ノオト23  2013.10〜2014.3

無期休止のおしらせ
 気になっていたホームページソフトは、メモリ容量不足の警告が続き、更新が厳しくなりました。 どうも本当らしく不都合が多いのです。
十年間、猫と日々の備忘録は仲間との出会いになり、友人には近況報告となりました。
 HPは存続しますが、更新が必要な『ノオト』はこの3月でおしまいになりそうです。  ソフトのバージョンアップはもう考えていません。 ゆっくり休憩し、何ができるか考えてみますが振り返ればそれなりに、とても長い間のことでした、みなさんに感謝感謝―。 
 うららかな春は昔から、終わりと始まりの季節です。 3.23(日)


    

    
ぽっちゃり型のはなです、またあいましょうね。
 
  3.23(日)



大相撲
 昭和47年の記録で、懐かしい取り組みやお相撲さんの姿が見えた。 
 この年に関脇で優勝した長谷川が話していた今日の大相撲。 たぶんこの年の暮れ、
霞が関ビルのEVホールで、琴桜と長谷川が餅つきをして、昼休みにキナコ餅やおろし餅を
偶然ご馳走になりました。 つきたて餅のようにつやつやして色白、切れ長の目のきれいな長谷川。とても愛きょうがあり、笑顔が明るいお相撲さんでした。。すでに定年、年は取りましたがこの優勝の話をする時、思い出の「長谷川」に戻りました。
 JR両国駅西口の改札外に、往時の若い、化粧回し正装の長谷川関の写真が高く飾ってある。 
ここに来るといつも見上げて、霞が関ビルの餅つきを思い出しています。
 ...遠藤、日本人の久しぶりの実力人気力士が出現した、応援して期待をしています。  
        

        十七歳になりました。

3.14(金)




大震災から3年

 蘇ってくるあの日、冷蔵庫が跳びはね、本が崩れ落ち、皿が粉々になり、繰り返し襲う余震におびえた日。 水槽は室内に無くなり、防寒にエアキャップを巻いた鉢でみんな元気で外暮らし。    3.11(火)





東京を汽車が走った

 というニュース、日暮里を私もその日、お昼に通過してニアミス、惜しいことでした。蒸気機関車のあの汽笛をナマで聴けたら―。 耳に残る音の記憶、生きている機関車の声、汽笛は元気のみなもとになる。

 稽古の後両国の江戸東京博物館にゆくと、芝居小屋前でかっぽれの踊り、三弦・太鼓・鉦と唄が完璧で、じっくり味わえました。 第二土曜におこなうのだそうです。 かっぽれは元は大阪住吉さんへの奉納だったという、切れのいい楽しい踊りです。
 目当ては特別展『平成の大津波被害と博物館』。 東北地方は皮肉にも、震災以降芸能や歴史・地層学ほか総てが全国に広く知られてきた気がする。 東北からは多くの人材も輩出、広く豊かな歴史を持っているが、控えめな性向のためかなんでも主張が少ない気がします。 吉幾三も千 昌夫、新沼謙治も、なにか実は隠れシャイ、なのです。  国内唯一琥珀を産出するのも岩手、ジュラ紀の地層が分布し、貴重な博物館が多い。被災で失われた資料の再生の努力は素晴らしいです。
 江戸からの沢山の展示の中に、明治地震を報じる『アサヒグラフ』の記事など、みてよかったと思うものばかりでも、くたびれて全部は見れませんでした。 
 寒い日コートを着ぶくれていると、電車で青年が席を立ちあがり譲ってくれた。 降りる時お礼を言うと、びっくりのやさしい笑顔で返すのでした。 赤の他人にでも都会にこんな方もいると嬉しさと驚きが。 また帰りにも別の青年が、どうぞどうぞ、と同じことをする。 よほど年取って見えたか、故郷の母でも思い出したのか、SLは見れなくもいい一日でした―。 ちなみに、洋服の時に席を譲られることはまずないのです。   3.10(月) 
 




