ギンレイクラブで『剣岳 点の記』
 
明治39年ごろはロシアに勝ったものの、まだ列島の峰の総てを測量できずに、諸外国の脅威の中にいた日本。
 装備も予算も貧しくも登山と測量にいのちをかけた、富山のガイドと陸軍の文官の、剣岳登頂の物語に感動した。 映画は大きな画面で、見る側も一緒に登山する錯覚におちいる。 山頂から見る雲海、遠くの富士など素晴らしく美しく圧倒され、幸せを感じるほど。 
 さまざまな危険と苦労ののちは、ハッピーに終わるので、ああ、ほっとした。 百年前、祖父たちの青年期の街の再現の路面電車や、女性たちの着物姿やつつしみの雰囲気がとてもいい、明治は遠くなったけど。

 キャストの豪華さ、仲間である関係者の多さも目を見張ります。 
 滑らかなコニーデの火山を見慣れていると、剣岳の山容の怖さ身にしみる。 
 あちらこちらで主役を演じている香川照之さんは、いま旬の役者さん。いとこ同志の照之さんと亀次郎さんは姿かたちよく似ています。 お父さんの猿之助さんも今、つやつやと賑やかですよね―。

 この映画の原作は、『風林火山』も書いた新田次郎。 諏訪の出身で富士山の測候所にいた人だった記憶です。  3.31(水)




尼僧
 
知人の家で焼き肉をたくさん食べてしまった。 自称在家尼僧?が、馴れないものを食べ過ぎ、体が重くなって起きたことのない未明に目覚めラジオをつけたら瀬戸内寂聴さんが話していた。
 87歳としては声はつやがあり、滑らかに話される。 51歳で得度したのは、更年期のヒステリーだったかも、本当はどうでもよかったとか、冗談でもびっくりすることを言われる。 せっかく得度しても途中で、還俗する者は多いというのにも驚いた。
 人気の、面白おかしい説法(講話)も、本当は好きでないが僧侶としての義務だと思っているゆえとか、結構本人も楽しんでいる感もあるが。 この俗っぽいところがまた判り易くて、人生に惑う人らには特に人気があり、青空説法では一万人以上が集まったりするらしい。 
 これまで追っかけ風にいろいろ聴いてきた(映像で)し、もう特に目新しい話が少なくなった気もするが、年齢を重ねてもブランドバッグに凝ったり、明るくて生き生きしているのはいいですねえ。 あの独特の男女のごちゃついた痴話風?小説は好きではないけど、今も3本の小説を抱えているという、凄い体力・気力、衰えない好奇心、いやたいした尼さんです。 得度を目指す女性と若い僧の物語り、『比叡』はおもしろかったわ。      3.29(月)


 
 


眠い春怠ける春
 
今朝は早い稽古に行く。体が硬くて朝は苦手、ちっとも新曲すすまず、「センセ、この人頭悪いとちゃうかなんて言われそうですね」、「いえいえそんな(思っても云やしまへん)」、「はあ、何だか今日ボロボロですわ~」当たりィというかんじで、「そんなまあまあ...」。
 地唄『菜の葉』は、どうも物語、シチュエーションがはっきりしません。 誰がどこで誰に手紙をどういう場面でかいて誰から手渡すの? 師匠等の解釈はまちまちという古い花街の唄なのです。 しかもこれは、『音曲の朦朧体』、といわれるヤマ場もおぼろのユックリズム、こないだまでの長唄の賑やかなかっぽんかっぽんが残っていて消えていないし。 これは早目に終わりたいな。。
 
 10℃以下で寒く、春休みで電車はまた混雑。 眠くて帰りは電車で居眠りしのりこしかけた。 風も強いし桜も首すぼめていたようです。 3.27(土)





桜咲いても寒い春
 
きのうの国立劇場は、桜がちらほらさいていました。 桜まつりの週末は、お茶やお菓子演芸も出るそうです。

     

 三月の花形は『金門五山の桐―石川五右衛門』での橋之助の宙づりが見もの。 台詞が長くてちょっと退屈ではあるが、絶景かな! の極彩色の美しさで見る芝居。 滑車につられ重い衣装につづらを背負い、空中遊泳する前に、大向こうの掛け声がまたおかしいの。
〈イヨッ、待ってました~、成駒屋ッ。 たっぷりと!〉―。 思わず場内笑いの渦。  見えを切るのが上手く見映えの良いハッシー、高いところで長いほくそ笑み、それがまた盗人らしく不気味で、絶景かな~。。 ストーリーは荒唐無稽、五右衛門は明の異人だったとか。
 成駒屋さんは揃って多産、しかもおのこが生まれる家系、ハッシーの男児3人、もう揃って一緒にご出演でした。 はしのすけ、と上手くいえず、はしぞう、といってしまう私なのです。

 パルコ歌舞伎の絶品「おうめばあさん」の市村萬次郎さんの「蛇骨婆」はまたいい、知人の日記でもみんな絶賛です。 歌舞伎の端役はおおきい。


 

 帰りはトロトロ歩いて四ツ谷に。  道端のよもぎ、ははこくさ、からすのえんどう、懐かしいずいきの茎やあれこれたっぷりと摘んで、花瓶に挿したり土に植えかえたり。 野っぱらと同じ春のお濠端はたのしいな。 3.24(水)





ユーチューブ
 
3.14のノオトに、秋の花形の時の愛ちゃんをリンク、アップしました。 

 今日は銀座に用事があり、ついでに木村屋にいきましたが、ほこてん、歩行者天国でもありあんパンを買う人で賑やかでした。 でも欲しい薄緑色メロンパンはなく、どこにもある黄色いあのメロン形のが二種あった―。
 私のメロンパンは、多摩地区限定?店主のオリジナル? 〈銀座値段〉より格安だしあの色、香り、たまらんわ。   3.20(土)
 




メロンパン
 
メロンパンはいろんなのがある。 東銀座に向かう右側に、一個380円くらいで売る店、美味しいのか有名なのか若い娘が並んで買っている。
 新春浅草歌舞伎の待ち時間、浅草寺近くで食べたのは値段を忘れたが顔のように大きくて、食の細い友だちはお弁当が残ってしまったくらい。。
 ほとんどマスクメロン風に四角い切り込み割れがある、これが「メロン」のゆらいだそうな。
 私のメロンパンは、駅ビルの食賓館に入っている銀座木村屋ので、《クリーミー》と《こだわり》と二種類あって、好きなのは〈こだわりメロンパン〉、表面はまるく甘い薄みどり色の皮が付いている。 開くとメロンの香りがふわ~っとして、中も薄いグリーンに透けている...。
 高野のケーキよりも美味しいような、たったの125円です。 3.19(金)
 




おさらば歌舞伎
 
現建物歌舞伎座最後の四月の切符はあっというまに売り切れ、カレーも食べれなくなった、戻り券も今回は出ないでしょう。。  
 先行予約できる歌舞伎会員はVISAに入らねばならないし、毎月見るわけでもない、というので未加入だった。

    

 今年から国立劇場の「あぜくら会」に入ったがここは、歌舞伎は毎月ないけれど文楽も盛ん。 大劇場は三階席1,500円でも花道もよく見え、国の機関だから観劇料金は低廉です。  会費年間2,000円+入会金2,000円。 なによりVISAに加入しなくて済みネットで、先行予約と席の確認出来るのは松竹と同じ。 

 歌舞伎座は三年後に生まれ変わる、より良くはなるにちがいないがたぶん、観覧券も上がりそうね―。    3.18(木)
 



3月うまれ
 
三月生まれははなちゃんと愛ちゃん
 あいちゃんは4日で38歳、はなちゃんは今日14日13歳。 おめでとう美男美女さん。 目の保養いつも有難うございます。

      

 電車が遅れ、和の稽古にゆけなくなった。 大川をいくつも越えた葛飾はとおい。 夜、先生から替稽古の日の連絡頂いたが、さいきんは入門が増えてか割り振り難しくなりました。 先生も過労気味?かも―。 平均一年で辞める人が多いらしいが、我慢と根性は要る難しい稽古事、私も初めての中だるみ。 

 後援会に叱られるまで写真を拝借しまっす。 3.14(日) 


 

おやつ
 チーズ、木村屋のメロンパンに白エビせんべい、これら私の気に入り定番おやつを、はなが狙ってる。  たまたま差し出すと、なんと、どれも美味しそうに食べ、もっと欲しいと必死のまなざしでおいかけてくる。 もうダメ、というとライオンの子みたいな目で訴える。ちょっとだけよとやると一心不乱、チーズの毎朝の争奪戦は人に見せれない。
 猫ってのはメロン味ををそんなに好きだったの? 
 岐阜で買ったサバのへしこも、ストーブで焼いたアルミホイルを難民のようにいじましくなめる。 五穀ごはんに少し混ぜ込んでやると、黒米雑穀まではぐはぐ食べました―、米など食べない子でしたが。。  
 目つきといい鳴き方といい、人間ぽくなったなあ長生きには、塩味ひかえめ、砂糖もひかえめ、同じ運命なのだわ気をつけなくちゃ。   3.10(水)





おなごり歌舞伎
 
三月は三部制の一部を見に行きました。 正味二時間余、いつもの半分に近い短さ。 百人ぐらい修学旅行生がいました、今日を機に和物を好きになる子が出てほしい。 でも粋な学校ですねえ、先生たちも、きっと最後の歌舞伎座を観たかったのでしょう、ふふ。
 しかし余り楽しめなかったのは短いさわりの出し物三本で、玉三郎の「女暫く」の花道が見えず、今日の一番見どころが良く見えなかったこと。 声もちょっと調子は良くなかった。
 松竹は国立劇場と違うのは仕方ないが、一階も三階も、木戸銭払ってるのだもの、距離はともかく客が肝心要のさわりが見えない歌舞伎座は、やはり建て替えは必要なのです。 サイドの席も、東西お見合いしないで、大阪松竹座のように舞台に向いて作ってくれると期待しています。

 館内は今日はキモノが多かった、春めいて着るものが楽しくなるのは見て楽しい。 女の人は浮き浮きして奇麗なのがやっぱりいい、和服が多いと街が明るくなる、ワタシ?洋服でした~、倹約の三階は狭いのですわん、そこにも着物組はおりましたが。 

