ノオト
                折おりの記



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11月からホームページのアドレス(URL)が変わります。
http://catmisha.starfree.jp/     
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京の旅メモ


         渡月橋の朝、お宿二階からと橋のたもと辺り
           
     
               朝飯前早朝散歩

                   
               天竜寺宝蔵院のライトアップ入口


  
            南禅寺境内の琵琶湖疏水の痕跡




              北野天満宮の舞殿
                       
                           南禅寺山門から

 
         伏見稲荷で睨むお狐さま
       
            伏見稲荷山門


                  嵯峨野天竜寺お庭

                                        
                      四条烏丸御池の六角堂(いけばな発祥の地)



 京都は狭いようで広い、でも洛中洛外の寺社の位置関係がやっと判った来たような。 また何日かかけ、あちこち足で動きゆっくり回りたくなります。  
 思い出す行程、1日目貸切タクシーで知恩院⇒南禅寺⇒通称くろ谷の金戒光明寺⇒下鴨神社⇒上七軒を通り白河に沿い 北野天満宮⇒嵐山 

2日目 嵐電嵐山駅から太秦広隆寺⇒東映太秦映画村⇒嵐山に戻り天竜寺と嵯峨野界隈 夕食後天竜寺宝蔵院の紅葉のライトアップ
 
3日目 定期観光バス 三十三間堂と伏見稲荷半日コース。  京都JR伊勢丹の「美み卯」で昼食後バスで四条河原町へ。 徒歩で新京極から豊富な食材のある「錦市場」巡り、夕食の寿司など買い最後のお寺、六角堂をお参り。  地下鉄で四条駅から京都駅に戻り買い物して帰京。

 思い出すと二泊三日であちこちよく回りました、主旅費は姉が出してくれて感謝感謝。

 映画村のひばり記念館の二階は懐かし黄金期の時代劇スター総集編の写真がずらり、雷蔵・阪妻・月形龍之介ほか大勢様にお会いして来ました。 (厳しかったのは、朝の早いことと和の朝ごはんの多さ。 慣れたパンと珈琲なら胃も軽く歩きやすいのですけど―)         12.27(日) 





冬を越せれるだろうか
 

              


 十月の雨上がり、手すりを悠々移動するでんでん虫がいた。 秋にベランダの壁を、小さな子供が5匹ほど這ていたり。 この環境で子作り...。
 先月陽のあたる青菜の鉢の土に埋もれ、親が眠りこけていた、田んぼのタニシそっくり。

 ジョロでの水撒きを欠かさないが、この母子に父さんは居るの雌雄同体? 冬を越えれるのか?さいきんチビだけ見かけますが。
 ナメクジは一夜で花を食べてしまう大食の害虫でも、この一家は何を食べるのかな、被害は見えません。   12.14(月)
 







五箇山の里

     

         
 この家(重要文化財 村上家)の主さんの ピンボケのささら、携帯もそのままに何処か行ってずっと留守でした。 踊りは個人では予約がないと観れず、観光センターの大きなビデオ画面で鑑賞しました。
       

 鉄瓶の薬草茶をいただきました。 なつかしい熾きの赤色、木の匂い。 でも、大きな家なのに煙の排気の詰まりか目が痛くて痛くて―。 三階には隙間の大きい梯子から落ちそうで怖くて行けず。 
 こきりこ踊りの衣装は都の公家風、帯刀で踊るのは、身分は武士(平家の落人)である証だそうです。 
  

                                       
 数か所の地区からなる谷あいの小さな村でした。 高岡駅からの世界遺産バスで、岐阜、白川郷まで行く人が多かったです。 
11.27(金)




新巻鮭
 間違いない味のなま秋刀魚と違い、鮭は加工の仕方でずいぶん味が違う。 ロシアやチリのものは、姿だけ鮭です。 切り身を塩水に浸し加工、とすると、もう旨味は消えて失せている?。 
 昔の寒風干新巻の味が欲しくて、宮古の市場から一匹送ってもらいました、来月になればネットでも品切れもようです。
         
 中くらいのが半身にされ即到着したので、父の手つきを真似し、時間をかけておろしたら22枚。 太い骨切りにてこずり、大きめの石猫ちゃんでガンガンと出刃を叩き続けると、バンダナ鉢巻きで身も心も、男になってしまった―。

 送料を入れても採算は合う、よく行く店で買う、「村上の塩引き鮭」より厚みが出来、風と太陽の匂いがしてああ〜旨い。  冷凍庫は満杯になり幸せだけれど、はぐはぐ食べるはなちゃんがいない―???。
 こら、たまには鼻ひくひく、戻ってこいよね、旅立ちましたァ、なんて言わせないからね。  11.24(火) 
 




晩秋
 
というより初冬ですが木枯らしの気配がなく暖かめ。 
 先月末に富山に小旅行。 日本海の魚と五箇山、そして雨晴海岸からの海と立山が目当てのところ、連山は見えず。 でも熱くて濃い湯(塩気はないのに引き締まる)が氷見番屋街の中にあり、思いがけなく楽しみました。
     
 初秋に行った武蔵五日市にある温泉、「瀬音の湯」もお湯も奇麗、それなりに充実していて食事もおいしいです。 温いねこがいないので、湯で温まっている今年の秋冬―。     11.22(日)





高山快晴

○ 眼下にはプロペラ機2機向かい富士

○ みんなみのアルプスに冠雪の嶺2つ

○ 風もなし赤岳の膝に秋立てり

○ 山麓は紅葉の気配天文台

○ 四方の山雲ひとつなし空の朝

○ 母の墓今年も白い百合手向け

○ 遅れ咲く紫苑よ秋を謳う庭

○ 菊咲かぬ生れ家に人老いぬるも悲し

○ ひとむらのマンジュ菊咲く石の陰
         (10.14 清里テラス)


 今年は柿がいつになく豊作だそうです。 夫の実家(茨城)に移転した同級生が、野菜と柿を送ってくれました。 都会育ちが田舎に住み、山育ちが都会に住む。 
 ともあれ人の出会い、縁は大切にしたいもの、何十億人のうち、生涯で知りあえる僅かな数の人々が友人知人です―。  11.6(金)





ススキの秋も
 不死鳥はまだお休み中です。 羽根もボロボロ、スローでも孤軍奮闘のホームページになってきました、しかし、快適な秋は行事が多い季節です、ろーたいには堪えますまったく。

 はな・グレ組の血族をみつけました、人間は姉妹でも顔がちがうのに猫は、遠縁(キティホーク)?でもそっくりですね。  ねこの哀愁などない、フテキな雰囲気が立派...。
  9.27(日)





暑中お見舞い申します
 猛暑の連続です。 明日は暦のうえの立秋、この溶けそうな気候で立秋...。 
 人はどのくらいの暑さにまで耐えれるのかしら、と友人からの手紙。 安心のため冷房機を増やしました。

 やりたい事は色々あれ、頭がうまく回らずで、不死鳥ミーシャのノオトは涼風のころまでお休みです。 皆さまもがんばってくださいね〜。  8.7(金)
 







季節外れの哀歌





     春の風 はなこ・ナターシャ


                   清水 みどり


朝日のあたる部屋で
かわいいはなこは眠る
いつもの位置
籐椅子の上で

眠るような姿 抱けば
絹のような体の手触り
暖かだった丸みのある快適な重さ
可愛い繊細な顔立ち
しなやかでほっそりした長い手足は
来た道をとおり風になって
今日家を出てゆくのだ

仔猫の時代を過ぎ
美しい長かった成熟期を超え
熟した柿がとうとう地面に落ちるように
呼吸を止めて
天にあるという
永遠の猫の国に住むことになったのだ

いつかわたくしの体の一部になり
あ・うん でなく
あ・にゃん の呼吸で
過ごした長い長い 18年1月と1日

母娘として過ごしたいのちの位置は今日からは
あの世とこの世に隔てて存在するとしても
数え切れない思い出の幾つもが何もかもを平らに繋げてくれるだろう

小鳥たちの声がする
四月十五日の晴れた静かな朝
長い丘陵 丹沢の山 武蔵野のみどりを眼下に
毎朝眺めた目は閉じられて
籐椅子の上で三色すみれを胸に横たわるねこ

軽やかな足音が途絶え
水を飲むシャラシャラ の快音が絶え
突風のように反転した三日間
わずかなその間に隔てられた 河

心には穴というより
天と地に
モーゼの海の大波が押し寄せ
世界が総て消えゆくような
脱力と空白


祈りの折り鶴たちを足元に
ベランダのハーブを緑色のリボンで束ね
フリージャー、匂いあらせいとうとブルースター
ピンクのカーネーションを束ね
家に咲いた花たちと飾り置き
天使になった はなこ・ナターシャとの別れ

彼女はその使命を終えて風になって
わたくしを離れもとの場所
神々のもとへ戻っていったのだ(2015.4.16)

                     2015.7.22(水)







たま駅長16歳で永眠
 和歌山のローカル線のたま駅長の昇天を、日経新聞も写真入りで報じました。就任時7さい16歳までお勤めし、人年齢80の三毛猫たまは、はなより2歳若い高齢ねこさん。 国外からも客を呼び赤字路線を助けて、日本経済にも貢献したはたらきもの。

       

