十二 月 の 詩

                   (なまず)


                     
      高村 光太郎


盥(たらひ)の中でぴしゃりとはねる音がする。
夜が更けると小刀の刃が冴える。
木を削るのは冬の夜の北風の為事である。
暖炉に入れる石炭が無くなっても、
鯰よ、
お前は氷の下でむしろ莫大な夢を食ふか。
檜の木片(こっぱ)は私の眷族、
智恵子は貧におどろかない。
鯰よ、
お前の鰭に剣があり、
お前の尻尾に触角があり、
お前の鰓(あざと)に黒金の覆輪があり、
さうしておまえの楽天にそんな石頭があるといふのは、
なんと面白い私の為事への挨拶であらう。

風が落ちて板の間に蘭の香ひがする。
智恵子は寝た。
私は彫りかけの鯰を傍へ押しやり、
砥水を新しくして
更に鋭い明日への小刀をりゅうりゅうと研ぐ。



      
*自分の境涯に甘んじてこせこせしないこと
       
旺文社文庫 北川太一編『高村光太郎詩集』 1980 旺文社

          十一 月 の 詩

             

                  
千の風になって


                        作詞者(USA)不詳
                        訳   新 井  満


私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 眠ってなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
秋には光になって 畑にふりそそぐ
冬はダイヤのように きらめく雪になる
朝は鳥になって あなたを目覚めさせる
夜は星になって あなたを見守る
私のお墓の前で 泣かないでください
そこに私はいません 死んでなんかいません
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
千の風に
千の風になって
あの大きな空を
吹きわたっています
あの大きな空を
吹きわたっています








  危   険
     

       
天 野  忠(京都府)


東洋には姥捨て山があって

不要な老人は捨てられる

古いペンを捨てるように

まことに合理的なことだ これは




諸君

古いさびたペンは捨てよう

ただし山へ捨ててはならぬ

山では

泣きながら

不要な老人が歩いている


     『友へ送る山の詩集』   1983年 社会思想社  


           十 月 の 詩


  秋風のこころよさに
    ―歌集『一握の砂』より ―

     

           
石川 啄木

目に慣れし山にはあれど
秋来れば 
神や住まむと かしこみて見る

秋立つは水にかも似る
洗われて
思ひことごと新しくなる

愁ひきて 
丘に登れば名も知らぬ
鳥啄(つひ)ばめり赤き薔薇の実

はたはたと黍の葉鳴れる
ふるさとの軒端なつかし
秋風吹けば

長く長く忘れし友に
会ふごとき
よろこびをもて 水の音聴く

父のごと秋はいかめし
母のごと秋はなつかし
家持たぬ児に

世のはじめ
まづ森ありて
半神の人そが中に火や守りけむ

神無月
岩手の山の
初雪の眉にせまりし朝を思ひぬ

風流男(みやびお)は今も昔も
淡雪の
玉手さし捲く夜にし老ゆらし


     石川啄木歌集『一握の砂』 昭和24年 河出書房 

          九 月 の 詩


  あ ざ み の 歌
     (昭和25年NHKラジオ歌謡)


           
横 井  弘

  山には山の 愁いあり
  海には海の かなしみや
  ましてこころの 花園に
  咲きしあざみの 花ならば


  高嶺(たかね)の百合の  それよりも
  秘めたる夢を ひとすじに
  くれない燃ゆる その姿
  あざみに深き わが想い

 
  いとしき花よ 汝(な)はあざみ
  こころの花よ 汝はあざみ
  さだめの径(みち)は 果てなくも
  香れよせめて わが胸に

           八 月 の 詩


 わたしが一番きれいだったとき
     

           
茨木 のり子

わたしが一番きれいだったとき
街街はがらがら崩れていって
とんでもないところから
青空なんかが見えたりした

わたしが一番きれいだったとき
まわりの人達が沢山死んだ
工場で 海で 名もない島で
わたしはおしゃれのきっかけを落としてしまった

わたしが一番きれいだったとき
だれも優しい贈り物を捧げてはくれなかった
男たちは挙手の礼しか知らなくて
きれいな眼だけを残し皆発っていった

わたしが一番きれいだったとき
わたしの頭は空っぽで
わたしの心はかたくなで
手足ばかりが栗色に光った

わたしが一番きれいだったとき
わたしの国は戦争で負けた
そんな馬鹿なことってあるものか
ブラウスの腕をまくり卑屈な街をのし歩いた

わたしが一番きれいだったとき
ラジオからはジャズが溢れた
禁煙を破ったときのようにくらくらしながら 
わたしは異国の甘い音楽をむさぼった

わたしが一番きれいだったとき
わたしはとてもふしあわせ
わたしはとてもとんちんかん
わたしはめっぽう淋しかった

だから決めた できれば長生きすることに
年とってから凄く美しい絵を描いた
フランスのルオー爺さんのように
              ね


      
現代の詩人7 『茨木のり子』 昭和58年 中央公論社

七 月 の 詩
 


     
愛 す る 神 の 歌



            
     津村 信夫(兵庫県)


父が洋杖をついて、わたしはその側に立ち、
新らしく出来上がった姉の墓を眺めてゐた。

噴水塔の木梢で、春蝉が鳴いてゐる。
若くして見没った人の墓は美しく磨かれてゐる。

ああ、嘗って、誰が考へたであらう、この知らない土地の青空の下で
一つの小さな魂が安らひを得ると。

春から秋へ、
墓石は、おのずからなる歴史を持つだろう。
風が吹くたびに、遠くの松脂の匂ひもする。

やがて、
私たちも此処を立ち去るだらう、かりそめの散歩者を装って。

     


       
室生 犀星『わが愛する詩人の伝記』 昭和40年 角川文庫 


六 月 の 詩
 

     
こ の 六 月


            
 新川 和江(茨城県)