三月のいざない
 市谷台町の西川流お稽古場舞台で拝見しました。
 五耀會2014年最初の誘い≠ヘ、ご祝儀物づくしでスタート。

地歌 『七福神』   花柳寿楽
長唄 『七福神』   西川箕乃助
清元 『梅の春』   藤間蘭黄
地歌 『松づくし』  山村 若
長唄 『老松』    花柳 基
ナビゲーター:桂吉坊

 50人を越す大入り、この催しは浸透してきて、初めて見る人には大きな刺激でしょうが、残念にも、若い人が少ない、若い時は私も、日舞に何ら興味がなかったのでしたが。。

 寿楽さんの地唄 『七福神』は流派の違いがあれ、めでたく陽気でとりわけ愉しみました。 特筆は山村宗家の松づくし。 紫流水の二枚扇の座敷舞はいと優雅、それが...、付録の五舞扇では吉本が乗り移ったような面白おかしい扇子の松尽くし。 上方のナビゲーターと呼吸がピッタリ、おでこに鉢巻きで扇を止め、また足袋の足にもはさみ、口にもくわえ五葉松、うう、万歳さながら、別人みたい、大いに拍手が湧きました、さすがどこまでも笑いの沁みとおった大阪です。。
 私の新課題曲はじいさんばあさん動物たちになり、舌切雀から桃太郎まで、芝居のように舞い廻るおもしろ日本の『昔噺』。  地唄は艶ものに縁起ものと、旧いだけに様々です。 3.6(木)





梅の花


     


 梅の花のさかり。 家の中に漂う馥郁たるかおり、JAの出店に農家の梅の枝が人気です。 しみじみ見れば花の形もなんと愛らしい。
 
                     2.28(金)






大雪の後
 日曜の都知事選挙で雪も解ける昼下がり、今だ観たことのない長蛇の列、投票率が上がるかと思いきや相当低かったは、足場が悪いせいもあり? 
 「私はこんな顔をしていますが、本当はいい人なんですー。」とか、「殿の御乱心、などといっているがそうだ、御乱心だ! 矢でも鉄砲でも持ってこい。」とか、この選挙は面白過ぎる台詞が飛び出し、劇場にいるようでした。

 大雪で土曜の予定が大きく狂い、大損をした気分。 生きるに気象と天変地異は、悩ましいけれど逆らえない。 せめて生きている間、富士も静かに、何ごともない毎日をお願いします。      2.10(月)





雪降る
 厳しい寒さの到来、春、は名のみ早春賦にも至らぬ寒さ。 たまに降る雪は楽しくも、雪おろしで落命する過酷な雪国の春は遠い。 
            
            
セーター欲しい日
 
    2.6(木)





二月、如月
 ぶ厚いビルダーのマニュアルをあきらめ捨て、バンダナを鉢巻きにしてビルダーをいじっていたら、あらら思い出し復活、バージョンは古いがやっているのは簡単なことばかりでしたからね。 気を長く何でもマメに動き、錆がつないように気を付けることだわと実感します(絶滅危惧種の〈ホームページ〉を、守らなくちゃ)。
 あっという間の慌ただしく過ぎた1月。 川越七福神めぐりの歩く会では二万歩近く、温かい日のことを記録するまもなく、いずれ花の俳句などノオトに―。

           

           
私もリュックで歩きたい...

