note 22

初秋の歌舞伎座
 
九月は花形歌舞伎、夜の部新作歌舞伎は『陰陽師』でした。 新作を若い御曹司らが、その親たちは新橋演舞場で『不知火検校』その他を。 
 平 将門(海老蔵)の乱とその後に起こった、都の不吉な出来事を背景に、陰陽師安倍清明(染五郎)と友人源博雅(勘九郎)、将門の遺児、瀧夜叉姫(菊之助)と、輿世王(愛之助)ら悪いひとを交えた長い複雑な物語でした。 
 序幕八場、二幕七場、三幕三場 歌舞伎としては珍しい平安期の衣裳と中世のふしぎな怪しい雰囲気で、諸所にある火花らの仕掛けらが圧倒します。。 
 平将門が謀反人の汚名を晴らせたのは、なんと昭和に入ってかららしい。 
 当時の東国は、都からは鄙とさげすまれ搾取され、関東の民は疲弊していた。 現在の佐倉辺りに将門の館があったと言うが、自ら「新皇」を名乗っていたわけでなく、都の政治に失望し故郷に戻って一門の領地争いに巻き込まれながら民のために挙兵した心優しい人間だったらしい。 朝廷への謀反となったこの乱の発端は、今も多くは謎というが、妻子も惨殺され、民衆は移ろいやすく、形式にのみこだわる都のあり様に失望、乱を起こさざるを得なくなった将門を、もっと知りたいと思った。
 映画では、鋭角的妖しげに野村万斎さんが演じた陰陽師、染五郎さんのははんなり柔らかく、美しい安倍清明。

 死してなお、蘇生され鬼に利用されようとした悲運の平 将門、NHK大河の加藤 剛さんの顔がふと浮かぶ―。
〈この世は何故、いつも怒りや恨み、憎しみに満ちているのだろう、人は、いったい何のためにいうまれてくるのだ〉に勘九郎演じる源博雅は、〈花は美しく自然に咲き、黙って散って不平もいわない。 ひとも、其の命をひたすら全うするためにこそ生まれてくるのだ〉と答える。 
 若い貴公子源 博雅は横笛の名手でその笛の音は、荒ぶる気持ちを鎮まらせる力を持っていた。 父の復讐に満ちた瀧夜叉姫に、みやこにも、心優しい清々しい方がいると悟らせて輿世王の策略に気付くのです。 愛之助は悪役が重厚で上手い、となりの方が、演技では海老さんを超えてますよね、と語りかけてきました。   
 歌舞伎は色いろを教えてくれますが夜の部は、疲れる―。 2013.9.25(水)

 





キアゲハ
 



                


ことしの夏はとりわけ暑かった。 来年は普通の夏になることを願うばかり。 
 咲き終わったミソハギに、ある日何時までも止まっていた黄アゲハ(構図失敗)。 蝶はとても長旅をし、方向感覚に優れた美しい夏の旅人だ...、また来てくださいね。 

 それにしても先日の十五夜さんは空気も冷たく澄み、視惚れる立派な満月でした。。 次に満月と重なるのは、八年後とのことです。    9.21(土)





ガラス磨き
 台風が過ぎ、青空が見えると窓のガラスの汚れがひどい。
 大雨の後は窓ガラスが、いつもきれいになるのに、この台風は何を運んで来たのか、拭いてもうろこ状の汚れがある。
 なんとも気持ち悪く食酢で拭いてみてもまだ縞になって残る。 余り使わない硝子磨きを吹きつけて磨きやっときれいになった。 40分もかけてのガラス磨きはひさしぶり。 昨日から湿度が高い処に大変な重労働だった。
 ここは内陸と違い横浜の高いビルが見える場所、潮風が吹きつけるのも当たり前らしいと知る。 何やら辺りが、魚や汐の臭いもしたような...。
 ガラス窓が美しいと気分がいい、汗にまみれても今日磨き切った甲斐がある。 
 夕暮れると美しい茜色の空に、ご褒美の様な青白い涼しげな月が浮かんだ。。 

 自然災害に何度も苦しむ日本、肉食の夷敵?に狙われる日本、消費税に悩む日本。 窓ガラス磨きして、みんなで元気になろう?
9.16(月)
 




秋刀魚
 
北海道から秋刀魚の初入荷が宮古にあったというニュース。 初夏に行った宮古は、魚菜市場がとても活気があった。 でも三陸全体では、まだいつもの水揚げ状態にはるかに及ばないようだ...。 『あまちゃん』も、また続編をしてほしものです、久々楽しんだテレビ小説でした。
 関東の店頭では、一尾500円くらいで出回っている秋刀魚は、去年の冷凍だったらしい。 でもそれなり美味しく脂も乗っていた。
 毎年の如く猫には白い正肉、人は血合いとハラワタ―(こちらのほうがおいしい)。  冷たい水で育つ秋刀魚を、両名かなり行儀悪く食し、人には見せれない光景でした。。 すこしづつ秋が感じられても、9月末までは冷房は必須です。 この夏は朝まで冷房した日も多い。 その割に電気量は低くなりました。
                       
             

                   9.12(木) 






ミニコンサート
 
郊外でハ―プを聴きました。 グランドハープは重さ40数キロ、高さ1.9メートル余の大型の西洋楽器。 木製で、彫刻や絵など装飾された遊び心も見えとても奇麗。 まじかでの演奏と解説はとても新鮮で、その音はまるで、冷たい清水が流れ続けるが如く、弾く姿もなんともエレガントです。 ちなみに皇后さまの弾かれるのは、アイリッシュハープ、という、より小型のものだそうです。
 弦は低いほうから、金属、羊の腸、ナイロン、と別れていて、触ると羊のところはなま暖かい優しいかんじ。
 ハープは数千年の歴史があり、三弦からはじまり、近世になって足元部分にペダルを付けてから、複雑な音が奏でられるようになったとか。

