12 月 の 詩

                               

                               倚りかからず

 

                                        
茨 木 のり子
                       
           

       もはや
    できあいの思想にりかかりたくない

    もはや
    できあいの宗教にはりかかりたくない

    もはや
    できあいの学問にはりかかりたくない

    もはや
    いかなる権威にもりかかりたくない

    長く生きて
    心底学んだのはそれくらい

    自分の耳目
    自分の二本足のみで立って
    なに不都合のことやある

    りかかるとすれば
    それは椅子の背もたれだけ


    

       
                                    茨木のり子詩集 『りかからず』  筑摩書房



          11 月 の 詩

                               

                             日 の お ち ぼ

 

                                        
蒲 原 有 明(東京)
                       
           

       日の落穂、月のしたたり、
    残りたる、誰(たれ)か味ひ
    こぼれたる、誰かひろひし、
    かくて世は過ぎても行くか。
    あなあはれ、日の階段(きざはし)を、
    月の宮― にほひの奥を、
    かくて将(は)た踏めりといふか、
    たはやすく誰か答へむ。

    過ぎ去りて、われ人知らぬ
    束の間や、そのひまびまは、
    光をば闇に刻みて
    音もなく滅えてはゆけど、
    やしなひのこれやその露、
    美稲(うましね)のたねにこそあれ、―
    そを棄てて運命(さだめ)の啓示(さとし)、
    星領(し)らす鑰(かぎ)を得むとか。

    えしれざる刹那のゆくへ
    いづこぞと誰か定めむ、
    犠牲(にえ)の身を淵にしずめて
    いかばかりたづねわぶとも、
    底ふかく黒闇とざし、
    ひとつ火の影にも遇はじ。
    痛きかな、これをおもへば
    古夢の疵こそ消へね、
    永劫(とことは)よ、背におふつばさ、
    彩羽もてしばしは掩へ
    新しきいのちのほとり、
    あふれちる雫むすばむ。
    

                      

                            現代詩文庫1013 『蒲原有明詩集』 思潮社 1976




        10 月 の 詩

                               

                               落 葉 

 

                                        
千 家 元 磨
                       
                   
                 

       山道を歩いてゆくと
    今落ちたばかりの
    黄色い朴の葉が五、六枚
    支那沓のように反り返って
    道に散乱していた
    ああ この艶の色の目覚ましさ
    まるで誰か貴い人たちが
    沓を脱ぎ棄てて
    素足で去った
    夢のシーンのような静けさ
    
    
    
    

                                現代教養文庫591『友へ送る山の詩集』 社会思想社 1983年




         9 月 の 詩

                               

                               また落葉林で

 

                                        
立 原 道 造
                       
                   
                 

      いつのまに もう秋! 昨日は
    夏だった...おだやかな陽気な
    陽ざしが 林の中に ざわめいている
    ひところの 草の葉の揺れるあたりに
    
    おまへがわたしのところからかへっていったときに
    あのあたりに うすい紫の花が咲いてゐた
    そしていま おまへは 告げてよこす
    私らは別離に耐へることが出来る と
    澄んだ空に 大きなひびきが
    鳴りわたる 出発のやふに
    私は雲をみる わたしはとほい山脈を見る 
    
    おまへは雲を見る おまへはとほい山脈を見る
    しかしすでに 離れはじめた ふたつのまなざし...
    かへって来て みたす日は いつかへり来る?
    
    

                                立原道造全集第5巻 『優しき歌』 角川書店 1969年



     8 月 の 詩

                               

                               南 の 島 唄

 

                                        
 岩 谷 時 子
                       
                   
                 

      南の島 光りかがやく島よ
    
    水桶を頭に載せて
    
    妹といつもかよった
    
    パパイアの木陰の泉
    
    つわぶきの花も濡れて咲いていた
    
    ああなつかしい故郷の島
     

    南の島アダンしげる島よ
    
    あの人と くり舟漕いだ
    
    水蒼き海の波間に
    
    珊瑚樹はいまもゆれるか
    
    消え去りし恋の紅いともしび
    
    ああ昼も夜も私を呼ぶ島よ
    
    
    南の島 星の降る島よ
    
    ふるさとの恋しい夜は
    
    紅型の膝に蛇皮線
    
    少女の日に母に習った
    
    タンチャメ弾いてひとり唄おう
    
    ああいまは 遠い思い出の島よ
    
    
    

                         岩谷時子 『岩谷時子作品集*愛の賛歌』 山梨シルクセンター出版部 昭和44年



         7 月 の 詩

                               

                              あ ら た ま

 
                                    
 斎 藤  茂 吉
                         


                 