                  
ネットニュースから一時拝借
 
「たま」駅長と右は若い副駅長「にたま」くん。  人間と同じ、良く観れば年齢(年輪)が顔にも表れている?
 ともかく、お疲れさまでした、ゆっくり休んで下さいね一度会いたかったです。       6.29(月)








ねこぽえむ

      猫 の 生 態



一体に猫は立派な無知なのである 

自分の姿がどれほどきれいなのか

解っていないところがまた可愛いのである

猫は部屋の鏡に見入る時がある

幼猫のころはハアーッ と生意気に体膨らませ横歩きし自分を威嚇をしていたが

大人になるころには姿は

自分であると解ってはいるようなのである

彼らは何時か虚像を知り得るようになり それなりに賢いといえるのである

しかし自分の姿態その他諸処が人の心をかき乱し溶かすほどに

美しいとは知らない
 

ぶちのハイエナらと比べようもないほど

造形美に溢れ過ぎることなど 少しも知らないのである

何年生きても人間のトイレを使おうという知恵もなく

毛ゲロをトイレに吐く気遣いも当然なくて

糞にしっかり砂かけしようともしないのんきさで

人には迷惑のかけっぱなしなのである

食事のあとに身づくろいをせっせとするが一言のごちそうさまもなく

空腹になるときだけにゃあにゃあと甘え声で訴えすりすり擦り寄り

人が寂しいときなんぞは知らぬ顔 横目で見ては煩がる薄情ものである

とにかく勝手で自分の欲望を満たすことだけなのである

危ないということも知らないから

高層のベランダの手すりの縁を歩いて隣家の奥にまで行き

知らぬふりして猫かぶり 家に戻って背を向け寝ているのである

これを手に負えない小悪魔というのであるがその顔には

なんら反省や戸惑いやまして遠慮なんぞはなく

恐怖というものもない可笑しな不可思議な存在なのである

人の心臓をバクバクすることばかりして涼しい顔をしている「猫」

老齢になったことも知らず 産みの親の行方も知らず兄弟の匂いも忘れ

猫は孤高のまま今年も新しい春の日の中で

動く絵になって存在してくれるのである

純粋で無知であさはかにも美しく

しなやかで哀れでいとしい

猫という名の動物なのである(2014.3.30)
 
     * 16歳までを高齢、17歳からを老齢と、猫の世界では云う。
               6.25(木)





別れの句


☆ 猫去りて白い牡丹の花の散る

☆ このみどり今年はうつろ猫遠む

☆ 何悲し芽ぶきいのちのほとばしるを

☆ 猫無きも青葉茂りて花揃う

☆ 深大寺火葬の森に啼く野鳥

☆ 湧水の音する堂に天平仏

☆ はな薫るバラ園の椅子でバラソフト

☆ モンパルナスという名の薔薇の緋の深さ

☆ 音を消し花の香残してたれか去りし

☆ 見上げれば空夏の雲湧きはじめ

☆ 十八の刻印の空は雲蒼く


 はなさんがいなくなり、朝目覚めて名を呼ぶと、何処からかすっとやってきて胸の上に乗り、しっぽを立ててポーズしてから下りる、いつもの挨拶が消えたのが一番淋しいことでした。
 
 みなさんのメール、
・孝行娘を失ったmさんの悲しみ、察するに余りあるものがあります。はなちゃんにはもう会えないのかと思うと、言葉では言い表せない寂しいものがあります。楽しかった日々を懐かしく思える日が早く来るよう、心から願っております。

・本当に長い間幸せをくれたはなこちゃんに感謝です、はなこちゃん安らかに...、そしてもなかちゃんとの再会をお祈りします。

・長生きしてくれて18歳の大往生、親孝行さんでした。

・しっかり看取り善い別れができたではないですか、おつかれ。

・とうとうですね残念です。長患いもせず親思いのよい子です。今度お邪魔してももうあえませんねさみしいです。

・18歳は長い猫人生でした、飼い主に恵まれ幸せな日々だったでしょう、はなこちゃんのご冥福を祈ります。

・始めは闘病が続くと思いましたが、長く苦しまず、最期を看とられたのは幸いだったのではないでしょうか。

・ひとりっ子でのびのび、mさんの愛情を独り占めしてとても幸せな猫さんでした。

・今頃は先輩猫さんに迎えられ、貴女のうわさをしているよ、「きっとさびしがってるよ」、とか、「結構留守番させれれたわよー」、とか。 みんなあなたのそばに居るから元気出して。

・はなちゃんは 今まで以上にずっと濃くいるでしょうね。今まで暮らしたねこたちと同じように。いいお見送りが出来たこと、よかった。

・数か月暮らしても家族として充分なのに、18年余りの歳月のもたらす悲しみの深さないかばかりかと想像します。 部屋の中の何を見てもつらいでしょう。

・はなこちゃんはあのすがすがしい緑の中で、
あのきれいなパンジーを抱きしめてSさんに感謝しながら空に昇られたことと思います。

 などなど、頂いた文章を読み返すとまた乾いたはずの涙と鼻水が出てぐしゃぐしゃになりますが、皆さまをお騒がせして過ぎた二カ月のすべてを感謝し忘れません。  そしてまた暑い季節を、今年も乗り切らねばなりません。  
        6月17日(水)










畜霊と77日法要
 
いつの間にか季節は初夏です。 お寺の案内に沿い、施主清水家で〈はなこ号〉の49日の法事を済ませ卒塔婆を貰いました。 20数家、40人以上の方が萬霊塔の会場にお骨と写真を持って集い、お祈りとお焼香をささげました。 お寺の僧侶が十二支観音経をあげてくださり、「何の報いも求めぬ無償の愛」「喜びを二倍に、悲しみを半分にしてくれる動物」の菩薩的な献身と生きかたについてやさしくお話しされると、ハンカチを目に当てる人ばかりでした。 高齢夫婦の夫人は、眼に見えて悲しそうでした。 私も十年後だったらもっと打ちひしがれたことでしょう
 猫山羊、牛、色々な動物は過去に家で生まれまた病死し、幾つもの動物の昇天があっても、畜霊の法事は埋める土地がない都会ならではのことです。 
 はなと逢って長く暮らせたのはきっと、不思議な意志によることだったのでしょう。

 でも猫がいないと、このページは気の抜けたサイダーの様になりなかなか先が見えません。 岸を分けても親子の想いは変わりませんが。   6.1(月)





さよなら はな

 
   

 心の準備のないはなの咲く明るい春に、風のように急いで去ってしまったけれど来た時も、5月の風のように急にやって来た子でした。
 毛並みも変わらずきれいで、丈夫なのを過信し、もしかしたらもっと永らえれたのでは、と哀しい気持ちでいっぱいです。 ごめんね、はな...。
     
4.11 気付かず既に何か辛そうに。  4.13 この日のヨーグルトが最後の食事になりました。

           

 
いつもと変わらなく見えても―。      首輪を軽いリボンにしても眠るばかり。

       

 
点滴後おとなしく眠り―。  いつもの可愛い顔で辛いとも言わず。



 深夜いきなり容体が変わり15日23:49 息を引き取りました。 が、苦しさから解放されたならと自分を慰めて―。。18歳に見えない若さを感じて油断していても、もう体はボロボろだったのか。
 獣医さんには、入院中に無くなる子も多い中、家で看取れて良かったですね、と言われました。 
       

      
午前零時過ぎ 生きている様なはな、お庭のすみれだよ。。


   
    
16日朝まで折り鶴を折り、氷を造って。

 明けたこの日斎場は空きがなく、翌日まで家ではなこと過ごしました。 感謝と懺悔のお手紙を書き、花やさんにゆき、ゆっくり話す時間ができました。 悲しみの実感がなく眠れず食べれず添っていました。


    





 
はなこは眠り姫になったのでしょうか。


 17日 深大寺動物霊園でお別れを...。 霊柩車が来ました。 霊園までの路は若芽が芽吹き、風もない静かな日。 行き帰りを残り咲くしだれ桜を眺め、お子さんとの別れから納棺師に転職、人間の葬儀の争いに疲れ霊園に就職したという若い係り員さんの身の上話も聴き、落ち着いて野辺送りできました。
 その納棺師Mさんの子がなくなった翌日、駐車場に衰えた幼猫がいて、子どもの生まれ変わりと感じて飼い始め、8年。 キジ猫にゃん太は今、夫婦ケンカには割ってはいるそうです。 

 

 家での最期の白装束、愛用の古いモヘアで枕を。 
 お坊さんがいないだけ、人と同じ動物霊園火葬場の祭壇で合掌、桐の棺にお手紙と写真とごはんを入れ、お花で埋めてやりました。 
 きちんと残る、しっかりしたお骨です、と褒められました。 喪服を着た三人の係り員さんが、みな丁寧に接してくれたのが嬉しい。 





 家に戻ったはなこは静か―。 18年は、人間の子でも親離れする年齢ですー、と駐車を見てくれた管理人さんに言われました。 長い月日も、それはあっというまの短い時間にも思える、体の一部の様になっていた猫なのでした。。ただ《感謝》、という言葉がぴったりです。

       
       
2015年4月17日(金)15時のはなさん
 
 親孝行な天寿を全うしました、ご覧下さりありがとうございました。
   
     長いことありがとうはなこ、また遊ぼうね。。   4.24(金)