 ここずっと和楽器に熱中し聴いていたが、たまに聴くピアノとハープの合奏の、フォスターや日本の民謡など、眠りに落ちそうな心地よさでした。  9.9(月)  

 




すすき尾花
 

           

 九月は九月、ススキの穂が出てきてワレモコウなどと一緒に花瓶に挿すと涼しげ。 この風流を解さず、必ず引き抜き食す肉食獣あり。
 ススキは葉の棘が強いので柔らかい口腔と内臓に傷がつくのに、其の悪食のかたは平気だ、じぶんのトシもわからないのです。 あとで、ピンク色のゲロを片づけさせられるのです。
 9.8(日)
  





夕顔
 
            

 夕立は涼しく、楽しいものだったのに今は恐ろしい雨になって、夏の風景は一変してしまった。 変わっていくのは人の心だけでなく沢山あり、環境の変化は止めようもない。
宮崎駿監督でも、〈時代に追い越された〉と、引退を表明しました。 惜しいけれど、私は充分に楽しませていただきました特に好きなのは『もののけ姫』、『魔女の宅急便』に『天空の城ラピュタ』です、本当に感謝、お疲れ様でした。
 
 写真の夕顔は最近見るはまれが、先月ちかくの駅ビルで発見、電車で大切に抱え運んで来ました。 みどり虫の食べる情熱は夏でも消えず、この大きさがあっという間になくなった。 かつてよく食べたこの夏の夕顔は、冬瓜とは違う甘い柔らかい味、炒め物でも良し、とくに茄子と茗荷との味噌汁の相性抜群の野菜です。。    9.5(木)






嬉しがらせて 泣かせて消えた♪
 
嘘だった涼風、立秋から一カ月近く過ぎるも、どこに秋があるのでしょう「おんな船頭唄」 の一節が。
 電車で近くに出かけたら、財布を忘れスイカでなんとかお買いもの、今年はボーっとして頭も暑い。 節水節電が緩かったのは助かりました。 
 
 ベランダの、じょうろのそばで蝉が一匹空を見て動かない。 水をそっとかけると元気になったようだったが、夕方には絶命していた。 ゴ―ヤのプランタ深く、埋葬しました、虫も皆お疲れの夏は続く。     9.2(月)  
 



残暑おみまいもうします
 暑さが遠のきやっと涼しい朝。 とはいえ油断ならぬのが今年のおそろしの夏です。 記録にない荒れた夏、夏の疲れが出ませんよう。

         
        
 みなさん、元気ですか〜(燃える闘魂!)

 塩辛とんぼの飛ぶ都立の庭園は、シニアは280円で年間パス、写真入り防水加工が貰えます。 
 開園と閉園間際はゆっくりできても蚊が襲う。 で、入口に団扇、虫除けスプレー、キンカンが用意されている。 
 暑いながら夕べは虫の声もして、日は短くなり―。 今年は≪ニガ瓜の煮〆≫、稽古後の喫茶店でのこってり≪黒ゴマバナナジュース≫に冷房浴びての移動。 去年はクールダウンに失敗し、酷い目に遭い、学習しました。 辛い暑いこの8月を、気力とスタミナ食でなんとか元気に過ごせていますが秋は、未だです。 肥えた秋刀魚も南下してこないそうです。      8.26(月)





暑中お見舞いもうします
 
【暑さで畳も膨れるよう...】、と、大阪の七、八月の暑さを表現した文章をを思い出した。 冷房のないころの、日本家屋のお座敷の様子がうかがえる。 
【家は夏を旨とすべし】、というのは平安時代の京都。底冷えより夏の暑さのほうが辛いのはいまも同じ。 環境はますます熱帯化しています。 
 
 パソコンのないころ、テレビもないころ、時間はたっぷりあり想像力駆使し楽しく過ごせた―。 
 
        
                  
昼寝のトトロ                                                                  

                          8月4日(日)






炎暑
 
長い夏、まだ8月が控えている。とにかく耐えるだけ、北に西にと震災が起こる、災害人災で家を失くした人たちを思えばー。

 今月は前期に中野サンプラザの『夏祭りにっぽんの歌』の抽選に当たりました、8月1日に放映ぶん(テレビ東京)。  同世代三人娘とクレージーキャッツ最後のひとり、ワンちゃん、犬塚 弘さんとの「ヘイミスターベースマン」は懐かしかった。 シャボン玉ホリデーからもう半世紀近い、でも皆若々しく、ワンちゃんはいまもスリム、ダンディな84歳でした。
 
 中期は七月花形歌舞伎、通し狂言「加賀見山再岩藤」、このところ悪を演じ続ける愛之助、アイドル脱出計画? 加賀百万石のお家騒動の長〜い物語、別に「骨寄せの岩藤」というとおりの復讐劇、舞台は夏らしい趣向に。 おたのしみは銀河プラザの海弁当と、隠れた名店、古風な珈琲店での歓談でした―。
 
 最後は、行きたかった「熊谷守一美術館」。住宅街の一角、守さんの森の様だった住まい址の館が、豊島区立として護られている。 調度品が優しく、自然のままで落ち着ける場所です。  人柄をしのばせる威張らない画と書に囲まれ、いい一日でした。
 要町辺りは道路が広く緑が多く、気に入りました。 落ち葉のころまた行きたい。  

     
                 
                                                         
 この日は幾分涼しく美由紀先輩と生産野菜を交換、苦いゴ―ヤと甘いカクテルトマトです。   7.31(水)