あなたは花を持ってきてくださった
庭に咲いた六月の百合 グラジオラス
けれどもわたしは飾れなかった
どこかでしおれかけている
もっと大きな花にすっかり気をとられて

〈壺はないの?〉 とあなたはいった
わたしはいきなり両手をひろげた
〈私が壺よ
私自身が壺になるの〉
うごけば体がわれそうに
せいいっぱい身をはりつめていた

〈水につけてあげましょう せめて〉
あなたは少なからず感情を害した
〈どこなの井戸は〉
〈ああ きこえません? おくさん
わたしは朝から
ポンプを押すのに懸命でした〉

わたしは少なからず取り乱した
すると
わたしのなかにたまった水が
眼のふちから少しこぼれた
六月の百合 グラジオラスの花の上に


   新川和江詩集『ひとつの夏 たくさんの夏』 1963 地球社

五 月 の 詩
 
     
草 千 里 濱


            
 三好 達治(大阪府)


 われ嘗て この国を旅せしことあり
 昧爽(あけがた)のこの山上に われ嘗て立ちしことあり
 肥の國の大阿蘇の山
 裾野には青草しげり
 尾上には煙なびかふ 山の姿は
 そのかみの日にもかはらず
 環なす外輪山(そとがきやま)は
 今日もかも
 思ひ出の藍にかげらふ
 うつつなき ながめなるかな
 しかはあれ
 若き日のわれの希望(のぞみ)と
 二十年(はたとせ)の月日と 友と
 われをおきて いづちゆきけむ
 そのかみの思はれ人と
 ゆく春の この曇り日や
 われひとり齢かたむき
 はるばると 旅をまた来つ

 杖により 四方をし眺む
 肥の国の大阿蘇の山
 駒あそぶ 高原(たかはら)の牧
 名もかなし 草千里濱
  

          
新潮文庫 『三好達治詩集』 昭和28年


四 月 の 詩
 

  北 国 の 春
 

        
いで はく(長野県)
 
白樺 青空 南風
こぶし咲く あの丘 北国の
ああ 北国の春
季節が都会では わからないだろと
届いたおふくろの 小さな包み
あのふるさとへ帰ろかな 帰ろかな


雪解け せせらぎ 丸木橋
からまつの 芽がふく 北国の
ああ 北国の春
好きだとお互いに 言い出せないまゝ
別れてもう五年 あの娘はどうしてる
あのふるさとへ帰ろかな 帰ろかな


やまぶき 朝霧 水車小屋
わらべうた聞こえる 北国の
ああ 北国の春
兄貴も親父似で 無口な二人が
たまには酒でも飲んでるだろか
あのふるさとへ帰ろかな 帰ろかな 


三 月 の 詩
 

      
 千曲川旅情の歌


                         
島崎 藤村(長野県) 
     
        
  (一)

小諸なる 古城のほとり
雲白く 遊子悲しむ
緑なす はこべは萌えず
若草も しくによしなし
しろがねの 衾の岡辺
日に溶けて 淡雪流る

あたゝかき 光はあれど
野に満つる 香も知らず
浅くのみ 春は霞みて
麦の色 わづかに青し
旅人の 群はいくつか
畠中の 道を急ぎぬ

暮れ行けば 浅間も見えず
歌哀し 佐久の草笛
千曲川 いざよふ波の
岸近き 宿にのぼりつ
濁り酒 濁れる飲みて
草枕 しばし慰む


 
 (二)

昨日また かくてありけり
今日もまた かくてありなむ
この命 なにを齷齪
明日をのみ 思ひわづらふ

いくたびか 栄枯の夢の
消え残る 谷に下りて
河波の いざよふ見れば
砂まじり 水巻き帰る

嗚呼古城 なにをか語り 
岸の波 なにをか答ふ
過し世を 静かに思へ
百年も きのふのごとし

 
千曲川 柳霞みて 
春浅く 水流れたり
たゞひとり 岩をめぐりて
この岸に 愁を繋ぐ





二 月 の 詩

 雪の降る街を
      (昭和28年NHKラジオ歌謡)
            

          
 内村 直也


雪の降る街を 雪の降る街を
想い出だけが通りすぎて行く
雪の降る街を 遠い国から落ちてくる
この想い出を この想い出を
いつの日か包まん 
  温かき幸せの 微笑み
 

雪の降る街を 雪の降る街を
足音だけが通りすぎて行く
雪の降る街を 独り心に満ちてくる
この哀しみを この哀しみを
いつの日か解(ほぐ)さん 
  緑なす春の日の そよ風
 

雪の降る街を 雪の降る街を
息吹とともにこみ上げてくる
雪の降る街を 誰も分からぬ我が心
この空しさを この空しさを
いつの日か祈らん 
  新しき光降る 鐘の音


一 月 の 詩   


   
雪 山 賛 歌


          
 西 堀 栄 三 郎(滋賀県)


雪よ岩よ われ等が宿り
俺たちゃ街には 住めないからに

シール外して パイプの煙
輝く尾根に 春風そよぐ

煙い小屋でも 黄金の御殿
早く行こうよ 谷間の小屋へ

テントの中でも 月見はできる
雨が降ったら 濡れればいいさ

吹雪の日には 本当に辛い
ピッケル握る 手が凍えるよ

荒れて狂うは 吹雪か雪崩れ
俺たちゃ そんなもの恐れはせぬぞ

雪の間に間に キラキラ光る
明日は登ろうよ あの頂に

朝日に輝く 新雪踏んで
今日も行こうよ あの山越えて

山よさよなら ご機嫌宜しゅう
また来る時にも 笑っておくれ

          
           
              
(三高歌集 山岳部歌)