猫たちよ安らかに眠れ

        ― 三匹の忘れられぬ男の子 ―
          (てつや・雷蔵・ミーシャ)         

        
 1 江ノ島生まれの浜っ子てつや

           
          
ママは旅行にいったの、お土産なにかな。                

 
海辺に住む沢山のノラたちに冬はダンボールで個室を与え、マグロのアラをゆ
でて与える優しい保護者の江ノ島の割烹やさんが、その愛らしさに別離を惜しんだ
というてつやは、腎臓の病で2002年6月、8歳で天に昇りました。オス猫に多
いといわれる恐ろしい腎臓の病にとうとう負けてしまいました。 名前は、当初は
江の吉という昔のコメディアンみたいな名前でしたが、結局旬の花形バレエダンサ
ー、今は自分のバレエカンパニーを率いるほど成長した 熊川哲也にちなんだのだ
そうです。ハンサムで生意気で何か共通したものはわずかにも感じます。
 人間のてつやは加えて煌めく才能の持ち主ですが、小さなアタマの猫のてつやは
努力型でもなんでもなく超のんき。遠出はしょっちゅうでしばしば外泊し、おでこ
に墨で落書きされてのんびり帰ってきて笑わせました(こどもたちよ、猫の額は画
用紙ではないんだよ)。

         
                 仲良くおるすばん

 しかし賢く思慮深く、用心深い妹しまこと比べてはいささか単細胞。複雑なこ
とはどうも苦手のようでした。たとえば目的地に行くのにしま子は、障害物や危険
そうな危なっかしい物は、あたりを見ながらそっとしなやかによけていきます。
 てつはといえば人間が大切にしているものも、昼寝中の人間の腹もどんどん踏み
付けて渡っていくのです。危険を察知する能力や、ヒトがいることへの注意も何も
ないかのようです。訪問してのんびり就寝中、目いっぱい体重をかけて胸と顔を踏
み付けられてしまい、息も絶え絶えに。可愛い顔ながらもまったくその馬鹿さ加減
に手を焼いたものです。しかし決して憎めない快活でひたすら楽しい、おもしろい
調子のいい猫でした。が、遊んでる最中いきなり繰り出す必殺猫パンチはさすが男
の子、そりゃすごい威力。うちの猫どもはなぜか猫キック、飛び蹴りばかりで猫パ
ンチはほとんどしないもので、不意のパンチには身をよけれずたびたびやられまし
た。

 兄弟は大概において人も猫もたいてい性格は様々。まったくくったくのない、悩
みや恐れを感じずに生きていたかのような性格のてつやは、考えれば彼なりの、楽
しい、のどかな生を楽しんでいたのだと思えます。

      

   

  仔猫時代のなかよしてつ(左)としま        江ノ島育ち、てつは兄ちゃんなのに甘えてばかり   


  ノラの悲しみ生きる辛さを、その目に一杯湛えて容易に心を開かず、猫でも様々
 な感情を持つ ことを教えてくれた妹のしまこは今も健在。 時々見せるふっと気
 を抜いたときの夢見るような、物思うような優しい表情は今まで見たどんな猫にも
 なかったようで神秘の猫(?)しまこの存在にはまた一入のおもいいれがあります。
 兄をなくしてからすっかり甘えがちで、二匹分を食べてとても大きくなっていると
 か。
  あまり太らないでねしまちゃん。もとスッチーのスリムかあさーん、(2人とも)
 ごはんは程ほどにしてくださいね〜(自戒を込めて)。


        
    
               
         
