12 月 の 詩

          

      か も め さ ん
   


          谷川俊太郎(東京都)


あなたの国はただひとつ
その名は地球

あなたの人種はただひとつ
その名は人間

あなたの名前はただひとつ
その名は女

宇宙の虚無に浮かぶただひとつの卵
初めての始まり

かもめさん
あなたはぼくのものだ



『これが私の優しさです 谷川俊太郎詩集』 2002年 集英社文庫

11 月 の 詩

          

      静 穏 な 生 活
   



        アレクサンダー・ポウプ(英国)
         出口保夫・斎藤貴子 訳


人の望みと気遣いとが 僅かばかりの
祖父の屋敷に 限られる人はさいわい
自分の土地で 故里の空気を吸い
満ち足りている人は さいわい。

牛から乳を 畑からパンを
羊の毛から 衣服を供せられ、
夏には 庭の樹木が影をなし、
冬には 暖炉の火が 得られる人はさいわい

時間も 日も 歳月も
健康な肉体と 平和な精神に支えられ
日々静かに わずらうことなく
暮らして行ける人は 祝福を受けている。

夜にはぐっすりと眠り 学習と安逸とが
ともに調和し、甘美な休息と
無心のこころとが 瞑想のうちに
もっともよく受け入れられる人は 祝福を受けている。

そのように 人に見られず 知られずにいき、
そのように悲しまれずに 死んで行きたい。
この世を去るときも 石ひとつだに
眠るところを 告げ知らしめることなく。


     
音読・暗唱 愛と夢の英詩集』講談社+α文庫 2002年



10 月 の 詩

          

   山 頂 の 老 人昭和十年
   

        井上 康文(神奈川県)
 

3000米に近い山頂で、
登行者を待ってゐる老爺、
地獄谷から襲いかかる雲を、
摩利支天の肩に見ながら、
馴染みの鋸や仙丈を見ながら、
幾人もない登行者を、
いつまで待ってゐるのか。
小さな箱に葉書を入れ、
東駒ケ岳山頂のすたんぷをのせて、
登って来ても客にならない人を、
どんなに心待ちしてゐるだらう、
こんな寂しい暮らしもあるのかと、
皺だらけの赤ら顔を見て、
私は絵葉書とすたんぷの客となった。



  
現代教養文庫591 『友へ送る山の詩集』社会思想社 1983年


9 月 の 詩

          

     永遠にやって来ない女性
   

           室生 犀星(石川県)
 

秋らしい風の吹く日
柿の木のかげのする庭にむかひ
水のやうに澄んだそらを眺め
わたしは机にむかふ
そして時時たのしく庭を眺め
しほれたあさがほを眺め
立派な芙蓉の花を讃めたたへ
しづかに君を待つ気がする
うつくしい微笑をたたへた
鳩のような君を待つのだ
柿の木のかげは移つて
しつとりした日ぐれになる
自分は灯をつけて また机に向ふ
夜はいく晩となく
まことにかうかうたる月夜である
おれはこの庭を玉のやうに掃ききよめ
玉のやうな花を愛し
ちひさな笛のやうなむしをたたへ
歩いては考へ
考へてはそらを眺め
そしてまた一つの塵をも残さず
おお 掃ききよめ
きよい孤独の中に住んで
永遠にやつて来ない君を待つ
うれしさうに
姿は寂しく
身と心とにしみこんで
けふも君をまちまうけてゐるのだ
ああ それをくりかへす終生に
いつかはしらず祝福あれ
いつかはしらずまことの恵あれ
まことの人のおとづれあれ




8 月 の 詩

     旅 と 滞 在



          小野十三郎(大阪府)
 

旅をしても
長く留まるな。
用事を済ましたらすぐに発て。
早く帰って来い。
山も川も海も
みなおまえの敵だと思え
素朴な、人なつこい村人には特に警戒せよ。
もし霧が立ち込めた漁港で
朝の魚市に出くわしたら
一瞥するだけで通り抜けよ。
たちどまって
商い女などと話をするな。
風俗に興味を持つな
カメラなんか向けるなよ。
何も写りはしない。
山も川も海も
人間も人間の労働も
旅先ではみなおまえと関係ないものと思え。
霧の中に浮遊するか
沈殿している物の影だと思え。
おれは、いま、安乗の海を思い出しているが
世界は広い。
ノートルダムだって同じことなんだぞ。
なにを見ても
それらは
おまえの手に負えぬ
暗く冷たくねじれたものなんだ。
旅をしても滞在するな。
一泊もするな。
次の汽車で発て。


   
世界の詩66『小野十三郎詩集』 弥生書房 昭和49年



7 月 の 詩
     
   
  
  
 海 の 風 景


      堀口 大學(新潟県)
 
