秋冷
 はや駆け足の秋の到来、先週は暑さに苦しみ、今朝の気温に着るものがまだない。  早くも猫の体温を当てにしだし人間は、こんなにも外気の温度に右往左往する弱い動物なのですね。。
 明日からは10月。 このノオトも時々は休みもいれて飽きないように―。
 
 頭をよぎる、『血闘高田馬場』、の喧嘩安べえへの優しい叔父のセリフをまた、
 ‟安べえ、、酒は過ぎるな、心は平らかに、早寝早起き、言は慎めよ―” ...。    9・30(木)




コスモスの高原
 春秋の彼岸には、何となく兄弟が生まれた家に集まりたくなる。。  両親が長寿で他界したので、いきなり一斉に老けこんできて困ったものです、とほほ。 まだ気分はみな若くてもに、戸籍年齢は正直に少しずつ変化をもたらします―。

 墓にいつも咲く真赤なヒガンバナが今年は咲かない、今年の異常な暑さで、敷いた砂利が熱し過ぎ枯れたらしい。 せめて球根は無事でいてほしいものです。

 清里の萌黄の村は初めて行ったが、夏場は若い人でにぎわいそうなロマンチックな場所、カメラを持たずにおしいことしました。 森の中に、花や野菜を植え込んだこじゃれた店が点在して、標高も高いから涼しい奇麗なスポット。
 また川口ゆり子さんの≪清里フィールドバレエ≫は、旧盆ごろ夜の野外ステージでずっと長いこと開催している。 不況の今も連続し、ちょっとした有名な催しになっている。 夜の野外で薄い衣装で、もしすこしでも山の霧にまかれると、バレエは跳躍が命だからそれは大変な冒険なのでしょうに。
 
 次兄の庭は今コスモスの花が満開、狩人の「コスモス街道」や「あずさ二号」等思い浮かべる八ヶ岳の秋の始まり。     9.28(火)




calcium、食と肥満と
 右の人差し指は過労気味、集中して酷使すること十年以上、いや何十年―、英文タイプ時代も長かったが、あのころはコラーゲンもグルコサミンもカルシウムも充分足りて、確定キ―はなく。。 
 アマゾンで探して、左手でも使えるマウスを探し当てたところ治りだした。 きっと、初めてのサプリがきいたのかも。 
 サプリの種類の多さに驚いていたが、ワダカル『コラーゲン&カルシウム』一日5~7粒イチゴ味、甘くできているのを食べだし一週間目。 でもこういうのは嫌いだから、全部食べずに終わりそうで近頃は、鳥の手羽の煮物に凝っている。 
 骨皮付き肉をほぼ同量の酢・水・砂糖で煮詰めるだけ、ここには潰したニンニクと皮つきの生姜を初めから多めに加える。 鶏肉は調味料で変化して、煮凝りもおいしい。 

 やっと人間に戻る涼しい日になり、食が進み太らぬよう気をつけよう。 ゲゲゲのお父さんの風間杜夫は、還暦になって腹8分から7分にしたそうな。 カンレキ過ぎているあのジュリーに、愛情持って聞かせたい。   9.25(土)





名月
 
昨夕買い物帰りに空に奇麗な月がありました。
 九月の末、中秋の月を愉しんで眺めた実家の庭、夕食後は庭の真ん中に椅子を出し、まんまるい月に御面会したもの。  ホトトギスの庭に虫の声が聞こえ、長袖でもひんやりするような涼しさでした―、涼しさは頭を冷やしクリアにしてくれます。。  
 最近ボーっとしてしまいがちなのは、トシと高温のダブルのぱんち。 今日の雨は全く恵みの雨ですうれしや。 

 33℃と暑くて風情も何もない今年のお月見でしたが、ともかく晴れてお月さまに会えて、よかったです。   9.23(木)




敬老

 最近の家族の問題は、今後の暗雲です。 必死で育てた子も他人と変わりない、別人格になることが浮き彫りに...。  敬老、の言葉はさびさび空しい、きちんとした家も多いと思うが人間が益々ただの動物に見えてきます。

 父がなくなった年に来た赤ひれちゃんが、今年の夏昇天した。 都会の水道水でも、7年以上生きたのはえらい、仲間たちはとっくにいなくなっても、長いこときれいなボデイで楽しませてくれた。
 歳月が過ぎ、父親を亡くした悲しみが、少しずつ癒えても、ヒトより体格優れた男が97歳になると42キロの白い少年様になり、消えていったことは衝撃のまま残る。 父さんの好きな菊の季節が来るころなのに、今朝も風に秋はなかったが、幸い秋刀魚が値下がりしもう数回頂きました。    9.21(火)



虫の声はしても
 九月の雨に、ときにやっと秋を思わせる気温になったものの、コンクリートの家は魔法瓶、ニュースが報道するようには涼しくない。  眠る時もまだ冷房、しかも、ビルの大規模修繕に入り、建物はネットで囲まれました。

 職人さんの気配が窓によぎると、猫は目を丸くして緊張、何が始まったかと怖がるので、判るかどうか不明でも、一応説明してみました。 すると、わかった、と小さくうなづいてだんだん気にせずふて寝をするようになりました(なんと順応的はなさん?)。

 前回工事の時はネコはいなかったし、昼は労働中で静かな夜しか知らなかったが、昼のドリル等の騒音で、『水戸黄門』の台詞〈懲らしめてやりなさ~い〉などが聞こえないときがある。  今度そういう時は駅ビルの本屋か何処かに避難したほうがよさそう―、猫は納戸で眠ってもらうしかない。
 秋の間続くため 住人の植物らは一階の狭い草地に運んであるが、資材で入れず、水やりも工事の人のお仕事です。  
 窓に見慣れたグリーンが見えないのはほんとに空しい。 家の中にあるのは松、しだれ梅の鉢のみです。 今年は電気代と切り花代がかかりまするよ。    9.18(土)




郡上八幡
 
という市はないらしい。 郡上市の八幡町は郡上踊り、郡上地鶏で有名なところだ。 今年は2月9月と二度も、岐阜県に縁がありました。。

 さわさわ流れる水路の水の都にも昔の街並みが残る。 が町のおじさんによると、伊勢湾台風時は間一髪、高台まで水が来たという。 
 郡上おどりは一ヶ月間以上、町を挙げて休み休み朝まで踊るという。 観光客には500円で講習会があり、買った下駄を鳴らし調子よく馬の手綱を取るような振りの「春駒」など踊るのだそうな、曲も盆踊りらしくて賑やかに。  越中おわら節の静かな舞踊りとまた趣が違う感じ。  馬や稲刈りや農作業にまつわるお祭りと踊りは、ずっと残してほしい、東京から遠いほど、旧い日本が残っているようです。
 

      
            
                  水路には太めの鯉がいっぱい。

 夏はひとまず終わりながら、九月半ばも炎暑、南洋で暮らしている如し、たまりませんー。 9.15(水)  





曹洞宗大本山永平寺
 
「ここには京都の寺ほかにあるような、国宝やまばゆい美術品はありません、道元禅師のおられる禅道場の寺です。 みなさんはぜひ、今日ここでは〈観光〉を忘れ、禅の心でお参りして頂きたい」 
 若い雲水に入り口で説かれ、二時間自由にお参りした三度目の永平寺参拝。 すり減った長い階段を上がり下がり、山門では霧の様な驟雨に出逢う。 北陸はあのフェーン現象でも名高い?暑~い国なのだ、 何もかも修行です。。(9.3)

     

        
        


 今日の関東は、すごい暑い日でしたが下町まで稽古に行きました、これも根性養う修行か。 課題曲がやっと上がり厳しい先生〈これでほぼよし〉、を出してくれました。 当分休憩―。  9.11(土)




夏の山と花

 先月半ば、富士山五合目に行き麓の花の公園に行きました。 百日草は幼馴染の大好きな花です。

       
                  今年は晴れて山頂もみえて


  富士山大社小御嶽神社で 二礼二拍一礼            花の公園

 五合目は気温20℃五月の様な爽やかさ、下界は今年は大変でした。 木の家はもうだいぶ、夜涼しくなったようですね。                                        9.10(金)




夏のちいさな旅
 郡上八幡から戻った翌日、なんと水の郡上は39℃を記録、今年の夏は〈災害〉と記録されるようです。 エネルギーを好きなだけ贅沢に消費してきた半世紀 でしたが。