はなこ 天国へ
 家族だった猫のはなこは昨夜 四月十五日 23時49分、永眠しました。
 18年1月と1日でした。

 急性腎不全で、尿毒症発症、あっというまの出来事、最期でしたがインターネットHP上でも、多くの人びとに愛され、猫としては長い、まあまあの一生ではなかったかと信じたいです。
 本当に長い間、お世話になりました、心よりお礼申しますありがとうございました。
                            4.16(木)








重篤
 軽快な足音や、お水を飲むシャラシャラの快音が消え三日。 飲まず食べずになりました。
 多飲多尿は気にはなっていたものの、急坂を転げ落ちるような体調の変化になすすべもなしです。  超高齢猫の多くが、長い間に忍び寄った腎臓病が急性腎不全に一気になると知った...。 もう治療もとくになく、経口水と点滴だけ。 獣医さんに、十八年も病気なしでいられたのならいい一生だったと思います、とは言われたが―。
                                          
 強いはなの生命力と、猫友だちたちとの様様な高齢猫・犬の生涯の話と励ましに感謝し、明日も一日を過ごせれば。。   4.14(火)





桜咲く
 31日、上野の博物館『みちのくの仏像展』で、えも言われぬお姿の仏さまにあいました。数は多くなく、ても、地震から免れ、避難した高台の寺で人々を慰めた像は確かにみ仏の慈悲そのものだったと思われる。 両手を差し出し前にかぶき両の手を差しのべる姿は、圧倒的な力を感じた、この形はこれまで観たことがありません。
 ちょうどお庭の桜が満開、花を至近に見て池のほとりまで来ると夏の様な暑さ、頭から芽が出そう―。 桜の季節中心の開放だとか。
 
 三月は何かあっという間に過ぎ、歩く会の三鷹駅から桜の遊歩道に沿った西東京市、武蔵野市の二万歩も今まで一番の記録的歩数。 5歳くらいの差かな、と思っていた人が、80歳近いと聞きびっくり仰天。 とにかく脚が強い、着るものがカラフル、いつも帽子がかっこいい。 たいへん刺激を受けました、がんばるゾ。

 四月展も控え春はたいてい忙しい、忙しくても見てしまうのは藤田まことの出演するTV時代劇チャンネルなのです。 ―てなもんや。    3.31(火) 





地唄舞『七福神』

 ♪そもそも 西ノ宮の
  恵比寿三郎左衛門之丞
  色の黒いは大黒天よ
  頭の長いは福禄寿
  頭巾 頭巾 担いで
  追い込み姿の じいさん誰じゃ 誰じゃ
  言わずと知れた寿老人
  言わずと知れた寿老人
  布袋は(土仏)どぶつ その中で
  美しいは 弁財天よ
  褒めたれば 褒めたれば
  そこで毘沙門 腹を立て
  なぜ褒めた なぜ褒めた 
  七福神のその中の 弁天様をなぜ褒めた
  と 言うたが野暮かいな
   オホホッホッホ―

  笑う門には福来り

        3.19(木)

 



誕生日
 はなこ・ナターシャさんは今日で18歳になりました。 うちの猫では最年長になります、幸い病気もせず、よく寝て食べて気ままに過ごしてきました。   これまで見守って下さった皆さんに、にゃぐにゃぐ、ありがとうを申しております。
 これからも元気で、自然に身を任せおしゃべりしながら楽しく過ごしていけそうな気がします。 
 今日お稽古から戻ると牢名主の様に蒲団に乗っかり、おおきな鳴き声、にゃあにゃにゃにゃ、うにゃうにゃぐう―、叱られてるみたい。  何を言っているのか不明でしたが、お腹はいいらしくまたすぐ眠りこんでしまいました。 
 まあ、猫も年取るとなにか老婆心か、いいたいことがあるのでしょう。。
 
 4月3日は月遅れの雛祭り、土手のヨモギも葉を伸ばすころ、草饅頭が懐かしい、、立ち雛さまを飾りました。

      

              3.14(土)





また三月
 陽が伸びて春がめぐってきました。 いつも春は天気がめまぐるしい。 天気予報も山の天気並に忙しい、コートを厚くとか薄くとか、ちとウルサイ、親切は嬉しいけど幼稚園児ではなし、指示待ち症候群患者つくらないで〜。

 

    ねえあのね、あのね。          なあに? ナニ話してるの。。


 

     
久しぶりに姉ちゃんと会えた。    冬の朝練、ナイス。

 渋谷区立代々木ポニー公園です。 牛も可愛いが馬もいい。 ポニーのほか老いたサラブレドもいました。 二頭は訳ありなのか、長〜いことくっついたままで話しこみ、全く離れませんでした。        3.5(木)






パソコンライフ
 8年目ではパソコンも古くなり、ビルダーソフトも可笑しなこと多く、全体の調子に不安が増えてきましたー。  皆ロートル化し猫も自分も、いろいろ以前よりマメでなくなってきました。 いずれ現在のソフトと互換しない新パソコンの導入になるもののその前に、HPもいきなり終わることもあると覚悟しました。 十年ひと昔といいますが、速いスピードではありませんか〜。   
 ソニーの次のVAIOは機能が変化しかなり高額になるとかで、単純なものが欲しい私にはもう要り様でないマシンです。 何にでも追いつき使いこなすには大きなエネルギーが必要、大変です、頭の錆び剥がしで忙しくなります。  
 でもパソコンは必要必須、長く便利に有り難く使いたいもの。   2.26(木)


     




歩く会の見学他
 国会議事堂前駅で降り、官庁街の国会図書館と憲政記念館、虎ノ門界隈と警視庁を見学。 警視庁に入ったは初めて。 警察官募集のポスターの下に、なんとあの、ドラマ『相棒』杉下右京警部とカイト君の厳しい笑顔の写真―。 案内の婦警さんはキビキビかっこよし。 
 映像と展示物など見て、何ごともなく終了しましたが、身分証明は事前に報告済みでした。 すっかり霞が関のおのぼりさん、これも何か楽しい最近です。 虎の門病院の前に大きな道路が貫通して、金毘羅様は敷地内にものすごーい高層ビルを建てていた。 ほぼ浦島太郎状態、ビルのラッシュはここも。
 憲政記念館でランチ、コースを予約してありました。
 国会図書館は足の便が悪く、朝は能率がいいそうでも、こう遠くてはよほどの探し物でもないと行きにくい。 あらゆるものを収集し、新館は地下30メートル、最後の硬い岩盤まで到達している場所だそうで、気持ち、息苦しい場所、職員の心身のための気遣いをしているそうです。 
    
             


              2.20(金)





猫の寿命
 
句会ともだちは愛猫を22年の長寿で全うさせたそうです。  20歳過ぎるころから体を支える脚が弱まり、ふらふら歩きだったという。 人も猫も、脚から来ますね―。 
 また別の動物好き友人に、自由暮らしで怪我とケンカの毎日を4歳で昇天したミーシャの話をすると、〈室内飼いでないとまあ5〜6年という所でしょう〉と言われる。
 
 寿命は人も猫も、おてんとうさま任せ自然のまますっきりと諦める事なんですね...。 別れは出会いの数ほどあるもので、非情なふっきりが上手くできるといいのですがー、これがまた大変。。
 ミーシャに長生きしてねといい過ぎたのを反省し、はなさんに長生きしてねと言うことはなかった、出会えたのは全くラッキー幸せなこと、楽しくアバウトでいこうね。

    
           

 
               赤い火のそばバッグが座布団

                2月17日(火)






ふるさとの酒

 歩く会で参宮橋から明治神宮を回り参拝しました。 ここは「気」もいいけれど人も多いしかも、異国の言葉が沢山飛び交っていた。 日本人はお参りではあまりおしゃべりしませんね。 昔、ジャイナ教、ヒンズー教など、異国のお寺を楽しんで回ったのを思い出しました、異国の宗教施設は珍しい場所・風景なのですね。
 
   

 全国からの奉納の酒樽が沢山あり、見慣れた故郷のお酒も二つ。 八ヶ岳湧水「谷桜」、南アルプス天然水の銘酒「七賢」です。

 明治記念館にこじゃれたレストランがありランチ休憩。 お刺身定食とアルコール抜き中ビール、寒くても、沢山歩くと喉が乾いて乾いてー。     2月11日(水)






レディ・ガガ
 夜遅くにNHKTVが「福島」を放映していた。 4年経って、放射能に苦しむ土地と動物の話も聞かなくなっている気がする。 
 静止画像でみた牛たちを、写真に収めてくれた人の姿を初めて拝見した。 哀れな動物たちの倒れた姿、水欲しさに苦しむ姿を動く写真で見て改めて心痛んだ。 彼らを撮りながら、人を見つけ啼く牛に沢の水を何度も運んでやったものの、どうしていいか途方に暮れたという。 焼け石に水、というが命果てようとする生きものが少しでも、苦しみを癒えるよう思う気持ちで悲しかったことだろう。 牛舎で起こったことを写真に収めてくれて、本当にありがとうございました。 また、いまでも、獣医さんたちの協力を得て、彷徨う猫たちを何十匹も捕獲し、不妊処置をし、ねぐらと食糧を与えている方がいると知ったが、無力な自分が情けなくおちこんだ。  考えれば頭がぐるぐる混乱するが、原発事故により故郷に帰れなくなった人びとと置き去りにされた生きものたちの悲劇を絶対忘れない。
 あの日水を与えられた牛のなかで、自力で脱走し今は希望の牧場福島に居る若い牛がいた。 真っ白な体ときれいな顔・目で、レディ・ガガ、と呼ばれているという。   2.8(日) 