空の石盤に
鴎がABCを書く

海は 灰色の牧場です
白波は綿羊のむれであらう

船が散歩する
煙草を吸いながら

船が散歩する
口笛を吹きながら   


  


    
 要(かなめ)


海が扇子をひろげる
ああ わたしは要だ
遠い白帆はさびしい
私に似て
ありありと一人ぼっちだ


 
世界の詩48『堀口大學詩集』 弥生書房 昭和49年

 6 月 の 詩
  少 年 の 日


       佐藤 春夫

   1

野ゆき山ゆき海辺ゆき
真ひるの丘べ花を敷き
つぶら瞳の君ゆゑに
うれひは青し 空よりも。

   2 

影おほき林をたどり
夢深きみ瞳を恋ひ
あたたかき真昼の丘べ
花を敷き、あはれ若き日。

   3

君が瞳はつぶらにて
君が心は知りがたし。
君をはなれて唯ひとり
月夜の海に 石を投ぐ。

   4 

君は夜な夜な毛糸編む
銀の編み棒に編む糸は
かぐろなる糸あかき糸
そのラムプ敷き 誰がものぞ。

   
    新潮文庫『佐藤春夫詩集』新潮社 1970年

  5 月 の 詩
        
    
 長い間 都会に


          ジョン・キーツ(英国)
          出口 泰生 訳
 

長い間 都会に閉じ込められたものにとって
美しい大空を見つめて、その青空の微笑を
いっぱいに受けて 祈りのことばを
あげることは こよなく美しい。

疲れても 心は 充ち足り
波うつ青草の楽しい寝床に 身を沈め、
恋と その悩みの 静かな物語を読むときほど
幸せなことがあろうか。

夕べには 小夜啼鳥の 歌声を耳にし
流れゆく小さな かがやく雲のあとを
目で追いながら 家路につきつつ、
その日が あまりにも早く過ぎ去ったのを嘆き
悲しく思うのだ。透明な空気の中に 静かに落ちる
天使の涙のように その日が 早く落ちてしまったのを。


  
世界の詩集33『キーツ詩集』 昭和42年 弥生書房



4 月 の 詩
        
    
春の日の花と耀く


             トマス・ムア 作詞
             堀内  敬三 訳詞
 

春の日の 花と輝く
うるわしき姿の
いつしかに あせてうつろう
世の冬は来るとも
我が心は 変わる日なく
おん身をば慕いて
愛は なお 緑いろこく
我が胸に生くべし


若き日の ほおは清らに
わずらいの影無く
おん身 いまあでにうるわし
されど 面あせても
我が心は 変わる日なく
おん身をば慕いて
ひまわりの日をば恋うごと
とこしえに思わん
              愛唱歌



3 月 の 詩
        
    
故 郷 を 離 る る 歌


             吉 丸 一 昌(大分県) 
 

園の小百合 撫子 垣根の千草
今日は汝をながむる最終(おわり)の日なり
思えば涙 膝をひたす
さらば故郷 さらば故郷
さらば故郷 故郷さらば
 
つくし摘みし岡辺よ社の森よ
小鮒釣りし小川よ柳の土手よ
別るる我を 憐れと見よ
さらば故郷 さらば故郷
さらば故郷 故郷さらば
 
ここに立ちてさらばと別れを告げん
山の陰の故郷 静かに眠れ
夕日は落ちて たそがれたり
さらば故郷 さらば故郷
さらば故郷 故郷さらば


            2 月 の 詩

    鬼 火 の 色
 

        
 荒 川 法 勝(岩手県)


みぞれは降らなかった
ただそこびえのする冬の日だった
僕には太陽が消えもしないで
終日山の端にかかっているように思えてならなかった
そんな日父の屍は燃えた
ぼくの世界も燃えた

あの色は
燃える屍の執念であったろうか
だが何千度にもえてももえても
燃えきれないものが
ぼくのなかにかたくなに残っていた

それは人間の死の
あでやかでありながらも
ものかなしい色だった

真昼ぼくはぼんやりと
電車のなかで
向かいの空席に老人が座ったとき
鬼火のような色彩が
遠い世界から
目の前にひろがるように感ずることがあった
 
今日も
不安げな太陽が
あの色をおぞれるかのように
夕焼けのなかで
にぶくもえているのを見た



   
『荒川法勝遺稿集 詩人』 平成12年 潟Wャニス  

1 月 の 詩


                     冬 景 色
            
                 
作詞者不詳・文部省唱歌


さ霧消ゆる湊江の
舟に白し朝の霜
ただ水鳥の声はして
いまだ覚めず岸の家

からす啼きて木に高く
人は畑に麦を踏む
げに小春日ののどけしや
帰り咲の花も見ゆ

嵐吹きて雲は落ち
時雨降りて日は暮れぬ
若(も)し燈火の漏れ来ずば
それと分かじ野辺の里