顔も歴史
 
はなは仔猫の時と同じに可愛い顔の筈でも、17年目ではちと変ってきているらしい、ニンゲンがいつも一緒のツレの、姿の変貌に気付かないようにね。
 絵手紙の得意な同級生に、返事に猫を葉書に描いて送ると、「葉書ありがと、これはなちゃんの仔猫のときね、今はおばさん顔になってるし」。 いつもながらに正直、正解かも。  飼い主には、いつまでも仔猫のころのそのままなのでつい。
 
 娘の家からの帰りウナギなど持参で寄ってくれ、ねこの歴史を観て来た同級生。  カロリー過多、太めになれば、「ほらァ ジャンプはどうした!」と檄を飛ばしてくれ、そのたび反省―。

 ごはん控えめ、最近はスリムに落ち着いたつもりが、訳知り顔のおとな、オバサン顔になったかも。 寝た振りして薄眼で、じっと一部始終を観てるはなさん―、なんだか緊張します。 
        
              


               7.27(土)






茶花
       
                 

 
夏の切り花は持ちがわるい。 いま持ちがいいのは百合にグラジオラス、竜胆ぐらい?
 線路の向こうの小さな空き地の野花は、切り花にしても何日かはつぼみが開く。
 茶花にも季節感をしらせる茶道は、座りが長いのが踊りと違い、着る物もそれなり決まりがある。 二十代に三年だけして遠ざかってしまった。
 歴史をたどれば大名、豪商などの育んだ道で庶民的ではない。 でも、自然や季節を大切にするのはとてもいい。 和の真髄であるクッション性があり足腰にも優しい畳が、住宅からだんだん消えてゆくは惜しいことです。      7.23(火)







ラジオ日経朗読サロン
 予約した無料体験の日は涼しい日。 11人で早口言葉や発声練習と語りの体験をした。 目で読むとすらすら読めても、語りや読み上げになると難しく、体力がいり、ただ流して読むだけだとダメ押しが入る。
「これはいけない、新三郎、走るんだ!」 「や、これはどうも、...すまんのう」、など台詞を大声で臨場感たっぷりに読むのは職業でなければまずは、恥ずかしさが先立つがそれでも、時代ものほか朗読に魅かれる人は多いらしい、私も?
 明るい初老の先生はナレーションのプロで、生徒のボルテージを上げるのは超上手、語りは笑顔で語るほど声が前に出ること、口を狭めて語ると声は通らないこと、読むのでなく、話しかけること、家でも、「読み」を毎日十分でも続けると、確実に心肺機能は向上すること。などなど、疲れてもあっという間の興味深い二時間の体験だった。
 惜しむらくは月四回の授業料の高さ、とてもこちらまで今はムリ、せめて家で、読みかけの志賀直哉を大きな声ではっきり読み上げることを続けてみる。 祖父が長命だったのは、毎朝のお経と毎日の新聞読み上げだった気がして来た、新聞のは少しうるさかったが。

 帰りに霞が関ビルに食事に寄ると、かつての名店街のスマートな面影はなくなり、台湾やタイの屋台の集合のようなダイニング広場ばかり、、2階の日東紅茶の店も外資系の、セルフのコーヒー店になっていた。
 歓送迎会をよくした広島料理「八雲」、京料理「きくみ」うなぎの「大和田」「ピーターズレストラン」総て消え、非正規雇用が多勢なのはこの辺りも同じらしく、景気は悪そうに見える。 あたりは時代とともに変貌していて、空腹も消えさり地下鉄でまっすぐ帰宅したのです...。 さらば、東京の実家。  7.20(土)






山百合の路
 
昨日は10時から盂蘭盆の法要で三鷹のお寺に。 バス停を降りて通る小さな雑木林の柵から、下の道に向いて咲く山百合二輪。 むかし母の里に行く長い山道に、山ユリが群生して、姿が見えなくても強く漂う薫りでそれは知れたのでした。。 花びらのかのこの、紅色がいい、何時もながら凛とした白い高貴な姿にみとれました。。
 人気のカサブランカは日本のこの山百合から造られたというから、大輪の白百合のルーツになる、ちょっと誇らしい。。

 この炎暑もあり人数は減少したが、スイカ、ゼリーと冷茶頂く。 長いお経を最後まで、木魚といっしょに声変わらぬ禅尼さまはきびしい修行をしてきた僧侶。 本堂は広くいい風が通っても、暑い。 最後はみんな声はかすれ前のめりに倒れそう―、先祖供養は 修行です。
 久々逢ったYさん、4月に母上が94年でみまかり今年は新盆でした。 やっと心の整理が付いたと明るくてよかった―。

            
            
はなは花も葉も食べたいらしい。        

               7.16(火)






夏を過ごす
 
未だ7月初めというころからこの暑さ、でも、何処にも行く場所がない、海辺の別荘、山の隠れ家、何もない、白い馬に乗った王子様たちももう老いて、使い物にもならない。
 でも暑い、の言葉を出すともっと熱くなる。 あの言語誘導、≪負けるかも、というと負ける、勝つ!とえば勝つ、勝てるようになっていく≫。

 暑さをしのぐ私の方法は、ユーチューブで単純明快な子供のころに戻ること。 オトナの思考を忘れること。

 ☆ひばりの『雪之丞変化』
 ☆橋蔵の『花のお江戸の若さま侍
 ☆錦之助の『関の弥太っぺ

初めて聞く
 ☆千代之介の『名月浪人節』 

 骨身に染みついた日本調! 暑さを忘れさせる東映、有難う。も一つおまけ 
 ☆橋蔵の『花吹雪鉄火纏』 うう、観るだけでいい調子っぱずれ...。

   7.14(日)
 



