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陽差し
 
            

 お彼岸過ぎると陽差しも遠のき、猫は日に一度は外で日を浴びたいと大騒ぎ。 窓際で怖い顔で睨みつけまるで、わがまま代官様だ。 よく泣く子を昔は、〈おでえかん(お代官)〉といっていましたっけ。 
 新しい隣人がご挨拶に、和紙に包んだ上等そうなお煎餅を下さった。 クッキーやビスケット派でも食べるとこれもいける。 さっそくはなさんはやってきて、奪い、がりがり美味しそうに食した―。 
 こうして、何でもかんでも食べて長生きする強い灰色ネコです。  3.29(金)






 近所の桜を観に行き、何時もの農家の花を買おうとしたけれどなくて、野菜も品薄。 戸建ての家の庭の花もこころなし、少ない。  雪は降っても今年は雨が少なかったのか、湧水も少なく見える。 桜の次はなたね梅雨、雨はしっかり振ってほしいものです、この街は本当に降水が少なく、昔から湧水頼りの土地だったらしい。  
 富士の河口湖の水もとても減少して、地元は何かと心配しているらしい。 地下深い富士山の伏流水は目に見えないので、心配なことです。  水はどこでも生活を支え人を呼ぶ観光資源でもある。  乱立する高層ビルが、町の大切な地下水脈を切断していると、以前からいわれているのですが..。   3.25(月)       








青春の歌
 
ラジオも面白いのをしてない時、聴くのはいまはこれ、『BEST BEST 西郷輝彦』主なものたっぷり16曲! 
 甘い純愛の学園ソングでなく、何処かにつっぱりの見え男っぽさが特徴だった西郷輝彦、てるてる。 伸びのある強い声は、若い時のものだ、抒情歌もよかった。 
 今は、ちょっと妖しいあのまなざしが消え、孫を愛する穏やかな好々爺ふうに。

             


     3.22(金)







いのちのなごり
 
       

 ヒトや猫に限らず動物の体は皆美しい線を持っている。 福島で命落とした牛のスケッチ、と言ってもネットで拾った写真からだけれど痛ましい彼らの最期の姿を写してみたくなった。 あれこれ考えるとなかなか形も決まらないが。
 地球上に人間より高等な生きものがいたら、人間がそのいのちの犠牲となり乾いて飢えて苦しんで消えるー、 生命とは止めれない非情な仕組みの中で生息するものなのだろう。 
 数日前1969年の映画『猿の惑星』を放映していた。  納屋吾朗吹き替えのチャールトン・ヘストンの最期の台詞、「誰がこんな地球にしてしまったのだ!」。 荒れ果てた見知らぬ惑星に不時着した宇宙飛行士テイラー、そこは文明を破壊してしまい猿に支配された未来の地球の姿だった、という話。。 
 これを観たころは、アメリカ産SF映画の面白さをただ楽しんでいた。   3.20(水) 
 







大砂塵・WBC
 
ことしの季節風は砂ぼこりの強風が多く、歩くと身の危険を感じるほど。 ベランダには細かな土が薄く溜まり、畑や河川敷かのあちこちで、茶色の煙状のものが舞いあがり、遠くはほぼ見えない。 たぶん大陸の不潔なものも交じるのだろう、気分悪ろしです―。  
 何処にも行かず侍ジャパンを観戦、惜しくも準決勝で敗退した。 勝てる力はあっても、何かに見放され勝ちを決めれない試合がたまにある。 安打、本塁打が続き何でこんなに打つのか不思議な時があるように、同じ人間たちの集合に、何かの隙間を見つけ陰のモノ ?がひっついてしまい、気力を吸い取っているが如き時もある..。
 科学的でないものは、根拠に頼る世界では否定されるだけ。  でも開幕前は巨人軍さえ神社に行き、神妙に祈る。 その姿をみると日本人の精神性には、人の力以外のものへの信心と畏怖があるように思う。 けれど普段は、それを否定しムリに忘れようとする―、心が弱く見えるようで恥ずかしいから?
 
 でもやっぱり野球は面白い、台湾戦の時のように国や人を繋ぐこともできる。 「静」の時があるから、熱狂せず頭を冷やす時間もある。 野球少年がもっと増えてほしい、そのためにも今日は、勝ちたかった。 

              

 茶の友は胡桃羊羹でした。 くるみは手放せないおやつです。   3.18(月)
  




春ははな
 暖かった先週もあってかもう、桜のつぼみが開いたとか、去年は桜が遅かったものでしたが。 
 うちのヒヤシンスも一気に開き、なんとも好い匂い、春は花からです。 お浸し用の菜の花も黄色い花が咲きだし、あらかたはコップにさして飾り花に。。
            
            

    3.16(土)



たんじょうび
 月日は流れ16年めの春です、はなこナターシャは病気と無縁に元気です。 小学校に入学して大学卒業までが16年、長い時間ですが仔猫だったのが昨日のよう。。 来る人は、ねこはしわが出ないと羨やましがっても、鼻とお尻と肉球しかすべすべがないわけで。。  髭は春になり黒色も戻ってきました。  
             
 
       
 
 朝ごはんのクラッカー               冷凍桑ぐみでシロップを


 チーズクラッカーもヨーグルトも桑のシロップごと平らげる、ヨーグルトは小岩井ナマ乳仕立てと生協のアロエのがすき。 好奇心は旺盛でもカメラ嫌いになり、チャンスに向けると即そっぽ、じっとしていてくれません。 金属音がいやなのか、肖像権も考えてるのか。。(=_=)。 やっと撮れたのが上の写真です、何か人間ぽい顔になってきました(ね〜、お腹すいた)? 
 くのいちのはなさんとの、刺激多き日日が続きます。
3.14(木)

