12月の詩

      冬 の 雨


   
      金子 みすず(山口県)  
  

「母さま、母さま、ちょいと見て、
  雪がまじって降っててよ。」
「ああ、降るのね。」 とお母さま、
 お裁縫してるお母さま。
 ―氷雨の街をときどき行くは、
 みんな似たよな傘ばかり。

「母様、それでも七つ寝りゃ、
  やっぱり正月来るでしょか。」
「ああ、来るのよ。」 とお母さま、
 春着縫ってるお母さま。
 ―このぬかるみが河ならいいな、
 広い海なら、なおいいな。

「母さま、お舟が通るのよ、
  ぎいちら、ぎいちら、櫓をおして。」 
「まあ、馬鹿だね。」 とお母さま、
 こちら向かないお母さま。
 ―さみしくあてる、左の頬に、
 つめたいつめたい硝子です。
        
  

                 ハルキ文庫『金子みすず 童謡集』2004年 角川春樹事務所

                


        11月の詩



      
霧 の 中


        
 ヘルマン・ヘッセ(ドイツ)
       (高橋 健二 訳)



不思議だ、霧の中を歩くのは
どの茂みも、石も孤独だ。
どの木にも他の木は見えない。
みんなひとりぼっちだ。

私の生活がまだ明るかった頃
私にとって世界は友だちに溢れていた、
いま、霧が降りると 
だれももう見えない。

ほんとうに 自分をすべてのものから
逆いようもなく、そっとへだてる
暗さを知らないものは、 
賢くはないのだ。

不思議だ、霧の中を歩くのは
生きるとは 孤独であることだ。
だれも他の人を知らない。
みんひとりぼっちだ。



           
『ヘッセ詩集』 平成17年  新潮文庫 


10月の詩


    山 の 吊 橋


               横 井  弘

   山の吊橋ァ どなたが通る
   倅なくした 鉄砲うちが
   話し相手の 犬連れて
   熊のおやじを 土産にすると
   鉄砲ひと撫でして通る
   ホレ ユーラユラ


  
   山の吊橋ァ どなたが通る
   遠い都に 離れた人を
   そっと偲んで 村娘
   谷の瀬音が 心に沁みると
   涙ひと拭きして通る
   ホレ ユーラユラ
    
           
大衆歌謡も文学といえる、横井 弘のスケッチ

9月の詩



       夏 は 過 ぎ 去った


         エミリ・ディキンソン(アメリカ)
             

    悲しみのようにひそやかに
    夏は過ぎ去った 
    あまりにもひそやかで
    裏切りとも思えないほどに

    蒸留された静けさ 
    もうとうに始まった黄昏のように
    または自ら引きこもって
    午後を過ごしている 自然

    夕暮れの訪れは速くなり
    朝の耀きはいつもと違う
    ねんごろでしかも 胸の痛むような優美さ
    立ち去ろうとする 客人のように

    このようにして翼も持たず
    船に乗ることもなく
    私たちの夏は軽やかに逃れ去った
    美しき ものの中に

 

          1960年代の暗誦詩で翻訳者名不詳。

8月の詩



                    風 に 寄 す  (南方詩集より)
     
      義朝の心に似たり秋の風 −芭蕉−


          
      神保光太郎(山形県)


   星も清かな南海の夜
   私の風は そっと瞼をさすらなかったらうか
   いや いや
   私を訪れたのは見も知らぬ異国の風
   音もなく 飄々と消えていった
   なつかしい日本の風よ

   今宵も
   あの遠い山陰のふるさと
   冬近い野面をさびしく走るか

   ここは
   夢のやうに暑く...


    
      『神保光太郎全詩集』 昭和42年 審美社


           

  
        
国  境

            田中 冬二(富山県)
 

   海抜二千尺

   国境の駅の ラムプのまはり

   山繭の蛾が飛んでゐる


   遠雷がして はるか山麓のあたり

   雨が降ってゐる



    
現代詩教養文庫591 『友に贈る山の詩集』1983 社会思想社
            


7月の詩
         
 
     好  意
   

           串田 孫一


  私は黙って死んでいる
  さあ それではと
  みんな忙しく動き廻ったり
  座り込んで考えていたり
  ほかの用事のことなど話し
  花の香りを撒いていたり
  本を読もうとしていたりする
  そして露をためたみんなの眼射しが
  この死骸をやさしく支えてくれる
  わたしは死んで
  焼かれる窯に入ったら
  さんざん暴れてみようと思ったが
  それもやめだ
  このじとじとと雨の降る晩に
  胸をぐっと暗く詰まらせるのは
  私が想像する色とりどりの好意が
  もう抱えきれなくなったのだ

   
                      

        


             串田 孫一

  歌が聞こえる
  私は河原の胡桃の陰
  桃を食べている
  お前 どこにいるの
  もうその歌はいい
  遠くに赤い鉄橋が見える



       
日本現代詩文庫1 串田孫一詩集』 1990 土曜美術社



 


     箱 根 八 里 


            
鳥 居  まこと


  箱根の山は天下の険 函谷関も物ならず

  万丈の山 千刃の谷 前に聳え 後方に支う

  雲は山をめぐり 霧は谷を閉ざす

  昼猶暗き杉の並木 羊腸の小径は苔滑らか

  一夫関に当たるや 万夫も開くなし

  天下に旅する剛毅の武士(もののふ)

  大刀腰に足駄がけ 八里の岩根踏み鳴らす
 
  斯くこそありしか 往時の武士

          