 来月は昼にいいにおいのする歌舞伎座カレーを食べてみよう、「吉兆」は無理だけど。  3.8(月)




吉祥寺の伊勢丹
 
今月14日に閉店する伊勢丹は、近鉄と同じにずっと衣食をまかなった店だった。 たしかに狭いし、設備も古くなった。でもこんなぐらいが欲しいものの場所にすぐ行けて、迷わず選べたダナ・パリ、リズ・クレイボーンなどの働く人のちょっと気のきいたスーツ、ジャケット。 品が良くて飽きない服でした。 いーとぱらだいすは、うどんの『歌行燈』が美味しいし。

 ものすごい数の靴とバッグと食器類と洋服、もうこりゃ全館が催しもの場と化していました。  明るいウールのジャケットを見つけた、不思議デザインはとても気に入った、多分これが最後の買い物になるのか、うう。。

 メガネ売り場で中近メガネのクリーニングとねじ締め、今後はメガネ売り場のカルテは新宿に行っちゃうそうで、買い物もクリーニングも、新宿本店まで行くことになるとはね。 
 東急は嬉々と勢いずいてテナントも増やすらしいが、ここにはクロワッサンの店がある。
 昔のように靴も服も擦り切れず沢山も食べないが、我ら世代にデパートは、カミサマなのだやはり。 3.6(土)




ねこのマオちゃん
 
三ネコが二ネコではさびしいと、ねこまろ家にはもう新ねこが来ました。
 泣きぬれてウエットに止まらずさっと切り替え前進する、これぞ板ハウス、ねこの救世主というものです、見習いたい―。

 
 
   
マオちゃん 中ミロちゃん 右メイちゃん(板ハウスからお借り) 

 人間のマオちゃんが銀メダルを取ったころ、夫君が遠方で野猫を捕獲、うちの子に決めたそうです。 マオ、は弘法大師の幼名でもあるそうです。
 こうみるとなかなかの美猫、お風呂で磨き去勢も即済ませ、オスにも元野猫にも見えないくらい。 3色のバリエーションも良しで、何か昔からいたみたい(モモちゃんごめん)。
 おっとり型兄弟のミロ・メイちゃんのシャー!もほぼないらしく、たのしみ―。 3.3(水)




岐阜山村会へ
 
東京に雪が朝軽く降った日、舞の会があった名古屋・岐阜あたりはほぼ軽装、黒いロングのコートが暑すぎてかっこ悪くて―、春先には風邪ひく心配があったのです。 
 地震のニュースもよく知らず戻った東京駅はロングコートの人が多く、中京との気温に差がー。 関東・東京は、より寒い東国なのですね、そうか。  

 郡上踊りで有名な岐阜は、提灯と鵜飼、柳ケ瀬ブルースと繊維の街。 ここでは上方舞が早くに広まり、舞の会の充実ぶりは驚きです。「松の羽衣」は、歌舞伎座で玉三郎と愛之助が好演したが、先生と母上の舞台も負けず劣らずでした。 感動のあまり、しばし皆座って絶句―。 
 ほっそり可憐で上品、天女を舞う母先生がうつくしい。70代だそうですが初めてみる素顔にこれまでの押しの女性舞踊家のイメージが一変しました、ナイス!八千草薫のよう。。  先生も声も舞も端正で感動しました。 はるばる観に行った甲斐がありです。
 子供のころから、一つ事を続けやり遂げるのも生まれ持つ才能です、私はさて、何をやってきただろうかと自問して恥いるわけですが。

 名古屋にはメ―グルという観光ルートバスがある。 お城、徳川園、テレビ塔から栄広小路へと、メインルートを200円で廻るすぐれもの。 この運転手さんは実声で案内をする働きもの。名古屋の城、金の鯱鉾の雄雌のお話、川上貞奴の館、下級武士がはじめた内職のお菓子屋の隆盛とかのおはなし、何となくブラボー。 旅枕の両口屋是清も、大きな店構えでしたが街に迷っても、若者や女性が教えてくれるのです。 そういえば私もよ~く道を聞かれる、場所まで一緒したりするのひまな時は。 
 ノリタケのお店の超高価な食器も、ショーウインドウから見るだけでも十分楽しめた。
 岐阜のタクシーの運転手さんも親切で、長良川に沿っては鵜飼の話、金華山とお城の説明をしてくれました。 お城の公園内の、雨上がりの朝の空気が身を清めてくれ、ここで短時間を加藤栄三美術館に。
 伊吹や鈴鹿の山系はそう高くないのに真っ白で、この旅はずいぶんいろいろと楽しみました、ラッキー。   3.1(月) 

 


真央選手の銀メダル
 
不本意な演技に悲しむ真央ちゃんに、非情なインタビューが続いた。 あんまりな...、アナウンサーのお仕事とはいえ。 国費で育ったわけでもないのに、金、金 の国中からの大合唱、あふれる涙も気の毒でした―。
 観衆は、聴衆でもある。 明るさやコミカルさが身上の彼女のキャラクターに、重く暗い『仮面舞踏会』、『鐘』は合わない選曲だと思ってきた。 タラソワ先生は、自身の辛いソ連時代の想いを、この平和の時代に育った日本少女に重ねてしまったのか。 

 でも米国の長洲未来選手といい、この見せる競技はつくづくアジア人に合っている。 彼女たちの細やかな表現、優しい顔立ち、体のバランスは秀逸、素晴らしかった! カメラは、銀メダルに終わった美しい浅田選手を長く追っていました。 
 有難う真央選手、きっと真央ちゃんは、このままでは終わらないことしはマオちゃんらの年です。  2.26(金)




板ハウスのモモちゃん

 ネコ友だち、ねこまろ家の看板猫のモモちゃんがきのう亡くなり、天のねこの国にいった。 ホームページの開設記念日のお祝いを言ってしまってから連絡が来た。
 14歳6月の猫生だった。 小さくてエレガントなモモちゃんは、2日前の写真では目もくりくり変わりなく見え、病の影もなかったのです。
 ねこまろ家もひょうたろう家も、看板猫を失うのは、私たちのネコページの、それぞれの時の経過を実感させるものです、どうしても迎えねばならない現実です。 

         
         中田モモちゃん〈猫と暮らす快適板ハウス〉より   

 お庭のラベンダーをはるばる届けてくれたねこまろさん、記久子さんは、これまで6匹の犬猫を大切に育て、私と違い口数すくなくきりりとした方。 言葉少ないが故、悲しみの深さが伝わります。

 モモちゃん、ありがとうねまたね。 讃岐の庭の桃の花になって、これから毎春咲いてください。 ああ、やはり、悲しい...。 2.23(火)





22.2.22
 

 きょうはめでたい猫の日です。にゃんにゃんにゃん、あにゃんにゃん。 皆さんのネコちゃんも元気ですね~。
 近頃のはなさんはこんなめでたい状況で。 2.22(月)




花の味わい
 
東京ドームのらん展に行ったのは、生協の注文違いを引き取ったもの、テーブルウエアのほうに行くつもりだった。 何年か前にらん展には行ったことがあるが、休日は大混雑。着ぶくれてぶつかり合う季節の開催は花の性質のため?
 以前カトレアの花を一輪、二千円を奮発、じっと眺めてみたことがある。ランの花は、花好き父の庭にはなかったから一度しっかり観たかった。 でも華麗でゴージャス過ぎた形が一枚も絵にならなかった。 生来の育ちと嗜好で、山百合やナデシコら野の花のように感動できないらしい。 

 会場では眺めるより撮影する人が多すぎて、花も落ち着いて見られない。 人物入り記念撮影は一瞬だからいいけれど、裸眼より機械で記憶するのはどうなのでしょう。匂いと形を肉眼で見て記憶するともっと記憶に残る気もするけど。 でも非日常の、らんの花の醸す世界に人があこがれるのは自然です。 今は、食は豊かでも美しいものが少なすぎるもの。  2.21(日)

  

五輪の競技

 久しぶり薄日差し、晴れた日は家にいてこちょこちょと用事がはかどる。 しだれ梅の花も、咲きだしているのを発見。
 午後には、バンクーバーからの男子フィギュアにくぎ付けです。 チャーミングで少年ぽい日本選手たち、凛々しくいとしいわな、若い人はきれいだ。  黒鳥ロットバルトみたいな大きな、長い怖い手の選手たちの、力と技だけで抑え込むような演技はどうもね。 復活したプルシェンコの芸術性は好き、いつも応援している。 が、今日は不調で、高橋選手のほうがよかった。。 
 高橋選手ら三選手の、手や首の動き、細かな振りは日本舞踊や歌舞伎にも通じる形に見えました。 彼らは気付いていないだろうけど、民族的にも表現の形や心には通うものがスポーツにも絶対ある。五輪で「芸術点」を競うのはこの競技だけでしたか? 
 