   
   




3.11
 
何かとすること多い、とても落ち着かない一日だった。
 外出せずテレビのいろいろを回し観をした。 荒廃したままの東北の町の景色、手つかずの街や道路、荒れた大きな家たち、草に蔽われた校庭、震災直後の黒い波と、置き去りされた動物たちその直後と、いま白骨になった牛舎豚舎らでの姿、野生で生きる痩せた黒い牛たちを追って見ていた。 この子らと別れた飼主たちはいまどうしているのだろう―。
 首都の電力供給をしてくれた緑色の福島、31万余人が家を失くしたまま、すでにマスコミが『風化』、という言葉を呪文のように言いだしたのには失望した。 これだけ酷い国土を造り、大勢の悲しむ人々を産んだまま、処理の方法もまだないのに原発再開を国は決めるという。 浮かれるな総理大臣!
 もし連続事故があればもう、住む場所もない狭い国の、想像力欠如の民族になったと思いたくない希望は捨てないが、悔しい。 
人生は階段を手さぐりで歩くようなもの(ケサラ)、と昔越路吹雪は唄った。

 天皇様の民を思う優しい心、追悼のおことばのお声が、大きく力強かったのだけはほっとしました。  3.11(月)
 



春日和
 
温く気分も明るい日、立川に鍼に来た同級の真理子来訪。近くには娘も嫁いでる。 ずっと多忙で体調も崩し、途中下車して寄って行くのは半年ぶりだ。 急ごしらえのごはん(シーフードスパゲッティと生ハムサラダとお味噌汁)を食べ、半日話しこむ。 昔堅気の女なのでいつも手土産、今日は明太子とジャンボいちご二箱は多すぎ。 お土産かわりにネット買いした岩手のオニぐるみを少々、絵手紙のモチーフにいいとのこと、絵手紙を長くやっていて頼もしいわ。。

           

 同級生たちの話は姑や実母のこと中心、聴いてやるのは友だちの役目、話して気が済めばいいことです。。
 幼女のように我儘に先祖返りしても、誇り高さ残る超高齢女性たちはいま、多く日本中に存在している。 やがては我らも? そうなるのでしょうたぶん...。 でもそのころ、子には頼れないだろう、と皆思っている。    3.7(木)
 
 



アレッポの石鹸その後
 
           

 半年洗髪に使い、オリーブ色に小さくなった石鹸(180グラム)、髪質が良くなっていますね―、と美容師さんに言われました。 
 添加物の多い合成シャンプー剤はなにかが不具合いらしく、結いあげるとまとまらず、ツルツルの平たい髪に悩まされていたが、ふんわりして来て手触りもしっとり。 ≪動物本来の純毛≫状態に戻ったのか今日のような嵐の日も、ピンも動かず髪が崩れ難くなり感謝感謝。 
 ネットで好評なので買ってみたが、これはもっと早くに会いたかった石鹸、抜け毛も減り増毛した感じです。。自然製法はいいと思います。     3.2(土)







二月の梅
 春の気配うすい2月。 これからまだ雪も降るとか。 
 日曜日の国立劇場は日本舞踊協会公演三日目で、昼の部、山村宗家さんの舞踊『吉田屋廓文章』を観にいった。 歌舞伎では仁左衛門さんのあたり役だが、紙子を着たうらぶれた大店の若旦那に見えず、背筋立った殿さまに見える。 上方舞で若さんが演じるとまさに放蕩のつっころばしふう。 柔らかな典雅な動きは、きっとこんなものかも、と思わせた。
 劇場のお庭の紅梅、白梅がそろって咲いていた。
 うちの梅もことしも咲きました。
 ひ弱な苗だったルッコラも寒さに強く、たのもしい、美味しい葉っぱです。

   

               2.27(水)






中野サンプラザ
 
石川さゆり40周年記念コンサートは火曜だった、薄雪が舞い寒い日が続くことし。
 画期的なデザインビルだったサンプラザもはや40年。 70年代は海外からの公演が多く、特に素晴らしかったアルビン・エイリ―舞踊団、映画試写会、お別れ演歌の花道他、思い出いっぱいの大ホールも、いまは彼方此方に旧式が目立つ。
 しかし、さゆりちゃんのナマの歌唱はタダものではない。 演歌はもちろんジャズ風なもの、ソーラン節他民謡たちに、粋でキュートな話術も難なく一人でこなし、ゲストも司会もなしの堂々の舞台に感動した。 
 着物姿が若く美しく、所作にも長い年月に磨かれた洗練を感じる。 前方五列でよく見えて、独特の帯の結びにも目が離せないままあっという間に二時間は過ぎ―。  駅前もすっかり変わったアーケード街を同級生と少し散策してお茶。 暖かい日買いものに、ふらりゆっくり来たい町。 

 『一葉恋歌』を聴けなかったのだけが残念。   2.21(木)





強風の日
 
活動開始のきのうは、片足上げると舞い跳びそうな大風の冷たい日、ショールがムササビの膜のように広がりアブナカッタ。。


  
 