 

     東町のながし            風の盆の石碑のある聞名寺のステージ 

 

                 日本の町百選の諏訪町通り


 北陸は、都会の急ぎ足と別世界に人が住んでいて、将来は、縁もゆかりもないこんな見知らぬ街にゆったり住んでみたくなるな―。
 
 日本中から人を集める〈越中八尾のおわら風の盆〉は、夜の町流しが一番の見所ですがカメラ手にした群衆のなか、背が低いのですぐ壁を作られました。 美しい手踊りをうまく撮るは、玄人でも困難らしい。 
 町の通りの様子は少しわかったから、次回があれば、電車で始発に乗るつもりで、夜中の静かな踊りを味わうのがよさそう。 観光客のほぼ途絶えた古い町を、町人みなが、本来の、五穀豊穣、風封じの踊りをするそうです。 哀調というより、やさしげで眠りさそう子守唄のようでした。

 
              
 エネルギーのいる町流しは25歳まで、26歳で引退式もあるそうです。  若いとしなやかで汗も涼しげ! 自分が若い時は若さのことを、何も考えていませんでしたね。
 今の日本に、こういう観光のためでない町こぞっての民俗舞踊・芸能がしっかり伝えられているのは嬉しい。    ここで、高音の胡弓は予想外に、低い調子の三味線がリードして、唄と踊りをひきたてていました。

 ユーチューブから天満町 前夜祭
         
            9.7(火)



おわら風の盆
 はじめて越中八尾の風の盆に行き、まだ頭の中をあの、ゆったりのメロディとぼんぼりと町流しの姿が―。  夕刻4時ごろから9時過ぎまで八尾のまちでおわら節と踊りを見回るにたぶん一万数千歩、夜も30℃以上。 一万弱という川沿いのまちが十万人であふれ、それでもああ、よかった、という感動のお祭りでした。 たぶん今日以降気が緩み、疲れが出てくる気配も。
 どこも熱い夏の、思い出の北陸。 9.4(土)





夏の稽古事
 
学校は八月は休みでも、個人稽古事は休みがない。 
 もちものが重いのは疲れの蓄積、しじらに半幅で身軽にし稽古に。 いろんな工夫で夏の着物も涼しくなり、人が想像するほど辛くはない。 ただ、成田まで時間短縮して張り切っている京成線の、日暮里のホームの暑さはただ事でない。すっぽりとホームを巨大ビニールハウス状に閉ざして風が途絶え、雨の日や冬向け、夏に向かないない設計? この駅乗り換えは夏は止めた方が健康にいい気がした。 
 涼しいが旧く狭かった地上ホームが階上に二線になり、アッとハイカラになったが、冷房の待合室はライナーのほうしかない、とほほ。  それにしても、長い長すぎる炎暑。
  
 可愛いオリーブの実が数個。 
      
      
           
8.30(月)



熱帯化の末
 
浴衣はいい、細帯がいい、と講釈してたらおお、アセモがウエストにできそうですよ。 今年から日本は、本格的に熱帯化して、布を重ねる和の着物は夏はだんだん厳しい。 夏はいつも、浴衣の下シッカロールをたっぷり母は使っていた、粉の匂いは赤ちゃんの匂いがしていた。
 大映映画『ぼんち』で市川雷蔵が、大阪の暑い夏、白い絣を着る前にお手伝いの女性に正月の餅なみに首から下、真っ白になるまで粉をはたかれるシーンもあった。儀式のようで印象に残った。 また三角ハラまきは思えばひし形で、頸と胴を紐で結えていたの。

 伊勢丹で見つけたのは輸入品のかぐわしいパウダー、香りは清純な「マグノリア」だった。 最近は何でも「ローズ」だけど、この涼やかさに胸騒ぎ、でも、新しい頂き物のがまだあった。 こちらは少し妖しの匂い「ムスク」、ドキリ。 無駄使いは止めよう。

 デパートなどのパフュームパウダー類は英国製が多い、涼しい国で、シッカロールはどう使うのでしょうね。  8.27(金)




冷房と浴衣
 
母や姉らの手縫いの浴衣が複数あって、もう稽古も外出にもちとためらう柄だから、もったいないなあと思っていた。 ためしに普段着と寝巻に分け着るとすこぶる快適。 腕がむき出しにならず、帯はハラ巻きがわりになる。 衿はしっかり汗を吸ってくれる。 何より、脇が開いているから風が入り、得も言われぬ涼しさ。

 冷房は涼しさでなく冷たく冷やす風が来る、ここで肌丸出しの格好では、体には全く悪いし腕、脚が冷え夏風邪から肺炎になるかも。 使い古した足袋はスリッパがわりになる。 浴衣にたすき掛すると、体に芯ができ腰が楽だ。
 だんだん緩みが来る骨格を護るのは、普段着の木綿の着物と帯ではないかと思った、母世代で腰痛はあまり聞かないし。
 浴衣はどこの家の箪笥にもきっと眠っている、浴衣愛好会でも作りたいところですが「面倒くさい」、の一言で終わるのは残念至極です。
 外来の超手抜き衣服の代表Tシャツは、ある年齢になると体に張り付き見た目も暑苦しい。 が、昔からの綿のブラウスやワンピースは風が通り、夏にふさわしいですね。

〈はらまき〉というと先日、バス旅行で友だちと長いおしゃべりし、何歳ごろから記憶というものはあるのか話し合った。
 私は夏は三角ハラ巻きだけ着ていたころだから3歳ぐらいよ、というと士族の末裔は、やだァ、金太郎のマンガみたい~!と笑いこけた。 同年の都会の士族の姫は何か別のものを着たらしい、あの○に金が描かれた三角ハラまきを着たワケでないが、子供のころは男の子の様な恰好していた記憶、伝説では甲斐源氏の末裔でも、山奥の平民でしたからね。
 ハラ巻きは今女性には大流行りで、絹のニットのは寒い冬には有難い。 叔母に贈ると、絹大好き世代は大喜びでした。 はらまきは、ドスを潜ませるやあさんのコスチュームではない、長い歴史ある冷え防止の下着です。 8.26(木)





金馬さんの落語
 
パラソルさして国立名人会(国立演芸場)にいく。 なんとなく四ツ谷からぷらぷら歩いて十数分、タクシーもバスもいらぬ、最近歩くことが少なくて、昔のなじみの通り歩きは嫌いでない。といってもさすがに、日陰歩きでも汗は出るが風がある。 帰りは木村さんと地下鉄で。

 この日は三遊亭金馬師匠に逢いたいがためもある。 子供のころ、NHKテレビの『お笑い三人組』で、
♪あはは、うふふ、エ~へへのおホホで―、って懐かしいな。
 貞鳳さんも猫八さんもあの世に行ってしまったが、小金馬あらため金馬さんは80代ながらつやつやとまんまる笑顔、口は滑らかで円熟という言葉がぴったり。 「茶金」の京言葉もとてもお上手で自然な大御所の噺家さんなのだ。  

 名人会は長めいい出し物が多い、お公家さんみたいに上品なのに、時々とんでもない大声を発し熱演する金原亭馬生さんの「佃祭」、笑いの渦を巻いた桂 ひな太郎さんの「小言幸兵衛」は特に楽しんだ。 寄席は歌舞伎ほど時間と木戸銭がかからずに愉しめる。 
 「佃」は、家康さんが大阪から招きここに漁業権を与えた人々の町の名だったと、お江戸の歴史の新知識、有難う馬生さん、また聴きたいな。
  8.24(火)




アナログ

 パソコン不具合がサポートで直らず、修理になった。 初めてのことで、まわりのひとが修理費用と不便さとのダブルのショックを嘆いていた話が現実になった。

 メーカーは最悪を想定したことをいろいろいうので驚いたが、現状は保たれて戻りひと安心。 最近手書きの善さを見直し、いつかはパソコンは調べ物や通信などだけでいいかもしれないなどと思った。   広辞苑を久しぶりに使うことになって、辞典の楽しさを再発見、紙をめくる感触が何だか楽しい。 鉛筆で考え、ワードで仕上げて記録、が私には一番いいような気がした。
 仕事場のウインドウズ95以来、マイパソコン歴は長くなったが、一日の時間の配分や今後のことなど、いろいろ考えさせられた。 それにしてもビスタがもう、初期のものは時代に合わなくなり古くなりつつあるのです。