おにいちゃん舐めたげるね。 うん、ふにふに...。


           2 大型猫の雷蔵
 
 
 元気に障子を破りまくるので猫屋敷、あばら家と自称されていたここでの先代猫は
 和猫の雷蔵です。8キログラム近いノラクロ型偉丈夫で、“雷蔵”というよりも、
 “勝新”といったところ(スミマセン)。とりわけニヒルなところもなく、妖気もな
 く名前の由来は不明です。歩く姿は猫というよりも子犬のよう。とても眠狂四郎には
 見えませんでした。ひざに乗るとしびれてしまう重さ。しかし性格はおだやかで誰に
 でもすぐ懐いて可愛がられる猫でした。 
  狩の大好きな自然派らいぞうは、よく家の中に獲物を運びこみました。トイレのス
 リッパを素足で履いたらつま先で、何かウニョウニョ、冷たい感触。きゃあ、トカゲ
 踏んだ〜、らいぞう〜やめてくだされー!! もう、心臓によくないことをしてくれ
 るよ。はー、ホントにびっくりさせられたものでした。おとなしいトカゲでよかった、
 毒蛇や毒グモだったらどーするの。あたりは当時もいまもまだかなり、雑木林が残っ
 ているとても自然な楽しい環境なのでした。 
  大きくてもとても優しい猫(飼い主に内緒で密かにブー、とか金太郎とか呼んでい
 た)で、ミーシャの母になる裏の家のタマちゃんがやってくると、自分のゴハンを食
 べさせて、そばでいつもみまもっていました。身重だったタマちゃんの食欲は旺盛で
 、お皿を空っぽにしても文句を言うこともありませんでした。生後半年ながらお腹の
 膨らんだ真っ白い美猫のタマちゃんと、後ろで護るようにじっと控えていた大型白黒
 猫雷蔵の姿は、忘れられぬ微笑ましい景色でした。もちろん去勢してあり、タマちゃ
 んと夫婦というわけではなく、面倒見のいい兄のように見えました。
  家に猫のいなかったときだったので時々、雷蔵に会いに泊まりがけで遊びにいった
 ものでしたした。おいしい中国茶を探して歩き回った横浜中華街の迷路も、雷蔵たち
 のおかげで頭の中に地図がおぼろに描けるようになった気がしています。

     
母と子の楽しいひととき 

  おりしもその頃、海のない国ハンガリーからの来客の少し気難しいプロフェッサー
 を、猫たちのお蔭でみなと横浜を案内することもできました。注文多く誇り高い彼女
 も、シーバスの景色、ベイブリッジのスカイウォークでは “ ファンターステイッ
 ク!! ”と少女のように大喜びしましたが、港の見える丘公園にいる猫を見て、
 “オオー、トキソプラズマ〜...”といって逃げだしたので、私はたいそう困惑し
 てしまいました。動物の話などでなら何とか、下手な語学で少しは場持ち出来るかと
 思っていたものですから。
  彼女エリザベート女史は、寄生虫学の医科学研究者だったのですが、どうやら動物
 嫌いにみえました。しかし寄生虫トキソなど、感染猫(全ての猫ではない)に触った
 くらいのことで人に移るものでしょうか、毎日猛烈チューでもしない限りは。
  東欧の国々はまた一般的に、南欧やアジアの国々ほど猫との暮らしが日常的でない
 のかもしれません。ミイラにするほどに愛され、神として崇められたエジプトの猫は
 いうまでもなく、ギリシャの猫やローマ遺跡の猫たち、ポルトガルの港の猫などの写
 真集は全く絵になる景色で、動物好きにはお馴染みです。
  瀬戸内や江ノ島に棲む沢山の猫や、また船乗りと三毛猫の話などからも、猫は海や
 海辺の風景ととてもよく似合います。また寒い内陸のロシアでも、可愛いコーシュカ
 、ねこたちは、冬の夜のペチカの室内にはなにかとても似合いますよね。もちろん、
 山や町など人のいるところのすべてに―。


         
       
     幼い日のらいぞう、やんちゃな頃(撮影 雷ママ)