「瀧づくし」(抜粋)
       小野村検校(1778年登官)作曲
       錺屋治郎兵衛作詞


♪西にも名のみ あげまきや
 鼓の滝の その音は
 絶えず とうたり 翁が滝の
 表や蓑の 裏見なる
 それは吾妻路 日の光

 月に玉しく 嵯峨野の露や
 戸無瀬に落つる 大堰川
 下す筏に 降る雪の
 散りこう花と 見紛えて
 山静かなる 峯の雪

 豊かに積もる 養老の
 なおも齢を 増す泉




 新しい曲をまた半年かけ、すこしずつ丁寧に稽古します。 帰りに京橋の理恵子さん展へ。 快適な彩とかたちの、漉き紙に描いた抽象画たち。 去年はベトナムと釜山でグループ展をしていた。 海外展が続くと病みつきになるそうです、活動が広がるはいいことです。     2.17(日)





二月十五日
 
『もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修業を完成しなさい』、とさいごの言葉を残し、二千五百年前お釈迦様は亡くなられた。 実際の釈迦の入滅の日は定かではないらしいが、中国・日本では二月の十五日であろうと伝承されています。 寺では涅槃会という行事が行われる。 

 四十年前のこの日、祖父は92年の人生を終えブッダの元に旅だった。 ごくちかい肉親の死、というものに初めて遭った忘れられない日―。   2.15(金)





売り家
 
二カ月かかった隣家のリフォームが終わり、オープンハウスの日。 建設以来ずっと、遠方の老医師夫婦の別荘状態だった一室です。
 リフォーム中に買い手がほぼ決ったという、ロケーションと値段が少し合わないような家、住人は30代の女性とか。 アイボリーどころか、床も壁も家具も総てが真っ白、ブロンズのサッシが浮いている。 でもキッチン、水廻りの新しさは目にまばゆいなぁ。 床は白塗りながら合板の木材だが、何か落ち着かない。 当然和室は消えている。
 ある調査で、室内が白の家に住む子供は情緒不安定になりがちとか。 人間は一万年前まで穴倉で生活していた。 つまり今でも身を守る家自体、ある程度の暗さが必要というわけ。 などと言っても仕方がない、造るヒト、住む者の感性が既に違うのだから。
 我が家といえば欅素材・自然素材ばかり、ほとんどが生まれ育った古い家に似ている。 ベランダまで、ヒバと桑と南天の木。 ことしは畳と壁紙でも、すこし変えてみようかしらん。  紅梅が昨日開花し始めた。    2.10(日) 






抗生剤
 
なかなか良くならないので抗生剤が出た。 私はひ弱なのに元気に見えるのか医者も軽い風邪だとして、トンプクが前回は出たただけ。 耐性菌を造らなよう飲まなかった、というか飲む機会もなかった抗生剤はよく効いているようだ。 ウイルスの対抗薬はないとしても、細菌類は喉や鼻に悪さをして体力を奪う。 今度は喉・鼻の炎症止め(痰キリ)に胃薬まで総出演、やっとヒトに戻れそう。 先月末に集中した友人らの展覧会はいけなかったが風邪で―、というのは恥ずかし。
 肺の雑音はなく肺炎は心配無しですが、受付で肺炎球菌?何とかワクチンを推奨していたので聞くと医師は、「騙されないで、総ての肺炎に効くものではないんですよ」。。。
 
 歌舞伎界の紳士、団十郎さんが肺炎で亡くなられた。 深い声と、皆が安心できるおおらかな人柄の方が何故、今急に。 歌舞伎座落成を前に、技芸の神様は試練をくださります。 先月の海老蔵さんの大熱演は、瀕死の父へのためだったのかも(涙)。   2.6(水)





長い風邪
 
風邪はひかないと思ってきたが、それはとても傲慢なことで風邪引きになり、生体防御力の低下をことしは感じる。 原因は、たぶん自己過信。 微熱が続くと驚くほどやる気はなくなり、食は細く、鼻の下が紅く晴れ、「生老病死」、をしみじみ思ったりする―。 
 外はしだれ梅の花がふくらんだり、桜草の紅白の鉢が春を思わせるものの、ことしはまったく寒い冬らしい。 酷い目にあったものです。 そろそろこのページももういいかな、とも。  2.3(日)




風邪引く
 
厳冬に風邪。何年も風邪引きしなかったので大慌て。 見ると薬は平成17年2月、8年ぶりでした。風邪は小さく毎年引くほうが軽いとからしい。
 初めてのおさらい会と懇親会に当たってしまい不運を嘆きながら37℃をおして出席。 Sは這ってでも来ると言っている、と少し待っていてくれた様子。 大先生もお出ましなので頑張って雷門の一松茶寮に。
 
1. 義太夫 萬歳
2. 上方唄 浪花の四季
3. 上方唄 いざや
4. 端唄  深川
5. 地唄  黒髪
6. 上方唄 昔噺
F. 長唄  秋の色種
8. 地唄  鐘が岬
9. 長唄  高砂の浦


 風邪、今だ治らず、ぐしゅぐしゅ、猫も嫌って逃げ腰。 広間では咳ひとつも出ず、「緊張は薬」というものですー。   1.
27(日)









大寒
 
20日は大寒、世界中、身のこごむ様なでき事が起こる。
 アルジェリアの若者の失業率は86パーセントの高率と聞く。 その国は天然ガスの総出量は世界一。 長いことフランスの植民地にされ今も富の分配はいびつで、溜った不満は先進国に向かうのだろうが、今度の事件の首謀者は、大義よりただカネ儲けに落ちた狂信の人物とか。
 騎士道も武士道もない処の、本当の事は何も分からない。 世界の果てではいまだ、部族ごとの伝統の生活・風習が残っている。 
 こんな遠い厳しい砂漠の真ん中まで行かないと、日本は燃料調達出来ないのだと暗澹な気持ち。 砂漠まで、釈迦如来のお慈悲を届けたい。 生活は、質素にしたいが薪や練炭で暖をとる昔に戻れない気もする...。    1.20(日)