足乳根の母に連れられ川越し 田植えしこともありにけむもの


草伝う朝の蛍よ 短かかるわれの命をしなしむなゆめ


みじかかかるこの世を経むとうらがなし 女の連れのありといふかも


こころ妻まだうら若く戸をあけて 月は紅しといひにけるかも


ぎぼうしゅの葉のひろごりに日ならべし 梅雨(さみだれ)晴れて暑しこの頃


空をかぎりまろくひろごれる青畑を 急ぎてのぼる人ひとり見ゆ


みづゆけば根白高萱かやむらは濡れつつ蟹をねらしむるところ


ゆふぐれの海の浅処にぬばたまの 黒牛疲れて洗はれにけり


しろがねの雨わたつみに輝りけむり 漕ぎたみ遠きふたり舟びと


妻とふたり命まもりて海つべに 直(ただ)つつましく魚くひにけり


 
 
  

                         日本の詩歌 『斎藤茂吉』 中央公論社 昭和43年



        6 月 の 詩

                               

                              ルバイヤート(四行詩)

 
                                    
オマル・ハイヤーム
                         小川 亮作  訳



                  
一瞬を生かせ-迷いの門から正信まではただの一瞬(ひととき)...-  
     

109
楽しく過ごせ、ただひとときの命を。
一片(ひとくれ)の土塊(つちくれ)もケイコバードやジャムだよ。
世の現象も、人の命も、けっきょく
つかの間の夢よ、錯覚よ、幻よ!


110
大空に月と日が姿を現してこのかた
紅(くれない)の美酒(うまざけ)にまさるものはなかった。
腑に落ちないのは酒を売る人々のこと、
このよきものを売って何に替えようとか?


111
月の光に夜は衣の裾をからげた。
酒を飲むにまさるたのしい瞬間(とき)があろうか?
たのしもう!なにをくよくよ?
いつの日か月の光は墓場の石を一つづつ照らすだろうさ。
 
 
  

                     オマル・ハイヤーム『ルバイヤート(4行詩)』 岩波文庫 昭和49年




         5 月 の 詩

                               

                              旅 上 ―純情小曲集―  

 
                                         
萩原 朔太郎



ふらんすへ行きゆきたしと思へども

ふらんすはあまりに遠し

せめては新しき背広を着て

きままなるたびにい出てみん。

汽車が山道を行く時

みずいろの窓に寄りかかりて

われひとりうれしきことをおもはむ

五月の朝のしののめ

うら若草のもえいづる心まかせに。






        4 月 の 詩

                               

                              青葉の笛 (明治39年)
               


 
                                   
大和田建樹



一の谷の戦敗れ

討たれし平氏の公達あわれ

暁寒き 須磨の嵐に

聞えしはこれか 青葉の笛
  


更くる夜半に 門を敲き

我が師に托せし言の葉あわれ

今わの際まで 持ちし菔(えびら)に

残れるは 「花や 今宵」の歌






        月 の 詩

                               

                              早 春 譜
               


 
                                   
吉丸 一昌


春は名のみの 風の寒さや
谷の鶯 歌は思えど
時にあらずと 声も立てず
時にあらずと 声も立てず

氷融け去り 葦は角ぐむ
さては時ぞと 思うあやにく
今日も昨日も 雪の空
今日も昨日も 雪の空

春と聞かねば 知らでありしを
聞けば急かるる 胸の思いを
いかにせよとの この頃か
いかにせよとの この頃か



         月 の 詩

                               

                              少年思慕調
               


 
                                   
神保光太郎(山形県)


雪の深い北の国の町でした
ひっそりとした裏通りに
ちひさな郵便局がありました
赤いポストがくっきりと立っていました
遠い日のおとぎの城の兵隊のようでした
きれいな水がさやさやと流れてゐる小川
その橋を渡って ドーアをひらくのでした
 (私は少年でした)
切手をいっしんに集めていました
郵便局の隣は石の塀のお屋敷でした
そこにわたしが心ひそかに
王女 と呼んでゐる美しい少女がゐました
私は切手を買っては
いつもいつもその塀にそふて帰るのでした

冬の長い
春の遅い北の国の街でした


    
『神保光太郎全詩集』 昭和42年 審美社




     1月 の 詩

                               

                             海 の か な た は


                                        荒川 法勝


海のたまゆらが消え
青い玉のたまのつながり
彩りのかすかにふれ合うような
いろのあわさを
遠い世のひとびとのあおいことばを
うみのかなたの「魂」のたま
たまのことばの虚のつながり
「虚」のなかのたまゆらのおとない
青いことばのうたのつながり
すきとおるような青さの
海の持つもうひとつの皮膜のそこを
みえないあおい流れが
流れのかすかなうごめきの白波の
その白絹のきぬの色よりも
あわい青さを
ひとびとは思ったことがあろうか
うすい青さのたまゆらのたま
たまと「たま」との
ゆれる波のなみのおとの
おとのもつ海のたまゆら





  
日本現代詩文庫37『荒川法勝詩集』1990年 土曜美術社