 いちばん明るくしなやかに劇的、観衆を魅了したのは、欲目でなくも三位になったダイスケ選手だったように思えたけど。  2.19(金)






一日のエネルギーは
 
日曜日乃木坂の巨大美術館の久野先生の立軌会展へ。 ずっと銀座のセントラル美術館だったが、駅ま上、というこの有名建築家のデザインの威圧感の館は、移動にも広すぎ落ち着かない。 もっと中規模の、しみじみ絵を観覧できえばらず奇をてらわない建物がいいなあ。  
 乃木坂駅も、歩くより自転車が欲しくなるような無機質で白い地下道は寒~い。
 先生には逢えて招待状のお礼のご挨拶。 着衣の色の組み合わせはいい、と色彩の話から始まったが(私はモデルではない)、これらすべて母や親族の古い着物を単純無謀に着たものですが。
 美大を退き同じ市内にお住まいなので、駅ビルのポンパドールのパンと新鮮シジミの味などの日々の生活話が主になってしまった。
 そのあとは堀切の稽古場へ。 稽古の前に疲れないつもりでも、案の定新曲を覚える能率すこぶる悪し、山村先生も、どうしたの?という顔だった。 
  
 ハード稽古は夕方のはもう止めてもらおう、ダイレクト直行する。エネルギーが昔と同じと思ってはいけないのだわ。 2.15(月)




歌手ペギー葉山

 子供のころから『ドミノ』、『南国土佐を後にして』、『学生時代』らが懐かしいが半世紀、すこしも変わらぬ堂々の容貌と声量、私が小学生のころから、同じお顔をしているのはこの方だけのようです。 書道の腕前も、おおらかな人柄も一緒に尊敬している。
 長年のパートナー、夫の根上 淳さんは数年前亡くなられたが、東京キャットクラブの会長をずっとしてこられた愛猫家でした。 

 NHK深夜便の歌でペギーさんは、いま五木寛之作詞 弦 哲弥作曲の『夜明けのメロデイ』を歌っている。 なぜかこの歌を聴くと夜更けも気分がじわり上昇するような暖かい声。 
 2.13(土)



建国記念の日
 戦後に生まれたものの、明治生まれたちに囲まれ育てられ〈紀元節〉のほうが馴染みだった。
 いまよりもっと無知だった二十代のころ、ボードに月間予定表を書いていて、ついこちらを書き込み、注意を受けたものです。   
 神武天皇の即位の日と言われてきたこの日は、国家的という紀元節の言葉が消え、「建国記念日」でもなく「建国記念」 という名の祝日になった。 
 いまは老人は以前ほど大切にされず親子も別居し、なんと墓までも別になる気配。 私の周りも年齢は関係ないという人はいる。 でも古~い私は、細い道ですれ違う時、自分より高齢者なら必ず道を譲る、何につけ年長者には、まったくおかしいことでなければ酷く逆らわない。 そうしないと何か悪いことが起きそうな気がする。
 
 ところでちかごろ電車で、立った前横のお席が空くと、席を譲られる時がある!キモノでなくても。 うう、嬉しくも悲しい驚きが...、これもそのうちきっと、慣れてしまう時が来るのね。  2.11(木)





『古道成寺』

 芸能花舞台は地唄『古道成寺』、恐ろし―、と富山清琴さんが詠い終わる。 男でなくとも身の毛よだちそうな恋の物語。 うぶな娘が客の僧侶を恋し、僧はこの娘から逃げたいと思い夜半に逃げ去る。だがなんと娘はタクシーもない時代に、夜昼構わずどこまででも追いかけてきて、そのうちとうとう、思いが通じず炎を吐く龍になってしまう。
  カッポカッポと鼓や鳴りもの賑やかな長唄の『京鹿子娘道成寺』になると、桜の花やきれいな衣装のオンパレードの舞踊劇で絶大な人気があり単純に目に楽しく明るく観れるが、地唄は淡々と、ひょうひょうと物語が詠われていく。

 一般に男が女を恋し女は嫌いな男から逃げる粗筋が多いが、考えれば情熱的、一方的な思いの人間は男女どちらでもありうるわけ。 この僧侶は、僧として強い意志の人だったのか、またはこの娘が好みのタイプでなかったのかほかに惚れた女でもいたのか、と余計なお世話の考えまでも。

 『封印切り』のように相思相愛ものばかりでなく、こんな消耗するだけの叶わぬ恋の演目もまた人気が高い。 それはきっと、猫よりややこしい難しい人間の変わらぬ姿が身につまされるのかしらん。 でもすれ違いものはやはり後味悪い、空しいわ。 神様は実はひねくれもンで相当嫉妬深いのかも? と、人間の作り話に何時の間にか八つ当たり(失笑)。   2.8(月)






荒馬は野に還るも、淋しきかな
 以前椎名 誠かの映画、「白い馬」を見て、馬頭琴の音色とモンゴルを好きになった。 草原ばかりでなく、大きな岩石の山も多くあるようだ。 北海道よりも広く生活も食物も限りなく単調で、小さなことなど気にしては生きて行けない過酷な環境に見えた。でも馬と一体化の生活に憧れをもったのだ。

 子供皇帝の様な横綱朝青竜はあっさり引退した。 相撲にあれだけ知恵を絞るのに、その他はまるでモンゴル相撲の力士のまま、他人の慣習になじまなかった。 人に合わす事ができたら未だ2,3年は綱を張っていられたろう。 
 でも誰も、運命の生まれ持った性格がある、顔のつくりや指紋のような。
  
 辛口批評の人たちが、今日は功績を賛美して別れを惜しんでいた。  終わりの美学、を見れたのは救いだ、計算のない猪突猛進型も、嫌いでないな―。 2.5(金)




今月の漢詩
 今月は三つの李白の詩、その時代の周辺と遡る時代までじっくり。 
 人は過去を回顧し、栄枯盛衰に思いを寄せるもの。 日本でも、‘夏草や つわものどもが夢の跡’、‘滅びし者は懐かしきかな’とか詠われ、ヘルマン・ヘッセやボヘミアンたちの帰り来ぬ青春の詩は世界中で愛好者が多い、私も...。  
 複雑な脳で、感情豊か過ぎるヒトは、そうして韻や同字重出の約束や禁句を護ったり破壊したりして、競って詩を作ってきた。

 研ぎ澄まされた感性で言葉を操る詩人たちは、いつも神経がとんがっているわけではない。 多くは何でか意外におっちょこちょいで失敗が多い、実に愛すべき人間だったと知り、はあ、やっぱり―、と変に納得。
  
 大陸に行くと広い大地に大きな河が流れている、馴染みの透明色の富士川と比較できない広さで土色に濁っている。 虹は、この国では広い平原の川に水を飲みに降りたドラゴンの姿という。 虹は中国では 赤白青黄黒 の五色だそうで七色ではない。 黒が混じる虹の色!?


 
金陵の鳳凰台に登る
  
           李白(盛唐)

鳳凰台上鳳凰遊ぶ
鳳去り台空しうして 江自から流る
呉宮の花草は幽径を埋め
晋代の衣冠は古宮と成る
三山半ば落つ 青天の外
二水中分す 白鷺洲
総て浮雲の能く日を蔽うが為に
長安見えず 人をして愁えしむ


 何年生きても、まだ知らないことたちは多そう。 2.4(木)

 
 


青年は荒野をめざす
 貴乃花親方は在りし日の、流行小説の主人公に重なった、荒野は広いが気張ってほしい。 しかし彼は礼節の人だ、奢らぬ慎重な姿勢と物言いが立派でした。
 この理事選の裏に、大鵬がいたのだった。 当選のお礼に、7人の侍ならぬ7人の親方が、雪の中を夫婦で揃って大鵬親方を訪れたとは―。 まるで小説のような光景でした。
 柏鵬時代は懐かしい、私は負けっぷりも美しい柏戸が好きだった。でも大鵬は今も、日本の大相撲を支えているのですね(涙)。   2.2(火)





美味、生キャラメル
 政治家や旬の人気者などは当初は期待され、そしてやがて飽き忘れられる。 何でもいちばん光り輝くのは長くても10年間ですとか。 歌舞伎役者・舞踊家らは、十年と言わなくてもいちばん輝く華の時はやはりある、人にもよるけれど。 
 移り気、新しいもの好き、すぐ飛びついては去る大衆(私も)はまったく残酷ね。

 飽きの来ないのは「猫」? 夫には飽きても猫は飽きないと誰がいつか言っていた、ちょっと判る。 でも女房と畳はナントカ―、ともいう。  猫たちだって飼い主にすっかり飽いた、ということもありますね。
 
     

 北海道の噂のナマキャラメルをやっと味見、舌にふわり溶けとても上品なかんじ、四国の和三盆のようです。 手がかかっているのか馴染みのキャラメルよりずっと高価、でもこれはたぶん、飽きない味だ白いごはんに及ばないものの。  1.30(土)




     
北限のサル
 先日動物園からおさるが逃げたと報じていた。 猿は身軽だからよく脱走する。 昆虫取り様のアミを持ち右往左往するお巡りさんの姿を見るたびに声出して笑ってしまう―、あっはは~~。 パフォーマンスでなくホントにそれで捕まえられると考えてるらしい、人の本能と想像力はかなり怪しい。
 しかし「北限のサル」が動物園にいたらただのサル。 映像で見れば戸惑った顔をしていた、ここどこ? オイラ誰? 何するの?
 下北半島の野生のサルを、こんな空気の汚い狭い場所まで連れてきて閉じ込めて、猿はかわいそうな気がする。 広くきれいな雪の故郷に帰りたかったのだろう、あっけなく捕えられたおさる。

 野生動物を見たくなったら、その場所まで苦労しても行くほうがいいかな私なら。 1.27(水)
 



ねこほてる?
 先週ネコの話で弾んだ。 ネコのホテルについての経験で、自由と場所を選ぶ猫にとって、数時間はおろか、何泊もケージで過ごさせる恐怖の時間を、飼い主もホテル側も無頓着ではないかという話。 犬と違い猫は野生が強いから、一つところしかも狭い知らない場所にいると心に傷がつく。そして以後おかしくなってしまう例が多い。

 十年前、韓国旅行のため二歳のはなをホテルに預けた悲しい経験から、長めの旅行はしない。 二泊までならご飯も水もうんちもなんとかできる、でも最近はなも若くなくなり心配で、一泊までとなった。
 友人も5日ホテルのケージに預けて以来、猫がかなりおかしくなって、家族旅行は猫のため止めたという、皆同じですね。

 動物は人間次第、にゃあにゃあいうが我慢するだけの生きものだから、人間は自分の癒しの代償の猫を、なんとしても守りたいと思うのです。  

 ねこ―、手がかかる、肩揉みもしない、お茶も入れてくれない、ねごとがウルサイ、でもそれで正しい、可愛いよ。  1.25(月)





ネコの寝言
 眠っていても人はどこかで脳が起きている。 戦いに明け暮れた原始時代のなごり。 
 丑三つ時に人の声がしてびっくり起き上がった。 誰かが侵入し隣室で話す声は、足元で熟睡中のはなの寝言でありました! 長~いねごとです、何を言っていたの? うじゃうじゃとまるで人間並みのトーン。
 昼間眠りこけながら唸ったり、うにう言うのはよくあった、でも私が眠っている夜、長いのは嫌だ何処か向こうで言ってておくれ。  
 
 哺乳類はみんな夢を見るという、色々な夢を見てどんどん忘れるのでしょう。。つかの間のいい夢をね。
  1.23(土)