睨み
 17日夜の部の新春歌舞伎は、海老さまの「睨み」を拝見。 この日は総見か階段を上がる時、浅草芸者衆のお出迎えがありました。 芸者さんは正装、黒紋付きでにこにこ、おめでとう、わたしも釣られにこにこ。

 1.毛谷村 愛之助の六助、中村壱太郎のお園、物語は複雑で長いところ、端折って壱時間。 六助は朝鮮出兵にも加わった備前の国の実在の人、六助が踏んでへこませたと言う伝説の石が残っているらしい。 

 
2.口上 市川海老蔵の『睨み』、で場内湧きました。 其の前の口上も、長々と先輩らの芝居『勧進帳』の歴史、14年前の新之助君時代を越えたい旨、大きな目の好青年気合入っていましたね。 この日は3階でしたが、睨みの大きな目が見える、届く、一回席に居たらさぞ迫力だったでしょう、昔から市川家の睨みを観た年は≪無病息災≫だと言われている。 

 3.勧進帳 愛之助の富樫、海老蔵の弁慶、二人の長い台詞は若さ漲る見どころ。 矢継ぎ早に問う富樫、なんとかかんとかと主君のために熱闘、弁舌で返答する弁慶。 二人の姿の美しさ、口跡のよろしさ。 ひゃあ歌舞伎は楽しい、素敵だ、2,500円でたっぷり楽しめました。 着物姿の人が多い日でした。

 意外に早く終わったので、路地の小さな喫茶店で一服、クリームソーダを頂く、友人はあんみつ。 熱い野草茶のお替わりができ煙草の煙がない穴場です。 寒い日も冷たいものが飲みたくなった熱い浅草、初めて見る夜のツリーは光が螺旋にくるくる廻って幻想的でした。        1.18(金)





冬の楽しみ
     
   

 甲州には甲州丸という、平柿を四角に厚くしたような形の美味しい柿があった。 特に木で熟した≪ジュクシ≫は絶好のおやつ、人と野鳥の奪い合う甘いジューシーな柿だった。 甲州丸は実家や近隣の木は最近はなくなってしまった。 店頭にあるものと比べるといつも惜しいと思う。  
 当時は青蔵、水柿、百匁柿に小粒の甘ガキなどの種類があった。 青蔵の古い太い幹に合わせ穴をあけた屋根を持つ馬小屋があったのだが、記録的大型台風で老木の青蔵は道路側に倒れてしまったのだった。 屋根は少し壊れいきなり空が広くなり不思議な感じがしたものだった。 
 青蔵、あおぞうは熟してもどこか青い不思議な柿、味は甲州丸には劣るが日陰は涼しく、枝ぶりも面白く傍で遊んだ思い出は多い。
 
 干し柿はお茶菓子でもあり天ぷらにもなる馴染みの食材だったが、今はとても高価。 白い粉をふかせるには太陽光線と気温に合わせ、干したり取り入れたり、大変手間がかかる。 無添加の果糖は乾物と同じく、栄養価も揚がると言われている。 以前、ブランデー漬けにしたものが職場で好評だった。
 昨年は柿がよく採れたらしく、近隣に嫁いだ姉の造った百匁柿の干し柿が沢山届いて、その昔の冬のことなど思い出す。
 今日も雪が沢山残り、ピリリ厳しい冬日でしたが夏よりは、ず〜っと過ごし易いです。   1.16(水)





痛ましい出来ごとのひとつは
 公立校の高校生の自死は専ら教師の責任追及がされているが、両親はどうなのだろう。 たぶん成績も優秀で、責任感と自責型のこの子供の性格を知りぬいていると推察できるが、子を必死に守れるのは親だけなのだしー。  母親は部の監督にキャプテン辞退を願い出たそうだが、こういうことは男親の出番ではないのだろうか。 どれほど多忙でも父親がいるなら同時に、校長に直訴、体罰の名の暴力について、相談することは考えなかったのだろうか。
 部活は、勝つ目的もあるがそれが楽しくなければ意味がない。 十代の子供が、身長180センチの巨漢に40発殴られたら恐怖そのもので、必死にこらえ絶望する姿を想像するも痛ましい。 口から血を流して帰った息子を父は、どう迎え励ましたかを知りたいと思う。
 いまは物質に頼るだけの想像力欠如の時代、親でさえ、大切な我が子の苦難を察知できない程鈍感になっている、とても悲しい。      1.14(月)
 
 





浅草
 
新春浅草歌舞伎を観て何年になるかしら、それと同時に旅行もしなくなっている。 知人にもいわれた、最近旅行してないね―。 ≪伝統日本≫に目覚めてか、時間と費用をかけ、昨今のキケンと向き合う他国への興味もなくなった。 飛行機の長い閉鎖空間にもすっかり嫌気さす。 年取ると縛りが辛い野の育ちの特徴が強まってくるみたい。
 従兄はここ毎年夫婦で遠出をし出し、楽しかったよかったと賀状に報告がくる。 60過ぎて開眼したらしい海外の旅、ヒトにはそれぞれの潮時があるのでしょう。 がんばってたのしんでね勲ちゃん。