         
          
 夏バテ防止のためのハーブティ、朝摘みミント。

 涼しい秋早く来い―、春よりもずっと待ち遠しいあきですが、まだまだ暑いらしいです。  8.22(日)




8月

 この月はじりじり暑いうえ、どこを見てもいいニュースがない。 消えないのは悲しい記憶と懺悔、そのうえ毎年、思いがけない事件が起こる。
 
 盂蘭盆会の先祖供養をいまはきちんと行わなくなり、義理の様な年忌のほか、寺にもいかなくなった。  ヒトに仏性があるか疑いを持ってしまいそうである。  何か大きな不幸があると、自分のこれまでを振り返ることはせず‟自分は何も悪いことなんかしていないのにい―”、とただ恨み嘆く人をたくさん見てきた。

 子や親の遺棄は、食物の足りなかった古代・中世以来あったのだけど―。。  
 時代ものがたりでは、「この時代、人心荒み、戦火に明け暮れる日々は続き民の命は軽く、役人は汚職にまみれ人情まさに紙風船の如くにて―」 と表現されるが、ヒトは何も変わらない。  
 とはいえ8月には、また先祖を迎える旧盆の地方への大移動。 親のいる時代・子供の時代は楽しい休暇の時間、夏休み、田舎は自然が豊かで子供の世界です。。   8.12(木)




栄養価は
 
高校生の時 瓜を何秒に何枚引けるかのため、夏休みに登校させられた、長い伝統でか全員に何かの資格をつけたらしい、普通課も。 料理も下手な十代のとき、指を血まみれのヒトもでた辛い試験だった。  そのころ必須だった女子栄養大の『食品成分表』の本を、ボロボロになるまで持っていて、今のは何冊目だろうかしら。 読んでいると結構楽しいが、栄養価の超高いヤツメウナギといいうのははまだ、食べたことがないな。

    
    小ぶりでまんまる、とがり気味の頭       高校副教科書の今(女子栄養大出版部刊)

 キャベツに似てキャベツでないグリーンボールは、あまり知られない野菜だがカリウム、カルシウムほか、キャベツよりも優秀、丸ごと、昆布と漬物になって売られている。 でも惜しいかなメジャーでなくて一般に高価でもある。  野菜高騰のいま、なんと198円で買えたのは長野産、高原野菜の産地野辺山や川上村の八ヶ岳山麓のものでしょうか。
 
 清涼な高原が恋しい暑い都会の夏、憧れの北の大地の都市たちも、37℃超えといいます、ヒドイ―。   8.8(日)

 
 

フレンチのらんち

 昔の仕事場におしゃれなフレンチレストランが出来たそうで、元仲間らに誘われ行ってきました。 
 以前は大学内の普通のレストランだった場所、涼しげなテラスも作って白い内装で明るい感じ、おお、ここはどこ?
  お昼のコースは千円です。 とに角野菜中心の前菜の数が多く目移り、豆類やクスクス料理に根菜類に葉物類ほか自由に、たっぷり自分の好きなだけお皿にのせる。  こういうバイキング風は大歓迎、メインはお魚かお肉を選びます。 が各種飲み物以外のデザートのみ別料金。 延々と話しこみ閉店時間までおりました。 近くだったらちょくちょく行きたいような快適空間、スタートした春は沢山並んでいたそうな。
 休日も営業で夏休みに限らず、外部の方が多いようですよ、理工棟、雨水池の手前右側建物ですね。。
(駐車は、イトーヨーカ堂で金券なども可の2千円買い物で無料だそうです)
  久しぶりの大学の広い構内、木々が太り枝葉も成長、ますます丘の上の、森の中の感じ。 ..何年も経つと、南大沢の駅周辺も建物殖えて様変わりです。    8.3(火)




夏の音と噺
 夏はお祭りが多い、少し離れている都営団地の庭で例年通りの盆踊りが響いてくる、高いところには遠くの音もよく響いて聞こえる。  なつかしい『炭坑節』に『帰ってこいよ』。 これを長いこと繰り返す、あの町内会はもしや、福岡と青森出身が多いのかな。  十数年来この曲ばかり。 嫌いではないがちょっと呆れて...。
 
 先週は池袋の演芸場 (左橋の初音を聞く会)にゆき、大いに笑いました。 誘ってくれた友だちMさんのお知り合いの噺家さんを楽屋訪問、駅そば繁華街だから楽屋は狭いものらしいが、女性噺家さんの前座も活きがよくとてもよかった。 
 噺家さんの数は世に実に多いものらしい、しかもみな肉体労働者なのだ。 みなさんがんばってね、 笑いは百薬の長です。  
 8.1(日)




猫の気持ち

                  

 毛皮着た猫たちには受難の季節、いきなり板の間にバッタリ倒れたり、いきなり腕に飛びかかってきたり、芝居じみた行動やスポーツするのは、暑さのため。 でもそおっとチーズの包みを開ける音、牛乳パックを開ける音、これには電光石火駆け寄ってくる地獄耳です。 食欲はちっとも衰えねえ野生...。

 『猿の惑星』の才女ジ―ラ博士は、オイラ、と自分を呼んでいたが、はなこはどうなのか考える、どうなんだろう―。  私も少し、変になってきたかも。  7.28(水)

  



氷の花

   

 府中大国魂神社のすもも祭りは7月20日、ケヤキの大木の参道のむこうが涼しいお社です。 源平の合戦のころ由来の行事が残り人出は最高、本殿わきに大きな氷の柱、中にはバラなど花が埋まってる。 氷に喜びみんな触ったり拝んだり―、この日のため何日もかけて凍らせたのでしょう、ありがたや。


   

 厄除け、病気治癒の鴉の団扇、初穂料500円。 出口で府中警察・府中防犯協会からまた団扇とチラシ、駅前のライオンズタワーに振り込め詐欺の首領が、全国に号令かけ豪奢に住んでいたという、うぐぐ。
 神社も競馬場も何でもある府中。。 浴衣の青春カップルもいました。



 7.25(日)







酷暑・炎暑・大暑

 まだ七月にこれほど続く暑い毎日で、先が思いやられます。 来るメールも息切れして、‟暑過ぎる、酷い、うんぬん―。”と、短い。 土の上なら、幾分夜も涼しいのに、舗装の街は煉獄地獄のようです。
 昨夜の雨は焼け石に水のよう、冷却には遠いものでがっかり、網戸明けたらまた猫がこっそり出ていて冷や汗、忍者猫に鈴は役にも立たない。 

 鳩山さんのように木立に囲まれた広い別荘も持てない庶民は、運命に素直に寄り添い、冷ややっこ食べたべ熱い二カ月を過ごす、いつもの日本の夏です。 

 あらためて、
 
暑中お見舞い申し上げます。
            7.23(金)





『愛別離苦』
 
お釈迦様の言われる四苦八苦のひとつ。 
 ‟おまえたちの命を守ってやれず申し訳なかった、...おまえたちを、誇りに思う”
との、宮崎の民間種牛を飼育する畜産農家の方の言葉には泣けてしまった。 長年子供のように育てた牛たちとの別れに、特別に可愛がった奥さんは、処分され運ばれるトラックに追いすがり泣き崩れたという。

 動物たちの運命は人間の都合のまま。 健康体のまま処分される動物はおおく、それはいつも悲痛の極み、国は抗えぬ非情なモンスターなのだ。 
 ヤギの目は横一文字、猫の目は縦一文字。 でも牛の目は、長いまつげに囲まれ暖かく優しいものがある。 牛の目を見ることはなくなっても、しっかり思い出される。  平安時代の姫たちを運んだのは牛車、牛が馬より珍重されたのは跳ねず急がずで、安心感があるのでしょう。
 
 
大雨とわが子らの不本意な死に、あの老夫婦にいつもの夏はやってこないだろう、慰めの言葉を遠くからかけ、私も一緒に泣いています。
 
7.18(日)




お盆の法要
 
尼寺の盂蘭盆会は15日、近所だと昔の習わし蚕のはけや稲作の都合で、ほぼ8月1週ごろ。7月第一日曜が北区の友だちのお盆だそうで、東京もエリアでそれぞれ違うのは面白い。

