子まで、何でもきっちり演じます。  話は東洋のある国の、人間の本質をえぐる欲望や愛情のはての悲劇的結末で、さいごは二人は死んでしまう。 エキゾチックなこんな色彩と衣装の芝居は、昔はとても好きでした。 今こういう芝居を見ていると、せりふや色、音、衣装やしぐさのどれもが、歌舞伎の洗練と情緒をまた再認識させるばかり。   
 若い花形役者には楽しくて善いお勉強、でもやはり...なにかもの足りない(年配の、私よりずっと上らしおばさまが多い日生劇場)。 
 異民族の戦争の血の匂い肉弾のぶつかり合い、叫び声ほか、はらはら刺激的過ぎる洋もの。 「バレエ」もあまり見たくないし、あの「新派」はまったく私向きではない感じ。 
 五月の歌舞伎座、海老蔵の『暫く』がたのしみ。 新橋の 『東をどり』もR子さんと観に行くことになっている(嬉)。 今年はエコノミー席で数多く観ることにしました。

 主役二人のインタビュー、素顔の雰囲気もちがうふたり、東西のキャラの代表選手みたいだ。  お江戸の旗本の無骨な三男坊と、公家のご落胤ふう堺の大店の若旦那、という感じ?  

 日比谷公園のこんもりの森、新緑はさわやかで、メーデーなど思い出しました。     4.20(月) 



春のなごりを如何にとや...
 桜を見に、近所の湧水、通りのあたりを散歩した日。    
          

 都の庭園の敷地内に、誰かが傘をさしかけ屋根を作り、うさぎ毛のコート敷いた上に、いた二匹の猫。  諦め切ったような眼、敵意も甘えも欲望も消えたかの、静かな表情に出会った。 
    
             

 近くの駐車場にはタイヤ止めを枕に、動かない老いた猫。 薄目を開け、桜の花びらみたいな舌を出して寝ていた。  うらうらの日にだれに看取られなくとも、たくましい彼等は恨みもなく、世の中から風のように消え去るほど自然なのか。 
 どんな死をも可哀相と憐れまないがいい、 生きて楽しみ、老いて土に戻る。 若くても、神様のお呼びに召される時もある。  幸せか不幸か、いのちの短い長いかは関係ない。 生きることに何故生きるかの意味も何もない。
 さくらははらり黙って散った、われら動物たちよりも静かに上品に。  
          

 春はいつも、私に愁いが忍び寄る。  父母が昇天してもう、5〜6年もの時が流れたのに涙が昭和の歌謡曲みたいにまた、つい はらり。  4.18(土)




 

 
ここずっと知人の家探し転居の様子が、まいにちウェブの日記に書かれていて気になり読んでいたら、半分当事者の気分、なんだか疲れてしまったのでした。 
 なにしろPC歴二十年のマック仕事人、つもりに積もった書籍類、パソコン関連のものの整理/や廃棄、家具やクロスまで人任せしないし水槽の中の可愛い生き物たちの引っ越などと、次から次に事は膨大、私に転居の予定はないものの、想像するだけで軽くめまいが―。  人はどうしてこうもいろいろモノが増えてしまうのでしょう初めは、みんな何もなかったのに。
 葡萄酒の底のオリのように、私もだいぶ何か溜まってしまった気がする。  人生はリセットはできないけが、ちゃんとクリーンアップしておく必要はある。 今のうちに、使いもしない、着もしないものを後生大切にとっておかず、思いきって片付けて、生活は身軽にしておこうとまた、決意だけはしたのでした(できるだろうか)。  