 昼の部、初めて浅草にお目見えの海老さまを中心の芝居は「幡随長兵衛」、風呂場の大立ち回りはまあ楽しめた。 
 正月は明るい楽しい舞踊劇が主だったのですが最近は、どうも重くなっているような。 海老さまの堂々の存在感はあれど長いセリフに、船こぐ人もー。 今年は好漢、勘九郎兄弟もいなくてちとさびしい、何でも変貌するものですが救いは、お年玉ご挨拶の愛之助の屈託のない関西風?おしゃべり。 自然で明るく、実年齢に見えないのは歌舞伎役者特有でもある。 浅草歌舞伎の楽しい客席とのやり取りは、恒例になった正月行事です。  1.10(木)






はなこの正月


                  

 この狭い所にいて旅もしないから
 海を観たこともないし
 山を観たこともない

 産みの母さまを思い出すこともなく
 めいよや生甲斐に悩んだりしない
 
 遠い大陸や祖先の地を偲ぶこともなく
 お墓参りもしなくていい

 森も観たこともなくて木に登りもしない
 畑の土のにおいもふかふかも知らないから 穴掘りもしたことがない
 コオロギの羽音も聴いたことがないし
 蝶々を狙ってジャンプしたこともない

 でも誰かに水をかかられたり金属の猪みたいな車にぶつかったり
 ちっとも怖い思いもなく護られていきているうち
 とんでもなく長生きしそう

 夏は涼しい木の床にほほくっつけて眠り
 冬はおひさまの日向ぼっこで一日が過ぎ
 そのままフツ―に過ごしていたら大分経ってしまったらしい
 数字とか言うもので長さを測るらしいけど
 学校に行かないで九九もいえず
 

 昨日鏡をのぞいてみたら
 自慢の長い髭がいつの間にか白っぽくなり
 ちょっとびっくり―
 ぴんと張った黒い鞭のようなおひげ
 女でも褒められた立派なおひげが
 変化した...
 でも何を観てもおかしくて楽しくて
 年とった気にならないから
 また同じことをして生きていこう
 

 人間は何か約束事がありしきたりや着るものにとらわれ振り回され 
 とても無駄な生き方に見える
 ねこの世界のほうが断然過ごしやすいわね
 
 今年はシベリアと同じくらいに寒い大寒波 
 でも暑いのよりずっといい 
 寒さは暑さより苦しまずに堪えれる体なの
 もっとも ストーブは最近好きになってしまったけど
              1.5(土)





謹賀新年
 
 あけましておめでとうございます。
 「正月」は、年の初めの月。またの名「正陽の月」。
 正陽 は、手持ちの岩波書店の 広辞苑 (昭和45年)第2版にはない。 赤坂を去る時ソニーの赤いクロックラジオと一緒に餞別に頂いたものが、語彙の増えた今は役に立たなくなっている(当時は大変痩せていて、大風が吹いたら重しに広辞苑を抱えて歩きなさい、と冗談交りにいわれたもの) 
 正陽は角川の漢和中辞典によると、真昼、正午のほかに、陽の気が満ちてまだ 陰気 の兆さぬ月 をいう。 
 初心忘るべからず―、年の初めのこの新鮮な陽の気を保ち、陰に囚われず健康に一年を過ごしたいですね。 
 
《蛇のようにかしこく、鳩のようにやさしく》

    平成25年1月1日(火)









年越し
 
今年は少し早めに年賀状を書きあげた。 追い込まれてやっと腰が上がる状態。 何枚も一気に描きづづけると、頭と眼がボ〜っとして疲れが押し寄せる。 下手な字が尚よろけてきてひと休み。  来年は印刷でもいいかな、といつもよぎる。  
 きちんきちんと、なんでも早めにする人が周りに多くて、ダメなわが身が情けない。 といいながらまた、同じような一年を。。
 あと数日で新年、やっぱりなにかワクワクします。 草もちになまこもちなど、おもちをあれこれ買い過ぎてしまいました。
 
           


 松井秀喜選手が引退した。 締めの歳末には色々なことが起こる。 本人は 区切り、と言って引退とか終わりとかは言っていないから、これからも何かを期待しよう。 時の流れとはいえ、やはり淋しい―。
 神秘の野茂、シャープで近寄りがたいパーフェクトイチロー、でも松井は、やあ、と気さくに返事がきそうな親しみやすい好漢に見えた、実際そんな人らしい。
 少年時代のままの心でいるヒトは少ない。 一流という人たちは心技体が変化変貌しない、純粋な人格者なのでしょう...。  
                  12.28(金)





羽子板
 
例年の12月の小品展の飾り付け、一年に一度会う人も多いが何時もあっている感じ。 懇親会まで時間があったので単独浅草に。
 羽子板市の最終日、観光客はさらに多し。 羽子板は姫様より、歌舞伎役者のがきりり美しい、中村屋では、勘三郎丈への感謝の言葉が―。
 一人歩きは自由身軽で全く楽しい。 一応お参りすませていつも行かない路地を尋ねる。 美味しそうなお店を種種発見、表通りは団体客向け? 若者が少なく歩き易い。 欧米ブランド店は一軒もない、当然ながら。  髪飾りと履モノ、金物・和食器店で時間が過ぎる。 来春の予約切符たち、公会堂の自動券売機で入手済みになる。 

           

 寒空をめいっぱい歩き回り疲れ、お酒のちゃんぽんでまた疲れた。 戸籍年齢もたまには考えよう正月は、家の古い羽子板を飾ろうかしら。  12.20(木)





猫は秋冬物
 
気温が低くも室内は暖かい。 年末も忙しさも関係なく猫は日向ぼっこが好きです。 
ねこの干もの というのもありました。   12.14(金)