 お寺の庫裏の軒下に野猫が子を産んでいた。
「おたくのはなちゃんはどう?」
「ハイだいぶ年取りましたが元気です」
「ここにもはなちゃんがいるから見ていきなさい」
「うは、こりゃまだ40日くらいですね、可愛い~」
 白系二毛に尾曲がりのちいさなはなちゃん、無邪気な顔で手足伸ばして万歳したり海老反りしたり、人間にされるにまかせてにゃあとも言わないなつこい仔猫。 そうのうちトコトコ歩いて紫蘇の畑にごろり。
 暑い日でも本堂を風が通り抜けて涼しい。 木造の建物は全く快適、心地がいいです。 7.16(金)




ホームページ?
 このミーシャの為のサイトを、一生懸命作り上げて何年、世はブログからツイッター時代になりました。 形をどんどん変えながら、何かを人は発信したいのです。確かに探し物は便利、ネットは趣味や人との関わりをも広げる。 

 掌に載るほど小さかったベビーはなが、おばさんねこ(おばあさんかも)になり、近頃私の年も越えました。  友だちの愛犬、HP仲間たちの愛猫もだんだんに世を去って、ひともとしとり、書くエネルギーが変化もしてホームページ全盛の時代も静かになりました。 
 細く長く続けましょう、という声に押されて続行しているのですが、猫のページからいつの間にか内容薄い独り言状態、読み返すと面白くもなく退屈でまいったわ。。 7.14(水) 




スローの世界
 

♪地唄 『菜の葉』

 可愛いということは
 誰が初めけむ
 ほかの座敷はうはの空

 許様参ると示すこころのあどなさよ
 うえ上さまの痴話文も
 別にちがわぬ様参る

 思いまわせばもったいのうて
 言葉下げたらおもふこと
 菜の葉に止まれ 
 蝶の朝


 
 たった数行を半年かけても終わらず、いったん終了し『夏はホタル』を再開。。 ホタル は夏の宵のホタルの飛ぶ情景、人を待つもの憂さがさらり淡々とゆく―。
 地唄は精神的にゆとりを持ち、身辺整理もうまくないと形だけなぞることになりそうだが、慌て者の私はこのゆっくりの動きが必要、今は快適なのである。 健康のための太極拳と違い、芸能では趣味とプロには気が遠くなりそうな大河が―。 そして難曲ほど何かが潜んでいる? 
 
 テレビが選挙ばかりで、武原はんさんの撮っておいたビデオを昨夜じっくり観た。 典雅で流れる空気の様なお姿、百年に一人のその美貌も並はずれている。 当然とはいえ、鏡に映る自分のお姿のあんまりの差! オオ・マイ(舞)・ゴッド。。。   7.12(月)





カレー
 渋谷にカレーを食べに行く、いつもの店へ。 半年ぶりのランチでそのあと、いつもの大きなホテルにお茶。 おしゃべりして夕方ラッシュアワーになった。
 みゆきさんは鶴見にすんでいるから、総持寺の写経に時々行くそうでうらやましい。 お寺で書くとまた違うものですよ。 
 先週は別のインド熱中時代友だちと誕生祝いで秋葉原のカレー屋へ。 アキバは金属的で何か嫌な町だった。先端都市は皆合わない、まあもう来る用事はないが。 
 あの時のカレーは水まし状態薄い。インドカレーのコクと辛味がなくて失望。 ひりひり辛くスパイスが深くまったり濃いのがインドのカレー。 ナンがどちらの店もおいしいのは幸いだったがカレーには私たち、いささかウルサイのだろうが。

 東横南館地下に諸国名産品店があり、ここでは奄美の黒砂糖菓子「ごまざた」東京で唯一買える。四国のタルトも八ヶ岳のアップルパイもみなある。 奄美の胡麻菓子は、夏バテ防止にいいのです。

 渋谷までの井の頭線で、下北沢駅前後の沿線の紫陽花がひしめき咲くところあり、、年々増えている。 江の電みたいに家に近く走るかわいい井の頭線、緑いっぱいでした、水曜日。  7.9(金)




携帯電話
 
ビルの一階にauがいた時買った携帯、再来年かに使えなくなるという。 携帯は待ち合わせ時は超便利、でも、そもそもこういうものは嫌い、タイピングに慣れているとメールもチマチマして書きにくいし、辺りお構いなしのその姿がちょっと情けないような。 
 
全く親しい人しか知らせないからスパムもない、楽ちん。 でも、ないと不便だから、三年使った携帯を買い換える計画、また無料ということはないかしら、ポイントもたまっているはずだし。
 この機種はタダだったのです。 電話も基本料金が高めだが使用頻度が低く、無料通話料で賄える範囲。
 若者中心にケイタイ中毒というのがあり、いつもしがみついて自分の存在を確かめ続けるのだそうだ。 テレビの音、携帯の画面、私には鬱陶しいものばかりだが、<静寂・単独〉に恐怖するような今の人は、全くひ弱、というものでは?
 私は、都会の炎暑と怒った時のはなこが恐怖、鼻にしわを寄せてのしゃ~が。  7.6(火)





ひばりのいたころ

  ♪娘十八口紅させど、
  わたしゃさびしい船頭娘
  つばめ来るのに 便りもなくて―


 という懐かしの「娘船頭さん」をいつも思う雨の季節に、雨が降らない。それなのにこの暑さ。
 友人と佐原の祭りに行こうとして、気軽に行くには思ったより房総が遠く断念、早朝出ればいける場所ではあるものの。 元むすめ船頭さんが、サッパ船で水郷を流してくれる佐原には、なかなかいけない。
 ひばり没して昭和も去って、はや二十数年とは...。 最近よく、人生は短いねえ―、を耳にする。 昭和のシンボル東京タワーも、すでに仕事終え隠居生活に入る。 新しいタワーの姿は、まさに多国籍時代の象徴、昔旅した砂漠の国の、コウノトリの巣をてっぺんに乗せたコーランを流すイスラム寺院のタワーそっくり。。
 

 名曲「津軽のふるさと」でも、初期の初々しいひばりの声が好き。 一人の人間が、成長して変化して、仕事を終えこの世を去っていく姿を垣間見る、良いも悪いも含む、にんげん加藤和江は偉大な歌手でした。

 松嶋トモ子、小鳩くるみ、そして年長のひばりちゃんが、子供のころの、それは大切なともだちでした。 しかしひばりにトモ子にくるみ、みんな独身だ、―なんでやねん??  7.4(日)





楽しめて感謝、日本サッカー
 
野球好きの私が、今回はこれほどまで熱中するとは―。
 WBCと同じにしっかり楽しみました、ワールドカップ。 ひやあ、異国に日の丸を見るとうるうるになる、古~い人間で。 サムライは次回は野武士になって、なりふりは構わずに暴れてください。
 ベスト8はまだまだ望み過ぎ、負けたものの満足感は充分満たされました。
 何だかダンプカーとカローラのぶつかり合いのようで、負けてもいいから体を壊さないで!と叫んでしまった時が何回も。 
 肉食系?は動きとパワーが違いました、でも攻めるがんばりの粘りの日本はよかった、何度も一本決まる機会があった。 楽しかったもののやはり、勝たせたかったです...。 

 
明けて海外紙は、「力は互角、ベストエイトに値する日本」、と讃えるものもある。 駒野泣くな。 まだまだカローラ日本は明日があるよ。。でも、岡田監督の辞任はちょっとさびしい。 中村俊輔選手も引退、スポーツ選手の盛りはほぼ十年?もっと短い種目もある、短いものです、歌舞伎役者とは比べようもないけど。。 6.30(水)





今年もお不動さんへ
 
あっという間に一年が過ぎます。 またアジサイとお焚き上げに高幡不動尊に行きました。
 休日は万人の人並みだったようで、ガラクタ市と一緒ににぎわう場所です。 炎と木のにおいで元気になれる。
    
     

 門前裏のお寿司屋さん(大政寿司)で昼ごはん、美味しく安くきれいなお膳に満足でした。 
   
 不動明王様、この夏も、暑さに弱い私たちをお護りください。 6.28(月) 






朝焼け
  

 夜更かしのついでにサッカーの試合を見ることになった。 途中でやめるつもりも止められなくなり、本田、遠藤、のシュートに見惚れ、このスポーツもむむ、ただものでないなと知りました。何もかも全開で少しの油断もならず頭脳・身体に、大変なスタミナが要求される。 
 ビッグマウスのホンダは苦労して育ったらしいが、大きなことを言って実現もしている、今時珍しい意志の若者。 平成の青い若サムライたちには、後光が差して見えた。。

