12 月 の 詩
 

        
  荒 野 の 果 て に
                    

          
                 賛美歌106番(降誕)
                 Traditional French Carol
      


       荒野の果てに 夕日は落ちて
      
       たえなるしらべ 天よりひびく
       
       
グローリア イン エクセルシス デオ



       羊を守る 野べのまきびと
       
       天なる歌を よろこびききぬ
       

     グローリア イン エクセルシス デオ




       みうたをききて 羊飼いらは
      
       まぶねにふせる み子をおがみぬ

       
グローリア イン エクセルシス デオ



       今日しも御子は うまれたまいぬ

       よろずの民よ いさみて歌え

       
グローリア イン エクセルシス デオ

   




11 月 の 詩
 

          
悲しみよ こんにちは(直接の生命)
                    
          
                    P・エリュアール
                    訳:朝吹登水子

       悲しみよ さようなら
       悲しみよ こんにちは
       天井のすじの中にもお前は刻みこまれている
       私の愛する目の中にもお前は刻みこまれている
       おまえはみじめさとはどこかちがう
       なぜなら
       いちばん 貧しい唇さえも
       ほほえみの中に
       お前を現わす
       悲しみよ こんにちは
       欲情をそそる肉体同士の愛
       愛のつよさ
       からだのない怪物のように
       誘惑がわきあがる
       希望に裏切られた顔
       悲しみ 美しい顔よ

           
                  『悲しみよ こんにちは』F・サガン 新潮文庫 昭和38年




10 月 の 詩
 

         
 蚕 の 詩(その一)〈昭和七年〉
                    
          
                    真壁 仁(山形県)


       蚕棚の下にごろ寝した、
       ねぼけた眼で桑をやった、
       薯の皮むく暇がなかった、
       蚕沙の上で箸を持つと肱がぶつかった。
       腰が痛くなり、
       ねむくなり、
       寒暖計に目をこすった 
       眠りながら 火の番をした。
       蚕は成長して食うことをやめ白い繭をつくるのであった。
       そうして間もなく餓になって繭を破るのであった、
       おれたちは急いで繭を売らなければならなかった、
       製糸家たちはそれを値ぶみした
       何も何も残らなかった、
       それでいいか、決して否、
       おれたちは皆 何でも知っているのだ、 
       ただおれたちはみな離れ離れであった。
    
       さかな屋やしょうゆ屋の帳面を半分消してもらうと
       棚をほぐしたひろい部屋で
       病蚕の腐れたにほひをかぎながら
       せめて塩辛い鱒を焼いて 白いご飯を食べるのであった

           
                  NHKブックス『農民詩紀行』松永伍一編 日本放送出版協会  昭和49年




9 月 の 詩
 



         
 竹林の七賢人(水墨集より)
                    
          

                    北 原 白 秋


       さても黄色い円月である、

       さても閑雅な竹林である。

       七人(ななたり)の賢き人、風月の友、

       この幽人たちの面持ち、姿。

       その清らかさは限りもないが、

       あまりに世の中からかけ離れた、

       それゆゑの月の出か、

       明るい真近な光である。

       ああ、いま、せせらぐものに

       何かの便りが聞こえそうだ。

       さてもこの良夜に

       言葉を失くした 

       ひとつひとつの霊(たましひ)である。

       近いやうでもまた

       遠い銀と紫の世の中である。
        

           


                             角川文庫『白秋詩集』北原白秋  昭和48年





8 月 の 詩
 
              金 槐 和 歌 集

   
        

                       源  実 朝


       風を待つ草の葉におく露よりも あだなるものはあさがほの花

         ふるさとの もとあらの小萩いたづらに 観る人なしみさきか散りなむ

           さよふけて はすのうき葉の露のうへに 玉とみるまで宿る月影
 

       岩くぐる水にや秋のたつた川 かは風すずし夏のゆふぐれ

         ゆふされば野じの刈萱うちなびき みだれてのみぞ露もおきける

           朝な朝な露にをれふす秋萩の 花ふみしだき鹿ぞ鳴くなる


       みそぎする 川瀬にくれぬ夏の日の入相の鐘のそのこゑにより

         夏ふかみ 思ひもかけぬうたたねの夜のころもに秋風ぞふく
    
           夏はただ今宵ばかりと思ひねの 夢路にすずし秋のはつ風   


       昨日まで花のちるをぞ惜しみこし 夢かうつつか夏も暮れにけり

         箱根路を吾こえくれば伊豆の海や 沖の小島に波のよる見ゆ

           大海の磯もとどろによする波 われてくだけてさけて散るかも

         