ダイアリー
 
年に一度買う「婦人画報」1月号、ずっしり重い本は付録の、布張りのダイアリーが欲しいのです。 今年は値上り正月らしい和風バッグが付いた。  新書籍類はアマゾンや駅ビルの本屋でなく、小さな本屋で買う。 こんな買い物でまた、一年が終わり一年が始まると実感します。

       

        
十月の東京湾をお宝船?が行った

 冬になり雪猫はなこの食は旺盛、花瓶の花を引き抜いて食べようとします。 花瓶は夜は流しに退避。 室内の鉢植えの小さなすみれの、いたいけな花びらまでむしゃむしゃ。 
 見かけは若くても年とるとヒトと同じ、食が止まらないのでしょうか。 出すほうは、硬いカリントちゃんなので安心ながらゲロが増える。  冬は辺りの猫じゃらしが枯れて無くなるので困ります、市販の猫草は嫌いなのです。  12.10(月)





さようならカンザ
 
先日セミプロさん等3人の寄席を聞いた。 素人というよりも玄人並みの噺だったが、みな、昨夜は緊張して眠れなかった、といっていた。  人前で何かの芸をを披露することは、端で思うよりずっと大仕事、大変なことですね。
 26日間延々と興行する歌舞伎は毎月あり、緊張の連続が一生、、では休日ははじけたくもなるだろうと、海老蔵事件などを見て思ったりした。
 
 未明、皆に愛された大衆的歌舞伎役者、中村勘三郎さんが天に召されていった。 あの温かい笑顔と、ユーモラスな芝居がもう見れないと思うと淋しい。 
 二年前病んだとき、医者に≪そろそろ後進に道を譲ることも...≫、と言われていたという。 人並み以上の頑張りが身に堪えていたことが想像される。 発展的で何にでも興味を持ち、新規開拓が好きな努力家、涙もろく熱っぽいところは好感していた。 コクーン歌舞伎や平成中村座、賛否両論あった歌舞伎座での野田秀樹、渡辺えりらとの新しい演出、ニューヨーク公演など、思っていたことはほぼアタックしやり遂げてはいる、と思うものの歌舞伎役者の57歳は短すぎる。  
 中村座は二人の息子、勘九郎・七之助が継いでいくが、偉大な父を失くして初めて独り立ちし、疾風の如く駆け抜けた親とは違う個性の役者になるのかもしれない。 今言うのは残酷だけれど、「死もまた一つの発展である」と言う言葉もある。 中村屋は男子の途絶えがちな梨園で去年は、もう孫の男児が生まれた幸運な家系。勘三郎のじじバカぶりが放映されていた。

 長男勘太郎の勘九郎襲名時の言葉,『熱い魂を持って、お客様を少しでも幸せにしてあげることができれば―』、は感動しました。 苦痛や絶望もひっきりなし襲うこの世で、異次元にある歌舞音曲を日々の楽しみとする人は多いのです。
 四月には新歌舞伎座がオープンする。 今後も「希望・幸い」をふたりの舞台から頂きます。
 歌舞伎は敷居が高い、と手垢の付いた言葉で言う人は、体験せずして大きな損失をしているかもしれない? 
 オアシスをありがとうカンザさま、芝居小屋の人々をこれからも見守って下さいね。 合掌。    12.5(水)





国と「専門家」は
 
巨大地震で九条会館の天井がおちた。学校の体育館の吊り天井が落下した。 川崎の新鋭デザインのホールも同じだった。
 天井の落下に人はなすすべもない、高速道路のトンネル内で9人は、無抵抗のまま焼け死んでしまった。
 政府要人もあらゆる人も通行する国の基幹道路で、34年間もボルトの修理交換がないなど、通行者は知ることはできない。 4,700メートルの長い笹子トンネルの頭上に、何トンもの安全確認なしに吊り天井があったことさえ...。
 会社はコストを考えると危険を察知していても動かないものだ。 今になり国内の同じタイプの古いトンネルの総点検をする、というが、国は、老朽化と巨大地震とのかかわりに関連したような事故に関し、想像力を駆使した警告や誘導ができないものでしょうか。有識者や専門家という方々にしても事故後の発言、では悔しくはないのか。 日本の技術的安全、は遠い夢になりつつある。   12.3(月) 





 「大往生したけりゃ医療とかかわるな」 (幻冬舎新書) 中村 仁一 新書 を読んだがこれは自分のしていることとおなじ、と知人が言ってきた。 たしかに定期検査で体を壊したという話も聞く。 私も薬が嫌い、病院も嫌い、今のところお世話になるのは歯医者と整体院のマッサージ。 以前職場で医科学者の世界を見聞きしたためか医療機関から遠のいてしまったようで、風邪のワクチンも不安でしない。  
 はなも幸いこれまで病気もしないでいるが16年経てばかなり高齢です。 でも猫たちは、いつまでものんきで顔立ちも仔猫のころとそう変わらない。 だからつい、ごはんを買う時以外は高齢猫ということも忘れてしまいます。 

             

    
11.26(月)





手紙の整理
   
 20何年以上前引っ越してきたばかりのころ青春時代の手紙類を思い切って整理した。  当時は手紙全盛期で、書くがマメな友だちも多かった。  
 置く場所の都合で涙をのみ、今後もたいていの手紙類はもう整理したいが、亡くなった人からなど特に捨て切れず筆跡に当時を思い出し時を忘れ読みふける。  茨木のり子の詩集に、『倚りからず』1999年 筑摩書房 がある。 あの方は強い、可愛い女性でした。