  
渋谷の東急ハンズ出身(当時,里子の手数料500円で和ねこなど雑種の仔猫たちを沢
 山店頭で仲介していたのだそうです)の雷蔵は1994年、惜しくも交通事故で没。
 享年8。 堂々とした姿と呼びやすい名前もあってか、長らく近所の子供たちのアイ
 ドルでした。 
  “Mさん、...らいぞうが、...しんだのー”、受話器の向こうの友人の泣声が、何
 年経 っても昨日のことのようにまだ耳に残ります。瀕死の雷蔵は自宅近くまでつぶ
 れた両足を引きずり、体で這って必死に帰ってきてから息絶えたそうです。あの穏や
 かな性格の雷蔵が、助けようと近づいた近所の顔なじみの住人に必死の威嚇をしたと
 友人の嘆きは悲痛でした、よっぽど恐ろしい痛い思いをして、怯えきって、はじめて
 人を怖いと思ったのだろうと。
  自由の対価としての猫たちの交通事故死のあまりの多さには絶句するばかり。いっ
 たい、故意でないとしても猫を轢いた人は、その後何事もなく自然に、平穏なままに
 暮らしていられるのでしょうか。せめてその方が動物好きであってほしい、家で何か
 の動物と暮らしていて欲しいと願うのです。
  当時何かと苦労も多く見えた友人にとって、苦楽をともにしたパートナーであり、
 時には真に心の支えであったという大型猫のらいぞう。やさしい彼は飼い主をいまも
 見守りながら、天国の林の中でも狩をして、きっと楽しく遊んでいることでしょう。


                 
           
           
            ビールにシュウマイ崎陽軒ってか、いい夜だにゃ〜 
               (1989年猫めくりカレンダー に採用)


        
 
こんな日もあった、Babyらいちゃん
  晩年のらいぞう         雷蔵 だいすき
                  “僕は猫だよ、さむらいじゃない”   
お芝居やって〜 。

                           

 
 こよなく愛された彼らは友人の実家の静岡に東名道で運ばれ、手厚く埋葬さ
 れていまは静かに眠っています。雷蔵が世を去ったのは、生後半年の少年ミー
 シャが中央道で山梨に運ばれ、山での生活をスタートした年のことでした。



     〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

   ーーー
日本映画史の至宝 市川雷蔵ーーー    

さてさて《番外! これが人間の雷蔵だ!》
               
 
生命は短し 芸は長し。 おもえばどこかしなやかな美しい猫 にも似たひと
だったー と、勝手に考える、 享年37。16年間の出演映画総数150本

 
 テレビジョンの普及する前の、日本映画最盛期を支え、彗星のごとく去った。
京都でのその出生もなぞにみちて、歌舞伎界出身俳優の中でも際立つ‘口跡’の
美しさで多くの映画監督を感嘆させ、今もなお、沢山のファンの記憶のなかに愛
され続ける正統派名優。 貴種流離、類まれといってあまりある独特の美学に、
mishaが陶酔出来る年齢になったとき、彼はすでにこの世の人ではなかった。 
 
 自ずから醸しだされる虚無、妖気、気品は、以後のいかなる時代劇俳優も及
ばない貴公子雷蔵だけの世界。 芸域は代表作「眠 狂四郎」のみに限らず、
「破戒、炎上、花岡青洲の妻」等の文藝物、「中山七里、ひとり狼」ら股旅物、
「陸軍中野学校、ぼんち」などの現代物、ノーメイクで新境地を開いたかのよ
うな「忍びの者シリーズ」、また豹変したかのようなコミカルな芸もよくし、
監督と対等に映画造りに熱情を傾け、役者以上に優れた映画製作者でもあった
という。
 1992年俄かにブームが起こり、テレビや映画館で雷蔵フェアが催され、ニュ
ープリントされた代表作品35本が、渋谷パルコ劇場で連続上映された。

   
 
良い映画は不滅です、 雷蔵よ 永遠に!!

      
                  
大映映画『眠 狂四郎 シリーズ』       大映映画『旅は気まぐれ風任せ』


               
             大映映画 『忍びの者 シリーズ』

 
    
心 の 波

  映画の中で役になりきった時、役者と観客の間には、特別なつながりが出来るのを
 感じます。  個々に向かい合っているわけではなく、フイルムから投影された画像
 を通じてだけなのに、しかもその俳優の美醜や演技の巧拙の問題を超えて、何かを結
 びつけるものは、「心の波」と名づけられるべき不思議な作用だと信じます。
         
  それは、いかに文明が発達しても、科学的に説明できない神秘的なものだと思いま
 す。 映画は、「心の波」の神秘性によって人間対人間の結びつきを可能なものにす
 るのです。

                              市 川 雷 蔵


           
         