                2.1(土)





IBMの
ビルダー
 アイビーエム、International Buisiness Machine はさる国に身売りされ、仕事で長く使ったキィの打ち易さと頑丈さで信頼のThink Padパソコンを思い、其の時は涙がポロリ―。 それにしても、何でかの国などへ...。
 マイパソコンを7年前IBMに変えようとした時元上司が、本体にウイルスが仕込まれている心配をして驚かされものがいま合衆国の国家機関では、不安なIBMは使われなくなっているようです。 
 このHPはIBMのホームページビルダーで作っていて、数年前これもジャストシステムに身売り、サポートは最新のものだけになっていました。  バージョンがかなり古いため、新しいページの造り方が暮れごろから判らなくなり将来は、「ポエム、ノオト」のページが重くなり外からは見えなる心配があります。 しかし、もう十年前のやる気はなくなり困りものです。
 マイクロソフト帝国さえも傾く時の移り。 ここまでよく続いたものですが失くすも惜しく、従来のミーシャの記録は長生きはなちゃんと一緒に継続します。 
 
           

 
 添え物「今月のポエム」はこれまでに、感想は3通、もう終了時かと思えますが今後も、時代遅れながら行けるところまで参ります、よろしくお願いします〈明日国は滅ぶとも君は、リンゴの木を植える―〉。       1.30(木)
     





新年会
 今年は柴又の川魚料理のお店で、海と川の幸をいただきながら。    去年は風邪でぼろぼろでしたが今年は天気も良く、お話も弾みました。 が、欠席者も複数、冬の体調に皆苦労します。
 曲目は「菜の葉」「白扇の」「鶴の声」「山村舞」「松の緑」「浪花の四季」「浦島」「瀧づくし」「福の神」。
 上京された母先生に、品のよさ とは?と質問があり、それぞれが色々表現していましたが田園育ちの私は、ひたすら自然に、身の丈でいることです、と、わけのわからぬことでお茶を濁しました。 先生は、〈とくに慣れてくると人は、上手く見せようと不自然になる、その心で美しさを失してしまう。 が、ここでは、本当に素直で、気持ちの好い舞が見れてうれしい〉、とおっしゃってくれました。 大阪では、《行儀見習いは山村で》、と、良家の子女のならいごとだったという流儀、 ...合っているか折に悩みまする。

 帰りは矢切りの渡しを対岸に見て土手を散歩。江戸川は護岸工事が少なく草が茂り、自然が残りのどか、眺めて楽しい景色です。。 
 大きく広い帝釈天を簡単にお参りし、賑わう寅さんの町をあとに。 夕食にはリンゴとミルクティのみ。 おいしいうなぎなどで満腹、年に一度の贅沢でカロリーオーバーになりました。   1.26(日)




冬の句・はん女
 舞踊家武原はんさんは、高浜虚子の弟子として俳句の句会に参加し多くの句を残した俳人。 地唄舞・上方舞の世界では、雲上の人、誰にも届かぬ憧れの大きな星です。
 十代で山村千代師と出会い、96歳でこの世を去るまで現役、その美しい舞姿を見ようと著名人らが、毎年集ったといいます。
 はんさんの句は、素直で優しく、悲しみを秘めながらの心を打つ情を感じる。 著書を読むと、親思いの一人の人間としての葛藤や不安、舞と向き合い悩む様子が垣間見え、いま向き合っているかのような不思議な錯覚に落ちることも。。 
 南国徳島の生まれのせいか、冬の句が極端に少ない。 寒く厳しい冬の期間を、関東の地で辛い思いで晩年過ごしたのかも、と想像します。 日々写経をものし、仏の教えに沿って生きた誠実な生き方。 また同じところを一万回、と、厳しい稽古を生涯重ねた努力家でした。 本名は幸子、幸せな子、でした。
  
       
           

                     1.22(水)






大寒

 一年で一番寒い日。 都市では暑さよりは耐え易い。  
 生きものの身は一年一年、未知との遭遇 のようなものですが何かというと、加齢だよるトシなみだと自嘲的な人もたまにいる。 年齢は忘れていたほうがいい、と思います。 
 ネガティブを何度も音声や文字に記すと脳になぞられ、老化が普段の倍速で進む、「言語誘導」です。
 
           