革ジャンの愛之助丈
 19日の夜の部の浅草歌舞伎で、エレベーターに乗るとあっ、視線の先壁際に見慣れた横顔、ちょいカーリーヘアの青年が...む、これはまさしく正しく愛之助さんでは!  昼の部がお休みの日なので地下駐車場からの遅い到着らしい、まさかゲームに熱中?すでにぎりぎりの時間ー。 
 一階からいっしょに乗り込んだ弥十郎さんみたいな和服の方とあの笑顔で挨拶交わし、「こういう時間なんですね~」と関西なまり、乗り込む客の多いエレベーターに驚いた様子。
 途中階で一人降り小走りする愛之助さんに、気付いたひとりが「のちほど~」、と声かけると振り返りにっこり会釈。 驚いて声もでないミーシャはしばしボー然。 エレベーター嬢も興奮、「こういうことはめったにないのですぅ」って。 公会堂のエレベータは小ぶり、いつもは乗らないが友だちと街歩きしすぎてへとへと、この日は五階の三階席まででしたからつい乗りました。。

 かくして数十センチでまみえた愛之助丈は、背中に香港風?模様のある黒い革ジャンに黒いジーンズ、カジュアルな感じ。 私服にはあまり凝らない人、と皆が感じているとおりまったく普通の青年でした。 
 
 年初めにらぶちゃんと同じエレベーターに同乗とは、ぐふふー、今年はなにかいいことあるのかも、しあわせ~。
  
 この日のお年玉ご挨拶は亀次郎さん、『奥州安達が原』の複雑なストーリーを長々解説してくれましたが、めったに歌舞伎をみない人にはこの題の歌舞伎、複雑で少々難解だったような。。
 しかし素っぴんが目に残る愛之助さんは、赤塗り(安倍宗任)白塗り(安木松之丞)に変化して、最後は花形四人で賑やかに舞い踊り充分楽しませてくれました。 勘太郎さんの歌舞伎(袖萩/安倍貞任)、いつも控えめな亀鶴さんの踊り(智蓮坊)の、美しさにも感嘆した日。 1.
20(水)
 



初観音
 今年も尼寺の行事に参加しました。 福引で、ゴブラン織りの背立てクッションが当たり、持ち帰るとはなのおもちゃ状態、抱きしめて離さない。 でもネコは飽きっぽいからすぐ私用になります。
 〈仏教の教え〉では『無縁様』を供養しよう、があります。
 無縁様を供養すると、五つの善い果報がある、とお経に書いてあるのです。

 1.子どもが丈夫に育つ
 2.不治の難病からまぬがれる
 3.精神的な病気に罹らない
 4.衣食に困らない
 5.疫病が寄り付かない


 さて、信じる者は救われる←これはキリスト教ではよくいわれています。仏教は何でも強制がありませんが、信じて損もない、信じなくても一向構わないものです。 でも私は素直に仏さまの言葉は何でも信じてしまいがち。

 家の断絶や事故や何らかの原因の無縁仏さまは、今も昔も生じ続ける孤独な魂です。 各所にひっそりあるその墓には参れないけれど、心を寄せてやさしい気持ちになるだけで善いのだそうです。  1.18(月)




元気の方法
 焼き芋屋さんがうちのビルの前で夕刻は商いする、駅近いこのあたり。 ドアから出ると焼き芋と薪と煙のにおい漂う、風の子だったころを思い出し赤い炎をしばらく見つめた。 通行人は立ち止まる人が少ない、やきイモ屋さん、寒いけどがんばってね―。

 駅ビルの冬野菜は九州や沖縄産が多い。 蕪と真赤な金時ニンジンとホタテのクリームシチュウは牛乳をたっぷりに、ほかほかとろりカブはいまは、葉まで柔らかく甘くおいしいね。  1.16(土)




唐詩など
 唐代の詩人李白は、父はキルギス人の商人(李客)で当時この国では、科挙の試験などは育ちの知れた者にのみ許されたが、特に秀才であれば帝に召し抱えられることはできたという。
 竹林の七賢人は有名だが、世を捨て山中で酒を飲み詩をものす人間の群れはかなり多かったらしい。 オハラショウスケさんと違い、中国ではそういう人間が尊敬されたのだ羨ましいね。 働かずに、がぶがぶ酒代はどこから?
 
 権力者は自分の箔付けに野の詩人らを擁護し、傍に召し抱えたが常にくるくると入れ替えられた。 李白は遠慮なく何年も玄宗皇帝の宮廷にいたが、ある宴で出の卑しい楊貴妃と漢代の后をなぞらえた詩を作り貴妃にうとまれ、
「彼はわちきを馬鹿にしてござんすよ、速く追い出して~」、と追放となったことになっている。 その後かくかくしかじかと李白は長い歳月をを政変とともにすごす。元宮廷詩人の肩書きで、晩年もまずまずの生活を過ごせたという。

 今月の漢詩(中国)の会は逸話他の話題が多く、世界にもまれな長い戦争のない時代を継続した徳川さんの話、側用人柳沢の関係や将軍綱吉の身の丈(有力説130センチとか)の話などいと賑々しい2時間。 で、肝心の李白の詩は一つだけ。
 
 唐代には4万余編の詩は手書きで記録され、転書された。 が、次の宋代には木版印刷の技術が広まり本屋も出来て、詩は世に広く広まることになった。 
 唐代は広々と天地自然の美、人の感情などが雄大に歌われ、宋代はきめ細かく対象が、豆粒の様なノミなどの詩や生活の詩が詠まれ、唐の<情>に宋の<理>と区別された。 この二つの傾向が明代に至るまで度度繰り返されという。 
 言は少なく―、まずはここまで。 1.14(木)




寒さに負けました
 大寒、一年のいちばんに寒さ厳しいころ。 世界中で寒波や雪害で人は苦しんでいる様子。 寒い空港で夜明かすのはお気の毒ですね。 
 冬は好きで強い私、それがこの頃めっぽうダメになった。 稽古も嫌い、何もみないや、怠けてばかり。
 都心の夜の知人のコンサート≪ワインと男のシャンソン≫もなんでか欠、暗く寒いのはおことわり..って、はやババになったか―(嘆)。 
 詫びを入れよう、定番 サンジャイの恋人、夢一夜 はみんなで歌うのだ、未練が残ります。
  春よ来い、でも嫌いな夏は来ないで...。 1.12(火)

   




舞姫の手

 
                                             
              
                                                           


 浅草公会堂前に敷かれている手形です。 バレリーナ 森下洋子さんの手が、体に比して指の長さ際立ちますね。 これが世界に羽ばたいた名舞踊主の手。 はんさんは、遠慮したのかそっと置いたのか、ちいさいね。  先代井上八千代さんの手は、もっともっと小さいです。  1.9 (土)



新春浅草歌舞伎
 昼の部正月は姉とたまの一等席。 花道際4列目は役者の汗まで見える、衣装の柄や刺繍もみんなみえる、何という色彩、美しさ...。 歌舞伎の衣装は皆、伝統芸の手作りとか、触りたい着てみたいなあんな絹を。 非日常の美しい衣は目の保養です。

「元禄太平記 御浜御殿綱豊卿」の愛之助の、甲府宰相綱豊卿はいつもの通りの熱演、若々しく華麗でした。が、梅玉さんや仁左衛門さん等60代の円熟に及ばないは当然、これぞ花形、坂みち登攀ちゅうの若者の浅草歌舞伎。

 浅野家臣、富ノ森助右衛門役の亀次郎さんは直近舞台上で大熱演!ユニークなキャラ。 キセル吸う姿も台詞もいい。 役者が一つ一つの舞台に、命かけたり楽しんだりが伝わってくる歌舞伎はいい―。

   

 
正月飾り残る浅草は着物も多くて賑やかで、浅草寺にお参りして帰りました。    1.7(木) 





おせち
 
今年一年御護りくださる歳神様を喜ばすためのおせち、最近はどうも「節」がなくなり毎日お正月なみ、贅沢になった。 
     
 でもうちは在家の尼さまのつもり、いつも質素で、カニや本マグロはないから、年越しに奮発、蟹はどうしてこうも日本人を魅了するの恐ろしい姿なのに。 
 本マグロは冷凍でもおいしい、脂がほどほどに、量より質の正月のお魚類はおいしいおいしい。
 でもさすがに、クリームシチューやカレーが欲しくなってきました、今朝はベーコン・エッグ、夕食はハンバーグにする。  ...どこが尼さまなのだろうか、恥ずかし―。   1.5(火)




上方唄『
浪花の四季』
 
 
(春)

♪春のはじめは 門にしめ縄 松飾り
 
 羽根や手まりで拍子よく

 笑う門には 七福神の

 礼者 たのもう、 どうれ―。 



 NHKの「芸能花舞台」で昨秋、上方舞の楳茂都扇性家元(愛之助)の『都の十二月』と、山村 若 宗家の『浪花の十二月』を見比べれました。  楳茂都さんはリアルな感じできりり端正、山村は「舞」そのもので、より優美(はんなり)?  
 若い家元と宗家の舞い競いは、華があって美しく忘れられません。 
    
 長い難曲『浪花の十二月』より短い『浪花の四季』はまた、振りも易しく楽しい曲です。  1.3(日)
  




謹賀新年


 平和・友愛・健康・調和―。 

 花火を合図に虎年が明けてやってきました。   今年は、おしゃべりを減らし頑張ってみよう、みんな大丈夫! 