サムライとの別れ
 
海外に名をはせるスポーツ選手や俳優を、サムライ、と呼ぶ。 先日亡くなった、前の福島第一原発の吉田所長こそ、真のサムライに思える。 現在の東電の社長に、「東電には珍しい、好きなタイプの人だった」、といわしめた大きな存在、あのとき日本を本気で守ろうと最前線で甚力し、矢尽き刀折れ、58歳の若さでいきなり消え去っていった。。 失意のうちに世を去る、の表現をたまに聞くが、どれほど強靭な体であっても、心身の消耗が数ある生体防御物質の力を著しく低下させ、短期間に生命力を失くす―、もう「気」も通じない。  
 勇気ある言動、弱者への優しさを感じ不動明王のようにたのもしく思ってきた吉田さん―。

             
          
          
夏にもダブル被毛、指五本。 
  

 ご冥福を心から祈ります。(合掌)      7.11(木) 






にがうり

 

                   


 今年は気温が早くから高くて生育良く、葉ものびのび茂りすでに三個も実が。。 いまから盛夏まで頑張ってくれるといいですが。日陰が欲しくて朝夕の水やりも大変な量です。。
 
可愛い黄色い花が、朝一斉に咲くととてもいいにおい。 ジャスミンの様な、甘い香りにねこもびっくり、今年は配合肥料です。   7.8(月)
 




たなばたさま
 
一年に一度、カササギの羽根に乗り逢うことが許された織り姫と彦星。 何で一度しか会えないのか、それは単純なことらしい。
 機織りの上手な娘と、牛飼いの働き者の青年が恋をして夫婦になったが、仲が良すぎて毎日一緒にばかりいて働かなくなってしまった。 それで天の神様がこれではいかん、とまた前のように働くように一年に一度だけ会うことを許した、ということらしい。
 願いがかなうように、と、笹に短冊をかける風習に魅かれて、七夕様は人気がある。別に、笹の節句ともいうのだそうな。
 この夜はめったに晴れず、梅雨の季節でもあるからほとんど二つの星は見えないことになる。 ふたりは、恥ずかしがり屋なのかも。
 夜空に雲の帯のような天の川も、都会の空では見えない。 星のきれいな町や村は全国に沢山あるものの。 

 
 梅雨明けの、悲劇的に暑い一日でした―。
  7.7(日)





富士の山開き
 
今年は富士のお山は大変です、スカイツリーなどからも大移動が来る。水洗トイレの多い都会から、やってくるが人間食べたら次は―。
 登山口は静岡側に3つ、山梨側に1つあり、60パーセントが吉田口から登るそうです。
 スバルラインで五合目まで車でも行け、救援所と山小屋が山梨側に多いのがその理由らしい。  山の五合目の灯りが、家の庭からも見えた夏の夕涼みを思い出す。
 優美なシンメトリーの北側の山容はきれいと思うが、太平洋から視て裏富士、などとも言われる。 富士は表も裏もない、何処から視ても表に見える最高の山です。

 五合目のトイレは大抵長い列、下界に運ぶあの車が働いていて清涼な場所にあの匂い、幻滅...。  海外ならチップを払うところ、まああの場所で良くやっているなあ、と自治体の寛大な無料を感心していた。  他でもない霊峰の、2500メートルの場所です。

 静岡は賛同して山梨が登山料導入にためらいがある、それは客足を憂える土産物屋・旅館など経営者側の反対かもしれない。 これから増える登山者の数を、上手く実感できないのだろう。。 
 ゴミに悩む屋久島や白神山地は遠方でも、中心部にある富士山は普段着で簡単に訪れれる。 
 山の保全保護・人の安全と、トイレの数と処置はおおきな課題ですね、はい。 遠くからは憧れ美しくも、危険な落石も多い富士山。
 世界文化遺産登録、オリムピックもあまり熱中できぬ、爺ちゃんみたいなヘンクツさで。        6.30(日)





桑ぐみ


                     


 今年は桑の枝がとても繁り、沢山のぐみが毎朝採れました。 冷菓用のアイスボックスに6袋、もう満杯、ヨーグルトシロップが長いこと造れそう。
 ほんとはもっと濃いきれいな色です。  6.24(月) 






あるダンサーの記録映画
 岩波ホールで映画『そしてAkikoはーあるダンサーの肖像ー』を観た。 クラシックバレエや日本舞踊は、長い間かけて磨かれ完成したある美しい型の、解釈と踏襲と言えそうだが、モダンダンスは実に自由、多彩でもある。 体の形も違ってくるが、苦労も楽しみも多そうで面白い。
 モダンバレエのアキコ・カンダの舞台は見たことがなかったが、羽田澄子さん演出のドキュメンタリーはとても善かった。 二時間息つく間もなく観終わったら、満足な疲労感があった。 
 アーチストによくある、純粋性と幼児性?家事育児は不向きで、創作のことしかないこの舞踊家の人生は、終わってからも人の感動を産むだろう―。 「黒い鷲」は圧巻でした。 
 アキコの幸運は、彼女を発掘した師、マーサ・グラハム、妹の才能を信じ支えた二人の姉、そして母としての思い出はなくても善い理解者であった一人息子の存在です。
 それにしても、命を奪った病の元は重度の喫煙、惜しいことでした。   6.21(金)
 




バージンパルプと瓶
 牛乳の紙パックは、再生紙はつかえない。 それで最近瓶牛乳をずっと取っていた。 紙パックの膨大な消費は胸が痛い、何処かの国の森が消えてしまうかもしれない。

               

 生協は瓶の回収するしノンホモはおいしいがよくみると、脂肪がいつもの3.5牛乳の倍だ―。 これはたまらない、濃厚すぎ不安。 結局、バージンパルプのパック牛乳に戻りました。