 サラリーマンは定年になる頃に、人にもよるが自営業者はローンを組め、さらに上昇していく。 苦労も多くより激務をこなしてきた彼らにはそれは余禄などではなく、当然の権利といえる。 
 生活の場所と仕事場が一緒になるから、ひとまわり広い家になるらしい。  新しい高層住宅の窓からは、ひろびろ荒川や堀切の風景がみえるのですね、綺麗ですね。  東京は山の手方面の世田谷育ちのミーシャは、今はすっかり宗旨替え、下町向き。 
 むかし 「下町育ち」という笹みどりの歌謡曲があった、でもこういうお涙の、女が恋がどうしたの暗い歌は、ふさわしくないなあ、下町は。  しかし 「喫茶店」といものがあまり見当たらないのはびっくりですが、鉢植えをたくさん育てたりの家並みは、日本中によくある人間ぽい風景、気取らないほっとする場所です。 
 世田谷の散歩道は有名人の屋敷が多かったためか高い塀に囲まれ、人の匂いのしない静かすぎる町だった。 でも洋菓子の喫茶店が多くて、つい癖になったヤングのころ。

 ねっと接続に苦心しているらしいけどSさん、疲れをとって落ち着いたらまたB級グルメ、べらべらと男と男?のおしゃべりをしたいですね。      4.15(水)




『京の四季』
 
季節的趣きある曲 『京の四季』のメモ。  流儀によりそれなり振りが異なる。 なにか京舞は可愛い感じ、山村宗家では大人っぽい感じに。
   

     
上方唄 『京の四季』

 春は花 いざ見にごんせ東山
  色香あらそう 夜桜や
  浮かれうかれて 粋も不粋も物がたい
  
  二本差しなら柔らこう  祇園豆腐の二軒茶屋
  みそぎぞ夏は うち連れて
  川原につどう夕涼み よいよい よいよい よいや〜さ

  真葛が原にそよそよと 秋ぞ色ます華頂山
  時雨れをいとう唐傘に 
  濡れて紅葉の長楽寺
  
  想いぞ積もる円山に 今朝も来て見る雪見酒
  エエ そして櫓のさしむかい 
  よいよい よいよい よいや〜さ




体調崩しお休みちゅうの仲間が、早く復帰されますように。                    4.9(木)





郭(くるわ)のおはなし

 歌舞伎の「吉田屋ー郭文章ー」、地唄舞の「雪」「ぐち」などは、みな男女の恋の物語です。 江戸歌舞伎の荒事、いなせな若者勇者の忠義などの話と対照的に、源氏物語の歴史をひくか京阪は、叶わぬ恋の道行きなど圧倒的に情話ものが中心。 
 坂田籐十郎らの上方歌舞伎は、判っちゃいるけどやめられまへん、の、ダメなおとこの素直な恋の情景が見事で、身にもつまされ、長く愛されてきたのでしょう。 
 当然上方舞も、そんな弱い人間の本能的といえるような、はかない瞬時の恋の風情を舞うものが多い。 
  いま稽古している『ひなぶり』は、大阪は島之内という廓に急ぐ客と、駕籠かきさんと、太夫(花魁)さんのおりなす情景。
 キセル(閉じた扇)を咥え煙草をふかし、灰を煙草盆にそっと落としたり、杯(開いた扇)を頂き酔いがまわり、立ち上がりふらついたり、と廓の遊女になり異次元の世界を彷徨うという、普段は縁遠い世界です。  
 音に合わせて扇と手、顔の向きと脚の向き、これらの形が綺麗に、ゆっくり同時進行し美を作る。  体の重心を落とした舞の基本は、 〈品格が見えること〉、なので趣味とはいえ容易でない、年取る暇のない習い事です。。 
 もう少し以前に出会えていたらよかったと思うけど、東京には上方舞の師匠が今も少ないし、だいいち、忙しくて和服も着ない時は、思いも付かぬことです。
 しかし当然お師匠さんには物足りなくて、もうすこし色っぽさを! と注意される―、とほほ。  粋な都ひとでなく慌て者の、中央高地の縄文人、この壁越えられるだろうか―。

 でもまだ止めない、“私は誰、此処は何処、何をするの...”、 とならないよう、稽古するしか救いのみちはないみたい―。 


  
 地唄 『ひなぶり』
 
 恋の重荷のなァ 島之内
 送り迎えにかく駕籠の
 誰であろうとしてこいな
 
 棒鼻に くくりつけたる提灯の
 日がらの約束してきたなァ
 高いも低いも色の道なァえ
 立てる立てんの息杖も
 尽きぬ楽しみえいさっさ
 さっさ押せ押せ
 夢の通い路なァえ