うた。唄。歌。
 暮れに中野サンプラザの「夢コンサート」に同級生と聴きにいった。 狩人、チェりッシュにリンダほか昭和の懐メロ。 懐メロはずっと、青い山脈やリンゴの歌だったけれど、はや世代替わり、ついに来たか! です。
 主役は千昌夫、語りの面白さで湧かせました、一度おカネで落ちてまた歌に戻り、昔に戻りよかったですね。 また少し太り過ぎ、本人も気にしていた。 
 思い起こすと社会人になったころ、西銀座デパートで買い物をしていると「星影のワルツ」をレコード屋がいつも流していた。 梶光夫似の美声だけどどこか違う、素直でも何か哀愁が―、おぼっちゃま梶は歌は道楽の明るい青春歌手、ではこの声の人は? これこそ同年の、栄養が足りず痩せた新人歌手、昭和の歌の時代を一緒に生きてきた千昌夫。    私の一番好きな歌は「夕焼け雲」、善い歌です、この日も熱唱してくれました。
  ロビーで汗流し叫び売っていた東北応援千もなかをつい、買いました。
              
              

    2.4(水)









映像
 ユーチューブは色々な使い方がある、楽しさも辛さ厳しさも皆映し流すね。

 世を隠遁したいような気分のこの頃、何時も見るのは島津亜矢の唄の映像。   
 『風雪流れ旅』はDVDで、林隆三主演で見たことがある。  職場の同世代の上司のひとりが貸してくれ、高橋竹山の生涯を描くものと知ったのでした。 彼は仕事柄無機質人間の多いかつての職場で、珍しく有機質系、歌舞伎などを愛し、尺八を造り奏でる人だったが、今はどうしているかな。 
 高橋竹山の晩年の映像が記憶にある。 インタビューに応じる姿は威厳があるのに温かくおおらかで、時時津軽三味線の強い音をCDで聴いて偲んだりする。  雪は雪で、また厳しい自然現象だけれど寒さこそヒトを強くする気がする。 
 たかが流行り歌というなかれ、星野哲郎の歌詞も秀逸です。    1.29(木) 





新年会
 浅草の見番向いの「懐石 瓢庵」で。 2人が急に欠席(風邪と準備不足)になり、先生方を入れて9人。 中休みを入れての発表会、中休みがないとこの人数でも疲れてしまいます。  食べて飲み緊張をほぐしての一日でした。  浅草寺の駐車場にはとバス等が8台以上、まだ初春の気配残る浅草、今年は世代替わりしたヤングらの花形歌舞伎が行われている。

番付
1 地 唄  山村舞
2 上方唄  夏はホタル
3 端 唄  夕暮れー船頭入りー
4 地 唄  黒髪
5 端 唄  香に迷う
6 上方唄  いざや
7 義太夫  万歳
G 上方唄  昔噺
9 長 唄  松の翁

                   1.24(土)




大寒 氷雨。
 
      

 寒の入り。 厳冬期も都会ではなんとか過ごせるが、老人だけになった山国雪国の冬は思いやられる。 地方は過疎化が進み、人口がますます減っているという。 女衒のように15才の子供を安く労働力に吸い取り、ヒトより経済を重んじただけの日本。。
 「棄てた故郷に また涙」、「おらこんなムラ嫌だ〜い」とかいう歌があるけれど、若者に満足な仕事や楽しみが地方にもあったら。   日本中の置いてけぼりの様な地方、農山村を思うと、矛盾に囲まれ胸絞られる、荒廃する土地と森林を思うと涙が出る。 
 でも最近、天使の様な若者らが、森林伐採の荒仕事を選んでいるニュース番組を観た。  自分たち世代の経済社会と違う何かが、密かに動きだすかもしれない。
 体を使って働く若者らと大地に幸あれ。      1.21(水)





上野のレンコンやさん
 最近会う機会がなかった旧い友達との新年会で、食べておしゃべりを。 連れて行ってもらったのはアメ横に近い風情ある建物のレンコン料理のお店。 レンコン好きで肉詰めや煮物が多い。でも生ハムやカマンベールチーズなどとの取り合わせは斬新でびっくり。 レンコンだけで色々な料理があるものです、日本は創作料理の宝庫、メニューも選ぶに困るレンコン尽くし。 不忍池のレンコンではないようですが、大変評判のお店らしい。 〆の卵すっぽん雑炊はまた美味しく、寒い日とても温まりました。  ううむ...、ご馳走になってしまったけれど、返礼があんみつ屋では心苦しい―すみませんでした(12日)。。    1.15(木)  






タロとジロ
 今朝はラジオで二回、タロとジロの名を耳にした、はるか昔、南極越冬隊員として働いた懐かしい犬の名前。 もう忘れ去られたような、50数年前第一次越冬隊から第二次へ引き継がれる予定でいながら、天候悪化で第二次越冬は中止となり大陸に置き去りされた犬たちの中の兄弟犬が、発見された日なのでした。。  少年少女だった私たちも、いまは団塊団塊と、まるでイワシ団子かお邪魔虫、にされているみたいな冬のはじまり。 高度成長期のさなかを、年金も税金も大挙して納め当時の老人を養ってきて挙句の姥捨て山模様。 こうなったら、嫌がれても石にかじりついても?楽しく長生きするしかありません。 
 犬たちよヒトよ皆皆、《行く道は精進にして、忍びて終わり悔いなし》、ですねえ。

               

                 1.14(水)





聴き初め
 庭園の正月演奏会(午前午後の二回)は今年は、吉澤延隆氏の筝曲ソロで三曲《賛歌》《楽》《鳥のように》、心に滲みわたる琴は正月らしくてめでたいです。 
 黒紋付に袴姿の奏者は若く、男性はまた珍しい。 お稽古ごと芸事は、子どものころから始めるとどんどん伸び若くしてプロになれる。 大型楽器の琴の演奏は、傍で見るとかなり動きがダイナミックで体力が要りそう。 生田流は地唄の音ですが、この日はみな新作とのことでした。    1.3(土) 
 





新年おめでとうございます
 今年は災害の少ない、恙無く平和な一年となりますようにお祈りします。 ねこたちもHPも、みんな元気でいられるといいですね。  

 

   
   
    
平成27年1月1日








さすらう研究者
 かなり昔国立大医学部カステラチフス菌事件、があった。 ある研究者が同僚への恨みで短絡的に、手に入りやすい菌を使って感染をもくろんだ。 怖ろしいことが狭い集団内でたまに起こる研究室。 もしやもみ消されるものもあるかもしれない。。
  
 

    
         
不思議な茄子           グースカピ
                  12.27(土)
 
 
 





野川あたり
 今年最後の歩く会、武蔵小金井南口から深大寺まで。 歩数は17,700余歩だった。
 この街には長く住んでいたが金蔵院を訪ねたのは初めて。 春はしだれ桜が奇麗なのだろう。 それから下って武蔵野台地のハケの道をどんどん歩くと武蔵公園、そして都立の野川公園。 歴史ある雑木林の森を持ち、広いのに手入れ良く四季が楽しめそう、とてもいいところだ。 また野川沿いに歩き続けると、川水が澄んで、鴨、白鷺、青鷺、川鵜と沢山の水鳥たちが日を浴びながら何かを食べていた。 
 川沿いにあった東京大学運動部馬術部、大学の馬術部としては恵まれた広さと思える馬場で、白い名馬風数頭混じり、なつかし馬糞の匂いの中の騎乗姿の美しさ。 若者も馬も顔引き締まり並み脚でかっぽかっぽー、ああ眼福。
 
 そののちは近藤勇生家跡とお墓参り。 勇様は35年の生涯を剣を持って終えた。 若者が理想をもち、国を憂うのは今も昔も同じ、ただ世の中の急変に追いつけなかった。もう少し後に生まれたら、彼の活躍の場もあったろうにと思った。

 また野川のほとりを歩き、一生懸命坂を登り深大寺へ。 お参りしてから少し遅い昼食、林の中の蕎麦屋に辿りついた。 蕎麦屋の前の木立が大きな動物慰霊園、沢山の動物が眠っている。 
 風もなく雲もなく、白い富士も見えて、日本海側は荒れているのに申し訳ないような静かな快晴の一日の18日。    12.21(日)
 