               

                              平成22年1月1日(金)







聖地チベット展
 
歳末の上野の森美術館のチベット展はかなりの人出、年中無休、正月も開催とリキ入っています。
 これだけ充実した展覧会は初めてです、天空のポタラ宮殿に、主じラマさまがが早く戻られますように―。

 しかしどれもこれも展示物の美術的水準の高さに驚いた。 吐蕃 と呼ばれていたころから独自の文字と文化を持つチベットには、仏教が衰退したインドから早くにインド人僧侶が亡命して仏教を根付かせていた。 だから時代により仏の顔立ちがちがう。 立体は、写真と見るのとには大きな差がある、色彩豊かな展覧会は観に行ってよかった。
 ラダックにも行ったことのある友人との、遅めのランチは上野松坂屋の赤坂飯店で。 本日のランチ(コーンスープ、海老チリ、麻婆豆腐、オムレツ、ザー菜、杏仁豆腐)1050円を、たらふくゆるりといただきました。二人はインドの旅(パックだけど)で知り合って、もうなんと、三十年もたった同世代なのです。 
 
 その後御徒町名物のタケヤに行き、紀文の栗きんとんとサンローランのショッピングバッグを購入。 こんな歳末の街歩きは気に入っている、元気に買い気いっぱいの人たちを見るのは何か楽しいな。 12.29(火)




ありふれた悩み 
 
趣味の地唄舞は今日稽古納め、絵や書のように何も残らず、瞬間で消えてゆくものはとてもいいです。 今日はやっと一曲仕上げになったのですが、師匠先生は「手(順)を忘れないようにね」、というだけ、完成度は気になるがまあこれでいいのでしょう、これからお座敷がかかることもなさそうですからね。
 帰りに日本橋のデパートのK先生個展にいくと、想定外のミーシャの赤い和の衣服に戸惑っていた。 油の絵は普通小汚い恰好で酷い顔して制作する事が多かったので、別人に見えたようす。そうです私は宗旨替え、和風に変更済み。 もうイタリアの風景画も、ほんとは遠くなってきてしまったのですが、内緒。

 さて造ったものは場所を取り過ぎるためでなく、イメージの貧困でしょっちゅう嫌気・失望、総てやめたいの繰り返し。 〈きれいな上手い絵〉だけではもう絵にもならない、絵とは何なのか難しくてまったく判らなくなってきました―。
 でも、千駄木画廊まで来てくださった下町の皆さまありがとうございました。 もっとましな、モダン、元気のいい絵を目指せたらね。  こんな時期で、近場の人にだけ案内状いたしました―。 12.27(日)




冒険家

 物事には総て「業績や結果」を求める、長い訓練の末?にそんな風に頭が固まっていた、本当は「冒険」を大好きなのに。

 野口 健さんのブログを読むと、片山右京さんの遭難と単独下山について即質問されたという、そしてマスコミ関係者のニュアンスは右京さんに厳しそうなものだったらしい。同じころ富士のトレーニングを計画していた野口さんは、ぎりぎりの限界では、自分を守るのは正当だと、右京さんをかばっていた。 そういう涙をのむ厳しい状況は何度もあったらしい。
 単独峰が故にヒマラヤより厳しい気象になるという冬の富士は、海外の登山の訓練には最適なのだそうだ。 冒険家の目指すものは普通の生活者とは違う。 冒険も探検も、人は大昔から憧れを夢から現実に変えて実行したのだ。 ああ、矛盾だらけのお馬鹿ちゃんのわたし。

 あの素朴な好漢植村直巳さんも、厳冬の富士でトレーニングをしたのでしょうか、彼はまだあの氷の山の何処かで今も、何かを夢見ているのでしょうか...。

    
若人を雪の底ひに埋めつつ
        夕日痛まし 今日の富士山
                     (亡母の詠)

         12.24(木)




冬の夜
 定例のクリスマス展覧会初日、歌舞伎座、と連日続いてかなりの夜更けに帰宅すると、電車の中に同世代らしき人など見当たらない。 この寒い日に、日曜の楽しいTVドラマも見ずに安い酒場でうめぼし焼酎飲んでいるなんて―。 野田H作・勘三郎主演の不思議な(私には歌舞伎に見えない)『鼠小僧』のアドリブだらけのドタバタ歌舞伎鑑賞とは、プリプリ! ここはパルコか、コクーンなのか―、ああ安い席でよかった。 いえパルコ歌舞伎の三谷幸喜やシェイクスピアの菊之助のチャレンジこそ、本物だった、素晴らしかった。

 どんなに遅くても人が大勢いる歳末の夜の街、青春を想いだすなあ、みんな一緒にわあわあ騒いだものです、それに寒さも平気でした。 それが、半世紀以上生きてくると、寒さが身にこたえてきて、話題も―。
 去年元気だった仲間がいなくなり、知人の知人は孤独死。 アブナイ人は今後はまめに連絡とらねばと、なにやら哀しい話が盛り上がるのでした...。 いろいろな家族関係があり、複雑な人間の生き方が垣間見える。 
  12.22(火)



霊峰
 
コブシを握り声を震わせ泣き声で命落とした仲間に謝罪した片山右京さん。ニュースでも、「右京さん」と呼ばれる国民的人気のある好漢でも、何処かに不遜や慢心はあったのか。

 富士は美しいが近寄ればただの急傾斜の非情な禿げ山、どこにテントが張れる場所があるのか不思議である。 それにこの山は雲を見ても、他の山とは違う、いつも風が吹き雲が飛び、冬は目に見えずともごくたまの快晴・無風の日以外は荒れ放題に見える。 平地や都市の人々の山へのあこがれは判る気はする、が、高山の麓の人間は、冬は凍る山には入らない、憧れも訓練もない。

 山の遭難、特に富士山の遭難は嫌だ。 右京さんの南極行きは中止になったようだ。   12.20(日) 




お悟りの日
 
8日は釈迦の悟りの日、成道会でした。 祖母と叔父三人、計四人が12月に無くなっているためか足が自然にお寺に向かうこの日。 Sさんはここ三年連続いらしていますね、と祖寛尼が言われる、ノオトしてあるそうだ。 舌をかみそうないつもと違う長い読経のあとは同世代、色々なお話が続いたあとは、お菓子や花や果物をずしりと持たせてくださるので恐縮です。 それにこの広い敷地の尼寺は、12月にシャクナゲが満開、花の種類数知れず、極楽浄土のように季節を構わず花が常に開花している―。 千の風になって、この禅寺にも母が来て花を見ていてほしいな。

 木枯らしの歳末の葬儀は哀しい、若かった二人の叔父の場合、人生に未練とやり残しは多かったろうにどこの家も、若者の寿命は戦争で短縮されたのだ。 
 最近はメサイアも聞かず讃美歌も何処かに紛失、すっかり在家仏教徒になったみたい...。  12月18日(金)




かもめとエビ
 
「空中散歩」という番組をときどき見ます。 鳥のように空から東京を眺め下ろす、知っている街だとなかなか面白い。 こんもり緑のある場所は視て快適でも、歩けばとてつもなく広く首都は想像以上に複雑、気持ちが悪くなりそう。 40年住んでも知らない街は知らないし、これからも行かない街もきっと多い。 
 でも飛べばこんなに簡単なのだわいいなあ、くも爺や鳥たちは。
 先月行った駿河湾のクルーズで、カッパエビセンを欲しがり追ってくるかもめちゃんです。

     

 静岡は桜エビの産地、桜エビかまぼこがきれいで美味しいのに580円と安く、もう食べてしまった。 カルシウムいっぱい、かなり珍味、正月のお膳にもいいかも。 
 質実剛健の日々でも海老かまぼこ位贅沢ではないでしょ、送ってもらおうかな、あの人にもあげようかな。   12.15(火)





言語誘導
 難しそうな言葉だがつまり、言葉の力に人の肉体と精神が強く影響を受けるということ。

 噺家の金原亭世之介師匠は、本名児玉亜津志先生、各大学で講師をしている幅広いお方なのだった。
 吉祥寺の武蔵野美術学園祭で、コミュニケーション学の講師でもある児玉先生の講演を聞く。 当日は白系の和服でお出ましで、ホワイトボードを使い色と心の関係のほかに、人は外部誘導(他人の発する言葉)と内部誘導(自分で発する言葉)から、音声で発する言語により精神的に強く影響を受けるというおはなし。また色彩も、暖色寒色は心と深く関係する。
 どうせ駄目だ、と思っていると物事はその通りダメになっていき、やるぞ、成功するんだぞ、と自分に言い聞かせてから行うことは成功する率が確実に上がるのが判っているそうである。

 
四年に一度しかないオリムピック、怪我大敵のスポーツ界。 日体大では練習中不慮の事故を起こすアスリートが激減した、理由は単純、児玉式掛け声、「俺は怪我はしないぞ~。」を発してから動くことにあったそうだ。 暗いことを考えていると善いことらは寄ってこないが、明るい気持ちだと体は言葉を聞いて反応し善い展開に導かれる。
 
 人は頑張れ、といわれると頑張れなくなる。 頑張らねばならない悲惨な状態に自分はあると受け止めるからだそうだ。 だから、〈頑張れ、君ならできる!〉と、添えると硬直が溶け前に進んで行けるのですと。 催眠術とは違う身体への良質な暗示の様なものなのか。 これはよくわかります私も経験がある。 
 発した言葉は自分をその方向に必ず誘導する、決して後ろ向きの言葉は使わないようにしましょう、そりゃたまには、あ~もうダメだ、などと落ち込むこともありますヒトは天気より変化激しい微妙な生き物もの。。

 となると、呪詛、祈り、お百度まいりなど、古くからの言霊の世界まで連想されますが―。 12.12(土)





イルミネーション
 先月バスで行った御殿場の〈時の梄〉のイルミネーションです。 世は底のない不況、世界不況の元凶は弱い者いじめばかり、負けるなユキオ大臣。 不況でも全国的に光のモニュメントは賑やかです。

   
    
     
    12.10(木)



かぜ
 二週間たってやっと風邪の症状がほぼ治まりました。寝込むほどでないがこれだけ続くとはしつこ過ぎる、カゼはいやなものです。
 
 25日の花形歌舞伎(愛之助さんの豪壮な「毛ぶり」は数えて90回、60代の団十郎さんや幸四郎さんらではもう無理かと。 当初、大柄な白・松緑さんのピッチが速く赤・ラブちゃんは遅れ気味、はらはら、でも後半のラブの勢いはそれを超え安心、舞台を味わうどころか、親心で胸がドキドキ、どっと疲れました)では、マスクの下鼻汁ツンツン、チリ紙の山。
 咳は出ないがもしやあの?いえそんな筈はないッ、若くはない野の育ち、花粉も新型も罹らない、の強気で押し通し否定。

 じゃがこれからは下りに入る、どんどん体力は弱まるだろうから、勢いと気力で病気を封じ込めることにしよう、と勝手に決めました。 

 昔同じ下宿に力いっぱい唸なれば病気は去る、という主義の凄いえぐい女性がいて今でもそれを思い出し、具合の悪い時は蒲団の中で、ううッ、う~ゥびょうき、寄るな近寄るなァ~、と丹田押さえて唸る。 人が聴いたら呆れるでしょう、でもそれで元気になる時が実際多いのです(舞うヤマネコは強くなければならぬ)。

