12月の詩
       
           
   
 海 辺 の 恋  殉情詩集 同心草より   
            
     
           
 佐藤 春夫(和歌山県)

こぼれ松葉をかきあつめ
をとめの如き
 君なりき、
こぼれ松葉に火をはなち
わらべの如きわれなりき。

  わらべとをとめよりそひぬ
  ただたまゆらの火をかこみ、
  うれしくふたり手をとりぬ
  かひなきことをただ夢み、

    入り日のなかに立つけぶり
    ありやなしやとただほのか、
    海べのこひのはかなさは
    こぼれ松葉の火なりけむ。


             
『佐藤春夫詩集』 昭和44年 新潮文庫 


11月の詩

 
ちいさな木の

         
海野 洋司(兵庫県)

ちいさな 手のひらにひとつ
古ぼけた木(こ)の実 にぎりしめ
ちいさな あしあとがひとつ
草原の中を 駆けてゆく
  パパと ふたりで拾った
  大切な木の実 にぎりしめ

ことし また秋の丘を
少年はひとり 駆けてゆく

ちいさな心に いつでも
しあわせな秋は あふれてる
風と 良く晴れた空と
あたたかいパパの 思い出と
  坊や 強く生きるんだ
  広いこの世界 お前のもの

ことし また秋がくると
木の実はささやく パパの 言葉



    
 ビゼー作曲歌劇『美しいバースの娘』より




  
ふるさとの

               三木 露風(兵庫県)


ふるさとの 小野の木立に
笛の音の うるむ月夜や

おとめごは 熱き心に
そをば聞き なみだ流しき

十年(ととせ)へぬ おなじこころに
君泣くや 母となりても

                 『三木露風詩集

10月の詩      
                              
                  
    旅  情

                                                          石垣 りん(東京都)

ふと目覚めた枕もとに
秋がきていた。
 
遠くから来た、という
去年からか、ときく
もっと前だ、と答える。

おととしか、ときく
いやもっと遠い、という

では去年私のところへ来たのは何なのかときく。
あの秋は別の秋だ、
去年の秋はもうずっと先の方に行っているという。

先の方というと未来か、ときく。
いや違う、
未来とはこれから来るものを指すのだろう?
ときかれる。
返事に困る。

では過去のほうに行ったのか、ときく。
過去へは戻れない、
そのことはお前と同じだ、という。


がきていた。
遠くからきたという。
遠くへいこうという


          
石垣りん詩集 『表札など』1969 思潮社


9月の詩


   小さい秋みつけた


             
 サトウ・ハチロー(東京都)

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 小さい秋
  小さい秋 みつけた
めかくしおにさん 手のなるほうへ
すましたお耳に かすかにしみた
呼んでる口笛 もずの声
  ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 小さい秋
  小さい秋 みつけた
おへやは北向き くもりのガラス
うつろな目の色 溶かしたミルク
わずかなすきから 秋の風
 ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた

だれかさんが だれかさんが
だれかさんが みつけた
ちいさい秋 小さい秋
  小さい秋 みつけた
むかしのむかしの風見の鶏の
ぼやけたとさかにはぜの葉ひとつ
はぜの葉赤くて入り日色
 ちいさい秋 ちいさい秋
  ちいさい秋 みつけた

           

       『日本の詩歌』別巻日本歌唱集 中央公論社





8月の詩 

                   のちのおもひに

              
立原 道造


夢はいつもかへって行った 山の麓のさびしい村に
水引き草に風が立ち
草ひばりのうたひやまない
しずまりかへった午さがりの林道を

うららかに 青い空には陽が照り 火山は眠っていた
―――そして私は
見て来たものを 島々を 波を 岬を 日光月光を
だれも聞いてゐないと知りながら 語りつづけた...

夢は そのさきには もうゆかない
なにもかも 忘れ果てようとおもひ
忘れつくしたことさへ 忘れてしまったときには

夢は 真冬の追憶のうちに凍るであらう
そして それは戸をあけて 寂寥の中に
星くづにてらされた道を過ぎ去るであらう
  





    
        はじめてのものに   
  
                       
             立原 道造

ささやかな地異は そのかたみに
灰を降らした この村に ひとしきり
灰は悲しい追憶のやうに 音立てて
樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきった

その夜 月は明かったが 私はひとと
窓に凭れて語り合った(この窓からは山の姿がよく見えた)
部屋の隅々に 峡谷のやうに 光と
よくひびく笑ひ声が溢れてゐた

――人の心を知ることは...人の心とは...
わたしはその人が蛾を追う手つきを あれは蛾を
捉えようとするのだらうか 何かいぶかしかった

いかな日に みねに灰の煙りの立ち初めたか
火の山の物語と...また幾夜さかは 果たして夢に
その夜習ったエリザベートの物語を織
った





  
         ゆふすげびと

               立原 道造


かなしみではなかった日のながれる雲の下に...
僕はあなたの口にする言葉をおぼえた
それはひとつの花の名であった
それは黄いろの淡いあはい花だった

僕はなんにも知ってはゐなかった
何かを知りたく うっとりしてゐた
そしてときどき思ふのだが 一体なにを
だれを待ってゐるのだらうかと


昨日の風に鳴っていた 林を透いた青空に
かうばしい さびしい光のまんなかに
あの叢に咲いてゐた…さうしてけふもその花は

思ひなしだか 悔いのやうに―
しかし僕は老いすぎた 若い身空で
あなたを悔いなく去らせたほどに!


    立原道造全集第三巻 『菅草に寄す』 1969 角川書店



             
                   麦 藁 帽 子


                       
立原 道造(東京都)


八月の金と緑の微風(そよかぜ)のなかで
目に沁みるさわやかな麦藁帽子は
黄いろな 淡い 花々のようだ
甘いにほひと光とにみちて
それらの花が咲にほふとき
蝶よりも 小鳥らよりも
もっと優しい生き物たちが挨拶する


      
立原道造全集第四巻 『暁と夕べの歌』1969 角川書店
 

 7月の詩
                  
 
        

                
串田 孫一(東京都)


朝は シューマンの歌とともに晴れ

あふれている まぶしさ

蜘蛛がかけ忘れた糸が光り

猫がつかまえた蜻蛉の翅


かさかさの音をきかせる


根気よく 新しいものに向かう

今日は 一つの祝福があるようだ

     日本現代詩文庫 『串田孫一詩集』 1990  土曜美術社

                                       6月の詩

       歌集 『赤 光』より


              
斉藤 茂吉(山形県)


みちのくの母のいのちを人目見ん
一目見んとぞ ただにいそげる

死に近き母に添い寝のしんしんと
遠田のかはづ 天に聞ゆる

桑の香の青くただよふ朝明に
堪へがたければ母呼びにけり

のど赤き玄鳥(
つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にいて
足乳根(
たらちね)の母は死にたまひけり

山ゆえに笹竹のこを食ひにけり
ははそはの母よ ははそはの母よ

                                                                   
        『日本の詩歌』 8 斉藤茂吉 1969 中央公論社 

        月の詩

                                       
 あどけない話

                           高村光太郎


       
ちゑ子は東京には空が無いといふ
       
本当の空を見たいといふ
      私は驚いて空を見る
      桜若葉の間にあるのは
      切っても切れない         
      昔馴染みのきれいな空だ
      どんよりけむる地平のぼかしは
      うす桃色の朝のしめりだ
      ちゑ子は遠くを見ながらいふ
      阿多多羅の山の上に
      毎日出ている青い空が
      ちゑ子のほんとの空だと
いふ
      
  あどけない話である

                    
高村光太郎詩集『智恵子抄』より 

        月の詩

                
瓦(いし)のうへ

                                                                三好 達治(大阪府


      
あはれ 花びら流れ
      おみなごに 花びら流れ
      おみなごしめやかに語らひあゆみ
      うららかの足音 空に流れ
      をりふしに瞳をあげて
      翳りなきみ寺の春をすぎゆくなり
      み寺の甍みどりにうるほひ
      廂ひさしに
      風鐸のすがたしづかなれば
      ひとりなる
      わが身の影をあゆまする いしのうへ
 

                                   『三好達治詩集』新潮文庫



3月の詩

      
  松 の 針
      

       
           宮沢 賢治(岩手県)

さっきのみぞれをとってきた 
あのきれいな松のえだだよ
おおまえへはまるでとびつくよう
そのみどりの葉にあつい頬をあてる
そんな植物性の青い針のなかに
はげしく頬を刺させることは
むさぼるやうにさへすることは
どんなにわたくしたちをおどろかすことか
そんなにまでもおまへは林に行きたかったのだ
おまへがあんなにねつに燃やされ
あせやいたみでもだえているとき 
わたくしは日のてるとこでたのしくはたらいたり
ほかのひとのことをかんがへながらぶらぶら森をあるいてゐた
《ああいぃ さっぱりした
まるで林のながさ来たよだ》
鳥のやうに栗鼠(リス)のやうに
おまへは林をしたってゐた
どんなにわたくしがうらやましかったらう
ああけふのうちにとおくにさらうとするいもうとよ
ほんたうにおまへはひとりでいかうとするか
わたくしにいっしょに行けとたのんでくれ
泣いてわたくしにさう言ってくれ
おまへの頬の けれども
なんといふけふのうつくしさよ
わたくしは緑のかやのうへにも
この新鮮な松の枝をおかう
いまに雫もおちるだらうし
そら
さわやかな
turpentine(ターペンタイン)の匂いもするだらう