 二本決めて後半に入るころ、空が白んできました。 ドアの外、北東の空が黄金色に染まって、とても感動的でした。 この時刻はいつもぐっすり眠っている。 朝はとても「気」がいい、これからは朝型になろう、と時々思っても、やはりムリみたい―。  
 監督さんは謝辞述べながらちょっと、涙目? 感情をそんなに抑えなくても...、でもやはりサムライ大将ですからね。。6.26(土)




ひめゆり学徒隊
 
ま夏に入る前のこの、蒸し暑い気候、水蒸気にまとわりつかれた海洋国の湿気の6月。 生き証人が年ごと消えていく沖縄の6.23。
 のんびりとここで個人的平和を受け止めていると、沖縄戦の女学生の話を聞いて胸が苦しくなる。 心すさんだ兵士まで、守るべき島の民間人を見殺しにし、国そのものが小さな島を国の防衛の盾にしたあの戦争―。 65年経っても、あなたのため、といいながら実際は自国の利のため堂々駐留する国がある限り、どんな優れた首相がこの先誕生してもこの非情な形は変わらず、沖縄は日本は変わらない。  怒り収まらない沖縄に、本土の人が口で謝罪したとしても形がなければ謝罪にもならない。 琉球王国は何百年も前から、日本、薩摩に煮え湯を飲まされてきた歴史がある。 

 沖縄島に行くとほら穴が沢山あり、ガマ、というかつての野戦病院に赤い南国色の花を投げて祈った。 それはもうだいぶ昔の事だが薄暗い穴はとても入りたくない様な、陰気な場所だった。 
 ここで薬もなしに、手足をもがれた重傷の兵らを看取るを、十代の少女たちがしたのかと想像して眩暈したのだった。
 このひめゆり部隊の少女らも倒れあらかたが自爆したという。 海を見て傷ついた体を横たえながら、「もう一度お母さんに会いたい」と泣いて「ふるさと」を歌ったという。 何と哀切な青春があったものだろうか。 津島恵子主演の『ひめゆりの塔』とかいう映画を、就学まえに母に連れられ見た記憶がある。 白黒画面に火花が散り、少女らが逃げまどい、オトナである先生もまた泣き叫ぶ怖いものだった。 戦後10年で、乙女たちの鎮魂に造られたのだろうか。    6.24(木)




夏の味
 
毎年出来あいの糠床を使っていたが、今年はいりぬかから造ってみることに。 
 一袋500グラム入り、これに対して塩を100グラム、水を700ml鍋で沸騰させ、さましてから合わせて練る。 いりぬかには刻み唐辛子、卵蝦粉末、マスタードが入っている。 味噌の固さにこねて5日したら、なすや茗荷などをつけこむのです。
 夏は夏らしく小さくてもいくつかは楽しみを見つけねばね。 頭が暑さで壊れそうな夏は、原始的にぶらぶら単純に過ごすことになる、楽しみは、食べること、眠ること遊ぶこと。 そうかいつの間にか、すっかり猫と同じになりました。
 せめて「写経」、あ、「花魁」にもたまにならなくちゃ―。 お脳にはやくも暑さがしのびよる。 6.23(水)





ホットな日
 
予想した梅雨さむもなく、とんでもない温度に見舞われ途方に暮れている、眠りも浅くてボーっとして予定も狂う。
 一体今は何月なのか、この暑さは尋常でありませんゾ。 しとしと雨のシーズンは嫌いでない、それもないまま酷暑の夏に突入とは!む、むごい...。 汗ふきだしながら涼しい部屋の準備、どうして日本はこうもいろんな寝具やウェアを使わにゃならあないのでしょう―、インド人は合理的です、布を巻きつけて調整、それこそシンプル・イズ・べストというもの。 日本はとても好きだが、煩わしい時も多い。

 昨夜暑くて眠れないでいると、池田満寿夫の古い講演をラジオが長時間流していた。 肩書き、出身校で何もかも決まる、公はもっとも頑固に顕著な日本の、ファインアートの世界を嘆いていた。 この古い国で、あと百年しても変わらないことである。 池田は成功してもまだその辺にこだわり過ぎていたようだ。

 ピカソ張りに色々なタイプの女性を愛し、陶芸も映画もやりたいものは皆やり、本来の油絵に戻ろうという所で63歳で急逝して、何年経ったろう。

 浪人中の池田を支えた下宿の年上の娘が最初の妻だったが、彼女は頑として離婚に応じず一生苦しみを与え続けた。 当時、喪主の妻佐藤陽子さんを、同居の女性、と新聞は記したのだった。 こんな負の部分も、芸術家の原動力になっていたのかも。 6.20(日)


  

梅雨入り
 
おもての通りの角、紫陽花が咲きだしてきた。。そんな季節。 いきなり蒸し暑くなり絨毯もとらねば―、四季の衣服も日本は多すぎです。でも猫のように首輪だけというわけにもいかず。
 


 姉のお下がりの夏着物が来た。が、増えると収納するに、洋服のあれこれを捨てることになる。 
 夏の稽古はそろそろ浴衣、単衣でも新しい振りには疲労困憊、顔の真ん中を汗がつーと落ちる。 また何を好んでこんなことを、とたま~に思うがそれは一瞬。 何だか太ももや腹筋ががびんびん強くなるようで、ちじんだ首や背も伸びて来るようで、いと健康的なんでありんす。
 菖蒲祭りで一杯やったらしいおじさんたちに〈きれいだね~〉、と一声かけられた。   知らないおじさん、ありがとッ。 私、ミミやっこよ(プッ!)。 6.16(水)





国立劇場歌舞伎教室
 
月曜のメモ。 今月は歌舞伎教室で、沢村宗之助の案内と解説、出し物は「鳴神」。 通し狂言の長~い長い『鳴神不動北山櫻』の岩屋の一幕の部分です。
 いつも通り初めに大きな舞台が浮かび、廻りだす。 お皿の様な舞台が高低さまざまにセリ上がり、セリ下がりが終わったところから解説者登場。
 
 この日は二階の一列中央でしたが、一階は団体様、東京大学教養学部付属ナントカ高校の高校生と、着付け教室の人らしき中高年の着物のの方たちで埋まりました。。例のごとくこのうちの高校生二名が壇上に上がり、楽器や小道具、打ちかけで女歩きなどにチャレンジ、面白かった!と感想。伝統芸能に触れていい日でしたね。 

 平安時代、朝廷の仕打ちに腹を立てた鳴神上人(片岡愛之助)は岩屋にこもり、滝に龍神を閉じ込め世は乾ききったため、困り果てた朝廷は絶世の美女、雲の絶間姫(片岡考太郎)を色香で、鳴神を迷わせ雨を降らせさせるべく山に送ります。
 
この孝太郎さんの女形が秀逸の演技、さすが孝夫を父に持つ人です見ごたえ十分。 上人さまの愛之助は、荘重な気品を心がけたという通りうつくしや、しかし、色に惑う僧籍の男性としては二年前見た海老蔵さんのほうが勝っていた? 女好き海老様はまさに適役、というか、これは歌舞伎十八番、市川團十郎家成田屋さんのお家芸なのです。。
 美しい姫様の話に熱中して、岩屋から転げおち、女人の魅力に負け簡単に破戒してしまう上人、これでいいのか。 といっても粗筋が、人間の弱さを見よ、というものでお酒に弱い上人に酒を進め、酔い潰し、竜神を滝から天に登らせ本壊を果たし逃げ去る雲の絶え間姫を、すさまじい勢いでおいかけるお上人さま。
 という所で二時間が終わるのでした。
 役者の演技と衣装、音の楽しさ、アクロバテイックな動き、お付きの僧白雲坊・黒雲坊ほかの面白い会話やりとりなども愉しめるお芝居は25日まで。
6.12(土)





馬頭琴の調べ
 
ちょっと前に下町に住む知人と久しぶりに会い、上野公園を散歩したらさつきの展示会があった。 博物館前の噴水前広場ではいい季節になると何がしかの催し物をしています。
 園内はいつもいろんな人がいる、大道芸も音楽家もいる。。自由猫をあやす人、其れを見る人、撮る人、またそれを見る人。 仙人のようなヒトもいて、崩れたダンディぶりに目が釘付けに、いい陽気に自由・幸せに見えました。