ノーベル賞ときもの
 今年三人の日本の科学者に与えられたノーベル賞、そのさわりのニュースを見て授賞式での夫人たちの着物姿に感嘆した。 実に美しい、しとやかで気品を感じさせる姿で感動しました。 木綿の足袋のほかは小さな小物まですべて絹、その上金糸銀糸も織り込まれたこの衣裳は、日本の絹工芸、織物と美意識の結晶、世界に誇る宝物です、皆さま着て下さりありがとう、と心からの賛辞、もちろん、タキシード姿も決った御主人様たちの功績あってのものですが。
 でも、着る身になれば、この丸帯・袋帯を高く巻くかたちは武家の妻らの着かた、江戸以降らしく、戦国時代の腰骨辺りで細帯をしめゆったり着ていたころに戻れないものかと思う。 帯枕に帯揚げ、このややこしいい手のかかる部分こそが、余計な費用を要し、女性を着物から遠ざけた主因では、と思える。
 しかし気慣れれば足まで包む着物は、暖かく気分も落ち着く。 だれでも女らしくゆっくり、落ち着いてふるまうようになる気がする。
 まず安価で洗いやすい木綿の着物が普及することを期待しているけれど、簡単なことが好まれる時代、着物も畳も普及は難しい―。

          


                            12.12(金) 





平林寺



 11月の歩く会での、新座市の平林寺の紅葉。 ここは松平徳川さんの菩提寺らしい。 巨大な墓石群のはずれ、花も水も供えられず佇む墓には、《武田信玄次女》と刻まれていた。 辺りに咲く花もなく、お供えなしにに合掌だけを。 甲斐の国は、いつもこころに在るのでした。 12.5(金)





悪玉コレステ
 ツレを去年失くした知人に、十年ぶりに出会った。 同い年は話題はいつか健康の話に。

 先月市の健康診断で、悪玉コレが標準を越え、目下食の改善ちゅう、和食を食べたが、彼女はすでに悪玉対処の薬を飲んでいるというー。 同じ年でおなじ状態の人は他にもまだいる。 食事を工夫しても年齢的に、体内で〔悪玉〕が造成されるそうなのだ、怖ろしや〜。
 眼薬と貼り薬専門だった私も、やがておかしな薬を飲むことになるのかとがっくり。
 気落ちした私に診療所の女医さんは、薬をずっと飲むことより、朝のベーコンや明太子やトンカツを辞めて食べ物を節制して様子を見ましょうと言う。

 もうどうでもいい、アーモンドと納豆と青菜で生きていこうー。。。尼さん食になろう。
 好きなものを食べれないのは、慣れるまで辛いものがある、年とるのは大変です。 
 しかしその後、体重は徐々に減少していて何か嬉しいけれど猫のはなさんは、私より高齢なのに食欲止まらず肥えた様です。

     

          12.3(水)



房総の海
          


 友人と日帰りの温泉へ。 鴨川の海と屋上の足湯です。 海を見るのは久しぶり、天気がいいのでとてもいい一日でしたが、特急でも遠く、諏訪湖あたりまで行けそうな時間がかかりました。

 それでも、入り組んだ伊豆の海より広々した大海原、房総の海のほうが好きかな。      11.28(金)
  





健さんと『南極物語』
 秋冷の晩秋を選び、83歳で人生を終えた俳優高倉 健さん、死してその偉大さを生前以上に感じ取る日本列島ー。
 1982年?の映画『南極物語』を、追悼番組として真っ先に見せてくれたのは制作も担当したフジTV。 消音しないと、犬たちの最期の場面は涙が出てきて観れなかったが、この映画で動物好きが一人でも増えてくれたらと思った。 タロとジロとの再会の場面は、実際とはちがう所も多いが過酷だった南極観測第一次越冬隊の記録となる、好い映画を作ってくれたと思う。

 高倉 健は昔、怖い任侠道の俳優と思ったものだったが、思えば日本人の求める理想の男の姿として感じ取れる孤高の俳優なのだろう。 視覚的に頭の形、顔の輪郭、眼の力やその立ち姿後ろ姿の美しさ、そして表裏のない誠実そのものの語り口や性格が、時代小説の中にしかいなくなった日本人の、強さへの畏怖と信頼を思い出させる。「日本人に生まれてよかった」としばしば公言した人は、健、と呼び捨てにできない、言葉で言えない巨きなオ―ラがある。 

 代表作を、「鉄道屋」とか「幸せの...」といっている、でも私は『八甲田山』と『南極物語』が大好きな映画。 その凛々しさをよく表す役柄と思えて男女の涙の物語より、男らしい男の役のほうが真骨頂ではないかしらんと思った。
 この映画の中には今はない夏目雅子、山村総ほか、想いでの俳優が多く出ている。 映画はしみじみ単調な人の一生の、スパイシーなお宝なのです。 精悍で若々しかったあの日の健さん、恒彦さん、天女のように輝いていた雅子さん―。 そして気になった愛すべき樺太犬たちの像は、東京タワーの足元から立川にある国立極地研究所に移されたと知った、近いうちに逢いに行こうと思う。 やがては皆が集まる処で、人も犬もどうか安らかに。       11.21(木)






白檀
 猫にはマタタビという、でも白檀の匂いも相当好きらしい。
 線香は白檀が常用で、空き箱は清浄な残り香が長く続くから、棄てず箪笥に入れたりする。 猫はこの箱・匂いを大好きで、なんとほほすりすり、枕にしたり抱きしめたり。 脱ぎ捨てた靴下の匂いも好きらしい。 いったい何が猫の好みの基本なのですか...、聞いても当然答えては貰えませんが。  
               
                 

☆ ころ柿の軒に落ち着き岳白し

☆ 石蕗の花日暮れて光る小闇かな

☆ ねこの眼に遠きビル群暮れる秋

☆ きりきりと凍みる大気よ登り坂
 

             (今日の句会 入選句)
                         11.15(土)






 畳の張り替え、NTTの回線工事、お稽古日、忙しい週でしたー。
 NTTはインターネットエクスプローラと仲良しらしく、リモートサポートの担当は検索でヤフーに入るにもエクスプローラを指定した。 最近は動画が見やすいグーグル中心だが、なんと、ひかりにしたらIEの立ち上がりはとても早い。 なんだかよく判らぬことばかりの上、各種IDとパスワードを要する、その多さに頭ゴッチャゴチャ、でもギブアップはできない。 なんとも複雑で、面倒な作業の多い世の中に生きていることです―。
 畳は早朝出し昼には入るという超速。。 一間も畳のない家は想像が付かない、どうしてもクッションある床が欲しい。。 フローリングとカタカナで書けばカッコイイけれど≪板の間≫、は薄寒い貧しさの象徴だったその昔は。 

   
       
大阪四天王寺にある猫好き?聖徳太子様の「猫の門」(九月)

   11.9(日) 





南天の木
 正月の寄せ植えにあった小さな南天の木は、大きな鉢に植え替えたら丈高く育ち善く繁った。 今年こそと思いつづけ十年余、日当たりと水は欠かさないのに赤い実はいっかな付かない。 南天は生家には林の様にある懐かしい木、姿を見るのは楽しい。 難を転ずるという縁起の良い植物なのだ。
 けれど葉が落ち花が散らばり掃除が一年中必須、狭い場所には無理に感じてきた。 実もつかないならと涙をのみ、きのう処分したが、〔鳴かぬならころしてしまえほととぎす〕の信長をふと思い出し、心で泣いている。  私は狭い処に住んでいて心も狭くなり、情のないヒトかもしれぬ、南天さん、許してたもれ―。         11.2(日)





季節が移ろい 
 何時も行くお庭、咲いているのはつわ蕗の花だけ、秋の七草も咲き終えました。
 高山はみな降雪して、木曽のおんたけ山は春まで眠りにはいり、楽しい登山が一転とてつもない災害に遭遇山に残された人たちも、氷と雪に閉ざされ痛ましいことです―。 
 明日は何が起こるかしれない自然の中に、人を魅了するものがあり過ぎる。 山の観光で生業する人々に入山規制はまた不安なことです。 墓参りの二日間、秋なのに富士は顔を見せずで珍しいことでした。 山には心があり、怒り喜びが在る気がしている。

            
 

 四国で買った宇和島真珠を飾ると、うっとおしいと野生のはなさんはいう。 パールもプラチナも猫には異物、写真は最近上手く撮れません。  猫も飼い主もせわしなく動きまわり、秋は日ごとに深まります。。   10.27(月)




ネットの回線
 十数年前はADSLはエースでも、今はすでに時代遅れ、私のプロバイダーでは廃止になる。 都市型auは都下でも光エリア外なのだそうだ(涙)。
 複雑なことはもうできない、と色々調べると、住いの建物はNTTフレッツ光が入っていて、URLもめーるもそのまま引っ越しができるとわかった。 十年で大きく変わったネットの世界、ホームページを存続するなら今後のフォローするは大変になりそう。 立体的なHPから、単体のブログに移行した人も多い。
 でも、訪問者がいなくなっても料金体系が複雑になっても黒猫ミーシャは当分続けたい。 
 あちこち電話で調べNTT光にも、ハヤブサ、ギガなど移行できない最新のもあると理解するまでに疲労困憊、遊びのためには仕方ないことですが。。

          
 
           
青梅線沢井駅の櫛かんざし美術館の櫛

                   10.19(日) 