          
                                   4.7(火)







テレビドラマ
 
NHKの連続ドラマ「だんだん」が三月で終わった。 ああどうしようこれから〜、毎日楽しみにしていたごらくが消えてしまい途方に暮れる当分は。 依存しているつもりがなくても、テレビ依存らしい。

 1973〜74年にかけ、日本テレビの開局20周年記念ドラマ『水滸伝』が26回続いた。  大活劇とストーリー展開はとてもとても面白くて、梁山泊に集う勧善懲悪の、アウトローの勇者の群れの活躍する物語に熱中したものだった。  

 人生は知れたものさ 上手くいっても
  一片の雲のように 流れ去るだけ 
  泣くな友 泣いたとて
  昨日はきのう 明日じゃない


の雄大な主題歌も気にいっていた。

 しかしとうとうその長い物語も終わる時が来て、一瞬、明日からどうしよう、とたかがテレビドラマの終焉に途方にくれたりしたのだった。
 梁山泊のリーダーで棒術の達人、中村敦夫演じるかっこいい「豹子頭林中」は印象深い。 
 佐藤 允演じる「青年党揚志」との歴史に残る闘いは、勝負が付かず確か一週間ぐらい飲まず食わずで同じ体型のまま立っていたことになっていたが、白髪三千丈の国の話だ。 今も昔も可笑しくも憎めない、稀に見る大ほらふきの国ではある。 しかし、あれが、真実だったら...。

 豪華キャストで、次々と勇者が現れ消える中、寺田 農演じる妖術使いも、名前を忘れても面白かったので覚えている。 いまは熟年になったこの俳優たちはまさに青年期、ロマンスグレーの熟年世代になった現在の姿に今もふと、当時の梁山泊の時の姿を重ねてしまう時がある。 考えると30数年前とは、とんでもない昔なのですね。

 ...すべての宿命、終わりのないものは何もない。 人間もドラマも、一日も一年も、静かに移動して舞台がまわり、やがて幕引きとなる―。 だからこそ、芝居(人生)は面白い。

 さて、NHK連続テレビ小説は、忘れられない黎明期の「おはなはん」に始まり、「だんだん」にまで続いた。 こんな番組が何十年も連続しているのはNHKのいいところ、素晴らしい。 仕事で忙しい時はこういうものに気が回らないものでも、「澪つくし」は、仕事場の昼休みにみんなで熱中して視た唯一のドラマ。 入り組んだはらはらもののジェームス三木の小説だった。 

 「だんだん」では、京都の町屋の家の造りや調度、居間、四季折々の掛け軸や生け花、舞子・芸妓さんの舞と着物が楽しみだった。 お化け の楽しさも意味もよくわかったし、遠く見ていた祇園の世界も、苦労あることを知りました。 
 それに女優さんらの着物、半衿の出し加減やちいさな仕草も綺麗で楽しめた。  とりわけ上方舞の名手、藤村志保さんの着物姿は絶品でしたね。 でも悲しいかな「おかあさん」は引退した裏方、静かな「座敷舞」を見れなかったのはがっかりでした。

 若い女優さんは舞でも頑張っていましたが、流儀によって、同じ曲でも音と振りはまるで違うのは驚きでした。 
 舞踊ハンドブックに見ると全国に、数え切れない流派が生まれているようで、それぞれが分派したり独立しているのが日本舞踊らしい。 
 でも「だんだん」でははんなり美しい、古い上方舞の雰囲気を少し楽しめましたね、パチパチ!

 木造りの畳の家、暦に沿った和の暮らし、お座敷文化等は、全くマイナーになってしまった。 絶滅危惧、と聞くとなんでも応援したくなるのですが着物にしても、面倒だと敬遠して多くの女性は食わず嫌い、簡単な洋服に流れがちです(他人事でない)。 
 日本のよさを一番知らないのが、日本人 だそうです。 平成21年 4月1日(水)