 馬頭琴を弾くモンゴルの人がいた。 CDでしか聴いたことがないからしばし聞きほれ、千円のCDを買った。 しかし、これがち~とも音が出ず、がっかり、ああ。 
 音が出ないときはこちらに、と、袋にtelは書いてはあるが、通話中ばかり。 かのミュージシャンは嘘をつかないようなのどかな顔をしていた。 軽快な馬頭琴の音は、草原を馬が走るときの風のようで、あの音を私はゆっくり聞きたいのだけど、さて、連絡は付くのだろうか。あきらめず、ヒトは信じることとしてまたトライする。  6.9(水) 




池袋
 
同人誌の仲間でベトナム料理を食べに行った池袋。 金曜の午後の人並みの凄さはどうでしょう。  二十歳のころ叔母に会いにこの街にきて、おりおり買い物をした三越が、電気店になっていた。覗くと、量販店らしからぬ大理石の奇麗な階段が見え、少し悲しかった。 ここで親のおカネで買った、初めてのココア色のショルダーバッグを思い出す。
 いつも歩く町銀座や赤坂は大人のまちとうことで、この町の若者の群衆歩きにすっかりくたびれました。 町は街の顔がある、時々行く新宿も澁谷も人が多い、でもどこか違う池袋。40年も経ったのですから―。 
 ナマ春巻きのおいしいベトナム料理は、野菜が多くて健康的。 6.6(日) 




6月
 
いつまでも春の様な爽やかさで洗濯物がよく乾く。 エンドウ豆も少しながら豆が取れ次は、小玉スイカを育てることに。
 こんなときはパソコンに向かうのはメールのチェック位。 でもスパムの増加は酷いもの、まいにち木の葉掃き状態。 便利さと危うさは隣り合わせです。 アマゾンのマーケットプレースの注文が来れば、二日以内に発送しなければならない。 小さな活字、もう読まないだろう本も、絶版だと広い世界に、これらの本を欲しくて探している人もいる。 しかし、自分が要らない本もなくなってきてひと段落。
 啄木の歌に、
 
売り売りて 
 手垢汚きドイツ語の 辞書のみ残る
 年の暮かな

というのがあるが、啄木は売りたくない本まで売り生活していた。 私は?家の中の整理整頓、単純化、捨てるより誰かに譲りたい...?
 啄木は27年でこの世を去った。 私は豊かな時代に才なしにうまれて、彼の二倍以上も生きてこれました、 ま、比較するも恐れ多いことですが。。。  6.3(木)




〈ねこ元気〉
 
はなの基本ごはんを変えることにした。 今までの7歳以上の高齢猫用キャラットから、13歳以上の高齢猫用、に。
 ユニチャームの〈ねこ元気〉は、ミーシャを飼い始めた時のキャットフード、なつかしい。 離れていた間にきめ細かに年齢ごとの研究をしてくれていた。 
 はなが食いつくか心配だったが、喜んで食べていた。 まえ外国産の○○スキーを拒否した経緯もある。 大好きな鮭も北海道産はいいがチリやロシアの養殖は食べない。 彼女は食べ物に本能的選択があり、抗生剤その他が判るのね。   

 成分表を比べて見るとビタミンEの50IUから350IUにの大幅増は、老猫の免疫力維持のサポートのため、後期高齢猫を研究済みらしい。 マグネシウム、カルシウム、リンなどが減りカリウムが増加してビタミン類とたんぱく質は強化されている。 
 ビタミンEが豊富でこんなに栄養あるなら、私も若返りにカリちゃんたべてみようかな。 5.31(月)



電車
 
久々乗る山手線に沿い、昔見た漫画劇画の様な未来都市が出現している。 巨大で無機質な高層の建物群、品川あたりの大変貌、無機質さは古くからあるビル群ともすこしちがうような。 木造家屋の沿線風景ばかり思い出される。 

 今月はすでにスイカカードが料金不足に。そうだいつもより頻繁に外出していた、気持ちのいい季節なのだし。 JR運賃は私鉄よりかなり割高。 遠出はネットで路線料金をチェックしてなるべく、地下鉄に乗り換え移動している。 行動派の仲間内でも、事故は多く運賃の高いJRへの不満はおなじ。 私鉄・地下鉄万歳~、でも、大江戸線だけは乗りたくないな、その尋常でない深さが気になります...。
  5.29(土)





山中湖
 
平野で昔合宿をして、たき火の周りで輪になってリーダーが読んでくれたのが、光太郎さんの「牛」だった。
 静かな夜、富士は黒い影になり、ひんやりの夜寒に燃える赤い炎を見ながら、ゆったりの牛の歩みのように続いた詩。 二十いくつの若い時、シチュエーションも最高で涙がこぼれそうに感動したものだ。
 甘っちょろい歌を詠うな、跳ねるな跳ぶな、地面を転がり粘って進め、と言われたようでした。
 種牛までも殺処分の悲惨な状態はまだまだ終わらないようだが、韓国は迅速な対処で国の農家への補償はとうに始まっているという。 

 
日曜、三越劇場で五耀会の公演を見た。 異次元のような端正・格調と笑いの日本があって、それはそれで快適だった。 この働き盛り、日本の伝統を守ることに日夜苦心する舞踊家たちもステーキは好きかもしれぬ―。 
 この次は獣医師になって、ペット以上に経済動物たちの味方にもなろう。 その時も、歌舞伎も踊りも観なくては―、自分のため動物たちのため。 
 働いたら遊べ、遊んだら働け。 5.24(月)
 




牛たちへのレクイエム
 



     牛

        高村光太郎
 

牛はのろのろと歩く
牛は野でも山でも道でも川でも
自分の行きたいところへは
まっすぐに行く
牛はただでは飛ばない、ただでは躍らない
がちり、がちりと
牛は砂を掘り土をはねとばし
やっぱり牛はのろのろと歩く
牛は急ぐことをしない
牛は力一ぱいに地面を頼って行く
自分を載せている自然の力を信じきって行く
ひと足、ひと足、牛は自分の力を味はって行く
ふみ出す足は必然だ
うはの空の事ではない
是でも非でも
出さないではいられない足を出す
牛だ
出したが最後
牛は後へはかへらない
足が地面へめり込んでもかへらない
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛はがむしゃらではない
けれどもかなりがむしゃらだ
邪魔なものは二本の角にひっかける
牛は非道をしない
牛はただ為たい事をする
自然に為たくなる事をする
牛は判断をしない
けれども牛は正直だ
牛は為たくなって為た事に後悔をしない
牛の為た事は牛の地震を強くする
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
自然を信じ切って
自然に身を任して
がちり、がちりと自然につっ込み食ひ込んで
遅れても、先になっても
自分の道を自分で行く
雲にものらない
雨をも呼ばない
水の上をも泳がない
堅い大地に蹄をつけて
牛は平凡な大地を行く
やくざな架空の地面にだまされない
人を羨ましいとも思はない
牛は自分の孤独をちゃんと知っている
牛は食べたものを又食べながら
ぢっと寂しさをふんごたへ
さらに深く、さらに大きい孤独の中にはいって行く
牛はもうと啼いて
その時自然によびかける
自然はやっぱりもうとこたへる
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は馬鹿に大まかで、かなり無器用だ
思ひ立ってもやるまでが大変だ
やりはじめてもきびきびとは行かない
けれども牛は馬鹿に敏感だ
三里さきのけだものの声をききわける
最善最美を直覚する
未来を明らかに予感する
見よ
牛の眼は叡智にかがやく
その眼は自然の形と魂とを一緒に見ぬく
形のおもちゃを喜ばない
魂の影に魅せられない
うるほひのあるやさしい牛の眼
まつ毛の長い黒眼がちの牛の眼
永遠を日常によび生かす牛の眼
牛の眼は聖者の目だ
牛は自然をその通りにぢっと見る
見つめる
きょろきょろときょろつかない
眼に角も立てない
牛が自然を見る事は牛が自分を見る事だ
外を見ると一緒に内が見え
内を見ると一緒に外が見える
これは牛にとっての努力ぢゃない
牛にとっての当然だ
そしてやっぱり牛はのろのろと歩く
牛は随分強情だ
けれどもむやみとは争はない
争はなければならないときしか争はない
普段はすべてをただ聞いている
そして自分の仕事をしている
生命をくだいて力を出す
牛の力は強い
しかし牛の力は潜力だ
弾機(ばね)ではない
ねぢだ
坂に車を引き上げるねぢの力だ
牛が邪魔者をつっかけてはねとばす時はきれ離れのいい手際だが
牛の力はねばりっこい
邪悪な闘牛者(トレアドル)の刃にかかる時でも
十本二十本の槍を総身に立てられて
よろけながらもつっかける
つっかける
牛の力はかうも悲壮だ
牛の力はかうも偉大だ
それでもやっぱり牛はのろのろと歩く
何処までも歩く
歩きながら草を食ふ
大地から生えている草を食ふ
そして大きな体を肥す
利口でやさしい眼と
なつこい舌と
かたい爪と
厳粛な二本の角と
愛情に満ちた啼声と
すばらしい筋肉と
正直な涎(よだれ)を持った大きな牛
牛はのろのろと歩く
牛は大地をふみしめて歩く
牛は平凡な大地を歩く