 冬の燃料が高騰し戸惑います、寒い地方の苦労がしのばれる。
 今年から赤外線セラミックストーブになりました。 ガス燃料は経済的ではなくも操作は簡単、軽くてきれいで、はなも気に入った様子。 電気いらず、赤い色が温かさを増してくれます。    1.20(月)
  





年賀状

   


 毎年手作りの賀状をくれる友。 18の時からこれまで、旧知間柄の同級のMは絵手紙が上手、折々季節の野菜など描き送ってくれる。 都会育ちの一人っ子は、娘が続けて3人孫を産み賑やかになった。 泊りがけの手伝いの時もあり大わらわ。 育児疲れの娘はその間、映画に行ったり気晴らしするらしい。
 この夫婦は退職後、パソコン生活にピリオッド打った。 ゆっくりと悠久の時の流れを味わうまいにち、それもいい?でも不便?  ...私は、重いネコの砂なども買わねばなりません、かなり無理。。     1.13(月) 





新春浅草歌舞伎

 一部が完売だったので二部。 男女蔵・猿之助の舞踊劇、『博打十王』と、愛之助・中村壱太郎で『恋飛脚大和往来』から新口村その他。 お年玉ご挨拶は中村亀鶴さん、愛之助急病の折の立派な代役ぶりが記憶にあります。
 ことしの花形は更に若者の出演で、お兄さん格に常連猿之助さん、愛之助さん、亀鶴さんに男女蔵さんの四人。 手ぬぐい撒きもなく、終演もいつもより早く、そぞろ歩きができました。
 新口村は、哀しい雪の道行、愛之助初演といいますが、映画『beauty』の中でさわりだけを...、あれです、≪何時から逢わぬか、おまえ、覚えていやしゃんすかぁ≫。 でもここでこのせりふはなかったようで―。
 お正月らしいのは猿之助さんの独り舞台のような軽快な踊り、衣装もカルタや花札があしらわれ色彩も楽しめました。 この方はいつも安定していてIQも高そう、自信に満ちすぎた目をしている。 歌舞伎ひとすじ、ドライで悲壮感が感じられないのがいいし、何をやっても上手いなあ、愛ちゃんもですが。

 
 
      
   晴天の隅田川             夜の雷門
 
 夜の浅草は早じまい、でも、まだ沢山の人がお参りする正月でした。 


 

        何時になく華やか                      雷門の裏側の奇麗な仏さま 
                    1.10(金) 





人面ネコ
              

 気ままな独り生活、我儘し放題、威張って暮らしています。 飼い主は、自動給餌機・掃除係。 でも、さすがに17年目ではお疲れも―。 顔もなにか人間に似てきて智恵モノ風情、哲学的?  
 いえさっきまで、夢でもみたかぶつぶつ寝言をいってました。  豆が煮えているような音、声でした。。。   1.8(水)





謹賀新年
 何回目の新年でも、何か区切りが付くお正月。
 朝寝と過食を止めきちんと、一年一日が成りますように。
 大地と宇宙が収まって、おそろしく揺れ動きませんように、隕石とぶっつかりませんように。

 本年もよろしくお願いいたします。

 

   平成26年1月1日(水)





はん亭
 一度行ってみたかった古い建物の店です。
 古い知人と小忘年会、女性好みに串カツが、小さくあれこれと、粋な味でした。 本来よりも削られていてもこの木造三階建は、長い歴史をもち文化財として登録されているそうです。

 帰宅して、この日は東京ドームでタイガースが44年ぶりに初期メンバーで東京コンサートをやっていたと知った。 ジュリーは相変わらずふくよかでも、なんと、ドラムス担当のピーは教員を定年退職してまた音楽に還ってきた。 いちばん若く見えるのはスリムなボデイを保っているから。 尊敬します懐かしい瞳 みのる。

              
  12.28(土)  