 今月からいつもの家庭ゴミが有料になり、全館戸惑い苦労しているが今まで、無料というのも無理があったかもしれない。 牛乳配達が復活してくれないものかしらん。  6.18(火) 






雨に咲く花

 
♪およばぬことと 諦めました
  だけど恋しい あのひとよ
  ままになるなら今一度
  ひとめだけでも 逢いたいの


 中学生のころこのタイトルのこんな歌があった。 歌い手は井上ひろしでした。  当時はなんでこうも、悲しげな歌ばかり多いのかと不思議でした、「パイナップル・プリンセス」などが好きでしたから。 が、生きていると男女おやこ兄弟友人仲間たちとの別れというものの多さが身に染みてくる。
 陽気で快調の時は北 杜夫に限らずモノ書きらは、うまく書けないという。 夜の静寂こそが集中力を増し、画も言葉も昼間よりも効率善く出来上がりがちだ。 江戸川乱歩は土蔵の中で、蝋燭の灯りのもとで沢山の小説を書いた。 その時公表された写真は凄味がありました。 

 最近12時前に眠気が襲ってきて、睡眠薬などを飲む人がうらやましい、年取ると眠りが少なくていいというのを楽しみしていたのです。 しかし戸籍年齢はウソつかない、、昼の光でないと細かい作業は難しい、なにもかも見えにくくなり効率ガタ落ちになっている、とほほ。

 総ての事柄はみないのちの彩りで、三度三度のご飯のように、当たり前にくる「別れ」...。

             


 駅前の白いクチナシが満開、ひと枝頂いて部屋に飾ると強い香りが漂った。 が夜の内に、誰かが葉を咬みぼろぼろにしていました―。 敷地内のアジサイ三種、雨が降ると色が増す昨今、雨に咲く花の六月です。    6.16(日)






しまこちゃん
 江の島生まれのしまこは、1日、19年の天寿を全うしホタルになった。 横浜に住むミーシャの運びの母の猫は、静岡に運ばれ、みんなといっしょの墓に埋葬されました。 長く逢ってもいなかったけれど、仔猫のころ家に兄弟を一週間預かったこともあり、思い出の多い静かな性格の猫でした。 
 いま静岡では、忙しくて帰省して見る機会のなくなっていたホタルが沢山飛び交っていているそうです。 しまこが、蛍を見せにゆかせてくれたのだと友人はいう。 帰宅していつもの鳴き声のない家は淋しいという。 癒してくれるのは時の経過だけです。。 
 しまちゃんは隣の家でも可愛がられていた。 主人のいない昼はごはんをいただいたりし、広い野原の楽しさをも知っていた。  独り猫になってから10年も、長生きしたしまこちゃん。 
 何日も食べれなくなりふらふらになっても、戸外に遊びに行きたい、と要求したという。 
 老衰し天国に昇った別嬪しまちゃん、またいつか会おうね。  長いこと楽しかったよね、ありがとう。    6.9(日)
 






天使を観た日々

 大切な猫ともだちの猫のひょうたろう家の愛猫、グレちゃんが天に召された。 まだ12歳の若さでした。 私は昨日からご飯がうまくのどを通らなくなり、かなりうろたえたままです。 ひょうたろう家には灰猫きょうだいがいて、其のホーム・ページは大変な人気サイト、猫と花々ほかの写真の美しさに目を奪われます。御夫妻とは縁あってお会いでき、めったに出来ない大切な猫友で、何かとお世話にもなってきました。 
 
 沢山の人と人を繋いでくれたあの猫のひょうたろうちゃんが天に召され5年後、妹のグレコ姫が去るのは速すぎる―、私の心の整理はまだつきません。 お二人の悲しみは如何ばかりでしょうか―。
 ロシアンブルー種とはいえ、はなこと瓜ふたつ、違うのは性格だけでした。 グレちゃんはおっとりして、カリカリ以外は口にしないまさに、ロシアンの典型の優雅さを持つネコでした。 雑食のはなは灰色の和猫になり果てています。
 五年前の飼い主さんの佐藤さんは、胸が痛むほど悲嘆にくれ、慰めの仕方もわからないほどでした。 それが、今回は〈その顔を観ていて何か幸せ感があった〉とおっしゃったのにははっとしました、悲しみが浄化されているのです。 動物には、人を浄化し発展させ、成長させる力を持っていると感じさせられました。

 生きている限りいつかは来る諸々の別れも、ヒトは静かに乗り越え更に大きくなれる、と、小さな命は教えてくれたのだと思いました。 動物たちはみな、天使の仮の姿なのでしょう。

 有難うグレちゃん、安らかに眠って下さいね。 きれいで優しくて、親思いの賢い猫でした、忘れませんいつまでも―。   6.6(木)


 




領海
 
しみじみと日本の領海を観ると、敗戦後でも広い海を持つことに驚きます。 魚の種類の多さも北から南へと続くこの豊かな海のおかげです。  それに引き換えロシアを除く近隣の国の、海と海岸線はー。
 世界第6位の広い領海、人口は世界10位で技術力は高く、ノーベル賞受賞者を毎年の様に輩出する日本は、垂涎の的にもなりそうな。。  台湾に近い石垣島、与那国島など遥かに遠い島までを管理見回リ守るのは緊張の連続と思う、海保に感謝です。 
 アジア安全保障会議で中国側から尖閣諸島についての棚上げ論がでたというのにホッとしたものの、簡単にまとまるものでもないもよう。
 中国は経済の水増しもうわさされ、様々な国内問題をかかえて実際はかなり大変なのかもしれない。
 隣国はやはりみな大切、異民族なのだから種種違いがあるけれどガマンもして、なんとか平和に暮らしたいけれどことは複雑、舌禍はやまなさそうです、気つけよう〜。