 「病は気から―」。 笑いごとではありません、困って弱気になって後ろを向いて逃げると、追いかけてくるのはクマだけではありませんからね。  12.7(月)




すまい
 昔の仕事の仲間だった方(『相棒』)から転居通知が来た。 本郷のT大学出版会では、私の職場の刊行物を長いこと一緒に作ってもらった。 二十代から四十代までのお付き合いでは同志のようで懐かしい。 学術書は誤植はとくに許されない、校正を何度も重ねる、それでお互い同年者より目を使いすぎ悪くした気がするのである。 彼はずっと文京区在住だったが一昨年の定年退職後は、陶芸もしたいなどと漏らしていたが年賀状さえ途絶えかけていた所だったが。
 転居先は京都市山科、また遠いところに急に移ったものです...。 滋賀県の出身だったから、京都は見知らぬ街でもないかもしれぬ。 
 年齢的に親の介護などと関連もあるかもしれないですが和風系、美味しい京都の漬物、宇治のお茶、好物に囲まれ楽しく暮らして欲しいです。


 この郊外に住んて長い、便利だしいい街なのですがふっと、知らない街に住んでみたくなる、まるで別なことを始めてみたくなる、一度しかない人生なのですからね。
 人気TVドラマ『相棒』の、右京さんの元妻たまきさんの小料理屋などを夢見るところ。 でも芋の煮っ転がしさえ玄人風にはできないし、好き嫌いがはっきりだから嫌いな客は水かけて追い返すだろう、長く持たない、即閉店、効率悪そうですわん―。   12.5(土)



漢詩の勉強会
 公民館で『桃源詩会』という漢詩の会があるのは気になっていた。 中国文学の「華」も読めたらいいなと、予約して今日初参加しました。
 ほぼ60名以上、ほとんど若くはない人たち(わ・た・しも)でとても熱心、それ以上に、石川忠久講師が声も張りがあり、日本語中国語混ぜあわせて読み上げ、ユーモラスに歴史もおりこみの解説。 NHK教育tvでの講座担当のこの先生はパワフルだ。懐かしい白チョークでの板書、水茎麗わしい漢字を大きく書いては消し、を繰り返し、楽しい一時間40分でした。
 
 近頃どこに行っても、何でも、パソコン文字ばかり眼に入りむなしい―。 黒板にチョークの音響かせ、正しい筆法に添って(当然ですが)書かれる、漢字の美しさ意味深さに改めて心酔です。 いいものに出会いました~。
 70代後半程のお歳の先生の、中国の詩人や歴史や、皇帝やの性格、詳しい解説と地図を使っての勉強会、なんだか熱中しそうな気配です。 

 この講座は月一回(千円)、ほかにNHKテキスト「漢詩紀行」が必要ですが今日は江南紀行中心に七つの詩を読みました。この国の詩は、五言に七言、古詩(句数自由)、絶句(四句)に律詩(八句)など、長たらしくなくて簡潔で洒落た響き、書・絵画にもつながる美の総合芸術とかんじます。 
 
 師走、でもまだ紅葉が終わらないためか、景気がよくないためか、歳末の慌ただしさを感じない。   12.2(水)



行商さん
 知人の日記によると京成線では、早朝は千葉からの行商専用の車両があるという、女性と同じに専用車がある。。 
 千葉は暖かくて農産物も、海からの漁獲も多い。 霞が関あたりでも以前、千葉のおばさんが荷を背負い、菓子やつまみ類、果ては牡丹の苗木まで売りに来て、話しっぷりにひかれつい買い物をしたものだった。 「金閣寺」という名の黄色い牡丹は家にはなかったので、親のために買ったりした想い出。
 
 子どもの頃は行商さんたちの運ぶ海産物で育ったのかも。 海から遠い内陸で、佃煮類、魚の干物類、塩辛など加工品ながら海ものが常食だったのはまさにこの行商の女性たちのおかげです。 細い小さな体に大きな荷を背負い、毎週位にやってきて母とも仲良し、時に場所お借りします、と、昼はお弁当を拡げて休んでいくのでした。このおばさんたちは得意の家を持っていたようで、いつもほぼ同じ人が来た。
 ある日道端で石けりをしていると、めったに来ないおばさんが「じょうちゃんち、おあきんどさん来てる?」と聞くから「うん、来てるよ」と答えるとがっかりした感じで道を下って行った。 大家族の家は寄りたい家だったのだろうが遠慮をしたのだ、と子供でも分かった。 
 それにしても米穀通帳があった頃、どういう事情があったか貨幣よりも、いつも米を所望し、空になった背にまた重い穀類を背負い、何処かに去っていくのでした。 が、あの人たちはどこの誰だった? 戦争で夫を亡くした人たちだったのか、日本の人だったろうか? 今になって思う。 働きものだった行商の、物交屋さんたち。 11.26(木)





晩秋の食べ物
 浅草でそばを食べようと検索したら、まあ有名な店でもその口コミはいろいろ。二度と来ないと書く人もいれば病みつきになる、と書く人もいる。人の主観の幅の広さ―。
 鴨なんばんを食べようと決めある蕎麦屋に入る。小奇麗だし店の構えはいい感じ、言わなくてもお茶、お冷、ソバ湯までさっさと出てきた。 が、アジはひどいのである。そばもそうめんの様だ。煮込んでエキスを出してこその鴨が肉は血がにじんでいて薄味、こってり油気もない。 味にうるさくない同級生も同感ぶつぶつ、鴨は値段もそれなりなのに、がっかり。 
 鴨南蛮はどこの蕎麦屋にもあるわけではない。 よく食べたのは赤坂の『兵衛 ひょうえ』、寒い冬はこってり温まり、拝みたくなるような美味しさです。 自前でも冬になるとよく作った、鴨の麺類はコクがあって舌も少しは自信あり? 
 近頃は外食も少なくなったけれど世の中の味は、最近こんな風になっているのかしら? 良く食べた赤坂・新橋・虎ノ門、それに新宿、この辺りの味を知りたい。
 とにかく好きなものは、自分で作るのが一番です。  11.23(月)




大きな羊の会
 美しいという字は羊が大きいという風に書きます。  美の狩人さんらの俳句の会、羊の会の落語の会に今年初めていきました。 世話人が武蔵美の実技校、武蔵野美術学園の園長先生で、場所は浅草東洋館。 小じんまりした館は、2000年に東洋館と改名、スタートし直した元浅草フランス座で、ここから渥美清、ビート武さんらが輩出されたのだとか。
 
 金原亭世之介さん、林家正雀さん、前座は古今亭ありがとうさん。 18時半から21時まで、中休みを入れ長丁場、木戸銭2千円は何かお得。 補助席も出て大入り、正雀さんのおどり「松づくし」まであり、たっぷり味わいました。 噺家さんは一人芸で何役もこなし、とても芸達者尊敬してしまいます。
 
 出し物に『堪忍袋』がありました。 夫婦げんかばかりしている夫婦に、大家さんが堪忍袋を作りそこに何でもは吐き出すよう勧める。 袋にお互いに言いたい放題を言うと不思議やストレスが吹き飛び、以後丸くおさまり、誰もが堪忍袋を頼るようになりました。そのうちに、おや、鳩山の坊ちゃんまでしずしずとやってまいりまして、
 「オザ●~!シネエッ!」と捨て去りました(爆笑)。 

 さて世話人丸亀先生は和服、いいですねえ。 気さくな方のいつもと違う和のお召しものはなかなか、口上を述べ、学園の宣伝もちらり。 会はデザイナーから芸者さんまでそろっていて、世話人さん総出の受け付けは賑やかで和やかでした。 
 日本人はみんな着物が似合いますね~、年齢とともにこれからはどんどん、和のゆったり衣服を楽しめたらいいです。 冬は暖かく、手入れも楽しみの一つになる、つい正月の楽しいだんらん、父のいつもの茶色の大島をを思い出しました。  11.22(日)




アジア回帰
 遠いジュネーブからメール?  年賀のやりとりも絶えた同い年の昔のボスがまだWHOに関係していて、アングロサクソンの横柄さと支配欲に辟易した、アジア的見地でしかもうものを見ない、と酷く怒り訴えてくるが今、私に言われても―。  
 言わせてもらいますと、彼(等)もかつて欧米お追随に見えて、ひそかに軽蔑していたのです。 日本の学究・官僚は90パーセント以上がまだ鹿鳴館状態、黒船ショックをひきずっているかに見えます。
 私は若いころから白人に民族的な引け目がないのです、全盛期のハリウッドの映画界と、明るいあの社交的性格を除いてはね。 
 国の頭脳部周辺の人間たちの、アメリカではー、欧州ではこうだからー、を聴くたびに無性に腹が立っていた、自分の国をよく見なさいっ、誇りをお持ちなさいと。 

 年齢が重なるころになり皆一様に、自分のルーツを振り返りはっとするのだろう、鏡を見ると自分の姿はみな、アジア人そのもの。 
 土地の痩せた地の狩猟肉食民族と、温暖な農耕民族の差は、国際会議では特に白黒はっきりしている。 アジアの国は気候的にも食糧に恵まれ攻撃性が少ない民族なのだ、飢えた者ほど前にでてきて強い。  
 ブルース・リーの師匠にイップマンという人がいた。 その拳法の師は言った、
《しなやかでなきもの、力強いものはいつか必ず、壊れる》、前も書いた覚えがありますが。   11.18(水)



晩秋
 努力しているわけでないが、世俗に背を向け自分の世界に埋没しかけているわたくし。  政治に社会に、今更もう何をか申そうゾ。 といいながら気になる、若者の就職率。 中部のある県で高校生の就職率38%と聞くが、希望に燃える若者に職がない不幸な国、老人ばかり増える国、その老人が、働いた果てに貧しくて幸せになれない国―。 これでいいんでしょうか。

 子供のころはおろか、現役のころに想像もしなかった事態は次々起こり、多すぎるチャンネルのテレビはおバカ番組と、豪奢な高級旅館のテーブルをこれでもかと放映し、家を失った人の群れが給食(求職)に群がる歳末が来る。  救いは、公共の無駄遣いにやっとメスが入ったこと。 でも、事は慎重に恨みを買わないような調査質問をしてもらいたい。  人は石垣、人は城、情けは味方、仇は、敵なり。
 世を捨て竹林に逃げ込むようなのは後ろめたいな、賢人でもないし酒好きでもなし―。   11.16(月)