                 日本古典全書『金和歌集』斎藤茂吉校注 朝日新聞社 昭和42年




7 月 の 詩
 

          夢 の ひ と に

   
        

                 大岡 信(静岡県)


       あなたは
       あしうらで
       白い貝を
       踏みつける
       うつむいたきり 

       わたしは
       砂をにじりながら  
       半球の彼方
       燃えおちる雲を
       みつめていた
       
       あなたのピアノ
       窓をへだてるだけなのに
       遥かなところで鳴っている
       私をおいてその室内は
       蒼空にうかびあがる

       壁にもたれて    
       麦藁帽子を灼けるにまかせて
       わたしは
       眺めることを許されぬ
       空のピアノを聞いている

       私の心は荒れているのに
       海のうねりは穏かすぎる!


         
                  現代詩文庫24『大岡信詩集』 思潮社 1969年





6 月 の 詩
 

          小 出 新 道

   
        

                 萩原朔太郎


       ここに道路の新開せるは
       直として市街に通ずる道ならん。
       われこの新道の交路に立てど
       さびしき四方の地平をきはめず
       暗欝なる日かな
       天日家並みの軒低くして
       林の雑木まばらに伐られたり。

       いかんぞ いかんぞ思惟をかへさん
       われの叛きて行かざる道に 
       新しき樹木みな伐られたり。

        
                           角川文庫 『萩原朔太郎詩集』昭和42年

5 月 の 詩
 

          
紅 孔 雀
   
        NHKラジオ放送劇「新諸国物語」より


                北 村 寿 夫


       まだ見ぬ国に 住むと言う
       紅きつばさの 孔雀鳥
       秘めし願いを聴くと言う
       秘めし宝を知ると言う


       まだ見ぬ国は 空の果て
       青き潮の 海の底
       深き眠りにうずもれて
       いまもこの世に ありという
        
               まだ見ぬ国に 住むと言う
            紅きつばさの 孔雀鳥
            秘めし願いを聴くと言う
            秘めし宝を知ると言う
                   



   4 月 の 詩
 

         にしき木
 より(明治35年 17歳に詠める)
   



                    石 川 啄 木


甍射る春の光の立ちかへり 
      市のみ寺に小鳩群れ飛ぶ


     駒ながらたどる瀟曲の春をはや 
           笛の玉緒に花散りかかる


         春なれや櫻のにしき紅き中に 
                市の花人 花もよひする


             雲消えし澱みの底の水いかに 
                    紅なる色の影もあらずや


                晩江の春を雲ぞ美しき 
                      とけなばとけよ 消ぬべき者か


                   音を高み楽所の春の玉椿 
                         律は乱れて そとちりにけり





               
『石川啄木歌集 悲しき玩具』河出書房 昭和24年





3 月 の 詩
 

      エーゾレ Fiesole
   


          ヘルマン・ヘッセ
          高 橋 健 二 訳


私の頭上の青空を旅する雲が
私に、ふるさとに帰れ、と言っている。

ふるさとへ、名も知れぬ遠いかなたへ、
平和と星の国へ帰れと。

ふるさとよ! お前の青い美しい岸を
私はついに見ることはないだろうか。

でもやはり私には、この南国のちかく足の届くところに
お前の岸べがあるに違いないと思われる。



    
『ヘッセ詩集』新潮文庫 2005年




 2 月 の 詩
 

      
明  日
   


          金子みすず


街で逢った 
母さんと子供
ちらと きいたは
「明日」

街の果ては
夕焼け 小焼け。
春の近さも
知れる日。

なぜか私も
嬉しくなって
思って来たは
「明日」




    
『金子みすず 童謡集』ハルキ文庫 2004年




1 月 の 詩
 

      一 月 一 日

   



          千家 尊福(島根県)


   年の始めの 例(ため)しとて

   終わりなき世の めでたさを

   松竹立てて 門ごとに

   祝う今日こそ 楽しけれ




   初日の光 差し出でて

   四方に輝く 今朝の空

   君がみかげに 比(たぐ)えつつ

   仰ぎ見るこそ 尊けれ