           

        
いただきもののティポット
 6.4(火)





この世あの世
 
お稽古仲間と下町探訪、歩くに不安がないよう台東区のガイドさんに旧吉原界隈を案内していただきました。。
 時代劇も歌舞伎も踊りも、吉原・花魁・花街は馴染みの背景。 〈生きては苦界、死しては浄閑寺〉といわれた三ノ輪の浄閑寺は二万以上の遊郭の女性たちが、犬猫同然に葬られた場所。 平均年齢21歳、生きる楽しさも知らず売られて囚われ、病んで消えた命は封建時代の人権蹂躙以上の悲劇です。 なんとも辛い歴史の場所でもいちどは、お参りしたいと思っていた。
 人間として弔うと祟りがあるから遊女に落ちれば戸籍をはく奪し、畜生道に落としてから葬ったという。 「花の吉原」は恥ずべき遊興の場所だったが、人間の命に非道をしているという自覚が金と欲望の盲じゃらにもあったのは僅かながら救いではある。 

 吉原土手は小高い大通りになり、吉原大門跡はなんとか残され見返り柳は細く頼りなく、堀も消えた昼の街は眠るような人気のなさ。 あと百年したら更に違った街になるのだろうか。 
 お酉さま発祥の鷲(おおとり)神社他、沢山の寺社がある吉原は、今も歓楽街として残る。 何百年ものあいだ大火・震災などで命おとした幸薄い、普段忘れられているひとびとの想いが残るような、江戸の歴史の痕跡のこるまちでした。   6.2(土) 






郷土食
 
最近は地方食のコンクールがにぎわって、八戸のせんべい汁もB級グルメの賞に輝いたそうな。 恭しく鉄鍋にのっていた汁は牛蒡と舞茸のだしがおいしかった。  せんべいとはメリケン粉でこねた食品らしい。 米が大切な時代に、一日一食は小麦粉を代用食にして各地でいろいろ工夫されたのだろう。 
 5.28(火)






うみねこパン
 
浄土が浜には一隻だけ助かった遊覧船がフル働きしていた。外海に出ると、波が大きくなり怖い、船は苦手―。
 いちはやく津波から海に逃げ、漂いながら三日目自衛隊に会うまで船にあったうみねこパンで飢えをしのいだといいます。 水がないと喉を通り難い鳥の餌ですが、このパンがあったのは幸いです。。 うみねこは黄色い水掻きのある足が特徴でした。

          



       5.26(日)






復興へ
 
被災地では復興という言葉は虚しく浮いている感じ、担当大臣もくるくる変わったし。。 三年目になっても堤防も線路も壊れたままが目につく。 65歳の元教師風語り部さんは失くした家のことも淡々と話し、諦めの気分に見えていました。 
 若者らは違う、島の越駅を案内してくれたガイドさんは熱かった、忘れずにいてくれて来てくれることこそ最大の勇気になる、ありがとう、絆は残っていると前向き、若いエネルギーたのもしい。 



三陸鉄道の駅、カルボナ―ド島の越は、いま流れた駅の再建整備中で、可愛い駅舎は断念するらしい。 でも簡単にあきらめないで。新幹線並みの丈夫な橋に造られるも、皆折れてしまい賢治の碑だけ立って残って街は全滅、更地には草。



一つ一つ思い出しながらたどっています。が、なにしろみちのく東北は行けども行けども同じ県内、内陸も海辺も長く広い、ちいさな山梨の何倍かある、何度も行かないと位置関係も判らないほどです。。 5.25(土)




岩手から青森
 
先日行った青森県種差海岸が、岩手の三陸と一緒の復興国立公園に指定されたニュース。 
 覆うのは太平洋の海霧? 早朝の海岸はひんやりと清涼、真夏にきてみたい、ここはキャンプ場でした。 原っぱに高原のすずらんの葉がそよそよ...。
 碑に「すずらん咲く海辺ー」 と詠った佐藤春夫、司馬遼太郎や草野心平ら、文学者の愛した海と判ります。 泊った八戸はのどかに大きな街だけれど、すこし遠いー。
 たねさし、はアイヌ語で昆布の取れるところ、だそうです。 

 
     

     
花ドロボーやゴミなど荒れた時もあっても、地元の努力で国立公園に!




  
北リアス鉄道の電車で久慈から田野畑へ       鉄橋から視る今は穏やかな海

 短期間に大きな距離を回り、語り部の話を聞き、疲れがまだ残っています。  
                     5.24(金)





ちかごろの電化製品
 
17年目の冷蔵庫、音が唸るのが気になり買い替えに。 居間のシーリングライトもLED灯に。 LEDはこことても値下がって、各社競争中の様子だ。 今後は天井に張り付いているような蛍光管の取り換えがなくなり、安心です。とはいえ、十年間持つというのも俄かには信じがたい、まあ7年、と見ておこう。  
 一か月後、使用電力は31%も減少し、予想以上の節電効果にびっくり。 メインの灯りは他に三か所替えるのでモノ入りではあっても、なんだかうれしや〜。
 エコノミーにはなっても最近の製品は、十年以内の寿命らしい。 それでも電力高騰の時代には有り難い進化です。   5.21(火)





シンプリシティ
 
啄木の歌に 《友がみな われより偉く見ゆる日よ 花を買い来て妻と親しむ》 というのがある。 自尊心の強い野心家だったらしい啄木も、マイナスの気配に襲われる時があった。 人の心は揺れ揺れするものなのですね。 
 友人知人の簡潔明瞭な日記やメールを読んでいると凡人でも、自己嫌悪、打ち沈むもの。
 もう少し簡潔・無心無口になりたいものですわん。。。
 