すずめ
 時々雀の夫婦がやってくる。 ちょこちょこと動くのが可愛いので立ち上がると、即逃げてしまう。
 晴れた日またやってきたので、身動きせず見ていたら、ベランダの青シソの実が目当てだった。 伸びた枝にまで乗りぶら下がり、盛んに実を啄ばむ二羽。
 小鳥のうち、スズメはとくに親しい、懐かしい、地味ながら可愛い顔をしているし。
 10分以上固まって、写真も取れずじっと眺めていたら、ネコも人もいないと安心し、たらふく食べて飛び去りました。 
 先日かなり収穫して冷凍したシソの実は、もう採らないことに―。 
 今年大きく繁って冷凍保存したシソの実、烏賊そうめんに生姜と一緒に使い重宝している。   10.16(木)




通天閣
 大阪ノオト。 
 
      

 王将の歌にもある「通天閣」からの眺め。 先日逢った大阪出身者が言うことに、「娘が行く場所やない、ガラ悪いキケン」と親が言うので行ったことがないが東京タワーは上った、とのことだった。   
 緑地はお寺と天王寺動物園、ネコ族が多いらしいが時間とスタミナ切れで行けず終わった。 恵美須町界隈は、昼はキケンでもないが旧い大阪が、そのまま残るまちという。  異様なほど高層のアベノハルカスは、当地でそれほどは人気が高くない模様だった。 が、次回があれば難波の宮址などと。
 「王将」を聞こうと検索すると、ユーチューブが出ずラーメンの「王将」ばかり出る。 何時のまにか昭和は遠くなりました。   10.11(土)


 


自宅野菜

  


 茄子は夏の間よく実を付けた。 7月から10月まで、途中8月の炎暑には一休み、過酷な環境にもめげず、少なくとも15個は収穫、苗も丈夫だったか頑張り屋さんでした。
 大きな葉を整理してから、まだ小さな実がみっつは付いている。 追肥と朝晩の水やりを欠かさず大切に扱うといい子が育つ。 
 秋ナスは身が引き締まり小ぶりで重く、おいしさ増すといいます、ほんとにお疲れさん、ごちでした感謝。 10.7(火)
 




結界
 映画『陰陽師』のなかで清明が、見えない結界を張って身を護る場面が印象的だった。
 この世には≪これ以上入っていけない場所、部分≫があると思う、自然の中にも、人の心にも。
 それが、経済を重視するようになるとそういうことは無視されるもの。
 広島は、崩れやすい山をさかのぼるように家を建て、人の大切な生活を壊したし、地下でマグマのたぎる3000メートルの高山の頂上に、遊園地のように子供まで入らせ、多くの人を一瞬で壊した。
 昔阿蘇に行った時、内輪山の火口まで続く道を登った。 覗く火口は煙が出ていて、下る道にコンクリートの避難小屋があり少し緊張した。 その2年後、いきなり阿蘇山は噴火して、あのコンクリートの屋根を火山弾が襲い3名が無くなった。 ニュースを見て背筋が凍ったものだった。 
 活火山からは遠ざかっていたいが、登山道は頂上まであり人は訪れたくなる。
 火山は褶曲山脈よりなだらか、普段は静かで美しく優しい。 でも、密かに警告を出していると思うが、「結界」を人は引かないままー。      10.3(金)

 





十月が来た
 あっという間に十月、実りの秋。 先週末大阪の国立文楽劇場に、家元襲名披露公演にゆき、大阪を一泊して少しだけ観光も。
 行きたかった四天王寺様ではお彼岸で五重塔に上れたり、通天閣から夕陽の大阪湾、生駒の山並み、市街をながめれて満足しました。  
 することが多くしかし動きがのろく、どうも疲労気味、小さなグループ展の搬入も昨日すみ、やっと休憩ー。 
      
             

                
眠るから、ねこ、ですね。

   10.2(木)
 



衣替え
 今年は秋が早く、衣替えがまにあわない。 でもいよいよ猫の季節で、明け方ねこが潜ってきました、はなちゃんも温みが欲しい朝でした。
 猫はすべすべ絹が好きで、キモノを広げるとごろん、をしたがる。 毛はとても困るので叱ると、こっちが叱られそっぽ向いたり絡んできたり。。 
 ねこはいいね、自分の年齢など考えていない(ように見えるだけ?)、いつものどか。 しか〜し、最近ジャンプの後ろ足が前より、弱った様に感じます。

           

               9.21(日) 




生きもの
 四月から太田区の蒲田・大森周辺で、毎日猫が殺されるという記事があった。
おまわりさん等の懸命の捜査のおかげで、やっと秋になって犯人が見つかった。 
33歳の男の会社員は、全部で45匹の罪のない猫たちを、農薬や不凍液、首絞めなど、
自分のストレスの解消にやった、餌やりも気に入らなかったから、と白状したという。 
野猫・飼い猫入り混じっていたろうと思う。
 パトロールして、忍んで、ここの猫たちのため犯人を捕まえてくれた方たちに心からのお礼を言いたいです。 本当にありがとうございます。
 何かの腹いせに配偶者をいたぶる、猫をいたぶるー。 広い気持ちのない気の小さな人間は、弱い生き物だからと理解しようとしても、もっと弱い生き物を平気でいたぶり、死に至らすなんて、糾弾に値します、犯罪者として重い刑を受けるようにしてもらいたいです。    9.18(木) 






秋の花と地震と秋刀魚
 
   

       
女郎花                 吾亦紅

 今年の九月は秋が早い。 去年の今頃はまだ炎暑のさなかでした、来年も涼しいといいのですがー。
 お昼に揺れびっくり、猫パウチを選んでいたらぐらぐら。 放送で≪品物の傍から離れて下さい≫と、でもSストアはすでにかなり古い建物、何処に行けばいいのかちょっと考え身がまえました。 震度3では大きめです。 
 猫パウチは15歳以上のが午前中はあるけれど今日は3個だけ。 13歳用を買いましたが16歳以降の商品はない、辺りは老猫が一番多そうですが。
 地下で秋刀魚が安く新鮮、ピカピカ光って太っている。 地震を忘れ、はなちゃんと分け合い食しました、オイリ―で美味でした。
    9.16(火)





施設犬
 ファシリティドッグ、という犬を初めて知りました。 その存在で人を幸せにする、施設に所属する職員並みの仕事を持つ犬、というもので、世界で100頭、日本では2頭、という。 この状態では介助犬・盲導犬のようには知られていない。 
 犬は古くから人と共存し生きてきた。 狩りでは人を助け、南極では遭難から越冬隊員を救い、災害の時には人を探し見つけ、目の見えないヒトの体の一部になり、そのほかにも色々な活躍をして来た賢い生きもの。 当然、気を使うこと人間の組織人以上らしく、その寿命は短いものです。
 無抵抗の盲導犬を痛めつける人のニュースは、善意の人もたくさんいることを知らせてくれたが、動物嫌いの存在がいきなり牙をむくことには心が痛む―。 
 世界中の戦争と同じで、荒ぶる人の心の鎮静を祈るしかないのは、辛いことです。
       9.10(水)


 



電話機
 いつも行く庭の、古い木造岩崎記念館に展示されている磁石式卓上電話機は昭和初期のもの、ここは冷房が涼しいので帰りに長居を。 
 人と声で繋がれるのは、当時きっと有り難く嬉しい素敵なことだったでしょう、今は、次々と進化したのはいいとして、何か生活の小さなロマンが失われたかんじです(コラッ、歩きスマホはやめて〜、何度も怖い思いをした)。

           


             9.5(金)





晩夏
 青梅線川井駅は青梅駅で乗り換え立川から小一時間。 そこからくねくねと多摩川支流に沿ってゆくと食事処ちわき がある。 友達と川魚の塩焼き定食を食べましたが、ここのお勧めは茸のハンバーグ、鮎の釜めしだそうでまたいつか。 季節の素材の家庭料理です。
 越後から来たという木の目が落ち着く日本家屋は、清流がすぐそばを音立て、床の間のある座敷の広間が超涼しい。 珈琲といっしょになんと二時間も居てしまいました。
 女主人が平日なので、駅まで送迎してくれた川井の駅、高台なので奥多摩大橋が目の前に、景色が素晴らしい駅でした。。
 川魚は、岩魚と山女で、茸と鶏肉・山菜など入っただんご汁、小鉢、大きな茶わん蒸しが付きました。
 青梅駅を過ぎるとほぼ森林地帯を走る青梅線、緑濃い森と渓流の水の音に、ちょっとだけ暑気払い。

            
            
                     うちのアサガオ                                                  

                 8.29(金) 




舞踊観賞会
 国立小劇場でしたが、隣の大劇場は城西ブロックの大きな踊りの会のようで、踊りの師匠らのあざみの花が手描きされた紺の絽の夏着物など、なんとも目の保養。  
 
 こちらは花形・名作と銘打っての観賞会、一部三曲でした。

 ○長唄『三日月雷女太夫』水木扇升・花柳寿太一郎。
 ○新内『唐人お吉』藤間清継。
 ○地唄『きぎす』山村若改め友五郎・吉村古ゆう。
 きぎす、は雉のこと。 雉の鳴く春ののどかな野辺の様子に、恋の儚さを絡めた歌詞で展開する地唄舞です。 1749年大阪竹本座の初演で、平成の世に、山村流宗家と吉村流の人気舞い手、吉村古ゆうさんの連れ舞、はんなりゆったりと恋の道行が舞われました。