『季刊フリックス』 NO.1 RAIZO 市川雷蔵 1992年 より
      
        3 横浜生まれの山のミーシャ
                             
                            
  
                                          初めての9月、木犀咲いた。
 
  
 そしてミーシャもそれから4年後の1997年の秋、あっけなく、4歳直前に
  この世を去りました。 彼は、先代の長寿だった黒猫チコと一緒の猫塚に入り、
  甲斐の山々に囲まれ今覚めやらぬ眠りの最中です。天国でも庭石に乗ったり、春
  の蝶や秋のトンボたちをおいかけジャンプして、失敗して悔しがったりぼやいた
  りしてせっせと遊んでいることでしょう。可愛がってくれたおじいちゃんの大き
  な手にスリスリ甘えたり、ハンサムな寝顔で時には下界を夢に描いたりして―。
   オス猫特有の行動範囲の広さと、メス猫と違ったヒトへの用心の甘さが、彼ら
  の短命さの致命的な原因なのでしょうか。 涙で眼も溶けぬばかりだったこの早
  逝の、悲しみの半年前に灰色のおてんば猫、はなこ・ナターシャが生まれていま
  した。

            

   
「ミーシャの一日」 80号油彩(銀座アートホー

   

   
短い生を一生懸命生き、走り抜けていった可愛いねこたちとの、またの出会い
  を信じ、待っています。

 

 〈蛇足〉
  
 それにしても、ちかくの林でセミ捕りに精を出し、トイレはフカフカの草の茂
  み、ばったもトカゲもお友達と、戸外で本能の赴くまま自由に楽しく生きるねこ
  たちには、マンションねこに比べて種種の危険がいっぱい過ぎます。座敷牢のよ
  うな暮らしでも、やはりこの時代、飼い猫というものは室内飼いで我慢してもら
  うほかないのでしょうか、ひたすら安全のためには。 
   広い土の上をウサギのように三段跳びではしゃぎまわり大よろこびした、マン
  ションから開放された日のミーシャの溌剌とした姿はあまりにも鮮烈です。野性
  をなだめきれずにいる多くの現代のねこの生き方は、野の育ちの私に、永遠に解
  けない大きな課題です。一体ヒトも含めて生きるとはなんなのか? 塞ぎようも
  なく身体に息づく太古以来の野生を感じながら、文化的にあれと教育され本能的
  個性や資質を変えることを余儀なくされ、自然の中で自由に生きることを制限さ
  れても、衣食足りさえすればいいのだろうか。薬屋ばかり大繁盛の時代に病的な
  ほどに清潔に守られて、命ながらえれば、それでひとは幸せなのか? 
   慣習となった長い生活の延長として、都会生活を続けざるを得ない矛盾と向き
  合いながら、折々考えてしまうのはいつもこの事ばかりです。
   
   そのむかし、素足で柔らかな土の上草の上を走りまわってみた時のあの爽やか
  な触感は今も足裏に。ナイロンストッキングや室内のスリッパを、今は足への拷
  問のように感じる時があります。カルトで誤解され、その存在を色眼鏡でみられ
  がちのインドで生まれたヨーガや中国で生まれた気功や太極拳は、本来の人間の
  体の健康な気の流れを取り戻したい、束縛のない自然の生活でありたいという、
  人間の願望の現れのように感じます。
           
   今日私たちが日々享受している文明の恩恵は計り知れません。半世紀前と比べ
  ると、医学や科学また社会保障等々あらゆる分野で、人間社会は負の産物も抱え
  ながらも確実に前進しており、そのことには有難く感謝します。しかし、前進す
  るためにやむを得ず捨て去るものと、何時までも守りぬき継承すべきものの選択
  については、とても大きな、大げさに言えば人類生き残りのための課題ではない
  かと思います。
   与えられた能力のおかげを以てこの世を支配しているようにみえながらも人間
  は、自然動物なのであり、いつかは皆が素晴らしいインテリジェントビルに住む
  日が来たとしても口にするものは、すべて太陽と水、土と大気の恵みから生まれ
  るものでしかないのですから。 


            

                (写真提供猫のひょうたろうさん)


             
BACK  TOP   NEXT