12 月 の 詩
              
     
聖 夜 讃美歌109番


         ヨゼフ・モール(独)
         由木 康 訳


きよしこの夜 星は光り
救いの御子は 馬槽(まぶね)の中に
眠り給う いと安く


きよしこの夜 御告げ受けし
牧人たちは御子のみ前に
ぬかずきぬ かしこみて


きよしこの夜
恵みのみ世の朝(あした)の光
輝けり 朗らかに




       11 月 の 詩
              
      
秋の詠 

      
(百人一首)


小倉山峰のもみじ葉心あらば
   いまひとたびのみゆきまたなむ
                     貞信公

かささぎの渡せる橋におく霜の
   白きを見れば夜ぞふけにける
                    中納言家持

天の原ふりさけみれば春日なる
   三笠の山にいでし月かも
                    安倍仲麻呂

わが庵は都のたつみしかぞ住む
   世をうじやまと人はいふなり
                     喜撰法師

花の色はうつりにけりないたづらに
   我が身よにふるながめせしまに
                     小野小町

此のたびはぬさもとりあへず手向山
   紅葉のにしき神のまにまに
                      菅家

これやこの行くも帰るも別れては
   知るも知らぬも逢ふ坂の関
                      蝉丸



 『私の百人一首』 白洲正子 新潮文庫 平成17年




       10 月 の 詩
              
    
里 の 秋 

      
斎藤信夫(千葉県)


静かな静かな里の秋
お背戸に木の実の落ちる夜は
ああかあさんとただ二人
栗の実煮てます いろりばた


明るい明るい星の空
鳴き鳴き夜鴨の渡る夜は
ああ父さんのあの笑顔
栗の実食べては 思い出す


さよならさよなら椰子の島
お舟に揺られて帰られる
ああ父さんよご無事でと
今夜も母さんと 祈ります
 




9 月 の 詩
              
       
詩  
       


 
          堀  辰雄(東京都)


天使たちが
ぼくの朝飯のために
自転車で運んで来る
パンと
スウプと
花を

すると僕は
その花をむしって
スウプにふりかけ
パンに付け
さうしてささやかな食事をする

この村はどこに行ってもいい匂いがする
僕の胸に
新鮮な薔薇が挿してあるように
そのせいか この村には
どこへ行っても犬が居る

   ☆

西洋人は向日葵よりも背が高い

   ☆

ホテルは鸚鵡
鸚鵡の耳からジュリエットが顔を出す
しかしロミオは居りません
ロミオはテニスをしてゐるのでせう
鸚鵡が口を開けたら
黒ん坊が丸見えになった
         −軽井沢にて


 『日本の旅名詩集―信越北陸飛騨―』三笠書房 1967年

8 月 の 詩
              
       
夏 の 句  
       


 
           小林一茶(長野県)



やれ打つな 蝿が手をすり足をする
 

我と来て 遊べや親のない雀
 

痩せ蛙 負けるな一茶是に有
 

貧乏を さあご覧ぜよ仏たち


盥(たらい)から盥へ移る ちんぷんかん


盆が来て そよそよ 風もうれしやら


おれが座も どこぞにたのむ 仏達




7 月 の 詩
            
    
牧 師 館  
         
福井にて 

 
          安西 均(福岡県)


古城の濠端に琴の師匠が住み
空に鳶の輪が光る
北の町の小さな牧師館
聖書のやうに開いたままの樫の寝台
この世の闇に燃え尽きた
洋燈(ランプ)のやうな顔の人ひとが
よく訪ねて来て泊まる
それでも古ぼけた街の片隅で
少しばかりは仄明るく輝いて
やがてどこかに去ってゆくのに
ああ 私はいつまでも十字架のやうに
暑い さみしい真昼を佇ちつくすのか―
けれど鈴懸の葉の影が天の掌みたいに
私の心の傷に涼しく重なる日もあった。 