お座敷舞
 国立劇場小劇場では、毎年秋に舞の会ー京阪の座敷舞ー がある。 ここ三年観に行っている。
 座敷舞は古いお茶屋文化のある京阪から発し、京舞井上流は男子禁制の祇園だけの舞、山村流らは大阪の古い花街で芸術の高みまで拡げた日本の伝統芸。
 なぜこういうものに興味がわいたかは、歌舞伎、インターネット、良い師と仲間の存在、そして、消え行きそうな日本の古いものらへの畏敬・愛情である。 

 「舞」は神々へ奉ったものから発展、民衆のたのしみに変わり、お大尽らが競ってスポンサーになり芸子らも、家計を助けようと志願してきた人が多い。 思えば現在その形が続くわけはないが、当初は選ばれた特殊な者相手だったとはいえ美しさを追求し、厳しい修行に耐えた人間の「舞」は、観るほどに心を打つものがある。  いまは住宅の建築様式も座敷文化も遠のき、東京・大阪のお茶屋も激減している。 が、総てが消滅しているわけではない。
 楳茂都梅咲さんは80歳を超えているが、彼女の舞う『綾衣』は、いま若さ匂う美はないが、舞って舞って、舞の辿り着いた果て、余計なものをみな削って残ったものの、なにか尊厳のような美しさに、心ひかれた。

 最近やっと、和の古典の、楽器・声楽・舞いらの総合芸術としての素晴らしさに気づくのだが、かなしいかな、亡国寸前の飢餓状態から欧米志向で発展してきたわが国で、このゆるやかで謙虚な美の世界に、私も含め、眼を向けるのは現役を退いてから、しかも食わず嫌いが多い、というのは残念至極です。 
 先日はアラフォーの男性舞踊家の五耀会の旗揚げもあった、若い人にこそ、心の鎮めにも勧めたい古典回帰です―。  ちなみに、私の所属する教室は低廉な指導料、発表会出演は自由、世間のあの日舞の概念とは違うようです。    11.15(日)




花形歌舞伎」夜の部
 雨の日に久しぶりの歌舞伎。 11月夜の部は尾上軍団と亀次郎さん中心の舞台。 ここに一人加わった上方歌舞伎の愛之助。 大向こうさんが隣の席にいて、気分よさそうに「音羽屋ッ」。  離れた所から「萬屋~ッ」 「おもだかや~ッ」。 
 さて愛之助が花道を、はんなりとライトを浴びて登場すると、後ろで「おとわやッ」。
 隣の愛ちゃん贔屓のおばさまとすっかり仲良しになっり、「エ~ッ、おとわやァ???」、と合唱してしまった。  するとお隣の席のおお向こうさん、数秒後「松嶋屋~ッ」。 お、ありがと!!
 おおむこうさんは高齢者が多い、よく役者を見ないで発している人もいる様子、之は困るよなあ今まで気付かなかった。。 

 愛之助は聞きなれている為ばかりでなく、口跡がはっきりして聴きやすい。 松緑さんは現代風で早口、私にはいつもよく聞こえないのだ。 菊之助は姿も声も見事おみごと、将来が楽しみ。 

通し狂言 「三人吉三巴白波」は、お譲吉三に菊之助、和尚吉三に松緑さん、お坊吉三に愛之助。 お坊といっても愛之助は黒の紋付博多を結び二本差し。
 月もおぼろに白魚の―、の七五調は菊之助の美声で最後まで長丁場を聞けた。  盗人白波の物語は江戸の芝居には多い。貧しさゆえ盗みを生業とした人間にも、生きねばならぬ事情と悲哀を感じ、人間の切ない物語になる。 盗人を憎む前に、人間の業を見ては涙したり。

 もう一つの「鬼揃い紅葉狩」は、亀次郎さんの舞踊劇。 自己主張の強い優れものの役者、可憐な姫から鬼の姿に戻り、舞い踊る姿は上方舞と違うが魅了される。  小柄で小回りのよさが身上の人、技と根性が見えるようで圧倒される。 でもその可愛い姫ぶりに、個性的すぎる亀次郎をみるたび尊敬してしまうの。

 演舞場はもともと芸者衆の踊りの発表の場、芝居になるとやはり歌舞伎座のほうがお遊びランドっぽい。
 今日はこんがり鯛焼きが無償に食べたかったが歌舞伎座でしかない。 仕方なくアイスクリーム350円を食べました。 場内は暑く、扇持参します。 

 かの歌舞伎おばさまは、もう昼の部も観ていた。 愛之助と松緑さんの「浅草祭り」での毛振りに、拍手が鳴り止まなかったそうな。 とても楽しみです。   11.12(木)



『点と線』
 いつか(2007年)見たドラマが再放映されていてまた見てしまった。 松本清張の記念年らしいですね。 人間性の奥深くえぐった暗い物語が多いが、いやだなあと思いながら、観てしまう清張もの―。 
 書き手松本自身のような、執念の刑事は『飢餓海峡』、『砂の器』でも配置されるが、結局、権力と腐敗は人の死により封鎖され、いつも真実は闇の中、という主張。  止まない政治家の急死にはいまも、不気味な薄闇を感じるもの。  ちなみに、これほどの根強い人気を保つ作家松本に、公けには、なんらの賞一つ与えられてはいない。
 
 このドラマは1958年に映画化されている。 東京タワーが出来たころ、11歳の私はなぜかこれを見ている。 誰とどこでなぜ見たのか忘れたが、自分の家の庭だったかもしれない。  映画館が遠いため、学校で、神社で、庭の広めの家で、映画会があったころです。
 
 『若様侍捕物帳』や『水戸黄門』でなく、この推理映画は難しかったが、主演の若い刑事が南 広、年寄り刑事が加藤 嘉、その風貌は今も記憶にある。  東京駅ホームの4分間が事件の決め手だった時刻表ドラマ?『点と線』、おぼろな記憶が、平成のテレビドラマで粗筋が判明したのである。
 でも、配役にすこし異議あり、犯人を演じる東映の名悪役者 山形 勲に匹敵するに、ちょっとコケティシュなおもろい柳葉敏郎というのがね―。  私としては踊る捜査線『レインボウブリッジ封鎖せよ』の、頼もしい室井慎次警視正のイメージが消えないので。  また、犯罪者で不治の病の夫人の、極めて張りのある肌、明るい健康的笑顔と、哀れな東北出身のお茶屋の女の、あまりに都会的な垢ぬけ方が、この深い物語をすこし軽くした気がするのですが、これが〈平成〉、というものか―。 

 秋の夜長、皆さんホームページの更新もいささか遠のき、何をしておられましょうか?
初老のはなこも忘れないでくださいね~。  11.9(月)




その後のはなちゃん
 相変わらず人間並みの顔をして、顔を合わすと何事かにゃごにゃごよくしゃべります。 が、あの驚愕のヒステリー状態は起こしていません。  年取るほど野生の血が騒ぐのは、この子らが、人と暮らしてまだ日が浅いからでしょう。 誘惑のベランダにはもう出さないことにしました。

 友人の友人の猫は、まいにちブログに出演するほど可愛がられていたのに、或る日ぱったり止まった。  で聞くと6階から落ちてあっという間に消えてしまった、ということで、ぞっとする話です。 元NHKアナ、下重暁子さんも4階から愛猫が墜落し、一年間仕事ができない状態になった時があったとか。

 ともかく日光浴した布団でぬくぬく共寝、ホッとカーペットも使い出しいよいよ晩秋。  それにしても、この猫たちの顔はなんて整っていて可愛いんだろう、浅田真央ちゃん猫版だ、愛しいッ! 
 寒いのは大好きでウキウキする、北国仕様の家なのです。   空気は冷たく、冬はおいしいものばかりですね~。       11.7日(土)   



霜月の月
 月もおぼろに白魚の、篝もかすむ春の空―、
というのは「お譲吉三」の名セリフ、しかし、秋の月はおぼろではありませぬ、澄む夜空にまんまるくっきりと、何と美しいのでありましょうか―。

 暦はあと二カ月で終わりになる、これまたなんと、暑いの寒いのといいながら時間は早く過ぎるのでありましょうか、したい事はいっぱいあるのにほとんど上手く進んでいない、焦りながら霜月11月を迎えてしまったのです。

 言うほどに寒さも感じない日、見附に近い赤坂レッドシアターに映画『宮城野』を見に行きました。 東洲斎写楽は、北斎ほど好きでない。 しかも、いつの時代も奢れるものの裏に陰の存在の類はあったらしい。  ひそかに不明確であれば、小説・脚本にうってつけ、というものだ。
 ニセ絵師愛之助さんは左利きなのかそれとも演技なのか、絵筆を左手で握っていた。 映画に ノーメイクで汚れ役もこなしている。  しかし、人権蹂躙の遊女の世界は胸が痛む。  もてはやされ憧れられた花魁とて身を売る貧しい女のあだ花でしかない。  人間は善良に生まれても悪に負ける、しかも悪は人をなぜか魅了する。 すべての悪の原因は何時でも 貧困 である。

 久々にR子さんと懐かしい「栄林」でランチして「しろたえ」でモンブランとコーヒーでおしゃべり。 まだお稽古には復帰は難しそうでした。  

 どこにでもある欲望的飲食街になった赤坂のまち、その昔は、落ち着きのある静かなオトナの町でした。 仕方ない、国がこれだけ貧しくなっては―。   11.3(火)




坪庭のあられ
  雨降る山麓の野辺山、山も見えない氷雨の日に動物ランドの滝沢牧場と国立天文台にゆく。   
 牛の子らが9月に生まれていて可愛かったが、これから冬、風邪引かないようにね。
  
      
             生まれて一カ月セヴンちゃん
 この日は種種省略し大泉の温泉に浸かり葡萄酒とビンゴゲームして就寝。 ビンゴの数字読みで声が涸れてしまったみたい。 
 格安で使える清里山荘は、管理・規制が多く漬物に包丁も使えない。 素朴な山小屋の風情というより、建物は立派であるが―。 ま、雨露しのげて二食付き有難うです。 