     

             
   もうムートンとはお別れ
         
 5.15(水)






紅型もよう
 
南方の色味がきれいなビンガタ染は何にも合い、年齢を問わないが眺めるだけの超高価なもの。 ところが四月の展覧会で、画廊主手染め帯地を布地代ほどで譲り受けた、だいぶ昔のちりめん。 
 京都西陣の帯やさんに送ると、「これは難もので、三寸たりない、御承知ならこのまま作りますがいいですか」と連絡があった。
 それで見えない場所継ぎし、既定の長さに仕上った。 追加加工しても期間は短く値段も超格安、ウェブは有り難い。 東京紅型染としてカジュアル用ですが。 

 
      
5.12(日)








初夏の花たち


             
               
お寺のあやめとバラ



            
昭和記念公園の藤とポピー

 もの言わない植物は、風に揺れるだけ、しずかでいいですね。 公園では、菖蒲の池の歩道が新しい木のにおい、ピクニックシート敷いてミニランチョンしていると、幼児が駆け寄ってきました。
 
5.9(木)




栄誉の賞
 数えきれない野球選手が海を渡り活躍目覚ましい。 
 長島さんと松井さんの国民栄誉賞は、もし政治利用なら手放しでは喜べないが、松井選手の挨拶は素朴で心こもって、素敵でした。 この心技体優れたスポーツマンたちの存在は、今も日本を明るくしてくれているのね。

 孤独と闘い、荒野を切り開いたパイオニア、野茂英雄投手には何故? という疑問があるのは当然で、調べると2001年、2005年と二度、当時の小泉首相は国民栄誉賞の授与を内定したらしい。ところが、
《私は、まだまだ一選手。 ファンの歓声が、なりよりの栄誉です。  勲章や国民栄誉賞の話は、現役を退いてから、お聞きします》と野茂氏は辞退したという。  小泉さんに政治的魂胆はなかったと思うし、惜しかった気も―。 別目線では、近鉄への配慮と巨人中心の人選、とか揶揄される人もいる。 
 イチロー選手も辞退したこの賞に、みんなが納得出来る基準は見当たらないが、まあ楽しいお祭りはいいことなので深く考えないでいよう。
 でも...、やはり思う、長島さんは王さんと何で一緒じゃなかったの?  元気な姿のときに、闊達な受賞の挨拶をみんな聞きたかったのに、と。 また野茂投手は、やはりその名の通り野に在る無冠の英雄だ、と。   5.7(火)






座禅と虫
 
久しぶりの座禅、三回と長いお経は無事終る。 窓を開けて明るくした座禅堂、風が心地よく入ってきた。 しかし二度目は中だるみ?腹式呼吸せず虫を描いた細密画の素敵な紳士、熊田千佳慕さんのことを考えていた。 四年前に放映されたちかほさんのビデオ撮りしたのを今見ると、虫をやたら嫌ってはいけないと思う。 ちかほさんは2009年に98歳で亡くなったが、映像は80歳の時。 一枚仕上げるに膨大な時間が必要なこの年齢の細密画家に、税務所の職員が<先生もう少し頑張ってください>、と言ったという。
 虫が好きな人は男性には多く、手塚治氏もオサムシが好きだったし、改造して作ったカメラを使う虫の目線の写真家もいる。 
 衣服は手作りし、庭木の枝うち、花の管理、猫の世話や夫の散髪など、歳の離れた夫人の存在は大きく、画家は深い感謝をしていた。  人が大きな仕事を成し遂げる時、必ず影のように支える女性がいる。 独りになったとしても彼女たちは、強く生きてゆくのでしょう。
  熊谷守一はじめ清貧の画家は大抵、生活の中に猫がいる。  2009年のビデオ、見返すとなんと素敵な記録だったことか―。

 同世代禅尼さまがタケノコご飯と蕗の煮ものと柏餅を沢山下さり、あおやぎと胡瓜の酢のものを添え夕食はお腹いっぱい。  子供の日の井の頭公園辺りは子供であふれていた。 子供はどこかにこんなにいる、と何か安心です。
 お寺は紫のあやめが真っ盛り。   5.5(日)






枯れた花木

 窓の外に緑があふれる季節、何時も咲くミニりらの木は、根切虫にやられていきなりつぼみごと枯れてしまった、とても残念。 虫類は蝶以外は嫌い、ありん子もげじげじも、ゲンゴロウ、サソリもくもも皆嫌いです。
 五月になればここ十年、何ともいえない香を漂わしてくれた薄紫の上品な花、ミニのライラック、めったに店頭でも見れない木です。 
 ミニリラ、カムバ〜ック、また会いたい帰ってきて〜。

       
            り
らちゃん、かわいそうにね。  

             5.2(木) 




歌舞伎座
 
銀座のお練りがあったり、なんとも賑やかに?落し興行が始まった。 観劇料は案の定高くなっていて、幕見でさえ800円から2,000円になるとは。 ネットでは常連歌舞伎ファンの声が悲鳴のよう、このままずっとだと客足に響くのでは?と、ロ―バ心。 来年から少し落ち着けばですが、さて―。。
 六月歌舞伎の二部(片岡仁左衛門ほか松嶋屋さん一門)3Aの切符を入手できた、二カ月前にもう、先行予約で欲しい席はほぼ埋まるようで、これでは一般会員ではパソコン動かしても虚しい、と、とうとう松竹歌舞伎会に入会。 今後は早めに取れるところだけれど歌舞伎会は、更にステージが幾つか決まっているのであり。 何でもそいうものなのですね(世の中ゼニずら)。 
 隔年でやってくる海外バレエ団の公演なら何時も、一階席で観ていた。 が東京の歌舞伎は、一年中やっているから好きな演目、好きな役者を選び、懐に合う身の丈席でちょいちょい観ることにしよう。   4.26(金)