             

             
何をお書きだえ?監視中のしゅうとめさま


   11.22(木) 





山麓の秋
 
   
            

 先月の八ヶ岳倶楽部のギャラリー。 木立の中の一角、屋根に苔と草を生やしている。 この日はガラス作家さんの展覧会だった。 今頃は霜がしっかり降りるころ、標高は1,000M越える寒冷の場所。。
 朝寝していると早朝の寒さも判らなくなる。 毎日仕事にいそしむ頃は人生の花形、暑さ寒さも多忙に紛れあっというまです。 みんな廻り舞台の上の役者さん。  11.19(月)
 



史跡

  武蔵国分寺は関東の特徴で寺の伽藍(敷地)が大きい、西国に行くと塀で囲まれ小さくまとめられているという国分寺。 発掘はまだ始まったばかり、未知の遺跡です。 七重の塔は推定52メートル、これはあの高い高い東芝のエレベータ実験塔とおなじ高さです。 まだ東北が平定されないころ、威圧的な建物を造り寺も、北の備えにされたのか。
  
    
     僧寺金堂跡発掘中           ミニチュアの塔            資料館の瓦      
        伝 鎌倉街道                      薬師如来様

 湧水のあるところは人のすむ歴史は長く、竪穴住居から始まり奈良時代、鎌倉街道、東山道武蔵路など錯綜して、史跡巡りは頭の整理が要ります。 秋は年に一度の、薬師様の御開帳の季節です。   11.17(土)




エンタ―テインメンツ
 
最近見た映画と歌舞伎。其の一『のぼうの城』TBS開局60周年記念映画 
其の二 明治座 『十一月花形歌舞伎
   
 映画は主演が狂言師の野村萬斎、花形歌舞伎は襲名したばかりの市川猿之助。 双方当代名うての個性派で、備わったちょっとした灰汁、や毒っぽさこそ、彼らの芸のみなもとかも、と思えるところ。 若くても圧倒的存在感 もう少しでウッとくる寸前の精いっぱいのサービス精神、聖界と俗界のボーダーを行き来するがごときしたたかな芸が、われらをを魅了するのでありました―。
 野心的で不敵な芸人魂、これをなにをさておいても見たくなるのである。 細胞を活性化する素晴らしい娯楽、かれらの≪芸≫を堪能しました。 

 「のぼうの城」はもう一度見てみたいくらい。 二時間余、退屈な場面がない「七人の侍」並み、あっという間に終了した。 抱腹絶倒の≪田楽踊り≫は、ただびっくり呆れてよく観れなかった、面白かった。     11.14(水)





お墓
      
            
 
 
♪私のお墓の前で泣かないでください。 
 ここに私はいません、眠ってなんかいません。

 
 といわれても、先祖の墓石が並ぶ場所へ今までのようにお参りにいくのでした。
 でもあの母が、暗い土の下などに居る気はしない、奇麗なもの等を興味津々探し回り、今も和歌を造っているのでしょう―。  風もない、秋日和の故郷。。
  11.12 (月)
 




ごますり、すりごま
 
このところずっと白ゴマをゴマすり器でゴリゴリ。 炒りごまの国産は今は貴重品。  セサミ、ニンニク卵黄ほか、サプリがはやり、副作用も知らずに複数服用されるらしい。  
 食べる楽しさ、美味しさと無縁のものを、いかに毎日続けれるか立派というか何というか―。 病とトシでこまった時には、すこしお世話にもなろう。
 店頭にあふれる食材を味わいつくせば、ほとんどサプリはいらないと思える。 健康食品はあらかたは、健康を願うためのものでなく、コウレイシャ時代、健康不安時代手抜き料理時代を見込んだイカサマカと思ったりする。 
 ごまは、磨りたては香ばしい匂いが立ち込め、湯もりうどんのつゆ、お浸し、沢庵、生野菜ほか、ほとんど何にでも使う。 ゴマすり機になった様な気分でもクセになると楽しい。  しかしいよいよ、温かうどんの美味しい季節になりました、降る雨は「晩秋」でした。

               
                  11.7(水) 





オリオンと小菊
 
今年もあと二カ月、いつの間にか秋も深み、猫を抱いて空をみる夜更け、オリオンが姿現す。 懐かしいこの星座がでると木枯らしがやってくる。
 暑さに苦しみ寒さと闘い、何十年も繰り返すおもえば超楽しい、四季というものですねえ。
 都心の友人を湧水に案内して、農家の野菜と菊を買いました。 お店の花と違うこの花、背が高く匂いがいい。 庭に咲く花はどこでも同じ、花好きの父と、賑やかな秋の庭を思い出します。 
 花瓶の花ははなの餌食になるので、ススキ活けるのを我慢して、ミントと小菊の束を―。 これなら猫は食べません。 猫のいない友人は、きれいだ彫刻みたい! と眺めるだけで、すこしも動かぬはなさんには触りませんでした。       11.1(木) 





アレッポの石鹸

 
色々ある中、これはエキストラ。 オリーブとローレルのオイルだけで作られている。 洗髪すると、シリコン入りシャンプーで疲労していた髪がふっくらしたみたい。 リンスは必須で、お湯に椿油とポッカレモンを5滴ほどたらし仕上げる。 その後薄くヘアクリームすると落ち着く。
 絵筆を洗うと、こびりついた油が普通の化粧石鹸より落ちるのを発見、油には油か―。
 欠点は、数千年来の製法のまま芳香はなく、砂漠の埃のような匂い。 でも、自然製法で添加物ゼロ、髪のすすぎ湯も半分になった。 使っていくと、内部の緑色がきれいです。          