   
日本の旅名詩集2『信越・北陸・飛騨』三笠書房 1967年    

        6 月 の 詩
            
   
古いノートから  
     
みな 人に与えて 

 
       小海 永二


ひときわあるひよわなものが

夢の中を風のように去っていった。

紬ぎ車をまわす老女に託して

それが告げて言った言葉。

いつかまた戻ってくるまで

幼い日々よ ゆっくりとお眠り―と。

弔いを迎える少年のように

ぼくはその言葉を聞きながら

ゆるやかに歌うのを止めた。

朝であった。



   
日本現代詩文庫9『小海 永二詩集』土曜美術社 1983年    



5 月 の 詩
            
   
五月に寄せるうた  
      


 
       ジョン・キーツ(英国)
       出口 泰正 訳



まだうら若いマイヤ―、ヘルメスの母よ
バイイの岸辺で おまえが歌われたように
おまえの褒めうたを歌おうか。
それとも 古代シシリア語で おまえに
求愛しようか。 あるいは ちいさな民族に
偉大な詩を残して たのしい芝生の上に
心充ちて ねむる詩人たちに ギリシャの島々で かつておまえが
求められたように おまえの微笑を求めようか。
おお彼らの昔日の力強さを 与えておくれ
ひっそりと咲く桜草と 僅かの空と 僅かな人の耳とを除いて
たとえ 聞かれなくとも、おまえによって完成されたならば、
わたしの歌は 五月の日を ただ崇拝する
彼らの歌のように 心みちてなくなるであろう。
(改行は原文のまま



   
『世界の詩33 キーツ詩集』弥生書房 昭和43年 


      4 月 の 詩
            
   
才 女  
      

 
       小学唱歌(明治17年)




かきながせる 筆のあやに

そめしむらさき 世々あせず

ゆかりのいろ ことばの花

たぐいもあらじ そのいさお




まきあげたる 小簾のひまに

君の心もしら雪や

蘆山の峰 遺愛のかね

めにみるごとき その風情



月 の 詩
            
       
荒城の月  
               

 
        土井 晩翠(宮城県)



春高楼の 花の宴
巡る盃 影さして
千代の松が枝 分け出でし
昔の光 今いずこ


秋陣営の霜の色
鳴きゆく雁の数見せて
植うる剣に照り沿いし
昔の光 今いずこ


今荒城の 夜半の月
変わらぬ光 誰がためぞ
垣に残るは ただ葛(かずら)
松に歌う(うとう)は ただ嵐


天上影は 変わらねど
栄枯は移る 世の姿
映さんとてか 今も尚
ああ荒城の夜半の月



2 月 の 詩
            
       
夢淡き東京  
               
 
         サトウハチロー



1 柳青める日 つばめが銀座に飛ぶ日
  誰を待つ心 可愛いガラス窓
  かすむは春の青空か あの屋根は
  かがやく聖路加(せいろか)
  はるかに朝の虹も出た
  誰を待つ心 淡き夢の町 東京


2 橋にもたれつつ 二人は何を語る
  川の流れにも 嘆きをすてたまえ
  なつかし岸に聞こえ来る あの音は
  むかしの三味(しゃみ)の音か
  遠くに踊る影ひとつ
  川の流れさえ 淡き夢の町 東京


3 君は浅草か あの娘(こ)は神田の育ち
  風に通わすか 願うは同じ夢
  ほのかに胸に浮かぶのは あの姿
  夕日に染めた顔
  茜の雲を見つめてた
  風に通わすか 淡き夢の街 東京


4 悩み忘れんと 貧しき人は唄い
  せまい露路裏に 夜風はすすり泣く
  小雨が道にそぼ降れば あの灯り
  うるみてなやましく
  あわれはいつか雨にとけ
  せまい露路裏も 淡き夢の町 東京



1 月 の 詩
            
             
     新 年


                 
武原 はん(兵庫県)
               
 


             雪を舞う 春の初めの 喜びに

             八十の 舞も目出度し お元日
             
             舞い終へて 座れば香ふ 水仙花

             初舞や 一人の弟子に 八十路の師

             初戎 えんぎの小判 帯に入れ

             初芝居 目の美しき 団十郎




              
『武原はん一代』 求龍堂 1996年