                    日本の詩歌 別巻』 昭和47年 中央公論社



6月の詩
         

   
    黒 潮 の 詩 

                
            
田 中 一 村 (栃 木 県)
 

 ・砂白く 潮は青く 百合香る


 ・梅花なし 桃花亦なし 島の春


 ・鶯もソテツを友とす 奄美島


 ・恋文の 代筆果たす 吾五十二


 ・鬼ヘゴは 老椎よりも丈高く


 ・残月に パパイア黒し 筬の音


 ・銀河見ゆ フクロー聞こゆ ねむの花


 ・千鳥なく 鷺は降り立つ牛の背に


 ・花は緑 燃ゆる緋の葉よ 名はクロトン


 ・熱砂の濱 あだんの写生 吾一人


                        『NHK日曜美術館黒潮の画譜 田中一村作品集』
                                昭和60年 日本放送出版協会


5月の詩

      海 の 若 者      

              佐 藤 春 夫

若者は海で生まれた。
風を孕んだ帆の乳房で育った。
素晴らしく巨きくなった。
或る日 海に出て
彼は もう 帰らない。
もしかするとあのどっしりした足取りで
海に 大股で歩みこんだのだ。

取り残された者どもは
泣いて小さな墓を立てた


                                    
                                         『佐藤春夫詩集』 昭和44年 新潮文庫

4月の詩

          春 の 詠  古今和歌集ほかより     


照りもせず曇りもはてぬ春の夜の
朧月夜にしくものぞなし 

  世の中にたえてさくらのなかりせば
  春の心はのどけからまし(在原業平)

    浅みどり花もひとつに霞みつつ
    朧に見ゆる春の夜の月(菅原孝標女)

      木のもとにやどりをすればかたしきの
      わが衣手に花は散りつつ(源 実朝)


春の苑紅にほふ桃の花
下照る道に出で立つ少女(大伴家持)

  霞み立つ春の山辺にさくら花
  あかず散るとや鶯のなく

    久方の光のどけき春の日に
    しず心なく花の散るらむ

      人はいざ心も知らずふるさとは
      花ぞ昔の香に匂ひける

   


           
  緑 色 の 笛(青猫より)

              萩原朔太郎(群馬県)

この黄昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと歩いてゐる
黄色い夕月が風に揺らいで
あちこちに帽子のような葉っぱがひらひらする

さびしいですか お嬢さん!
ここにちいさな笛があって その音色は澄んだ緑です。
やさしく歌口をお吹きなさい。
とうめいなるそらにふるへて
あなたの蜃気楼をよびよせなさい
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像が次第に近づいてくるやうだ。
それは首のない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする
いっそこんな悲しい暮景の中で

わたしはしんでしまいたいのです お嬢さん


                         
『萩原朔太郎詩集』昭和42年 角川文庫

          3月の詩

    ゴンドラの歌(大正5年)

           吉井 勇
(東京都)

            いのち短し恋せよ乙女
            朱き唇褪せぬ間に
            熱き血潮の冷えぬ間に
            明日の月日の ないものを
  
               いのち短し恋せよ乙女
               いざ手を取りてかの舟に
               いざ燃ゆる頬を君が頬に
               ここには誰も来ぬものを

                  いのち短し恋せよ乙女
                  波に漂う舟のよに
                  君が柔手をわが肩に
                  ここは人目もないものを

                     
いのち短し恋せよ乙女
                     黒髪の色褪せぬ間に
                     心のほのお消えぬ間に
                     今日は再び 来ぬものを

  


                          
『日本の詩歌』別巻 昭和48年 中央公論社
                 


                        2月の詩

  生ひ立ちの歌 山羊の歌より
          

          中原 中也
(山口県)

 
 幼 年 時
私の上に降る雪は
真綿のやうでありました

  少 年 時
私の上に降る雪は
霙(みぞれ)のやうでありました

  十七−十九
私の上に降る雪は
霰(あられ)のやうに散りました

  二十−二十二
私の上に降る雪は
雹(ひょう)であるかと思はれた

   二十三
私の上に降る雪は
ひどい吹雪と見えました

   二十四
私の上に降る雪は
いとしめやかになりました…



私の上に降る雪は
花びらのやうに降つてきます
薪の燃える音もして
凍るみ空の黝(くろ)む頃

私の上に降る雪は
いとなびよかになつかしく
手を差し伸べて降りました

私の上に降る雪は
熱い額に落ちくもる
涙のやうでありました

私の上に降る雪に
いとねんごろに感謝して、 神様に
長生きしたいと祈りました

私の上に降る雪は
いと貞潔でありました
             
                  
『中原中也詩集』 昭和48年 角川文庫
      

  1月の詩
      
      この世の中にある
            
                  
石垣 りん


   この世のなかにある、たった一つの結び目
   あの地平線の果ての
   あの光の
   たった一つの結び目
   あれを解きに
   わたしは生まれてきました
   わたしは地平線に向かって急いでおります
   誰が知っていましょう
   百万人の人が気づかぬちょっとした暇に
   わたしはきっと成し遂げるのです
    ―まるで星が飛ぶように―
    「さよなら 人間」
   わたしはそこから舞い上がる一片の蝶
   かろやかな雲、さてはあふれてやまぬ泉吹く風
   ああそこから海が、山が、空が
   はてしなくひらけ
   またしてもあの地平線
     ゆけども、ゆけども、 ゆけども―。

         
『現代の詩人5 石垣りん』昭和58年 中央公論社


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