「今月の詩」に書くに長すぎて躊躇した詩を、長い睫毛の優しい牛たちに捧げる。 
 農水相は、人と土と食を誰よりも大切にする政治家であってほしい。 こう後手後手で保身と言い訳ばかりでは、20年以内に飢饉が来るかも知れない。  5.22(土)




日曜の稽古・絹
 
地唄『菜の葉』も大詰め。もう少しという所まで来たものの、案外の難曲、音を外し、なかなか次に進めません。 初めての化繊の着物は外見は同じに見えても、着ると自然繊維との違いがわかる。 東レは通気性が売り物だが重さを感じる。 絹織物は、まるで素直な生き物のようです。

 半世紀前実家には広い桑畑があり、夏の間は賑やかに繭を出荷した。 二匹が入った規格外の大玉繭の糸を染めて紡いで、祖母が織った紬は叔母の外出着で私の寝巻でした。 今でも上州、群馬では、養蚕農家がかなり残っているようですが、国産絹は高価です。

 
     
国立劇場に展示されていたプラチナ蚕の繭

 稽古場で久々木村さんと逢えた、二月の岐阜の山村会以来です。 お勧めの朝日新書『私の「歌舞伎座」ものがたり』渡辺 保著を読んでいると、歌舞伎座が、役所の庁舎に似た国立劇場の舞台と何で違うのか判ってきた。 
 木挽町に歌舞伎座が出来るまでのことや、役者の心意気・魂が建物の柱の一本、舞台の板張りの隅まで宿る芝居小屋のはなし。 熱っぽい民間の小屋は人間臭くて心が躍る。それにしても、この著者の役者たちへの愛情と文章力はなみではない、当分病みつきになりそうです。 歌舞伎座休演ののちの湯気立つ新刊書。。
 手作り野菜、きょういただきました、柔らかく新鮮でした、感謝。 5.17(月)
 



たけのこ
 今年もタケノコをよく食べた。 ナマタケノコはこの季節だけ、大好きな季節ものはしっかり食べたい。
 農協の店で今年は地元のがあまりなかったので近くのスーパーへ。 たいてい福岡の産だった。 これがなくなってきたので猫缶を買う激安店へ。ここは昔からレジ袋は有料で、エコを先取りしている店。 幸い沢山出ていたのが石川県産だった。 北上するとまだ当分タケノコが食べれる? 今北海道は桜が満開という。 問題は、流通してこちらまで来るかどうか。 青森は?と思ったが、寒冷地では孟宗竹は育たないないらしい、竹は、南アジアの産なのね。
 それにしても、駅ビルの京都産タケノコは高価だった。 一本千円に驚く私が貧しいのだろう。   5.15(土)




長良川
 
この川を見たのは今年二月。ミーハーなので、春日八郎の歌謡曲『長良川旅情』(昭和36年)などからのイメージがありました。 後年別に『長良川艶歌』もあるが、昔の歌詞のほうが文芸的であり美しい。
 


      長良川旅情
   
           服部鋭夫
    
   想い出辿り 岸辺に立てば
   波音瀬音 何語る
   栄枯の姿たまゆらに
   映していづこ流れゆく
   ああ 長良川水清し

   みどりも深き頂きに
   昔をしのぶ 稲葉城
   ふと手に摘みし草の花
   定めといえどはらはらと
   ああ 路に敷く色かなし

   鵜飼の篝いつしか消えて
   鐘の音侘し 旅の宿
   昨日も今日もまた明日も
   幾山川を流れゆく
   ああ 長良川水青し


 その長良川の鵜飼いが昨日始まったとのこと。 鵜匠はみな宮内庁の職員であり初めての鮎を、梶原神宮と明治神宮に毎年奉納することも今年初めて知りました。調べたら、ここは日本唯一の〈御用鵜飼〉の川で宮内庁式部職による鵜飼の場。 一地方都市の岐阜で、上方の舞の会があるのも少し判りました。
 いや日本の国って、何十年生きても奥が深くて歴史も楽しくてすてきです。  5.12(水)



母の日
 
母の日、電車に乗ると、カーネーションを持った若くないお母さんを見かけ心温まる。
 母なしで育った人、無くしたばかりの人には辛い日かもしれない、とふと思った。 社会は多数の平均値で物事は動く、仕方ないことは多くある。 しかしこの母の日とカーネーションの習慣は、米国からの輸入と最近知った。 

 富士のすそ野は広大で、旧陸軍の演習場跡がいまは、陸上自衛隊の北富士演習場となっている。富士吉田、忍野村、山中湖村は米軍の射撃練習場にもなったことがある。 長いことこの地を巡り「忍草母の会」が国と闘っていた。 今沖縄などで米軍基地を排除しようと、大きな運動が収まらず、日米安保に絡みにっちもさっちもいかない状態だが、危険な国に囲まれている日本は、自衛隊を軍隊にするほか、外国人の基地の存在は必要なのだと思うと心千路に乱れる。 白人も酷いがアジア人も不気味だ。 人の欲望の本能は原始時代と何も変わらない。

 母の会は、多くが高齢化しリーダーが故人となり、その跡目がなく、今は小さな活動のみらしい。 5.10(月)




ペットのさんぽ
 
ねこ仲間は、出会えばねこの話で盛り上がる、そして町の動物の話題も盛り上がります。 たとえば月島→勝鬨橋を定期的に、亀の散歩をさせている人の話など。 
 知人のSさんも、愛する陸ガメ、チジミくんと大川沿いの草はらをリード付けで散歩するらしい、先日動画をHP上に発見しました~。  
 亀さんの散歩には多くは犬用のリードを改造してつけるらしい。 勝手にトコトコ歩いて迷子にならぬよう、亀の首でなく甲羅に紐をつけておさんぽ、カメにヒモ―、着装はきっと大変でしょうが、考えはつくものです、可愛いわがこならばこそです。 
 うちのこは、散歩させないのは外界を知ってア~ッ、と苦しみもがいたりしないため、はなには実に、まことに、すまないとは思うのですが、好奇心が誰かに似て並みでないから脱走したら、二度と会えなくなりそうな気がするからです...。 5.7(金)






呉服
 
ネットで買い物は簡単でお手軽、押し売りもされず安心です。。 でも訳あり低価格、の、わけって? 倒産呉服店の品か、それとも本当の適正価格なんでしょうか―。
 貧富の差拡大ちゅうという、今年の連休の人出は景気の上昇のためか、はたまた、最後の花火なのかしら。 

                                           

 京都のキモノコーディネーター宇ゐさんは、着物はスーツのように着ましょうと提案している―、京都は着物の街らしいが、草履はさしずめパンプス? 着物は、どこにいってもいまだ少数派。 悪徳呉服店の強引な押し売りもあって、伝統の衣服は宝石並みに高価なぜいたく品と誤解されています。。 スーツよりも安く買えるのもあるのにね。  5.5(水)





メーデー
 今日からみどりの五月です。 日比谷公園や代々木公園にいったのは、ずいぶん昔、出版労協、政労協とか、元気なものでした。 
 有楽町の知人の今日の展覧会、インドの少年と白い子ヤギがパステルで描いてありとてもよかった。 私も秩父の春を再現、パステルで描いていますが絵は、大きいほうがいいですねやはり―。
       