            


 ジャーナリスト、山本美香さんは、シリアのこの街で命を落とした。 働く女性に理解のない国で、色白で美しい日本女性は目立っただろう、撃ち易い男性より小さな女性が標的にされた。  まだ未来は長かったのに、「油断」「馴れ」、が全く悔やまれる。      10.26(金)







新聞の一面
 
1.デジタル家電、半年で半額
 2.シャープ赤字4,000億円
 3.レアアース生産停止 中国最大手など今年半減
 4.防災計画なければ「原発再稼働は困難」≪放射性物質の拡散予測地図≫(規制委)

 見るに耐えない番組が多いTVを小さな部屋で、不必要といえる大画面で見る習慣にしたテレビ局と家電メーカ―。 実家の大画面を観て、人間の顔が実物以上に大きいのは不気味でした。 画をかくときは、人の頭など実物以上に大きいのは、意図的デフォルメ以外は〈愚かな絵〉と酷評される。 

 
シャープの家電は優れものだった。 冷蔵庫の買い替えが来ているので、大きさと使い勝手を調べ検討中です。 プライドと内向きを反省して、どうか持ち直してほしいな。 

 日経は、《中国は経済カードを切って日本に譲歩を迫ったが、かえって損失を被った形だ 》と書いている。 
 大生産国の中国でレアアース価格は2011年に前年の10倍となり、輸出まで停止し世界を震撼させた。 日本企業は必死の技術開発で使用料を減らしレアアースの調達先も広げたため、中国の300社にのぼるレアアース会社は得意先を失い現在、稼働率が低迷し経済破綻する企業も出ているそうだ。

 日本人は技術面では優秀だが、政治・企業になると貧困な指導者に常にかく乱されている。 原子力規制委員会に、真っ当な人間がいると解り少し安堵した。

 10月は何も出来なかった夏の分まで忙しい、ぎっしりの予定がまだ数日。。
         10.25(木)

 


秋のはな
     
         

 
涼しくなってホッとしてか、思索的な顔を見せたり、野生そのものに走り回ったり、ネコの心に老いはないらしい、便利な生き方です。 悩みはここを脱出して、原っぱや森で狩りをしてみたい こと。   10.18(木)   




レモンドレッシング
  
             

 サラダドレッシングはずっと手製です。 市販品は魅惑的にたくさんあるけれど私にはどうもクスリ臭い。 
 ジュースだけなのでレモンは輸入物で充分、手作りは安心だし兎に角香りが爽やかでもうやめられません。 塩と低コレステのサラダオイル、ニンニク半かけ入れて完成。 10日に一瓶は消費するので、慣れれば造るのは簡単。  
  
 柑橘類の獲れる地方がうらやましい、一年中柑橘類があるのは健康的です。 国産のレモンも安くなってきました。 
 青ぶどうのナイヤガラは終わったけれどりんごや柿やイチジク等々勢ぞろい、いやあ夏が遠のき好い季節です幸せですね〜。     10.17(水)






焼きトウモロコシのスープ
         
              

 
しんとして幅廣き街の
 秋の夜の
 玉蜀黍(たうもろこし)の焼くるにほひよ
          石川啄木



 小樽の新聞記者をしていた啄木の札幌の秋の歌、秋めくと思い出す歌です。 
 日本トウモロコシはおおらかに丈高いが収穫量が少なく、外来種の低木の、収穫のいいハ二―バンダムに押され消えてしまった。 
 七輪で焼いたトウモロコシの匂いと味が舌の裏にあり、〈ポッカ〉の焼きトウモロコシスープファンになりました。  牛乳を混ぜて食べる秋冬の朝食は、焼き味がおいしい。
 野菜でも肉でも魚でも、焼いた焦げ目は食欲をそそる。 単純にただ焼くだけ、というのはきっと、縄文時代から体に記憶されたいちばんの味―。    10.14(日)





オレンジジュース
 
秋も朝のオレンジジュースは続いている。
 レモンよりビタミン類の多いオレンジ。 牛肉・オレンジの輸入はもう当たり前になり、日本の生産者は黒船にいつも怯えねばならない。 が、日本でもオレンジは造られていて、春にバレンシアオレンジを四国から直購入してみた。 大小混みでそばかすだらけの、市場には辛そうなオレンジも、味は良く満足ですガンバレ。 
  
                 
 
 今のところ市場はサンキストが多い。比べると豪州のより、米国産がおいしいかな。   9.11(木)
  





季節は巡る

 ノオトを振り返ると半年はあっという間、梅が咲いた、すすきの穂が出た―、まあなんとも忙しい。 
 酷暑を過ごしてくると秋は嬉しい。 風はここちよく、店には秋の果物が並び、美味しい秋、食べたいものばかり。
 

 

 先日知人に連れて行ってもらったお台場の陣屋跡と、踏破したレインボウブリッジの北ルートです。
 江戸幕府の土木事業としては大がかりだったらしい台場。 クレーンも大型船もない時代にこの土塁の島を作り異国から江戸を守ろうとした、怖かったろうね大きな白人と煙を吐く黒船ー。 兵士(侍)用の大きなカマド跡も残っていた。

 排気ガスが酷くとも橋から視る海の景色は、何か解放感がある。 そして賑やかな町を望む不思議な緑の空間、東京湾お台場。  
2012年10月9日(火)