 踊りと舞の違いがまざまさとみえたような一時間半でしたが新内の、地方さんの渾身の歌も耳に残ります。  
 劇場の冷房で、四ツ谷駅ビルでの遅めのスープランチ(サラダにミネストローネとガーリックトースト、珈琲)が体に染みました。
  8.25(月)





清涼
 今年の夏も思いのほか暑く厳しい。 エクセルの家計簿では夏のほうが食費は高め。家計簿は自分風に作ってあるので、記録になってとても便利。 
 夏は冷菓弥果物を食べることが多くなる、このミルフィーユのミントチョコはグリコの冷菓、期間限定で薄く堅いチョコがとてもおいしい。 生産量が少ないらしく、見かけたらまとめ買いするのはいじましい、がやめられないのです。 体組成計は日課、食事もずいぶん減らして50キロ未満を保っているのです。。はい。


      

            8.23(土)





馬頭観世音
 湧水を下に見る庭の、市内の何処かから来た旧い馬頭観音さま。 昔は街道のあちこちにあった石碑、荷役に必要で大切な家族だった馬は、無くなれば観音様になったのでした。 
 実家の集落入口の大明神様の林に、石は無いが言い伝えで馬たちの墓があった。 墓参り帰りには線香を数本残し、馬のお墓に供えたものでした。 私はこんな風習が大好きなのだけれど、小さな歴史は忘れ去られてゆく。  
 この半世紀、大きな変化・変貌をし過ぎた気が。。でも、昔が総てよかったという訳でもありません。
           
     

                      8.19(火)



8.15
 夏の行事はいっぱいある。 戦争の記憶のある人々はすっかり年取ってしまいました。 今後は人間に想像力がないと大変になります。
 金魚のコメットちゃんも今日亡くなりました。 両親の居なくなった年に飼い始め、もう十歳は過ぎていた。 当初は小さな魚でしたが、ここを気に行ってか大きくなり、長いこと楽しませてくれたコメット、赤と白の流線型で、とても奇麗な魚でした。 
 金魚類は平均寿命は何年なのか―、どっちにしても天寿を全うしました。
 もう室内飼いは、ここでは揺れが大きく無理になったのですが、ありがとう冬越えもして強かった金ちゃん。
             
              8.15(金)





立秋
 朝起きると室内30℃。 窓を網戸にして開けているのに、です。 コウレイシャは室内で夜中に熱中症になるそうな。 朝からクーラー頼みなの今日は立秋、日は短くなったものの、これで秋の始まり。。。  
 お酒買い物旅行歌舞伎座、最近縁がなくなり、今月は久々納涼歌舞伎の切符を購入。 舞の会、踊りの会などがもっぱらで、なんだか長丁場の芝居は一服の今年。 
 エスカレーターはありがたくも、新しい歌舞伎座に未だ違和感ありで、一階にあったレトロな珈琲屋、三階の昔味のカレー屋、なくしたのはおしい。 土産物屋さん弁当屋さんも、地下広場で何か間延びした感じですが、新しい観客には、お祭りの様で楽しいのかもですね―。
 
 

 弁慶猫の絵柄のメガネふき。 猫は何にでもなり人間的、いとしや猫。         8.7(木)





ラベンダー
 ひさしぶりに、咲きました。 暑いのに健気なはなです、ゆらりと匂い香ります―。。


☆ 思い出すは富良野の丘の夏の青

☆ バスの旅を香りに残すラベンダー

☆ 薄青とピンクを重ねる花の原

☆ 涼風を遠く運ぶかラベンダー

☆ 雲に雲花には花とラベンダー

☆ 花小さく空は大きくラベンダー

☆ ラベンダーを枕に忍ばす夏盛り

☆ ベランダを空に続けとラベンダー

☆ 何時かまた空を旅してラベンダーに

                    
                

             夏痩せしないはなこさん

                         8.2(土)




暑中お見舞い申します。
 また亜熱帯の炎暑の夏です。
 せめて夏の楽しみはうなぎ、「日本うなぎ」夏こそ美味しい。 夏バテで倒れないよう、夏太りしないように。

 暑さでシンリンオオカミ風になったはなさん、見るからに野生の子。 子ども時代の可愛い顔になったり姐ごになったり、また狼になったり幾つもの表情で変化します。『はな姫七変化』です。 ひとつだけお願いが、体はトイレの中、お尻だけ外、とカリントをこぼすのやめてください。

           

                 7.26(土)




梅雨明・大暑・立秋
 今日は暦では「大暑」、一番暑い日。 
 サルビアは雪降った冬の日、夏の酷暑も同じに咲く―。 暑さ寒さに強い植物のようになりたいものです。 
 再来週は立秋、秋は遠くて残暑があまりに長すぎる。子供のころの夏休みは、8月1日から25日まででした。   

            
 
                
夏咲く宿根の花たち  

 兼題 「月見草」とフリー   七月の句会メモ

   月見草太宰の富士の夕暮れる
 ○ 女難の相ありし太宰も月見ばな
 ◎ 月の影映して宵に月見ばな
 ◎ ラベンダー空に両手を挙げて咲く
 ◎ 梅雨寒にまた引き寄せる猫なりき                 
 
 芭蕉の句集では、短い文字に哲学的な深いものが秘められているような「俳句」。 
 市井の俳人私は、難しい字と言い回しはなるべく避ける・軽やか表現・ユーモアを大切にする のマイペースなスタンスで楽しんでみます。        7.23(水)






庭園の山百合
 まさに夏の花、山の中で咲く女王様です。 
 門が開く9時にはいると、未だ庭師さんしかいない。  ここの湧水は冬は温く、夏の朝はかなり冷たくかんじる。 山百合は平地では少し盛りを過ぎ、山奥ではこれからです。
 
    

               7.20(日)




茄子
 今年は水やりの大変なニガ瓜に替わり茄子です。 すでに4個収穫。 素焼きの大菊鉢は空気の通りが良いらしく、のびのび大きく葉がひろがり茄子は元気。 十数年も前に姉夫婦の車で家から運んでもらい、もう1つに実の付く桑の木が植えてある。  
 ナスは美味しいし、薄い紫と黄の花色も奇麗です。

  

   
 タウンページで見つけた出張家具修理やさんに、今日テーブルの脚を短くしてもらいました。 古いバタフライテーブルは無垢の木で重く、高さが73センチも。 これを68センチ高にしたら体にしっくりして、とても使いやすくなりました。      7.18(金)





あらまきさけ
 去年行った宮古の魚菜市場から案内が来たので、新巻鮭を送ってもらった。 東京では鮭の専門店でも無い、と拒否される貴重な鮭。 現地の店でも去年五月、この切り身はなかったが、お得意様用がとってあるらしい。
 鮭は普段、紅鮭、白鮭、銀鮭、サーモン、の4種が出回っていると言うが、私が欲しいのは昔食べた日本の、白鮭類の新巻鮭です。 見た目は同じでも、鮭の味は大きく差がある。 ずっと鮭には失望と諦めがあった。 北海道産も村上産も、何かが違っていた。 

 寒風干しの鮭の姿と味が忘れられず、送料がかかっても新巻鮭はいつも欲しい。   ねこは知るまい熟成の、飽きないこの美味、東北の応援の旅のおかげです。  暮れには一本ものも経済的、小さな贅沢です。
                       
           

           
きょうのご飯は白マグロ?
        
                    7.9(水)





遠近両用
 ある日メガネを全視界にするといきなり、レンズがポロリ。 あららと手を添えると、痛い。 フレームの金属が割れている。
 近所のメガネ屋さんに行くと、カルテでは1993年のもの、そうですそうです、生まれて初めてメガネ、老眼鏡を造ったときを思い出した。 これは室内では今は使わず、主に観劇用・旅行用でサングラスも兼ねているメガネ、夏はないと困る。 当時の眼科医院は高齢のため、もう廃業しているが、ワシンのお店の担当は変わっていない。 充分に奇麗で修理もできるというが、金属疲労が心配、度をそろえて別に造ることにした。
 歪まない、軽い、青色光線類から守る、というメガネにすると安心ながら高価になるが、パソコン用にもなり便利。 年取ると、スーツジャケット革ものを買わない分、こういう出費がある。 しかし何でも長もち、吾ながら感心します。。 7.4(金) 





文月
 ふみつき、は好きないい響きです。地唄だと扇子を団扇に替え、本来はお引きずりといって、長い裾をひき舞うようです。
 七夕を、たなばたと読むも日本的ですね。 今年は一時暑かったものの、まだ冷房機は動かずにいて有り難い。 

          
                  

  知人の画の個展で、作陶の珈琲カップを購入。 見かけよりどっしりして形と絵を楽しませ、不思議な温かみで味を向上させます。  ギャラリー La Mer は一丁目のテアトル東京の近く、銀座でも貴重になった古い古いビル、エレベーターまで骨董品そのものです。 昔は住居だったところを、小さな画廊にしていて各階には、各種催しだらけでした。 最近はカメラを持たないのを反省しました。。    7.1(火)   




季節 
 があるのはうれしい。 花や食べ物、着るものも変化して、美しい日本を織る。 でもこのところちょっと、四季がゆったりしていない、かなり変、今までの優しさは終わるのかもしれない―。
 遠く雨柱が太く見えた日、三鷹も調布も雹が降った。 農作物が台無しになって農家は収入源が途絶えた。。恐ろしい空の異変も人間の産物ですね。
 夏は、夏毛にしないと猫も人間もたまりませんから、毎日はなさんの毛玉を取っています。