      
宮沢賢治詩集 西脇順三郎・浅野晃・神保光太郎/監修 
            
青春の詩集D 白鳳社 昭和40年

                2月の詩
 歌集  『一握の砂』より
     

          
石川 啄木(岩手県)


ふるさとの訛なつかし 
停車場の人ごみの中に
そを聴きに行く

しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな

いらだてる心よ汝はかなしけり
いざいざ
すこし欠伸などせむ

汽車の窓
はるかに北にふるさとの
山見えくれば襟を正すも

水蒸気
列車の窓に花のごと凍てしを染むる
あかつきの色


世の中の明るさのみを吸ふごとき
黒き瞳の

今も目にあり


              
  
石川啄木歌集『一握の砂』昭和24年 渇ヘ出書房


            月の詩  
         自分の感受性くらい                        
                                                   茨木のり子(東京都)


ぱさぱさに乾いてゆく心を
人のせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性ぐらい
自分で守れ
ばかものよ
  



     茨木のり子 『自分の感受性ぐらい』 1977年 花神社

              12月の詩


           
      冬 が 来 た    

                                                     
                    
 高村光太郎(東京都) 


きっぱりと冬が来た

八つ手の白い花も消え
いちょうの木も箒になった
きりきりともみこむような冬が来た
人にいやがられる冬
草木に背かれ、虫類に逃げられる冬がきた
       
冬よ 
僕に来い、僕に来い
僕は冬の力、冬は僕の餌食だ
しみ透れ、つきぬけ
火事を出せ、雪で埋めろ
刃物のような冬が来



        
 岩波現代文学 高村光太郎詩集 岩波書店                    

  11月の詩                  
  
        
  落 葉 松

          北原 白秋(福岡県)

からまつの林を過ぎて 
からまつをしみじみと見き
からまつはさびしかりけり
たびゆくはさびしかりけり

からまつの林を出でて
からまつの林にいりぬ
からまつの林にいりて
また細く道は続けり

からまつの林の奥も
わが通る道はありけり
霧雨のかかる道なり
山風のかよう道なり

からまつの林の道は
われのみか ひともかよいぬ
ほそほそと通う道なり  
さびさびといそぐ道なり

からまつの林を過ぎて
ゆえしらず歩みひそめつ
からまつはさびしかりけり
からまつとささやきにけり
    
からまつの林を出でて
浅間嶺にけぶり立つ見つ
浅間嶺にけぶり立つ見つ
からまつのまたそのうえに
 
からまつの林の雨は
さびしけどいよよしずけし
かんこ鳥鳴けるのみなる
からまつの濡るるのみなる

世の中よあわれなりけり
常なけどうれしかりけり
山川に山がわの音
からまつにからまつのかぜ


     
『日本の詩歌』別巻日本歌唱集 中央公論社



       10月の詩  

                    秋刀魚の歌

                        佐藤 春夫(和歌山県   

あはれ
秋風よ
情(こころ)あらば伝えてよ
―――男ありて
今日の夕餉に ひとり
さんまを食(くら)ひて
思ひにふける と。

さんま、さんま 
そが上に青き蜜柑の酸(す)をしたたらせて
秋刀魚を食ふはその男のふる里のならひなり。
そのならひをあやしみなつかしみて女は
いくたびか青き蜜柑をもぎて夕餉にむかひけむ。
あはれ、人に捨てられんとする人妻と
妻にそむかれたる男と食卓にむかへば、
愛うすき父を持ちし女の児は
小さな箸をあやつりなやみつつ
父ならぬ男にさんまの腸(はら)をくれむと言ふにあらずや。

あはれ
秋風よ
汝こそは見つらめ
世のつねならぬかの団樂(まどい)を。
いかに
秋風よ
いとせめて
証せよかの一ときの団樂ゆめに非ずと。

あはれ
秋風よ
情あらば伝へてよ
夫を失わざりし妻と
父を失はざりし幼児とに伝へてよ
―――男ありて

今日の夕餉にひとり
秋刀魚を食ひて
涙をながす と。


さんま、さんま、
さんま苦いか塩っぱいか、
そが上に熱き涙をしたたらせて
さんまを食ふはいづこの里のならひぞや。
あはれ
げにそは問はまほしくをかし。



                                                    新潮文庫 『佐藤春夫詩集』


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