 5.1(土)



春は別れと出会い
 
ニュースで名残雨の歌舞伎座を放映しました。 歌舞伎好きでない人にはなんということもない事象でも、芸能おタクの私には記録したいもののひとつ、時代遅れになったデジカメでぱちりぱちり、21日の快晴の歌舞伎座を数枚。 さらば夢芝居の白い館、最後にカレーも頂いた、700円、役所の食堂と似た昔の味。一階の珈琲も、レトロな白いカップで。

     
   
     
21日第一部 午前の歌舞伎座正面


カウントダウンあと10日         緞帳は今日は三越。   
  
左袖                 後部3Bと幕見    

   

お弁当はここのソファなどで。  古びてもきれいな天井の骨と幕、ほぼ定番は三階前列中央辺、本日も。二階席のみは未経験です。
 
 
 目休めがそこここに
        

  
三階左扉にある歴代の役者遺影。 繊細な菊之助の、悩んだとき訪れる場所だそうな、祖父、梅幸さんもいます

  4.28(水)




このごろ
 
最近になり、桜の咲くころの熱狂が何だか落ち着かない、葉桜になりホッとするとは〈あまのじゃく〉というものですが、としとると、桜の満開の下にいると何だか物悲しい、老人は、夜明けや春、生命の賛歌の頃、その命を交換しようと終えてゆく者が多いというのね、...父もそうだった。

 
うらうらと照れる春日にひばり上がり
 心悲しも一人し思へば

とか古代の人も感じて詠った、春憂。

 今年は今の季節で灯油がなくなり一缶18リットルを購入。 気のいいおじさんがはいは~い、と玄関までとどけてくれるが、相場はもっと低いらしい、少し値上がりもした。
 しかしペチカも暖炉もないと赤く燃えるストーブは唯一の炎の色、山小屋住まいの原始人には必需品、ツユ寒が過ぎるまでスタンバイさせます。 

 同級生の真理子が絵手紙をちょいちょいくれる、年季が入って上手。 一度スランプして、芸術性がないとか、限界のある大きさだ、色が少ない、とかぼやいて止めていたが、乗り越えて再開し上達している、もう教えるほどになりそうな気配だし。 一つ事に長く熱中する人は好ましい。 手を出しても長続きせずに終わって、結局何も熱中しない同級生も結構いるが、彼女は昔から一言多い分骨っぽくて、話が楽しいのだ。  最近定年退職した夫と都外に行ってしまい、会う機会が減ったが、先週白いユリなど持ってやってきた。 誕生祝いの花になりまだまだ咲いている、大輪のカサブランカは、エライ。 
 この夫婦は時代に逆らい、パソコンを捨ててしまい、私に手紙が欲しいという。 それじゃ書かざァなるめ~。   4.26(月) 
 




お別れの歌舞伎座
 
諦めていたチケットが21日、運よく手に入り、一部を観覧。 
『御名残木挽闇争』は、三津五郎さんに、若手花形の総出演、短い出し物ながら色と形と声で魅せました。 仇の工藤祐経とまみえる曽我兄弟は、兄海老蔵、弟に菊之助他若衆のおなごりらしく気合を入れて見えを切る、なんと美しい...。 染五郎さんの工藤はちと優男すぎた?東映映画では重厚な月形龍之介ですが、比較はいけない。 でも染さんは、オヤジも叔父も遠慮なく踏み越えてもらいたい。 
 中央一線に勢ぞろい、一際彩り強い海老さまの赤い衣と幕引き前の、あの「睨み」が目に残る、大変な存在感はすごいすごい、千両役者ッ!
 亀次郎・愛之助組は、いま四国の金毘羅大芝居に出演中、花形に加われないのは少し、さびしい―。
 三年後の再会を約束し、御名残の口上うるわし、記憶したい素晴らしい舞台でした。

 『熊谷陣屋』では、主役吉右衛門さんもいいが、藤十郎さんにくぎ付けでした。 奥方、相模の、手指の動き、崩れるときの腰や足の形、感情の表現など、上方舞の基本をすべて見せているようです、年齢を考えると、なんとも信じられぬ憧れの美しさです...。

 さて舞踊『連獅子』、中村屋父子三人の舞は、中に扇雀さんと橋之助の僧たちの面白おかしい宗論いりながら、一時間の長丁場をたっぷり見せてくれた。 踊りというより舞の形? 衣装も振りも舞踊の楽しさ、華麗さが伝わってきて胸ときめく。 板を踏む迫力のあの音が、耳に残って消えない。 何か終始愁い顔勘三郎、緊張と真剣さが愛しい子顔の七之助、そして若さと強さ交る笑み漂わす勘太郎、赤と白の衣装では、はらはらした七ちゃんの、終盤の毛ぶりのスピードアップにはちぎれそうな拍手を送りました。
 若者は、日進月歩、一年ごとに変化している。歌舞伎役者の青春はまぶしいわ。
  
 昭和25年、焼け野原から5年でよくぞこの粋な建物が出来ました。 60年経って、高層ビルになるのは素直に時の流れ、です。  4.24(土) 




安納イモ
 
黄色い甘いサツマイモを安納芋という。 レーズンと甘煮、てんぷらとかおいしい。 
 今年は京都産の野菜がたくさん店にあった。 長い根のついている九条ネギ、ホウレンソウ、根が付いていると少し高いものの鮮度が長持ちします。 ほかには真っ赤な金時ニンジン、そしてこの芋、安納紅いも。。
 もっと南の島の産らしいが、京都は野菜つくりが積極的のよう、水菜だけは硬くて香がなくてすこし苦手ですがー。

         
    4.19(月)




乙女椿
 
        

 先祖の墓に父が植えた乙女椿は、四月にはいると咲きだす。 標高7百数十メートルの山梨県北杜市では梅より遅く桜より早く、満開になります。 
 花が好きな父がいつも持ち帰っては自慢した可愛いピンクのおとめ椿は、いまみんなが眠る墓に咲く。

 寒い冬の夜のホットウイスキーは「角」からさいきんはこれ、「ほくと」。 
 ぜんそくを治したい、星を見て暮したい、バラ農園をやりたい、というような移住希望のかた、高原へいらっしゃ~い。  4月15日(木) 




千駄木
 
千駄木画廊企画展が日曜に始まった。 なんとか出品に間に合い無事オープニング。 5時からの懇親会のお料理が、二十分であらかた完食、その後のお客様には申し訳なし、乾きものとクッキーも登場完食。 女性主体だから飲む、より、食う中心にしても今回は早すぎるピッチ。 いつもの画廊主の手料理は皆がお目当て。 不況のあおりかこの頃は、どこもグループ展の初日のオープニングは省かれる場合が多くなった。

 

蔦絡む、住人のいそうな家           お寺のとても可愛い顔の猫

 飾り付けのあと懇親会時間まで千駄木・駒込界隈をぶらぶらと歩き回るのだが、疲れても喫茶店が見当たらぬ、ドトールひとつもない。 
 センパイの亜佐子先生は高知の出身、高知は人口比での喫茶店の数が日本一と初めて知った。 みんななんとなく集まり珈琲+サンドイッチなどでしゃべくる習わしだそうな。 頑固ながら新しもの好き? 海援隊の影響もあるのかしらん。 
          
     

 桜咲く寺(何故か浄土宗ばかり)多い文豪らの住んだ文教(文京)地区、多摩の文教地区でも「純喫茶」は減ってきている。   4.12(月)
  



四月の花と猫

 冬の様な気温。 寒さは好きなので構わないが、ある梅農家は収穫がほぼ全滅という気の毒です。  
 「四月祭」という女流の展覧会の絵が思うようにできない。 毎日毎日歯磨きの様に描いていないからこうなるのよ。
 
 週末父母の法事があった。 高原地帯は中旬からが桜の見ごろ、まだつぼみは固かったが、盆地付近は桃と桜がいっしょに咲いていた。 どこを見ても桜の花、標高と緯度で日本の桜は咲く時期が色々になる。 でも、うかれうかれのさくら狂詩曲に、ちょっと飽きてきた―。
 はなこが小さい頃、バッグに入れて顔だけ出して近くのさくらの下のベンチにいたら、とおる人らがあ、いい色の猫!とほめてくれた? いい写真がないので来週写真をすこし撮ろう。 4.9(金)