      
                 女流画家M子さんと
 さて翌日はほぼ日本晴れ、山も空も紅葉も、中央高地の大きい秋の景色、満足でした。
 お宿のデラックス山小屋、美大山荘を早朝出て、中央自動車道最高地点(標高1100mあたり)を下り白樺湖、霧ケ峰から北八ヶ岳のロープウェイへ。 
 都立大生態学研サトシ君の研究テーマ、北八ヶ岳の縞枯れ山(しらびその自然淘汰現象?)を下に見て7分でいきなり、2,200メートルの坪庭に上る。  ここをよじ登ったり歩いてさらに上ると縄文時代にあったらしい噴火の残骸がある!  
 江戸期の浅間とおなじ溶岩の原っぱがある。  死火山の筈がこんな風景に会うと、山麓に実家のある身には不安がよぎる。 もし噴火したら我が一族は、墓ごと埋もれて消えてしまうだろう。  こわいなあ―、私の生きてる間はどうか噴火しないでください。 
                 
                  美しい賢そうな顔

 くるくる変わる山岳の天気、俄かに霧に包まれあられが降ってきて寒い。  遭難もしないとして時間もたっぷりないので引き返す。 ぐるりと回らないのは惜しいが、また来た道を下りのゴンドラに乗り下界に。 
     
                  百人乗りゴンドラの駅
 下りれば色づく紅と黄の展開と山の稜線がくっきり、晴れると富士もアルプスも見える、見慣れた山はやはりいい。 季節を体に取り込み諏訪インターから調布まで戻ると、耳がパカパカ、標高差の気圧に体は少し悲鳴をあげました。  10.28(水)




猫の家系

 はなこの家系図をみると、ひい爺ちゃんとひい婆ちゃんは兄妹の様です。 血統書には代々の登録番号があるので、一番違いというと兄弟なのです。  まだ大丈夫と思っているうちに、知らぬ間に兄弟で交配してしまうこともありうるのでしょう。  でもそれを、商品とするのだろうかとは思うけど。
 赤ちゃんのころ獣医さんに、こういう子は、潜在的な病気はあるかもしれません、と言われていましたさして気にしていなかったですが。
 動物も老いると、夜泣き、徘徊、粗相、と人間と同じようになる、もちろん認知障害も。
 生まれたら皆、「生老病死」から逃れられません。 今後、近い将来まだらボケが始まるだろうと覚悟して、生後数十日でやってきた可愛いはなこを護っていきます。 でも結構長生きして、二十年も元気でいてくれるかもしれません。  伝説になった猫のひょうたろうくん、まりやさんちの黒猫やまとちゃんほか周りには、二十年近い長寿猫が多い、はなこ、がんばれー。  ひと雨ごとの秋の深まり、猫といっしょに眠りこける季節となりました。
 10.25(日)



錦秋特別公演
 
先週末五反田にて、東京公演が昼夜ありました。 昼の部は完売で夜の部を鑑賞。
 林 英哲の和太鼓、高橋竹童の津軽三味線、そして中村兄弟、勘太郎と七之助の歌舞伎踊り「二人椀久」。 半ばで塗りを取り洋服に着かえての特別のトークタイム、そして最後は全員での熱っぽい競演『芯』。 心をゆするアーテイストは大抵、人間的にも磨かれてゆく、相手を思う謙虚さを若くても持ち、いろいろなお話も楽しく聴けたのです。

 実は目的の第一は、今年57歳の英哲さんの和太鼓だった。 けれど若い竹童さんの太棹も、息の合った中村兄弟の踊りも素晴らしくこの日は満足、もうけもの。 
 伝統芸能は骨にしみわたる、政治はおまぬけでも舞台の上の日本の男の意気地は世界に引けを取らないわ、なんて思ってしまった。
 カンタの踊りはいつも清潔で爽やかそのもの。 七之助は年々女っぷりが上がり、想い人の幻の「松山太夫」は女性より遥かに麗しい―、眼福とはまさに、このことです。  10.22(木)





秋はたけなわ
        

 郊外の知人に頂いた秋の実、カキとカボス。 ジューシーでドレッシングにぴったりのカボスは九州、もっと小さくて焼き秋刀魚にいいスダチは四国の産だとか。 豊かな南国は柑橘類がいろいろあり、なかなか区別できません。

 今は一年で一番すごしやすい、本当にいい季節。 着物は袷でいいとして、外出時の洋服には悩む時です。 
  10.17(土)




鎌倉をドライブ
 
二十代の頃の仕事仲間三人が、今は鎌倉に住む広子さんの案内で海べで会うことになった。 
 クルマ好きの彼女は、電車に乗らない都会の女、産んでも変わらず生活感もない...。 同い年でも視力がずっとよくてほっそり、いまも昔もカッコいい。 神宮あたりをちょいちょいドライブしてくれたのはもう、何十年前だろうかしら。 



   
千代田のおとめ(右ひろさん)         ン十年のち鎌倉で

 もう一人宣子さんも同い年、今も黒ジーンズがよく似合う。 舅さんの介護で旅行もできないが、腐らず明るい性格で天使の領域にいる。。
 しかしそれにしてもちょっとまて、あなたたち、どうして何時までもスリムでパンツやパンプスが似合うの!なに食べているの?この歳でずっと42キログラム(私は48もある)をキープ、しかも寿司もケーキももりもり食べる―。 私はいちにち二食にしたくなった。

 秋の湘南の海は穏やか、積もる話に時は過ぎる、時よ止まれ―。 たくさん話しましたねえ。でもパソコンだけはほとんど嫌い、ダメらしいのねえ。
 しかし鎌倉は、海山に恵まれている。 民家も通りもきれいで目に優しい。 条例で生垣を作り家を隠さず囲わないとあるとかで、高い壁やブロックがない。だから、のどかな庭の風景、洒落た家のかたちがよく見える。この緑の深さ、光る海とかもめ。 にぎわう江の島や材木座海岸あたりの向こうは、稲村ケ崎、観光地を少し外れるとこんな静かな海岸と町があるのですね、気に入ってしまった。。 

 次回は車を置いてお寺を歩こう、ということになりました。 建長寺にはずっといっていません。 でもいつになるでしょう、たのしみに待っていますが皆、今もなお多忙の様子です。  10.16(金)




日進月歩のデジカメ
 
ここのところデジカメがおかしい、、ヘンな輪ッかが写る。 あの、シンレイ写真?まさか。
 2004年ごろ購入してもう5年、...まだ5年。 もったいないの世代だもの、カメラは十年持つと思っていた。 たしかに、モニター画面は小さくかなりロートルなのだろう。でも使い勝手が慣れていて捨てたくない。 撮れればいい、くらいであまり機械類に興味がないから、点検してもらってこのまま使っていくつもり。 
 今はほかのモノで余暇用予算が消え失せてしまっているし―。
 それにしても、画素数が年々増えて一体どこまで行くのでしょうか? こうやって買い替えを促してはまた進歩してゆくらしい。 
 プロのカメラマンやマニアさんと違い、子供のようにとにかく撮れればいい、のアナログ世代は、どうしたらいいものやら。 
 でも、樋口可南子お勧めのカメラ、一眼召しませ!シリーズ、気になるなあ。 あの白犬の亭主を叱るところも凛々しい、きれいだわぁ可南ちゃん―。        10.12(月)



はなこがまた
 雨が降りつづき、さむくなり、ホットカーペットが恋しい日、しかしまだ秋の服のない日、はなこが消えた。
 網戸をまた開けて? いや開いていない、開けても閉めないから。 でもちょっとしたすきにくのいちになり? 心臓がドキドキ。 
 はな~、はなっ! 探し回っても狭い家に返事もない。
 納戸の布団、寝台に乗ったこんもりが怪しい、と、押しまくるとまんまるもこり、いたか! にゃあ~んにゅ、とか何とか言って、布団にもぐりこんでいました。  ついこの間までは板の間で世捨て人の風情で伸びていた猫が、もう寒さに綿の中に身を潜めていた。 ダブルの毛皮を着て、情けない猫です。 でもこの気温の変化は確かに大きすぎ。

 関東は台風が去って、十月の青い高い空。  取り忘れたむかごは皆、嵐でおちてなくなっていました。

   
       10.8(木)




墓参り
 秋は兄弟5人が集まり墓に参る習わしができた。 未来も少ない年齢に向かうと、昔々のお話がはずむ。 私が生まれた翌年に他界した祖母は、姐さんと呼ばれ皆に崇められた女傑だったらしい。 長い煙管で刻みタバコを吸う人だった、と初めて知った。  たしかに取っ手付き煙草盆が家にはあった。 髪も結い花魁のよう?会いたかったなあ。 でもうちはずっと堅気です。
 ...、私の知らないことがまだある、親はいなくなっても。   10.7(水)




矢切りの渡し
 晴れてきれいな日、古い知人が〈矢切りの渡し〉に案内してくれました。
 川は東京と千葉の境、伊藤左千夫の『野菊の墓』の舞台もある場所には、ずっと憧れていてやっと念願かなったのです, ありがとうSさん!
 国府台から里見公園を散策して矢切りの渡しへ。 観光客相手の小さな船着き場、以前は船頭さんはそれらしい衣装を着けていたそうです。
 ♪ 連れて 逃げてよ~、と道行するにはふさわしそうな藪に囲まれたあっちの岸、こっちの岸。
 江戸時代そのままの渡しの小舟、静かな川面の日は手こぎなので、滑るように音もなく、船嫌いの私も安心の10分間。もっと乗っていたい、川にかかる鉄橋の景色も雄大。
 つい見とれて写真も取れずに、小さな桟橋からまた、小さな桟橋へわたるのでした。 時代劇によくある、あの、≪お~い、舟がでるぞォ~~ィ≫がきけなかったのはちょっと残念、渡し賃は100円、です...。 



 
向こう岸で待っているお客            乗り遅れちゃったひと

 
       
           乗客は10人以下でした。

      
            人もほぼいない、晴天秋日。

      
        静かな江戸川、向こう金町の高層ビルの二階にも山村の稽古場が。

 その後は帝釈天にお参り、金町に出て美味しいおそばとお料理、冷酒に満足、ごちそうさまでした~、童心に帰っていました。。  10.3(土)