冬至も過ぎて
 いつのまにか、南瓜を食べる日、冬至は過ぎゆず湯も入らずに終わった。  このころは、いまも何処か慌ただしいものがある。  
 昨日は今年最後の歌舞伎座、仮名手本忠臣蔵。 ランチ用に銀河プラザで海鮮わっぱと林檎のどら焼きを買う、他にも色々美味しそうなものがいっぱいあり目が動くけれど、別の機会に。 わっぱは小さい器にご飯がぎゅうぎゅう詰まって、掘り起こしながら食べました。 カニ、イクラ、とろろめかぶとウニが賑やかに乗っていました、三陸の味です。

 お芝居は、海老蔵さんの高師直のイジメが最高潮というか、長々しく徹底的にまあなんとも、悪役もうまい、ぴったし。 やられっぱなしの塩冶判官の菊之助、若狭之助の染五郎は私生活も真面目で優しい、あのえぐい意地悪さは向いていないやらないだろうなあと、市川宗家の幅の広さ?に感嘆。

 しかし、イジメ、堪忍袋ぶちぎれての切腹、復讐の涙の誓い、...だんだん気が重くなり、この仇討物語に食傷気味。  いつかの三社祭の活きのいい明るい踊りを猿之助で見たくなりましたが、遠い南座、行けるでしょうか一度は。   12.25(水)





また殿中松の廊下
 季節はまたも『忠臣蔵』、その講談を聴いてきました。 
 梶川与惣兵衛、「殿中でござる〜」、と江戸城松の廊下で浅野内匠頭を羽交い絞めにして留めた彼は、勅使接待の饗応役の使い走りだったが、その日記に当時の記録が生々しくあるという。 梶川は、『あの時浅野氏を止めなければよかった』と悔やんでいたという記録が残っているそうです。 
 彼がもしも武士の情けで、しっかり?斬り付けさせていたら、吉良はここで命果て、四十七士の感動の物語もなく、義士祭の行事・東映映画が一つ消えていたことになる。がそうはいかなかった―。 
 
 講談の場所は成城学園駅からかなり離れた、木立に囲まれた一軒家、つまりただの住宅で、料理教室やコンサートもするという広さの一室。 木造のベランダに野鳥の餌篭があり、この日も何羽かの鳥が群れてきました。 周囲の木漏れ日の落ち葉もはらはら、空青く何と言ういい景色、山の中の別荘に居るような気分でした。
 今年知り合った女流講談師と師匠二人の二席、当然ながら本読みせずこの義士の、長丁場をたっぷり語り聞かせる講談は、落語より物語性がきりりと楽しいものでした。
 木戸銭は千円なのに、その後のイタリアンの御馳走まで美味で、思いがけないごちになりました、15日。    12.18(水)   

 





写真機
 カメラは写真機と呼んだ覚え、あれから進化してデジタルの時代になり、フイルム式カメラは、みなどこに消えた。 また使う日はあるのかしら。 
 そろそろ軽くて手ぶれのしないカメラを欲しいけれど、沢山あり過ぎて頭混乱、素人向けの単純なものでいい。 器械類はみな不得意で、構図と色が写ればオーケーという情けなさ。 
 またはなはカメラ嫌い、向けるとプイと横を向き逃げていく。 
 
          

                 
にゃんちゅう似

 こんなおもろい顔だけではない、実際は、仔猫のころと変わらずに表情豊かできれいな猫ですはなちゃんは(恥)。 人間は、顔に正直に歳が刻まれ困ってしまいますが。。       12.8(日)





鎌倉歩き
 市内有志の歩く会はちゅうこうねん女性が中心、男性3名が後をぽつぽつ歩く。 
 11月は鎌倉探訪で、杉本観音、報国寺、浄妙寺ほか見学、11面観音様の沢山いる杉本寺は、坂東第一札所である古いお寺。 お馴染みの有名どころはパスして、華頂の宮旧邸を見学。 洋風の敷地も建物も立派なのに、内部は荒れている。 レストランなどにしたら素敵な感じ、神奈川県の所有だそうですがどこも財政難? 保存のカンパを募っていた。
 お昼と休憩の喫茶を入れ、これだけ拝観して回るだけで秋の短い一日は終わりに―。
 でもまめに坂や階段を上がり下がりして、普段と少し違う鎌倉を味わい楽しみました。 