 




花冷え以上
 
この月の低温は48年ぶりだという。 48年前ならまだ高原の少女、東京は遠い知らない街だったような。。
 周りに複数が風邪をひき、それも長引きかなり辛そうだ。 1月に酷い風邪を引き、以来寒い日はセーター類を着てストーブに頼る、この寒い4月は確かに初めてです。
 四月生まれの同級生と、メールでまだまだ〜、と励まし合い誕生会の約束をしました。
 
 見つけたのはこの歌、50年前の〈江差恋しや〉。 美智也、全盛期の美声です。

 長じて、今はこちらの音律に。 大阪宗右衛門町のまつりでの宗家の舞。         4.23(火)




たんぱく質
 
牛肉を断って2年余、と言っても、吉祥寺のサトウのめんちを一度...、友人が10個も買いこむのでついつられてしまった
 大豆たんぱくは、質が肉類より高いと最近言われているのを知った。 厚揚げが、たんぱく質・イソフラボンが一度に一番多くとれる食品ですと。 一番好きは絹厚揚げの煮びたし。 付け合わせにミョウガ、山ウドなど香りのある野菜が添うと美味です。 

 最近、スンドゥプも好きになった。 冬の寒い日、風邪引きの日にもこれを食しました。 市販のスープ(牛肉のダシ?)で豆腐たっぷり、卵、白菜や長葱もいっしょに。 白いご飯に合います。 もしや先祖は、朝鮮からの渡来人かしら、古くは安都那の庄、と呼ばれる地名だったし。
 やはり青森ニンニクと朝鮮料理は必須、元気の元です。 
                                                   
             
                

                 4.18(木)



父と息子
 
スーさんが昇天していった。 名優・怪優といわれた三国連太郎は、佐藤政男という平凡な本名があったのね。 三国連太郎という名の5文字と一体化していた様な俳優だった彼は四度も結婚し、何にでも拘りがあったようだ。  自由者が多いアーテイストは、納得いかなくなった同居は解消しかないのだろう。 三番目の妻の産んだ息子佐藤浩市に、あなた とだけ呼ばれていた父ー。 その遠かった父の最期に、涙にじませ愛のつながりを能弁に語った息子、ドラマを観る如き二人の俳優の景色でした。
 丹波哲郎の様な一本調子でなく、善悪、裏表、多面体、大きく不気味さが好きな俳優だった。 釣りバカ日誌 を見るたび、‘歳取らないでね、スーさん’と思った。 年取ってからは、不思議な上品さが漂っていた。 
 知るところ周囲の人に何度も、同じことを繰り返し言うようになり、こんな人でも老いが来るのか、と思わせたという。 
 命がけで芝居を演じ、老いて去っていった俳優三国連太郎、戒名も墓も拒否した潔い人生の、強い日本の男でした。 やすらかに...。  4.16(火) 





春の憂いまた
 
初夏の連休の旅行者数は最高になる予想。 観光地はやっと芽吹き、よかった。 労働者にとって休日は、本当に楽しみな宝物です。
 どこも徐々に賑わいが戻り、景気も明るく感じさせられるが私はいま一つ、高揚感がない。 
 嫌なものは読みたくない、眼をそらし忘れたい、それは楽しさを求める本能で当たり前、責めるものではない。 でも、TVで震災の番組があると必ず見てしまう。 この地域に起きた人災を忘れられない。
 人は他人の痛みを判れないが誰かの犠牲の上で、楽しく過ごせる人とそうでない人に分かれる―。 

            

  4.14(日)
 






霞みか雲か
 
住んでいる街に大きな空はあるが連山はない。 春霞みの四方の山々、碧い田園風景もない事にも、いつか慣れてしまった。 ふるさとは、遠きにありておもうもの、です。   
 日本の春は何処でも花が咲き、猫はひたすら食べて眠る、...春の憂いも老後の心配もないこの子らには、食べれないことだけが唯一の苦しみ。。人がいないと、野に居る動物以外は飢えて弱って、消えて無くなってしまう弱いいのちであるの。

  


    
 季節を知らせる               居ること、で〈癒し〉
            4.10(火)







春は来、花は咲くが

 ずっと気になっていた本をやっと買い求めた。 
 『のこされた動物たち』太田康介著 飛鳥新社 2011年7月 を読むと夜眠れなくなる。 とても疲れて頭が冴えわたり気が重く沈む。  もう泣くまいと決めてきたが、ここに見る震災被害の動物らの常軌を逸した絶命までの姿の数々にうろたえ生気を失いそうだ。

 二年前の凍るような、放射能に侵された福島の一カ月後カメラと飼料をたずさえここを訪れ、‘チクショウ!人間のほうが畜生だ!’と悔し涙を流しながら未だ息のある彼らに水と食糧を与え探し回り、保護した人たちがいた。 そのころ我が身を護ることだけしかなかった自分が、今なんともいえない情けない気になる。 他人さまの渾身の写真を、写すだけの自分、はまったく情けないが動物たちよ、このふがいなさを許してほしい、あなたたちの思いを一生懸命受け止めるから―。  天国では好きなだけ食べおいしい水を飲み、つかの間であれ、大切に愛され生きた幸せを思い出し、もいちど楽しく生き直してくれますように。  
 
           



 中央の仔牛、いちごちゃんは、今は「希望の牧場福島」で暮らしている。 人の去った牛舎で生まれ、餓死し蛆の湧いた母牛の傍を人を恐れて離れなかったが、ボランテイアさんらによって救出されたという。 名の由来は、3月15日が誕生日らしいから。                   2013.4.8 (月)