         

 心して、都会の宿命の暑い夏を迎える準備をしたいです。        6.26(木)

  




土曜句会
 春から句会に参加してみました。 句会は、お互いの句を選句して平均的な目で詠み比べること。 詩は、同人誌の時代は四季に同人誌を出版するが批評はしない。 書いたものは自分の責任、大人の関係でとくに印象があれば個人的にやり取りするだけで、中心の人格者の大御所詩人先生は指導者ではない。 
 句会は先生が手は入れないのは同じで、好きな部分を探して感動しあうという感じ。
 
 @小短冊を五枚受け取り、無記名で自分の5句を書く。 
 A先生が短冊を集めて混ぜ込み、各自が五枚(句)受け取る。
 B手元に来た五句を清記用紙に書き写す。
 C番号と自分の名前(俳号)を記し、人数分のナンバーの振られた清記用紙を順次回しそれぞれ自分の好きな句を選び、幾つでも選句用紙に記す。
 20人いると、5句×20で、100句をよむことになる。 真剣に詠むのでかなり疲れる体力仕事。
 D選句のなかで、好きで選んだ5句に○印。うち、秀作に◎印して提出。
 E先生が披講する。 ○、◎、を次々読み上げ、該当者は名乗る。 先生もかなりタフです。
 F最後に先生が選んだ ○入選、◎特選を詠み上げ該当者は名を名乗る。
 次回にこの句がプリントされ配られる。

 この日はたまたま午前が地唄の稽古で汗だく、いったん帰宅し眠って夕刻が句会。 流れを記録しておかないと〈ここはどこ、わたしは誰、何をするの〉状態で混乱、まだ慣れていませんから。 作句は兼題に沿ってひと月かけ用意します。  

 ◎ どくだみはきりりと十字白を斬る M

                      6.23(月)




ラベンダー
 去年三回とも次々に枯れ、がっかり、涼しい処が好きな花なので、暑さにまいったかと諦めた。 最近はラベンダーはとても品薄で、花屋の隅に廃棄寸前があったのを先週連れてきたのでした。。  花もなくこんなにしょぼくれてても、ラベンダーは貴重花、あるだけで幸い。 ことしも暑そう、枯れるかもと思ったら数本蕾が伸びている。 このままがんばって咲いてほしいものです。
 いつかの7月北海道の富良野、ラベンダーが広がる畑―。 数年前はるばる四国から届けられた板ハウスのラベンダー。 香りも花も何と素敵な植物なのでしょうねー。

 年ごとに花の思い出が増え、年輪が増え、一年が過ぎていくのですねえ...。
 また暑い夏が来ます、みなさんお元気ですね?    6.16(月) 




とうもろこし
 JA出店に新トウモロコシが出ていました。 青い皮をむくと年の頃なら18くらいの瑞々しい実が。  立派な柔い皮は山羊の好物、与えると眼を一層細めて私をみながら何か誇らしげに、首を挙げてしゃきしゃき食べるのでした。 
 今は昔になった当時、何処の農家も山羊がいて、鶏がいて、うさぎさんに綿羊までいて、彼方此方動物の鳴き声がして、いまもアジアにあるのどかな村だった。 今は人も少なく状況は変わり、野菜類も買って食べている。 自給の出来ない田舎は不自然不安になる。 
 福島では民俗芸能を、震災にめげずに継続しようという運動が起きているのをTVで見てすっかり感動。 山で遮られた地方文化は健在、大都会に近いところほど影響を受け、文化の荒廃が進むのです...。 

           

                 
4号F「春の夢」
                              6.9(月)




いざないの会
 今月も御徒町の花柳基さん稽古場にて。

 霧の雨   山村 若
 景清    藤間蘭黄
 菖蒲浴衣  西川箕之助
 雨の五郎  花柳寿楽
 都風流   花柳 基

 地唄舞の他流派(吉村さん)の友人を誘ってみたら、普段は国立劇場やテレビで見るだけの雲の上の人たちの舞踊を解説入りで目の前で見れたと感動・感謝しきり。 彼女とて、カルチャーで教室を持つ舞い方なのですが、五耀会の皆さんがとても自然で、見送りまでしてくれる丁寧さに、感銘を受けた様子。 
 雨の降る街、山村の仲間が畑からとったばかりの野菜を下さったので、有り難く頂戴して帰りました。 貴重な、充実の一時間半でした。 若さまはトンボ帰りで、用事があると大阪に戻られました。 こんごも日本の伝統芸能を大切にしてゆきたい、それにしても、お江戸の踊りも力強く素晴らしいけれど、上方舞のしっとりした美しさはどうでしょう、「霧の雨」が舞い終わると、あちこちから《ため息》が漏れ聞こえていました...。
     6.7(土)




梅雨前?
 大慌てで夏物仕様に変えていると、去年の夏が昨日の様です、コットンブラウス、ノレン、板の間、葦のスリッパは端が壊れかけ、テープで留めている。 最近なかなか手に入らない自然の草の履物は通気・吸湿が快適で必需品です。。 
 暑くなる前にまめに歩き、きれいな夏小物を探そう、通販から、デパートや街の店店にもどってみます。

              

                   
夜の生きもの
                        6.4(水)



はなさん
 いま体重は4.5キログラム、以前より多少小型化。 性格は人と同じで、年取っても一生変わらないものです。 それに今は、食べるためにのみ生きているらしい。 
 ほんとにはなは強い、愛しい、うんちまで可愛い、と思う日々です(恥)。

              

                       5.29(木)



都立薬用植物園
 きれいな季節なので西武線の鷹の台駅で待ち合わせ、玉川上水遊歩道⇒武蔵野美術大学⇒小川寺⇒小平神明⇒薬用植物園
とひたすら歩きました。 みどり滴る若葉の色、なんと好い日。 首都大の後任秘書さんは7歳年下、引き継2日間と昨秋と、数回会っただけでもごくなめらかに気が合い、歩く仲間になりました。 
 帰りはモノレールで立川へ。 伊勢丹ダイニングで夕食をとり丸一日、しゃべり歩きして日はどっぷりと暮れました。 

 
                 

 ヒマラヤの青い芥子の花が人気の植物園は、東大和駅至近、広くて明るくて気に入りました。 花の苗等も即売していて、おにぎりのように重い美味しいブルーベリー銅鑼焼を食べました、また行きたい。  (5.20)  5.27(火)




ポエジー

      月夜の物語


猫は月を見る 月も猫を見る。
ほんに明るい月夜に、二人は恋をする。
夜風はしんなりと猫のひげをなで、
まことに麗しい よるのくさはら。

月と猫は、似ている同士。
似ている同士は惹かれあう。
でも愛は遠くにいてこそ
二人が抱きあうのは目と目の中で、その思いは
カスミソウの花のよう…。

ああこんなに静かで
草の露ひとしずくも落ちる気配もない夜
何万キロメートルの遠い遠い距離を
月は
猫のため息のどの音を聴いて
青い光を注ぐのでしょうか。
                       5.15(木)





健康食
 先年からずっと続けている朝の緑果オリーブオイル。 たしかに値段は高い、でもグリーン系の香りにパンがよく合い、高カロリーのジャム、バターと縁が切れました。  調理用は普通のオリーブオイルで、酸化しない特徴は緑果でなくても健康食としてすぐれもの。 味のない高価なサプリメントより、ずっと経済的です。 
 
 17年めでベランダのオリーブの木が枯れかけている。 年に6〜8個収穫し、花も葉も楽しんだけれど鉢植えの寿命は仕方がない。  5.8(木) 




会話
 〔今日、釣り場で聞こえてきた親子の会話

父: そう云えば美紀ちゃんはどうしたか な?もう結婚したのかな?

倅: 何云っているんだ、あの子だっても う40を当に超えてらぁな。

父; そうか...。

倅: でも、父ちゃん、美紀ちゃんに会いたいよなぁ。家に出入りした子のなかでも可良い子だったし、泊まったこともあったしなぁ。

父: そうか。まあいいや。  でも、たまに は顔を出しても良いやなぁ。

倅: そりゃ無理だ。だって、引っ越し ちゃったしな。

父: なに?引っ越しちゃったのか?何処 へ?

倅: 違うよ。引っ越したのは俺等だよ!

父: そうか、・・・。


ちなみに、親父(89才)、倅(60半ば)
仲の良い親子でした。
まだらボケも良いものだ。]

 以上は知人からの面白メール。  5.3(土)



復帰
 「ノオト」のトップページはコピペをした後もデータが溜まり続け、満杯で壊れかけていました。 トップを造り替え再開してみましたが、はたして同じにずっとアップできるか不安です。 
 より簡単なフェイスブックほか今は主流ですが、気づかれぬままの原始的なものを良しとしなんとか更新を、と思います。    2014.5.2(金)    
 
 


           

                 2008 4〜9  2008.10〜2009.3  2009.4〜9  2009.10〜2010.3

                 2010.4〜9  2010.10〜2011.3  2011.4〜9 2011.10〜2012.3
     
                 2012.4〜9  2012.10〜2013.3  2013.4〜9  2013.10〜2014.3

                       

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