         

 寺の境内に喫茶やパン工房があった。 お茶休憩で、若い娘の薪割り(電動機)の木のにおいが秋らしい。 当駅から新宿乗り換え鎌倉駅直行、1時間40分弱。 湘南新宿ラインは、速い。          12月2日(月)



肉親
 晩秋になる前に兄弟で、親たちの恒例墓参り。 既に知らないヒトのほうが多くなり、、なるほど〈遠くにありて思うもの〉になる故郷です。 
 昨日TVの木8で瀬川英子が、「かあさんの手」という歌を歌っていた。 誰にも母親は特別な存在、たとえ千万人を敵に回しても護ってくれた唯ひとりの人です。 そして心を残しながら先に、去っていく人なのだ―。

 猫は親兄弟をすぐ忘れる。 はなこの母ベルベルちゃんは生きていれば25歳、もうたぶんいないだろうけどはなこは墓参りもしない、チュパチュパも忘れた。 兄弟たちも忘れて逢わなくなった。 
 今朝も朝陽を浴び羽蒲団に顔埋め、何かぶつぶつ言っている。 ひたすら食べ物の夢でも見ているらしい。 シンプル...、これもいいかな。 

           
 
                       11.29(金)





みかん
                              
                           
                   
 ねこともさんから南国高知産の蜜柑がはるばる届きました。 四国はどこもいい柑橘類の産地。 小粒でジュ―シー、とても甘味の強い美味しいミカンです、猫もちゃちゃをいれ欲しがりました(ダメよ)。
 猫たちの縁で、思いがけなく色々な人たちと知り合えてきました。 
 十年前は賑やかだったHPも、主役の愛猫たちも天寿を全うてんごくに召されたり、世代も変わってゆきます。  また、お休みや消えてしまったページも増えましたが、継続は力なり、まだまだ元気に交流が続いています。 みなさんねこさん、ありがとうございます。  11.27(水)





人の情報
 あるところで情報を見聴きする為に必要で、仕方なくフェイスブックに登録しました。 すると即、数人の知人の写真などが出て、貴方のお知り合いでは?という。 かなり近い人、昔の同人誌仲間、同級生の結婚式以来会っていない、自営業の夫君、全く知らないヒトその他。   気持ちわる〜い、ローマ字名前だけの私の情報でどこから何をどう採ったのだ。 以後は読むだけで書きみはしない。

 フェイスブックは仕事以外では、仲間を造りたい知り合いたいと願う人の場所らしい? 多くが本名で顔写真、出身地、出身校、友人など公開していて、個人情報保護など関係なく、なんともオープン...。  最近は〈なりすまし〉、も数多いと知ってまた驚いた。 
 ネットで仕事をする人や有名人でない、一般人が自分を公開する時代、面白くも不安も感じるフェイスブック。  古い私は、ネットとは、なんでしょうと考え込みました。       11.21(木)  





思い出さんこんにちは
 島倉千代子さんが永眠した。 ちかごろの声量の衰えは年齢でなく、病だった。
 こどものころ、この人の歌をよく聞いていた。大盤レコード〈千代ちゃんの一日〉の表裏に、たしか12曲入っていて、そのなかの『思い出さんこんにちは』が特に好きでした。 彼女の歌の80%は、いまでも唄えそうです。 今後は肺筋を鍛えるためにも、ひとりカラオケに行くつもり。 独りカラオケは気兼ねがなくて、密かに流行っているそうですね。

♪目隠しした手を優しくつねり
 私の名前を呼んだのね
 雨のベンチで濡れている
 思い出さんこんにちは
 たまんないのよ恋しくて
 あの指あの手 あの声が


 騙されても病気に苦しんでも恨みもせず、素直で、天然で、幾つになっても可愛い人でした。 『りんどう峠』がいちばん好きな祖父は、目を閉じていつもじっと聴いた。 
 姉が嫁ぎ、残って芝刈りを一人でする妹の淋しさを詠った歌だが、働き者の娘とむらさきのりんどうの花、馬に揺られて峠を越え嫁ぐ姉がいじらしい、というのだ。 仏さまの様な祖父は、女の人をみな大切にし可愛がった。
 ともあれまた昭和が遠のいた、この歌が流れていたのはあの戦争から、おもえばたった十数年余りの頃...、思い出さん、これからもよろしく。

 11.11(月) 





上野の稽古場で
 五耀会の五日の会、というのに行きました。 冬に行くはずに風邪で行けず、今月の参加となりましたが、今月から50名までの抽選になっていました。 広い稽古場です、御徒町から徒歩、私には松坂屋の向いは未知のお江戸、また一つ世間が広まり楽しい経験です。
 広い板の間の稽古場を舞台にして、舞踊家五人のユーモアあふれるトークと解説と、本番さながらの素踊りの舞と踊りを拝見できました。 
 いつもお茶とお菓子が出て、この日は雷門の『亀十』の黒砂糖菓子《松風》、大変美味しいカステラの様なふわふわに粒餡がくるまれていました。 下町は古い和菓子店も多くて、覚えきれませんが毎回、このチョイスも会のお楽しみとか。
 初めは11人の参加者から始まり、大変な人気。 同じ方ばかりが参加では、と、広く多くの方にみてもらいたい、敷居が高い、と食わず嫌いの多い日本舞踊というものを知ってほしい、という目的で最大50名までに絞らせていただきたいとのこと。 
 真近に拝見する顔の表情や指の美しさに驚きましたが、とりわけ通しの『水仙丹前』は印象に残りました。   日本舞踊は我が国特有の、内面世界の表現として最高級の芸術ではないかと思いました。 
 11.8(金)




山の匂い
 週末元職場のK先生の還暦を祝う会に参加しました。 近年は定年が公立大学も65歳に伸びて、先生はほぼ変わりなくお髭もお上品。  お礼の講義?はパワーポイント、スクリーンの講義は面白かった。 父になったSくんの、北八ヶ岳の縞枯れ山調査もなお続いています。 研究は、いい加減でいい、ということでない《適当力》が必要、というのも面白い。 何にでも必要な、マ、間、緩みのことでしょうか。
 在る型を持つ公文書や論文にずっと接してくると、自身の文章も硬く理づめになる傾向がある。 でも権威や中立が宿命の公の表現や文章は、みなそういうもの。 然し今私は三味線・花魁の世界が身近、世の中は、何と色々な世界で造られているのでしょうね。
  
 もと院生らは仲間同志結婚していたり、可愛い子らを連れてきたりも複数いて、短期間で若者らは大きく変化していました。 
 大学の構内のフレンチの店は立食の貸切、再会を喜び、近況の報告会。 約50名、時期が被らないと、知っているのは半分以下くらいの状態。 オトナたちも久々の再会、父兄のように見守りました。 とにかく、就職先がもっと増えてほしいものです。
 久しぶりの南大沢、グリンショップの花の種類は多く、若い町はお洒落できれい。 山の近道は夕方行くはちょっと怖いが、秋の土の匂いが快適でした。  

             10.28(月)



秋の歌
 しっとりと秋。でも相次ぐ無情の台風の襲撃に、島の災害は目を覆うばかり―。

 小さな木の実 は大好きな歌、この季節に聴くと懐かしい山の匂いがしてくる。 落ち葉ときのこと、湿った山の土のにおいは生い立ち、ルーツが山にある証拠です。
 パパを失くした少年、パパと拾った木の実を大切に、強く生きようとする男の子のうたは大庭照子さんのが多かったが、小鳩くるみさんのも発見。
 童謡歌手は昔のアイドルで、古賀さと子、近藤圭子、田端典子、伴 久美子に安田姉妹、川田3姉妹ほか、みな勝手におともだち、でもおない年のくるみちゃんはまた格別のひとでした。 今は立派な英文学の教授になって、正統派の歌声もそのままです。  10.23(水)
   




国と城
 自分の生まれた国は誰も好きだ。 しかし隣の国の文化大革命を嗤っていては済まされないことが、日本でも起きていた。
 
 日本には諸所に美しい城がある、あった。 幕末まで、幕府直轄の江戸、大阪、駿府、二条、甲府、の5城のほか、藩の属城合せて180の城があってほとんど戦国末期に造られたものが徐々に、軍事施設でなく大名の住居、行政施設に使われていた。
 明治になり、城は「廃城令」により、積極的に破壊されたという。文化財という意識はなく、封建時代の遺物として敵視されていたというから驚く。 この時『武士の美徳』も、時代遅れの野蛮な風習、とみなされ消えていったという。 廃城対象実に144、天守閣が創建時のまま残っているのは、松本、彦根、姫路、犬山、松江、高知、伊予松山、丸岡、備中松山、弘前、丸亀、宇和島のわずか12である。
 明治維新は無血で行われたということだが、日本の文化は仏寺伽藍・仏像とともに城まで破壊されかけた恐ろしい時代でもある。 
 日本史の教科書は、明治以降は力なく途切れ、卒業が迫り端折られたせいもあるのか近代史は真っ暗闇のまま終わった記憶だ。 

 ひこにゃんでにぎわう彦根城は今、姫路・犬山・松本と並ぶ国宝4城の一つだが、解体から救われたのは、天皇の巡行にお伴をした大隈重信が、城見物の際にこれから解体する、と聞き、「武士の魂の入れ物」である天守閣消失を惜しみ、天皇に保存を奏上したおかげという。。
 国とは、未完成の人間の造る姿のないもの、折々にふらふらと、漂うふしぎなもののようだ。 その文化遺産を護るのは運に頼るだけではなんと不安定なことだろうか。 何もかも砂上の楼閣にもみえ、虚しい気持ちになるではないの―。 以上は9月1日の新聞、日経『熱風の日本史』からの感想、この新聞記事は棄てれなくなりました。 がんばれ、サムライ。   10.18(金)





山野草展
   
            

  初めて見るベニバナオケラ、という名の 薊に似た花です。 紫系で、あざみとちがうのは棘が葉にみえないこと。 植物はいったい何万種あるのでしょう、普段見慣れた山の草木は限られた種類でも、日本は数が多いと思う、単調なインドなどの植物と比べても。
 展覧は殿ヶ谷戸庭園の土蔵、二階で。 即売会で秋海棠を求めました。 10.13(日)




               

秋空
 ゴ―ヤはまだ新しい実を付けがんばっています。 九月の末に来たトンボ。 葉っぱの茂みは自然があっても、蜂だけは、おお怖〜。

            
                         10.4(金)



十月
 10月というとホッとするはずが今日は28℃、また冷房機に頼りました。
 そして朝は、秋冬物と遊びました―。 替えたブルーの首輪が似合うはなさん。 
 
 今週二組の来客(大京エルデザイン、本郷の中国骨董屋)、それぞれ猫を多頭飼いではなに興味津津。 男の子ちゃんね、と言われました。 やたら走り回るので、はあ〜、16歳過ぎに見えない! とも。 

 
 
わ、寝てたのに              猫のマッサージ?

  
 
なんまいだ ー              あきらめよう   

10.3(木)


                 2008 4〜9  2008.10〜2009.3  2009.4〜9  2009.10〜2010.3

                 2010.4〜9   2010.10〜2011.3    2011.4〜9 2011.10〜2012.3
     
                 2012.4〜9  2012.10〜2013.3   2013.4〜9